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みちのく転び切支丹  作者: 美祢林太郎
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53 勝手連信者

53 勝手連信者


 小学校の避難所で、90歳になるおばあさんとボランティアの若者がのどかに話をしている。

「若い人に足を揉んでもらってすまないね」

「水害で家が浸水して大変でしょう」

「うちはまだ床上浸水だったから、泥を掻き出して畳を洗えば元通りに生活できるから、そんなに困っていません。遠くからボランティアの人たちが来てくれて、家の中から泥を掻き出してくれていますからね。ありがたいことです。でも、豪雨の日以来、毎日天気が続いているので家の中に入った泥が乾燥して、泥が取れにくくなっているので、ボランティアの人も大変そうですね。断水がずっと続いて、水で流せませんからね」

「お家はご無事だったようで何よりですが、車が流されたんでしょう?」

「ああ、息子のベンツと孫のフェラーリと軽トラが流されました。車が流されたくらいですんでよかったですよ。でも、流れて行った車は溶けてなくなるわけではないので、作業に携わっている人は川から車を引き上げなければならないので大変ですよね。川の中に放っておくわけにもいきませんものね。

 幼馴染のおじいさんの家族5人は、孫の車で避難して、いまだに行方不明のままです。あのままあの家に残っていたら、間違いなく川に流されて一家全滅だったでしょう。乗った車はどこかで流されたのか、それとも土砂崩れにあって今でも土の中に埋もれているのか・・・。せっかく避難したのに、死ぬ運命だったのかもしれませんね。ああ、こんなことを言ってはいけませんね。まだ亡くなったとは決まっていませんものね。でも、私の住んでいる辺りはどこもそんな話ばかりでうかつに口を開けないのです。生きている私は幸せっていうものですよ。こんなばばあが生きていて幸せなんて、大っぴらには言えませんけどね。おにいさんにマッサージをしてもらって、気持ちが良くてついつい口が緩んでしまいました」

「そんなことを言わずに長生きしてくださいよ。無事でよかったですよ。それで息子さんとお孫さんは今どちらにいらっしゃるのですか?」

「息子の車は即金で買ったそうだけど、孫の車はローンらしいんです。まだたくさんのローンが残っていて、払えなくなったのでどこかに働きに行きました。本当に働いているかどうかはわかりませんが。なにせ甘やかせて育てたもので・・・」

「では息子さんご夫婦と3人でお住まいなのですか?」

「嫁はずっと昔に家を出て行きました。仙台から嫁いできた嫁でしたが、孫を産んだ年の雪の多さに恐れをなして孫を残して出て行きました。産後の鬱も重なってふさぎ込んでいましたからね。冬のねずみ色の空は、人の心を暗くするものです。

 息子は田圃も畑も水浸しになって使い物にならなくなったので、どこかに働きに出ました。食って行かなければなりませんからね。でも、あの子は毎日パチンコをしているかもしれません。昔から暇があったらパチンコをしていた子ですから。農業以外何もしたことがない子だから、60過ぎて人の下で働くのは辛いと思いますけどね。もうこっちには帰ってこないかもしれませんね。出て行ったきり連絡がないんですよ」

「そのうち連絡がきますよ。それにしても、水害もそうですが、バブルが崩壊して大変でしょう。車の借金も返さなければなりませんし」

「いや、それほどでもありませんよ。バブルはたしか泡という意味ですよね。泡は遅かれ早かれ破裂する運命にありますからね。80年代の日本のバブルも確か5年くらいではじけて終わりましたよね。でも、あまり大きな声では言えませんが、今回の黒鷹バブルでは私も十分楽しませてもらったんですよ。80歳を過ぎて、あんな楽しい時代が到来するなんて思ってもみませんでした。自分の一生は田圃と畑を作って、子供を育てていく、面白味もない人生だと観念していましたからね。そりゃあ、バブル前でも我家も人並みに60インチの有機ELテレビを買ったり、大型の冷蔵庫やトヨタのプリウスを買えるまでになっていましたけど、それだって世間並というもので、贅沢というほどではありませんでした。

 昔、名古屋に出稼ぎに行っていた亭主が、昭和37年に14インチの白黒テレビを買って帰ってきて、家でテレビを観た時の喜びほどの感激は、それ以後ありませんでした。家電を買ったり買い替えるのにマヒするようになったのです。それが今回の黒鷹バブルによって、ベンツやフェラーリに乗せてもらい、90歳近くになって東京の超高級なメンズバーに連れて行ってもらったんです。テレビで見るようなイケメンの男たちばかりで、初めて見る竜宮城みたいでした。あんなイケメンは黒鷹町、山形県、いや東北には一人もいませんからね」

「おそらくメンズバーは東北出身の田舎者ばかりだと思います」

「そんなことはない。芋はどこまで磨いても芋ですよ」

「磨いて化粧すれば、それなりになるものですよ。ぼくだって少し前までホストだったんですよ」

「そりゃあ、冗談でしょう」

「あはははは。はっきり言いますね。それにしても、竜宮城とは面白い表現ですね。おばあちゃんはバブルがはじけて、まさに浦島太郎みたいに現実に引き戻されたわけじゃあないですか。もともとおばあちゃんだったので、浦島太郎のように若者が一挙に老人になったわけではないでしょうが、それにしてもあの乙姫様がいて、タイやヒラメが舞い踊る華やかな竜宮城にもう一度戻りたいとは思いませんか?」

「ははは、体力が続きませんよ。一度こっきりで十分です。あんなことが続いていたら、メンズバーで血圧が上がって脳溢血で死んでいましたよ。死ぬなら故郷の黒鷹町で死にたいと思っていましたからね。あれでよかったんですよ。祭は一年に数日あるからいいのです。毎日が祭だったらくたびれてしまいます」

「でも、バブル崩壊に水害が重なったじゃあないですか。水害はショックが大きかったでしょう」

「わたしら年寄りは、昭和42年の羽越水害を経験していますからね。若い人たちとは違ってそんなにショックではありませんよ。昔よりいいのは、日本が豊かになって、すぐに日本中の人たちが助けに来てくれたことです。ボランティアという言葉もなかった当時は、隣近所の者たちで助け合うしかなかったですからね」

「達観されていますね」

「いえ、そんなことはありません。ただ年をとっただけです。若い人よりも少しばかり経験が多いのが幸いしています。経験の多さは感情を鈍感にしてくれますから。この鈍感さは年寄りが生きていくうえではとても大切なことです。大きな感情の起伏に老いた体は耐えられませんからね。まあ、意識して感情の起伏を押さえているところもありますが・・・」

「それでも気丈であられると思います。バブルがはじけた時に暴動が起こりましたよね。どう思われましたか?」

「あれだけのバブルがはじけたのですよ。どう考えても、おとなしくすむわけがないでしょう。全財産をなくした人も多かったのでしょう? そりゃあ、どこかに怒りの矛先を向けざるを得ないでしょうね」

「でも、関係ない人までが火をつけたり投石したりしていましたよ」

「暴動とはそういうものじゃあないですか。街はパレードだったのですよ。関係ない人も日頃のうっぷんがたまっていたのですよ。日々の不満をうまく消費できない人っているじゃあないですか。毎日誰にも知られずに少しずつ不満を募らせていたのですよ。そうした人たちがあの暴動に遭遇して感情が爆発したのです」

「でも、暴動はいけないことですよね」

「そりゃあ、そうです。理解することと、罪に目をつむる事とはわけが違います。かれらは法律に違反したのですから、厳罰に処せられるべきです。騒いで日頃の憂さを発散した人たちよりも、もっと辛い立場に置かれた人たちが世の中にはいっぱいいて、その人たちは暴動を見ながら、臆病で参加できなかったり、巻き込まれるのを恐れたり、自分の正義を貫き通したり人も多かったのですから。お調子者が無罪放免なわけがありません。ましてや、他人に同情を買うのは卑怯者のやることです。ですが、暴れた人たちの心情を私は理解することはできます。私ごときものが彼らの心情を理解したからと言って、かれらは救われることはありませんけどね。かれらは将来同じような状況になった時、今回と同じような方法で憂さを晴らさないことです。じっと奥歯を噛み締めて耐えることも必要なのです」

「そうして生きてこられたのでしょうか?」

「そんなことはありませんよ。私だってバブルに乗ったと話したでしょう。かれらと違うのは他人に迷惑をかけたかどうかという程度です。私もそれなりにお調子者だったのですから。後悔はありませんけどね」

「バブルで誰が得したのでしょう?」

「誰でしょうね。私も得した人間の一人だと思いますけどね。死ぬ間際になって、良い夢を見させてもらいましたからね。夢は生きている間にしか見られませんものね。想定外なプレゼントでしたよ」

「バブルを生みだした「鷹天真理教団」はバブルで儲かったのではないでしょうか?」

「私の知っている「鷹天真理教団」の信者の方々は、みなさん素朴な方々ばかりで、地味な生活をされていましたよ。着ているものだって質素なものばかりでした。ブランド服を着ていた我々とは全然心根が違いますよ」

「では、教祖や教団幹部はどうだったのでしょう。巨万の富を持って、外国にでも高跳びしたんじゃあありませんか?」

「わたしは教祖や教団幹部の人を知りません。そんな悪い人がいたのかもしれません。しかし、信者の人に訊いてもそんな悪い人がいたという話は、とんと聞いたことがありません」

「それが今回のバブルの一番不思議なことですよね。ふつう考えたら「鷹天真理教団」がカルト教団として信者や町民を騙して、あくどく蓄財したと考えるのがよくあるストーリーじゃあありませんか。それが教団本部もトレーニングジムを改装した質素なものですし、いったいあの教団はなんだったのでしょうね。今じゃあ、教団は自然解散して、不思議なことに、信者は全員キリストさんを教祖として崇め奉っています。しかもそのキリストさんは病院のベッドで眠りについたままです。信者のみなさんは、ほとんど宗教の勝手連みたいなものです」

「それをいったら、私ら黒鷹全町民がキリストさんを教祖とする勝手連信者になっています。経典も何もないんですよ。祈っている言葉もみんな勝手な言葉で祈っています。まあ、誰にも迷惑をかけていないからいいんじゃあないですか」

「迷惑をかけなければ何をやってもいい、という論理も少し違うような気がしますが・・・。まあ、キリストさんは黒鷹復興の象徴ということで、キリストさんの快復を祈っているだけで、宗教とは違うんでしょうね」

「キリストさんを祈ることが、宗教であろうとなかろうと、どうでもいいことです。キリストさんは黒鷹町民の心の支えなのです。突然キリストさんが亡くなったら、その時みんなの緊張の糸はプツンと切れてしまうことでしょう。それは私も同じです。我々は明るく振る舞っていますが、それができるのもキリストさんの心の支えがあってのことなのです」

「いったい、キリストさんは何者なんでしょうね。誰も氏素性を知らないんでしょう」

「キリストさんは誰なんでしょうね。でも、神秘的なところがまたいいじゃあありませんか。キリストさんが一日も早く元気になってくだされば嬉しいのですが」

「ところで、権田原町長を刺殺した犯人が未だに見つかっていないそうですね」

「えっ、町長が殺される場面はSNSで世界中に生配信されたのでしょう。それならそこに犯人の顔が写っていたんじゃあないのですか」

「それが、SNSには権田原町長の顔ばかりで犯人の顔が写っていないのですよ。SNSを見た役場職員がすぐに町長室に入って行ったそうなのですが、その時には町長が血まみれになって倒れていて、他には誰もいなかったそうです。犯人は窓から逃げたのでしょうか? それとも駆け付けたという総務課の課長が犯人なのでしょうか? でも、窓は閉まっていましたし、町長室に入ったのは課長を含めて3名いたそうですから、課長は犯人ではないそうです。謎が深まっているのですよ。ミステリーです」

「どういうトリックがあるんでしょうね」

「さあ、警察も当初は簡単な事件だと思っていたそうですが、未だに犯人の目途が立っていないそうです。それに噂通りに権田原町長が役場の金を横領していたならば、そのお金はどこに隠されているのでしょう。税務署と一緒に捜査を進めているそうなのですが、それがどこからも見つからないそうなのです。もしかしたら、着服していなかったのではないかという人もいます」

「ややこしい事件になってきましたね」

「そうなんです。またある人は、町長は着服した金をどこかに隠しているのではないかと言うのですね。現代の埋蔵金ですよ」

「何のために埋蔵金なんか」

「銀行に預けたらばれるし、家の中に置いていたら税務署の査察が入った時にやばいと考えたんじゃあないでしょうか」

「権田原町長は死んでなお、一人でバブルを引きずっているということですか」

「そうですね。それで埋蔵金の額ですが、百億円は下らないとみる人もいます。黒鷹銀行の金も着服していたそうですよ。埋蔵金は全て金の延べ棒らしいですよ」

「おお、それは夢がありますね」

「そうでしょう。誰かはひょんなことから土砂崩れしたところから現れるのではないかという人もいれば、最上川の川底に眠っているのではないかいう人もいます。また、黒鷹町に埋蔵金ブームが生まれるのではないですか」

「その時は私も参加します」

「人間の欲はいつまでもなくなりませんね」

「あきれますね」

「おっと、口ばかり動かして、足のマッサージの方がおろそかになっていました。反対の足を出してください」


       つづく

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