1 かごめかごめ
1 かごめかごめ
かごめかごめ 籠の中の鳥はいついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が転んだ 後ろの正面だあれ
日曜日の午後、リビングのソファの上で横になってまどろんでいると、一人娘のミクの「パパ、鶴と亀は滑ったんだよ。転んでなんかいないよ」の明るい声が、ぼーっとした意識の向こう側から聞こえてきた。それでも、ぼくの身体は金縛りにあったようにピクリとも動かない。頭の中はあくまで受動的で、何の思考も感情も起こっていない。それでも氷がゆっくり解けるように、思考が徐々に解凍していくのがわかった。
瞼が薄っすらと開いていき、妻の沙理とミクがフローリングの上に向かい合わせに座って、沙理がミクに何かの唄を歌って聴かせているのが、おぼろげではあるがわかった。沙理が一小節口ずさむと、ミクがその後を追って復唱していた。
ミクはこの四月に近くの幼稚園に入園したばかりだ。このところミクは歌うのが好きになったみたいで、童謡を次から次に沙理にきいて、二人で一緒に歌うのが日課になっている。沙理はネットで童謡を検索して、昔覚えた唄の歌詞を思い出しているようだ。
ミクが寝静まった夜遅く、ぼくは仕事が終わって帰宅し、一人で食事をしていると、向かい合わせに座った沙理が「この唄知ってる?」と訊いて来て、ぼくの返事を待たずに、小さな声で歌って聴かせてくれることがある。沙理の歌声は濁りがなく透き通っていて、いくら疲れていても、聴くのをわずらわしく思うことはない。却って仕事の疲れが癒されてくる。彼女の唄を聴いていると、童謡を唄った幼い頃の記憶がふいに蘇ってくることがある。
沙理がミクに「パパ、間違って覚えているんだ。鶴と亀は滑ったんだよね。きっと寝ぼけてるんだよ」と優しく言った。沙理はぼくからの反応を期待する風でもなく、ミクと一緒に「かごめかごめ」を歌い出した。ミクは昔から伝わる童の遊び唄の「かごめかごめ」を沙理から教わっていたのだった。沙理はぼくの眠りを気遣ってか抑制した声で、ミクは親に餌をねだるツバメの雛のように大きな口を開けて歌った。ぼくの目は相変わらず受動的に二人を見ていた。
ぼくは二人が歌う「かごめかごめ」を聴いて、無意識のうちに「鶴と亀が転んだ」と呟いたらしい。うとうとしながら、二人の唄が頭の中に入ってきたのだろう。
ぼくが「かごめかごめ」を耳にするのは何十年ぶりのことだろう。最後に歌った記憶があるのは、確か小学校1年生の時だ。子供の頃に歌った童謡や遊び唄の記憶は、脳の最深部にしまい込まれ、決して忘れることがないようだ。
ぼくが老人になって認知症になった時、ぼくはカラオケボックスで歌っているJポップを思い出すことなく、童謡を歌っているのだろうか?
小学校1年生の時、クラス全員で「かごめかごめ」を歌って遊ぶことになった。クラス全員といっても一学年一クラスの田舎の小さな学校だったので、同級生は20人もいなかったはずだ。
「かごめかごめ」の輪の中で、ひとみ君が、そう、ぼくは他の同級生の顔も名前も浮かんでこないけれど、ひとみ君の名前と顔だけは今でもはっきりと思い出すことができる。白川瞳君。名前がひとみなので、女の子に間違われることもあったけれど、れっきとした男の子だ。そのひとみ君が、クラスのみんなが「鶴と亀が滑った」と大きな声で歌ったフレーズを、一人だけ「鶴と亀が転んだ」と、小さな声だけど、それでもはっきりとした口調で歌って、ひとみ君以外のみんなが顔を見合わせて、歌うのをやめてしまった。ひとみ君だけが何事もなかったように、続けて「後ろの正面だあれ?」と唄ったが、それでもひとみ君の最後の言葉は消え入りそうに小さくなっていた。彼の唄声がか細く消えて、「かごめかごめ」の遊びが中断した。
誰かが「鶴と亀が滑った、だよね」と左右を見渡して、みんなに同意を求めるように訊いた。もう一人が他の人の反応を待つように、「そうだよ。鶴と亀は滑ったんだ」とあたりを不安そうに見回した。その言葉に、ひとみ君以外が「そうだ、そうだ。鶴と亀は滑ったんだ」と口裏を合わせた。ひとみ君をからかうかのように、「滑った、滑った」の合唱が大きな声で繰り返されるようになっていった。すると普段はおとなしいひとみ君が、みんなの方を見て毅然として「違うよ。鶴と亀は転んだんだよ。お母さんが教えてくれたんだから、間違いないよ」と言った。その確信に満ちた口調に、みんなは一瞬たじろいだが、それでもみんなは「鶴と亀が滑った」を手拍子を打ちながら連呼した。みんなは益々ひとみ君をはやし立てるようになり、ひとみ君はつぶらな瞳からゆっくりと大粒の涙を零して、泣きながら走って教室を出て行った。ひとみ君がいなくなったぼくたちは気詰まりな気持ちを抱きながら「かごめかごめ」を再開し、「鶴と亀が滑った」の歌詞のところになって、勝ち誇ったように意識的に大きな声で歌った。本当は勝ち誇っていたわけでなく、クラスの全員がひとみ君を泣かせた罪悪感に苛まれていたんだ、と今のぼくならわかる。
鬼だったぼくは下を向いて目を瞑っていたけれど、鶴と亀は滑ったのではなく、ひとみ君が言うように転んだのかもしれないという考えが頭の隅に浮かんだのを、今でも覚えている。もしかすると、他の子供たちも同じことを考えていたのかもしれない。たったそれだけのことなのに、この30年もの間、すっかり忘れていた光景が脈絡もなくフラッシュバックした。
ひとみ君の家族は、ぼくが幼稚園児だった頃、どこか遠くから引っ越して来たのだ。どこから引っ越してきたのか、聞いたことがあるかもしれないが、まったく記憶にない。遠くだと信じ込んでいたが、あの頃のぼくにとっては隣の町だってはるか遠くの街だった。
かれがぼくが通っていた幼稚園に途中から入園してきた日のことを今でもよく覚えている。色が白くて、どの女の子よりもきれいだったことを・・・。まるで絵本から抜け出してきたような子だった。
今思うと、ひとみ君が生まれ育った土地では、「かごめかごめ」の鶴と亀は滑ったのではなく、転んだと歌われていたのかもしれない。それとも、ひとみ君が「かごめかごめ」を教わった、と言った母親が「転んだ」と伝わる地方で生まれ育ったのかもしれない。昔から伝わる遊び唄なんて、どれも地域ごとに少しずつ歌詞が違っているものがあるそうだから、ひとみ君や母親が生まれ育った地域では「鶴と亀が転んだ」と古くから歌い継がれていたのかもしれない。そうした地域では「滑った」よりも「転んだ」の歌詞の方が一般的だったんだろう。
ぼくは色白のひとみ君を遠い北国の出身だと今でも勝手に思い込んでいる。北国では滑ったら必ず転ぶのだろうか? 滑っても転ばないように踏ん張ることはないのだろうか? だから、滑ったことを略して転んだにしたのだろうか?
鶴と亀は滑ったのだろうか、転んだのだろうか。どちらでもいいと言われればそれまでだが、滑ったら必然的にすってんころりと転んでしまうのではないだろうか? まさか唄の中の鶴と亀はスケーターのように氷の上を華麗に滑りまくったわけではないだろう。
しかし、鶴が滑って尻もちをつくイメージはできても、亀の場合は滑って転ぶイメージはできない。滑ってもすぐに四本の足で踏ん張ったり、抵抗することなく滑り続けるだろうから、転びはしないだろう。万が一、滑って転んだとしても、尻もちをつくことはないだろう。亀のお尻は地面からそう離れてはいないし、そもそも甲羅の中にある。尻もちの餅と言うほど亀のお尻は柔らかそうではない。滑って転んで尻もちをつく亀の映像がどうしても浮かんでこない。頭や手足を甲羅の中に引っ込めて、カーリングのストーンのように、抵抗なくずっと氷上を滑り続けるのかもしれない。
もしも亀が転ぶとしたら、下り坂を石に躓いて頭からゴロゴロと前転し続けるのではないだろうか? 転がり始めたらすぐに頭や足や尻尾を甲羅の中に引っ込めるので、体を痛めることもないだろう。それとも亀は体を横にして車輪のようにくるくると回して転がっていくのだろうか。転がるにはこちらの方がずっとスムーズだ。
甲羅が丈夫な亀は転がり出したら、ただ転がるのに身を任せておけばいいだけだ。受け身などは無用である。亀が転がる先は池の中に決まっている。草むらの中に入って止まってもいいのだが、ここは池に落ちて、ドボンと音を立てる方を選びたい。ドボンと落ちて、大きなしぶきが上るが、浅い水底に着いた後、亀は頭や手足を甲羅から出して、何事もなかったかのように、水面に向かって泳ぎ出す。どこまでものどかな昔話の世界だ。
一方、鶴はそんな転がり方はしない。ゴロゴロと無限に転がり続けることはできない。そんなことをしたら長い首の骨を折ってしまうことだろう。首を折らないためには、石に躓いて足を怪我して一回前転したら、すぐに羽を広げて飛び立った方がいい。鶴は足を怪我したまま飛び去っていく。これが平和だ。
待てよ。どうして登場する動物が鶴と亀なんだ。鶴は千年、亀は万年というくらい長生きする吉兆の生き物だからか? 亀はここらの池でも見ることはできるけれど、鶴は動物園に行かないと見ることはできない。それとも昔は鶴も全国にいたのだろうか? だけど、そんな目出度い鶴と亀が滑ったら、よからぬことが起こる前兆じゃないのか?
夢うつつでそんなとりとめもないことを考えていたら、突然ミクがぼくの体の上に乗っかってきて、油断をしていたぼくは息が詰って、浅い眠りから完全に覚めた。ミクはぼくの身体の上でどんどんと飛び跳ねながら、「ねえ、一緒に「かごめかごめ」しようよ」とねだって来た。沙理もこちらを見て目でぼくを促している。ぼくは起き上がって、3人で「かごめかごめ」をして遊ぶことにした。
ミクが「鬼はパパね」って言ったが、ぼくが「ここはじゃんけんでしょ」と言って3人でじゃんけんをした。結局、ぼくがグーを出して負け、鬼になった。ぼくはいつもグーを出して負ける。ぼくが目をつぶって歌わないでいると、ミクが「鬼さんも歌ってください」とせっつくので、3人で「かごめかごめ」を歌った。ぼくも二人に合せて「鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ」と歌った。唄が終り、「ミクちゃん」と言って目を開けると、後ろの正面に誰もいなくて、二人の笑い声だけが室内に響いた。
つづく




