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みちのく転び切支丹  作者: 美祢林太郎
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24 二度転び

24 二度転び


 3人は集会場に戻ってきた。

 子門さんが「我々の先祖は二度転んだのです」と言った。

「それはどういうことですか? 二度転んだというのは、一度キリスト教から仏教に戻って、またキリスト教に入信したということですか?」とぼくが訊いた。

「その逆です。先祖は、仏教からキリスト教に一回転んだんです」と子門さんが言った。

「もう少し詳しく話していただけませんか」とぼくが言った。

「領民にキリスト教を押し付けてきた切支丹大名にしても、キリスト教の教えを深いところまでわかっていた者は、ほとんどいなかったと思います。ほとんどの大名はただの新し物好きだったんじゃないでしょうか。それまでにわが国にはなかった美しい絵画やガラスの器、きらびやかな服、荘厳な音楽を聴かされて、ころっと参っちゃったんでしょう。伴天連の貢ぎ物に目が眩んだ者もいたでしょう。異国から来た伴天連と親しくなることが、ステイタスだったのかもしれません。

 当時、大名間で領内の切支丹の数を競うことがブームになって、強制的に領民をキリスト教に改宗させていくようになったのです。領民はわけがわからずにキリスト教の信者になっていったのです。もし改宗しなければ、大名からどんな罰を受けるかわかりませんでしたからね。

 当然のことですが、切支丹はもともとキリスト教徒であったわけではありません。その多くは仏教徒だったのです。それが領主の命令で突然切支丹になったのです。当初は、仏教や神道を捨てなくてもいいからと言われて、気軽に切支丹になったのです。宗教の二股三股です。以前から、日本人は仏教と神道を二つとも信じることに、何の抵抗もない民族でしたからね。日本人の心の深いところには八百万の神がいて、森羅万象あらゆるものが神様だったのです。それは今もまったく変わっていないでしょう。一神教の人たちから言わせれば、原始的で節操がないことかもしれませんが、神様は多いほど幸せだと思っていますからね。ですから、キリスト教を信じることは、家の中に同居人が一人増えた程度のことだったんですよ。日本人の体質として、それほど深刻になる必要はなかったのです。

 それに、いつの時代も、お偉い人の命令は従うしかありません。ですがいつの時代も、へそ曲がりはいるものです。その人は、そんな得体の知れない異国の神さんなんか信じることはできない、と突っぱねたのです。仲間たちが、そんなのは表向きだから、信じたふりをしていればいいだけだから、と説き伏せようとしても、言うことをきかない人だったのです。その人は、結局は、家族が迫害を受けて、キリスト教に転向させられてしまいました。

 領主だってキリスト教に入信させるために、あの手この手の策を考え出しました。キリスト教を信じたら、年貢を安くするというのです。その話にみんなが飛びつきました。確かに、年貢は一時的に安くなったのですが、その後お布施を高くとられるようになって、前よりも生活に困窮するようになったのです。高額のお布施をすれば天国に行けるというので、中には喜んで献金をする者もいたようですが、その人の子供は食う物にも困って、餓死したそうです。それでも献金をやめなかったそうです。その親は、自分さえ天国に行ければいいのですね。なんて利己的なのでしょう。

 入信した者の中には、今まで聴いたこともないオルガンという奴ですか、その音色を聴いて、いちころだった者もいます。音楽は心に沁みてくるのですね。

 それに薬ですか。子供が高熱でうなされて、もう死ぬしかないという時に薬を飲ませてもらって、熱が下がって元気になったのです。当時の人にとっては、奇跡ですよ。こんな奇跡を見せつけられると、誰でもすぐに入信します。

 奇跡と言えば、裏山に神様が現れたとかいう話がまことしやかに流れました。集団で神様を見たという人たちも現れました。みんなで麻薬を吸って、幻覚を見たのかもしれません。宗教の普及には奇跡が不可欠ですからね。宣教師が麻薬を使ったのでしょう。

 豪華な洋服を着せられて、うっとりする奴もいました。キリスト教徒になったら、生まれてくる子は肌の色が白くて、目が青で、背が高く、鼻が高い子供が生まれてくると信じている者がいました。それは神の子というそうです。その神の子が生まれたら、その子は自然とポルトガル語を話すと信じられていました。メンデルの遺伝の法則を知らなくても、蛙の子は蛙ということくらいわかっていたと思いますけどね。舞い上がって、常識がわからなくなる奴は、いつの時代もいるものです。

 生まれてきた色が白く、鼻が高く、目が青い子は、神の子だと伴天連が言いましたが、それは明らかに伴天連と日本人の女性との間の子供ですよ。みんなわかっていました。でも、とりあえず信じたふりをしなければなりませんでした。そんな時代の風潮だったのです。

 そうした時、必ず狂信的な信者が出てきて、自分は神様の高弟だとか言って、勝手に修行を始める者が出てくるものですね。そうした奴は、元はたいていどうしようもない悪童で、神と出会って回心したということで、はた迷惑なほど熱心に布教しまくる奴です。宗教を使って人生をやり直したのですね。そんな異常な奴を尊敬するお調子者が、これまた必ずと言っていいほど登場するのです。いわゆる金魚の糞という奴です。他人に寄生して生きていくしかない奴も、必ずいるものです。

 戦国時代が明けたとはいえ、世の中はまだまだ悲惨なことに溢れていました。死は身近でしたから、平安時代や鎌倉時代のように、新しい宗教が入り込む余地がたくさんありました。キリスト教といえども、所詮日本では新興宗教です。西洋の宗教で何がなにかわからなかっただろうって? 宗教はわかってはありがたみがないのです。わからないくらいの方が丁度いいのです。念仏や呪文がわかりますか? わからないでしょう。それでいいのです。わからないぐらいの方が、心が洗われるのです。

 伴天連が金平糖という珍しい西洋のお菓子をくれました。それはそれは美味しいものです。金平糖を一粒口に含むと、天国に行ったような気分になれました。線香の香りでは、極楽には行けても、天国にはいけません。天国は極楽浄土とは違うところのようです。線香で目がチカチカする極楽浄土よりも、甘い香りが漂う天国の方が私は好きです。

 天国に行ったら、亡くなった人たちがみんなそこにいると聞きますが、でも、天国にいるのはキリスト教を信じている人たちだけだそうです。仏教を信じている人は天国にいけないそうです。すると天国は異人さんだらけで、日本人はほとんどいないことになります。天国では、日本語は通用せずにスペイン語やポルトガル語だらけのようです。天国に行った日本人は、言葉が通じなくて困っているのでしょうか? それとも天国でも、日本人は日本人だけで生活しているのでしょうか?

 天国は永遠だと言います。仏教のように輪廻転生はないそうです。永遠の時間にぼくは耐えられるでしょうか? ぼくはウジ虫になっても再びこの世に舞い戻ってきたいと思います。その方が永遠という単調さよりも、ずっと生きているダイナミックさがあると思えるからです。ぼくは人間に踏み潰される虫けらになったとしても、生まれ変わりたいのです。

 どの神様も人間が死んだら何もなかったことにしてくれそうもありません。天国や地獄がなかったら、宗教が成り立たないからでしょうか? それは何か商売を成り立たせていることと似ているような気がしますが、商売と宗教を同列に並べること自体が、不遜なことなのでしょうか?

 ある人の先祖は、キリスト教の神さんを信じたら運が開けて博打に勝つと言われて入信したそうなんですが、一向に博打に勝たないのでキリスト教をやめてしまったそうなんです。

 またある人の先祖が入信したのは、人に勧められると断れない性分だったからかもしれません。その血は子孫にも受け継がれていますから。この前も、健康になれるからと半導体入りのネックレスを勧められて、ついつい2本も買ってしまったそうです。1本で49,000円のところを2本で60,000円ですから、2本買わない手はなかったそうです。得したと言って喜んでいました。ネックレスですか、戸棚の奥にしまってあるんじゃないですかね。どうして首にかけていないのかって訊くと、肩が凝っていないからだと言われました。凝ったらかけるそうです。もし購入していなかったら、凝った時に手元にそのネックレスがあるわけじゃないと言うのです。備えあれば患いなしだそうです。

 宗教にすがるのは、決まって困った時です。病気や飢餓、天災、生きるか死ぬかになった時、人は神仏にすがるものです。そんな時、熱心に入信を勧められたらいちころです。ある人の先祖は、そんなどこにでもいる人間だったのでしょう。

 もしかすると、何かもらえたから入信したのかもしれません。例えば金平糖。こんなものでと思われるかもしれませんが、当時は金平糖は蠱惑的なお菓子だったと思いますよ。金平糖一粒で入信しても不思議ではないですよ。十両もらうよりも心に訴えるものがあると思えませんか? 伴天連は、日本にはない不思議な物ばかりを持ち込みましたからね。

 ともかく、しばらくの間、にわか切支丹は仏教や神道との二股三股がうまくいっていたのです。それがですよ、青天の霹靂のごとく、伴天連が、キリスト教は一神教なので、他の宗教の信仰を認めない、と手のひらを返して言い出したのです。切支丹にとって、それからの伴天連のねちっこい説教が辛かったようですね。それでも、切支丹は、伴天連の言うことをのらりくらりとかわしたようですが、日夜「仏教はやめたのか」「神道は捨てたのか」と迫られると、心が病んでいった者も多かったようなのです。

 挙句の果てには、阿弥陀様の板絵を踏んでみろ、と伴天連に強制されたそうです。みんな順番に踏まされるのです。ああ、キリスト教は怖いものだと、みんなは震え上がったのですが、後の祭りです。夜な夜な、みんなで禍が通り過ぎるのを祈って、念仏を唱えました。仏教や神道を捨てなかった切支丹は、伴天連から知恵をつけられた役人たちから、水責めや火炙りなどの過酷な拷問を受けたのです。それでも仏教や神道を捨てなかった者の中には、南蛮船で奴隷として異国に連れて行かれた者もいたそうです。

 もうおわかりでしょう。キリシタン弾圧は、この仏教徒弾圧と同じことが繰り返されただけなのです。

 禁教令が出され、仏教弾圧から切支丹弾圧の時代に突入しました。多くの切支丹大名は、時の権力者である徳川幕府に睨まれることを恐れて、ころっと信仰を捨て、領地内の切支丹を弾圧し始めたのです。こんな酷いことってありますか。ですから、最後まで信仰を守って殉教したキリシタン大名は偉いと思いますよ。そんなのほんの一握りですけどね。

 ほとんどの切支丹は、もともとキリスト教に対して深い信仰があったわけではないので、キリスト教を捨てろと言われたら、すぐに「はい、そうですか」と言って、何事もなかったかのように、その場で切支丹であることをやめ、仏教や神道に復帰しました。その時には、すでにジュリアーノ神父は日本人の女との間にできた子供をおいて、仙台に逃れていたのです。こうして、黒鷹町に切支丹は一人もいなくなりました」

 子門さんの話を真剣に聞いていたスズちゃんが、

「それでは、天草四郎様とあなたたちのご先祖の12人の信者はどうなったのですか?」と尋ねた。

「私たちは、キリスト教信者が誰もいなくなった黒鷹に入って来たのです。そして領主によって布教が許され、再び信者が増えていきました」

「禁教令が出ているのに、どうしてそんなことができたのですか?」

「幕府が、黒鷹の領地に一人も切支丹がいないのはおかしい、と難癖をつけてきたのです。改易や減封を恐れた領主が、迫害するための切支丹をこさえることにしたのです。我々はそんなこととは露知らず、領主の庇護の下、熱心に布教に励み、信者は急速に増えていきました。黒鷹に神の国が誕生するのを夢みたのです。そして、黒鷹の真の悲劇が始まったのです」


  つづく

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