17 切支丹博物館構想
17 切支丹博物館構想
4人は博物館の事務室でお茶を飲みながら打ち合わせをした。
「一年中、観光客を呼ぶというのはなかなか難しいですね。すぐにはアイデアを思いつきません。そう言えば、体験型ツアーを考えているとおっしゃっていましたよね」とぼくが誘い水を向けた。
「拷問体験型ツアーですね。ユニークでいいと思うんですけどね」と佐和山さんが言った
「ユニークであることは間違いないですが、それで本当に観光客は来るんですかね。昨日の夜は酔っぱらっていたせいもあって、人間つらら逆さ吊りの刑かなんか、とんでもない拷問を考えている人たちがいましたが、いくらなんでもあれは過激すぎますよね」
「あれは酔った勢いですよ。そうだよね。穂刈さん」
「そこのところあまり覚えていないんですよね」と穂刈さんはとぼけた。
「スズちゃんは覚えているの?」とぼくが訊くと、スズちゃんはバツが悪そうな顔をして「私もよく覚えていませんね」ととぼけた。やはりしらふでは触れられたくないんだ。
「まあ、二人の案は過激だったとしても、拷問体験ツアー自体は否定したくないんですよね。穏便なところで、踏絵は残しておきますか?」と佐和山さんが言った。
「踏絵だって、クリスチャンに抗議されるかもしれませんよ」とぼくが冷たく言った。
「その恐れは十分にありますね。でも、抗議されて話題になれば、それも宣伝になるかもしれませんよ」と佐和山さんが言った。
「でも、町役場がやることでしょう。黒鷹町は世界中のキリスト教徒23億人を敵に回す覚悟がありますか?」
「あるわけないでしょう。それじゃあ、踏絵はやめましょう」
「あっさりしてますね」
「それでは、鞭打ちや、逆さに吊るして水責め、蝋燭の溶けた蝋を垂らす、ってのもだめですかね?」と佐和山さんが訊いてきた。
「体に傷が残るのはやめましょうよ。SMショーじゃないんだから。他に誰がやっても楽しいと思えるようなものはないんですか?」
「石抱えの拷問はどうでしょう」
「時代劇によく出てくる、三角形の木を並べた台に正座させ、太ももの上に重い石板を何枚も載せていくというやつですね。これは間違いなく痛いですよ。足の骨が折れて、足が立たなくなりますよね。再起不能になるかもしれません。こんなの誰もやりたくないですよ」とぼくは痛そうに顔をしかめて言った。
「ですから、三角形の木は角を丸くしておくとか、ただの平たい板を敷いて置くことにします。上に載せる石にしたって、発泡スチロールで色を塗ってそれらしく作ればいいんですよ。これこそ、インスタ映えすると思いませんか?」
「それだったら、うちの『ユニコーン』にも取り上げることができそうですね」
「でしょう。拷問体験ツアーもインスタ映えするようなものを考えるんですよ。そうしたら、すぐにネットで拡散されて、世界中からわんさか観光客が来ますよ」
「わんさか来るかどうかはわかりませんが、他にどんな拷問を考えていますか?」
「拷問ですからね。なかなか誰でもが体験できるようなものが思い浮かばないんですよ」
「子供たちも体験したいと思えるようなものでないと駄目ですよ」
「それじゃあ、拷問を受ける側ではなく、拷問をする側にフォーカスを絞ってみてはどうでしょうか?」
「それじゃあ、SMショーのMがSに代わっただけですよ。子供の教育に悪いでしょう」
「なんとか拷問の悪いイメージを払拭したいのですけどね」
「そんなの払拭できないでしょう。この世に、悪いイメージのない拷問なんて存在しませんよ」
「そうですか?」
「そうです。今日のところはひとまず、拷問の体験ツアーは置いといた方がいいようですね。そんなに簡単にアイデアは出てきませんよ。でも、体験型ツアーと言えば、木彫で十字架を作るってのは、どうでしょうか?」
「あっ、それいいですね。拷問の事ばかり考えていたので、木彫のようなオーソドックスな体験は思いつきませんでした。それなら、踏絵の木彫は・・・、やっぱり駄目ですか?」
「いや、いいんじゃあないですか。踏絵の絵はバリエーションも豊富でしょうからね」
「そうですよね、木彫で踏絵の製作はいいですよね。この話、退職した中学校の美術教師に話しておきます。やっぱり指導者が必要でしょうからね」と佐和山さんは嬉しそうだった。
「体験型ツアーはまた後で考えるとして、あの「切支丹屋敷跡」に、実際に切支丹屋敷を建てるっていうのは、どうでしょうか? 考えてみれば、黒鷹町には何一つキリシタンの遺跡が残っていないじゃあありませんか。いくらなんでも、看板だけじゃあ寂しくないですか?」とぼくが提案した。
「箱物行政はいけません。切支丹屋敷を作ったら、いったいいくらお金がかかると思います? 黒鷹町にそんな金はありません。金がかからないから、町長もぼくの町おこしの案に乗り気なのですから」と佐和山さんはすぐにぼくの案を却下した。
「でも、拷問一つにしても、屋根のないところでやるっていうのは、辛いでしょう」とぼくが言った。
「それなら、いっそここでやりましょう。まだまだ、使っていない教室がいっぱい残っていますから。内装だけをそれらしく設えるなら、そんなにお金はかからないでしょうからね。この博物館を、教会や宣教師の住居、工芸の部屋、そして拷問の部屋に替えていくのです。それがいいですね」
「ここを使うのなら、グラウンドで佐和山さん作詞作曲の「黒鷹隠れ切支丹音頭」を地元の婦人会に踊ってもらって、観光客に見せてあげたらいいんですよ。きっと観光客もすぐに踊りの輪の中に加わってきますよ。これも体験型ツアーの一環です」
「そうですね、それはいい。午前と午後の2回に時間を決めて、踊りを披露すればいいですね。子供たちにも、黒鷹版「かごめかごめ」も歌って遊んでもらいましょう」と佐和山さんが言ったが、ぼくは「かごめかごめ」を無視して、話を進めて行った。
「ここの黒鷹町立博物館の名称をいっそ「黒鷹町立切支丹博物館」に替えることにしましょう。看板だけじゃあ観光客にわからないかもしれないので、屋根の上に大きな十字架を掲げましょう」と明らかにぼくは調子に乗っていた。
「本物の教会ではないのに、十字架を掲げていいのですか? クリスチャンが大挙して抗議に押し寄せて来ませんか?」と佐和山さんが心配した。
「そんなことよりも、古い農機具の展示はどうなるのですか?」と慌てたように穂刈さんが割り込んで来た。
「そうしたものは、倉庫に収納ですよ。切支丹博物館に農機具があったら、統一がとれないでしょう。それとも脱穀機に十字架のマークを入れて統一性をとりますか?」とぼくは完全に切支丹博物館の案に酔っていた。
「江戸時代初期の農機具はありません。すべて昭和のものばかりです」と穂刈さんが怒って言った。
「でしょう。でしたら、倉庫行きです」
「じゃあ、縄文式土器や弥生式土器も倉庫行きですか?」と穂刈さんは泣きそうだった。
「縄文式土器や弥生式土器に十字架はついていますか? ついていたら問題はありませんが、古いから展示するってわけにはいきませんよね。お蔵入りです」とぼくはびしっと言ってやった。
「テーマが絞られてきましたね」と佐和山さんが嬉しそうに言った。
「でしょう。ここの博物館だけで半日は過ごして欲しいですからね」とぼくは勝ち誇っていた。
「えっ、半日もですか。それはいくら何でも無理でしょう。石抱と盆踊りだけでは、時間が持ちません」と佐和山さんは心配になってきたようだ。
「心霊スポットツアーは夜ですよね」とスズちゃんが言った。
「夜に「生き埋め」の所に行くんですか?」と穂刈さんが捨て鉢に言った。
「他に行くところありますか? ところで、町には宿泊するホテルや旅館は完備しているんでしょうね。全部で何千人くらい泊まれるんですか?」とぼくが訊いた。
「ホテルと旅館は1軒ずつですね。民宿と合わせても、町内に宿泊できる人数は同時に百名もできないんじゃないですかね」と佐和山さんがこともなげに言った。
「えっ、百人も泊めることができないんですか? それで観光による町おこしを考えているんですか。それじゃあ、たくさん観光客が来ても、みんなよその市町村に泊まることになるんじゃないですか。それでは、町としては大損じゃあないですか」とぼくは棘のある口調になっていた。
「しかし、これからホテルや旅館を建てるわけにはいかないでしょう。日帰り観光で、昼食を食べて帰ってもらおうと考えています」と佐和山さんがあっけらかんと言った。
「たしかに料理は美味しいですね。やっぱり「キノコ蕎麦」ですか」とぼくは呆れた口調で言った。
「そうです。でも、山形じゅう、どこの市町村の蕎麦屋でも秋になると「キノコ蕎麦」を出しているんですよ」と佐和山さんが残念そうに言った。
「それなら、どこかで差別化を図らないと・・・。汁を醤油味から味噌味にするとか」とぼくが言うと、佐和山さんが「キノコはともかく、蕎麦には醤油味が合うんですよ」と言った。
「やっぱりそうですよね。では、具材を工夫することですね。切支丹にかこつけて、何かできませんかね?」とぼくは誘い水を撒いた。
「十字に切ったかまぼこでも入れますか?」と佐和山さんは面白くもないアイデアを言った。
「ですから、十字架を食べてはいけないでしょう。集中砲火を浴びますよ」とぼくはびしっと言ってやった。
「やっぱりだめですか」と佐和山さんはまた残念がった。
「キノコ蕎麦についてはのちほど考えるとして、飲み物の方はどうですか?」とぼくは別の方向を示した。
「山ブドウのワインでは、どうでしょうか?」と唐突に穂刈さんが口を開いた。
「赤ワインですか?」とぼくが訊くと、
「そうです、赤ワインです」と穂刈さんが答えた。
「ワインはいいですね。ワインはイエス・キリストの血ですよ。イエスが呑んだのは、山ブドウから作ったワインだと言いきればいいのです。それにジュリアーノが当地の山ブドウを使って、地元の人たちにワインの醸造法を教えたと言えば、ここで赤ワインを飲むことに必然性が出てきます」とぼくは勝手に話を拡げて行った。
「ワインにはパンですよね。パンはイエスの肉ですよね。両者は不分離じゃあないんですか?」と穂刈さんが言った。
「小麦粉がなかったので、パンを作れなかったことにすればいいだけですよ。ポルトガルから大事に持ってきた酵母菌が、九州の暑さですべて死んだことにすればいいのです。キノコ蕎麦に山ブドウワインは合いますよ」とぼくの口からいい加減な考えが次々に湧いてきた。ほとんど詐欺師の状態である。
「そうですね。山ブドウワインも切支丹ワインと命名して、ブランド化することにしましょう」と佐和山さんが乗ってきた。
「切支丹ワインもお土産にいいですね。ワインは単価が高いので、絶対儲かりますよ」と佐和山さんが続けた。
「それで、山には商品にするくらいたくさんの山ブドウは採れるのですか?」とぼくが訊くと、
「何を言っているのですか? 山ブドウも畑で栽培しています」
「昨日のアケビにしても、最近はなんでも栽培しているのですね」
「そうです」
「すでに山ブドウワインは販売しているので、あとは「切支丹ワイン」のラベルを作って貼るだけですよ。ワイン屋に話を通しておきます」と佐和山さんが言った。
「では、この切支丹博物館の一室をレストランにしましょう。そこで、山ブドウワインと鮎の塩焼きとキノコ蕎麦の「切支丹定食」を提供するのです」とぼくが言った。ぼくは絶好調だ。
「それではあゆ番所の営業妨害になるのではないでしょうか?」と冷めたことを穂刈さんが言った。
「あゆ番所にも「切支丹定食」の名前を使わせて上げることにしましょう」とぼくは上から目線で偉そうに言った。
「町おこしのアイデアがどんどん具体的になってきましたね。ホテルのない黒鷹町は、食事とお土産で稼がないといけませんからね」と佐和山さんがきっぱりと言った。
「では、そのお土産というのは何をお考えでしょうか?」とぼくが尋ねた。
「今のところ、「十字架」と「切支丹饅頭」、それにご提案頂いた「切支丹リンゴ」と「切支丹ワイン」を考えています」
「それだけじゃあ、弱いですね。それだけでは、売れてもたいした儲けにはならないですよ。それだけじゃあ、黒鷹町はそんなに潤いませんよ」
ぼくはペテン師のコンサルタントのようだった。
つづく




