54 静かな狂信者
54 静かな狂信者
スズちゃんからメールが届いた。
ジンさん
暴動と水害が起こった2日後に黒鷹町に戻ってきました。しばらくメールを差し上げなくて申し訳ありませんでした。黒鷹町も毎日うだるような暑さですが、私は元気でやっています。
黒鷹町に帰ってきて、黒鷹町は泥の町になっていました。あの鬱陶しくさえ感じていた田舎の夏の緑が辺りから消えています。雑草も流れ去ってしまいました。
ご存じのように我家は最上川の右岸に位置し、水害や土砂崩れのあった場所から離れていて、被害を受けずにすみました。家族のみんなも無事です。ジンさんはじめ会社のみなさまによろしくとのことです。
黒鷹町の暴動も、我家は中心部から離れているので、何の被害もありませんでした。それでも、当日は我家の周りも道路が渋滞し、空はヘリコプターでいっぱいだったそうです。
どのようにして実家までたどり着いたかをまずお話しないといけませんね。
ジンさんとレンタカーを借りて山形駅から黒鷹町に入ってきた国道348号線を覚えていますか? 黒鷹町に入って下り坂になって、視界が開けて目の前に大朝日岳がきれいに見えた道路です。ジンさん、感激していましたよね。よもや忘れたとは言わせませんよ。あの国道348号線が豪雨によって土砂崩れになり、一時的に通行不能になりました。黒鷹町を南北に走る287号線も北の方は(『切支丹屋敷跡』や『あゆ番所』のあった朝日町に通じる方角です)、最上川の氾濫や土砂崩れのために不通になりました。埋蔵金ツアーの時は満杯になったフラワー長井線も線路が浸水したり土砂に覆われて、現在のところ復旧する見込みが立っていない模様です。
実家に戻るために、私は今回のために急遽東京で購入したマウンテンバイク(なんとか会社の経費で落としてもらえないでしょうか? ちなみに37万円でした。社長にかけあってもらえませんか)を東京駅の山形新幹線に積んで米沢駅で降りて、マウンテンバイクで国道287号線を北上して黒鷹町に入るルートを選びました。途中、287号線がところどころ浸水していたり土砂に覆われたりして通行不能なところもありましたが、その都度色々なところを迂回しながらなんとか自宅に行き着くことができました。距離はおよそ40㎞でしたが、とにかく暑かったので6時間かかりました。家に着いた時はへとへとでした。
水害から10日が経ちましたが、黒鷹町に車で入ることのできる国道は、私たちが山形市から入って来た348号線だけです。この道路を応急処置して、ところどころ一車線に規制されていますが利用できるようになったのです。まだしばらくはこの道路しか機能できないようです。道路がすべて駄目だった一週間前までは、自衛隊のヘリコプターが緊急の水や食料や医薬品を運んできてくれました。水害の後で病気の蔓延が心配され、町中が消毒されました。自衛隊の人たちも暑くて仕事が大変そうです。
私は自転車で自宅に帰る途中、初めて水害の痕を目にしましたが、その時は恐怖で膝ががくがくと震え、体が硬直して、しばらく自転車を漕ぐことができませんでした。悲しみのような感情ではありません。ひたすら怖かったのです。圧倒的な力を持った何者かに町が蹂躙された恐怖を抱いたのです。
私が見慣れた黒鷹の素朴な風景が一変し、見たこともない異様な光景となっていました。家がひっくり返って泥の中に埋まり、泥の色をした最上川が激流となって流れていました。その激流の中に、イヌやネコやウシやブタやイノシシやシカの死骸が浮き沈みを繰り返していました。辺り一面腐臭で臭かったです。
私は東日本大震災の写真や映像を幾度と観てきましたが、直に目にすると自然災害は想像を絶するものでした。写真でしか見たことがありませんが、どうしたわけか私の頭の中に、空からの爆撃で木っ端みじんに破壊された都市が浮かびました。もちろん自然災害と人災はまったく違うことはわかっていますが、私の恐怖が心の奥底から引き出したイメージです。
家族の者たちも一晩、恐ろしくて寝られないくらいの雨が降ったと言っていました。雷鳴や土砂崩れの音をかき消すほどの激しい雨音だったそうです。雨で家が潰されるのではないかと思うほどの雨が降ったそうです。何十台もの消防車から一斉に我家をめがけて家が潰れるまで全力で放水しているのではないかと思わせるものだった、とお母さんが恐怖の体験を話して聞かせてくれました。おばあちゃんは寝ていると、雨が降っていないかと今でも不安になって目が覚めるそうです。トラウマになっているのでしょう。
我家の被害は、雨どいが壊れたことと、駐車場の屋根が壊れたことと、庭の表土が流れて何本か木が倒れたくらいです。もちろん我家の周りでも一週間は断水し停電が続きましたが、水道や電気が未だに復旧していない左岸の人たちに比べれば、不平を言うことはできません。ちなみに私は自転車で黒鷹に戻る時に、2リットルのペットボトルの水を5本積んで帰ってきたのですが、食事と暑さのために1日でなくなってしまいました。
最上川には水が溢れているのですが、皮肉なことに家々は水不足していたのです。トイレや風呂の水には不自由しましたが、汚い最上川の水を汲んできて利用するわけにもいかなかったのです。いくら濾過して透明になっても、不衛生ですからね。自衛隊の給水車が助けてくれました。
私はどこかに後ろめたさを抱えながらも、ボランティアには参加していません。これでも『ユニコーン』の記者の一員ですから、家に戻って翌々日から(自転車を漕いだ疲れのために、翌日は死んだようにクーラーのない暑い室内で朝を掻きながら一日中寝ていました)取材のために自転車で町中を走り回っています(ですから自転車を経費で落としてください)。
「黒鷹町立博物館」は被害を受けていませんでした。今、博物館は災害復旧基地として使われています。運動場には自衛隊のトラックやパトカー、救急車、報道機関の車でごった返しです。自衛隊の人が宿泊する簡易テントが何棟も設営されています。
博物館の穂刈さんともお会いしたのですが、穂刈さんはあの日は暴動と夕方からの豪雨で家に帰れなくなったそうで、博物館に泊ったそうです。家の方は床下浸水したそうですが、家族の人たちはみな無事だったそうです。穂刈さんは、「切支丹屋敷跡」が水没したことをたいそう残念がっていました。もしかしたら遺跡がすべて流されてしまったのではないかと心配していますが、まだ近づくことはできません。以前、江戸時代初期の「黒鷹の乱」で起こった大火の跡を示す炭の存在を調査しているって穂刈さんからメールが届きましたが、穂刈さんはその炭の痕も流されたのではないかと心配しています。それと、江戸時代初期の大火の痕は、今回の水害と同じように、昭和42年の羽越水害でも流されていたのではないか、さらには、それ以前にも繰り返しあった大規模な水害によって痕跡が消えていた可能性をこれまで考慮に入れてこなかったことを深く反省していました。彼女は純粋な科学者です。
穂刈さんとも話したのですけど、あのキリストさんはいったい何者なのでしょう。なぜ、佐和山さんが名付けたゴルゴダの丘を登って「切支丹生埋めの地」の傍にある地蔵堂に多くの子供たちを連れて行ったのでしょう。親が追いかけて来て、親の命を救うため、と世間では出来過ぎた解釈がまかり通っていますが、この話を鵜呑みにすることはできないと私は考えています。これは親たちの都合の良い一方的な解釈に過ぎないと思えるのです。こんなことを黒鷹町の人々の前では決して口にできません。黒鷹町ではキリストさんはすでに神様になっているのです。少しでも悪口を言おうものなら、みんなから半殺しの目にあっても不思議ではありません。ですから、この話題を振ってきた穂刈さんとしか話していないのです。母にこの話題を振ると、キリストさんになんてことを言うんだ、と烈火のごとく叱られました。この話題になると両親や祖父母は理性のひとかけらもありません。家から放り出されそうな気すらするので、家ではこの話題をしないことにしています。
キリストさんがあの豪雨の日に、結果として子供たちや親たちの命を救ったことは間違いありません。「黒鷹の奇跡」であることに間違いはないでしょう。今やキリストさん(この呼び方もおかしいと思うのですが、どう呼んでいいかわからないので、とりあえずキリストさんにしておきます)は暴動や豪雨を予想した預言者として大いに評価されていますが、「黒鷹のバブル」は遅かれ早かれはじけるのは誰の目から見ても明らかだったはずです。バブルがはじけたら、スケールの大きさは別として、いくらかの騒動は起こったはずです。バブルがはじける日付まではキリストさんは語っていませんでした。この程度のあいまいな予測だったら、誰でも可能だったはずです。まあ、普通の人だったらキリストさんのように家々を回って話すことはありませんが、話して回ったことが何も功を奏したとは思えません。バブル崩壊や暴動は回避されなかったのですから。
水害に至っては、これもまたいついつ水害に見舞われるなんてことを予言したわけではないですからね。当たるも八卦当たらぬも八卦というところでしょう。たまたまあの日に水害が起こったというだけです。そもそも「空からサタンが降りてくる」という言葉を都合よく豪雨に見立てただけですからね。私が聞いて回った限りでは、キリストさんは雨が降るなんて一言も言っていませんよ。でも、こんなこと誰にも言えません。
私はキリストさんは預言者ではないと思っています。それどころかキリストさんは変態ではないかとさえ思っているのです。かれは暴動に乗じて、子供たちを引き連れて「地蔵堂」に向かったのです。ジンさんにだけは私が考えていることを正直に言いますが、かれは「小児性愛者」ではないかと思うのです。
大雨の中、ゴルゴダの丘を登るのはかなり危険な行為と言わざるを得ません。今から思っても、子供たちがみんな無事であったのが不思議なくらいです。それが彼を神格化することにもつながってくるのですが、私からしたらただ運がよかっただけです。かれはひたすら人里離れた無人の「地蔵堂」で行おうとする快楽を想像して、子供たちを登らせたのです。でなければ、純粋に子供たちの無事を考えたならば、途中で近くを通ったあの丘の上の家に避難すればよかったのです。よっぽど危険はなかったはずです。ですが、丘の上の家には家人がいて、キリストさんは子供たちと楽しめないと考えたのです。
あの夜「地蔵堂」で何が行われたのか、子供たちはぐっすりと寝ていて何も覚えていないと言っていますが、本当のところはどうでしょう。
全て私の推測の域を出ていませんが、私の推測の方がよっぽど信憑性があると思いませんか? それともあまりに穿った見方でしょうか? 私の考えを黒鷹町の誰かに話したら、私は中世の魔女のように殴り殺されるか火あぶりの刑になっても不思議ではありません。なにせ、キリストさんは黒鷹町の神になっているのですから。黒鷹町の人々は静かな狂信者です。
キリストさんは黒鷹町の復興の象徴になっています。彼が死んだら、黒鷹町の人々は意気消沈して、生きる気力も失せるでしょう。なかにはキリストさんに続いて殉死する人が出てきても不思議ではありません。黒鷹町民が抱いているキリストさんのイメージは一点の穢れもない純真無垢な姿です。そんな人間がこの世にいると思いますか? いるとしたらそれは神です。そうです、キリストさんは黒鷹町の人々の間で神に祀り上げられたのです。
ジンさん、どうかキリストさんの経歴を突き止めてください。私は黒鷹町を嘘偽りの宗教の町にはしたくないのです。
水害によって多くの人が亡くなりました。たくさんの人が最上川で亡霊や火の玉を見たと言っています。新たな心霊スポットが誕生しているようです。私も怖いですが、心霊スポットに行って写真を撮ってこようと思います。私みたいな人間には一枚も幽霊の写真は撮れないでしょうけど、場所くらいは撮れます。すぐに黒鷹の心霊スポットを『ユニコーン』に取り上げるのは不謹慎で炎上することが必定でしょうが、いつか役に立つ時が来ると思います。
最近、オナカマ様が忙しいそうです。水害で多くの人が亡くなったので、口寄せのニーズが多いらしいのです。オナカマ様には遺族を励まして欲しいと思います。
そう言えば、あの天草四郎と12人衆の末裔はどうなったのでしょうか? 消えてしまった山百合集落はどうなったのでしょうか? あれはすべて嘘だったのでしょうか。私たちが黒鷹町に隠れ切支丹の取材に来るまでは、何の宗教色もなかった黒鷹町が「切支丹伝説」や「鷹天真理教団」で一挙に宗教の町として全国に名を馳せてしまいました。そして今回はキリストさんです。黒鷹町はどっぷりと宗教に浸かってしまったようです。水害はじきに水が引いて行くでしょうが、宗教が町から引いて行く気配はまったくありません。宗教がすべて悪いと言う気はさらさらありませんが、私は今の黒鷹町の状況にどこか不気味さを感じているのです。まるで町民全体が自分たちで作り上げた幻想で自らを洗脳しているようです。
最近、佐和山さんが町長選に出馬するともっぱらの噂です。冷静に考えると彼はいったい何者なのでしょう。父親は本当に失脚した黒鷹町の町議だったのでしょうか? 私は疑り深くなりました。これはジンさんの指導の賜物でしょう。
佐和山さんは地域おこし協力隊員でしたが、かれが黒鷹町を切支丹伝説によって町おこしをすると最初に言い出したのですよね。かれがその後の「黒鷹バブル」の火付け役だっと言っても過言ではないでしょう。かれは町おこしを計った後で、町を破壊しようと思ったのではないでしょうか? まあ、かれ一人が壮大な「黒鷹バブル」を生み出したとは到底思えませんが・・・。
私の猜疑心は広がっています。私は正常でしょうか? 私は正常であるために、日中全力でマウンテンバイクを漕いで汗を掻き、夜はクーラーの下でぐっすりと寝ています。
しばらく黒鷹町で取材を続けます。
つづく




