16 ゴルゴダの丘
16 ゴルゴダの丘
ぼくたちは再びもと来た道を車で引き返し、「切支丹生き埋めの地」を通り過ぎて、自称「黒鷹のゴルゴダの丘」の頂上についた。
「ここには看板がないんですね」とぼくが訊くと、「教育委員会としては、「切支丹処刑の地」という看板を立てたいのですが、土地の所有者が反対するんです」
「どうしてですか?」
「そんな看板を立てられると、気持ちが悪いっていうんです」
「下の「切支丹生き埋めの地」の看板よりも、刺激は少ないんじゃないかと思うのですが?」
「そう思うのですが、こればっかりは人それぞれなもので」
「まあ、それはそうですね」
「我々としては、「切支丹生き埋めの地」から「切支丹処刑の地」の道を「パッションの道」と名付けて売り出したいと考えているのですけど、なかなかうまくいきません」
「パッション? どうしてここが情熱の道なのですか? まさかパッションフルーツの道というわけではないでしょうね」
「パッションフルーツはトロピカルフルーツですから、さすがにここらでは生育しませんよ。パッションという言葉には、情熱以外に「受難」という意味がありまして、イエスの逮捕後の裁判から処刑までの精神的・肉体的な苦痛を指す言葉なのです。我々は、処刑台を担いでゴルゴダの丘を登っていく行為を「受難」と呼ぶんです」
「佐和山さんは、クリスチャンじゃないにもかかわらず、よく調べておられますね」
「これも町おこしのためですから」
「「パッションの道」、いいじゃあないですか。まるで「根性の道」みたいですね。高校の野球部なんかに練習で、毎日走って登らせたらいいんじゃないですか。甲子園に出場して、「毎日パッションの道を走って鍛えましたから」、とインタビューで選手に応えてもらったら、すぐに全国的なニュースになりますよ」とスズちゃんが真顔で言った。
「高校の野球部は県の予選でいつも一回戦負けですから、甲子園は見果てぬ夢だと思います。私としては、年に一回でいいので、殉教者が巨大な十字架を肩に担いで、この道を登って欲しいと思っているのですよ」
「さすがにこの坂はきついんじゃないですか。急坂ですよ」とスズちゃんが言った。
「誰もやらないなら、ぼくがやる覚悟はあるのです。でも、いくらなんでもイエス・キリストの役は荷が重いと思っているのですよ」と佐和山さんが言った。
「荷が重い、十字架が重い、これはうまくかけていますね」とスズちゃんが軽口を叩き、穂刈さんからきつい目を投げかけられた。
「イエスの役は厳しいでしょうから、やっぱりここはご当地のジュリアーノの役にした方がいいんじゃあありませんか? ジュリアーノはここで磔にされたんでしょ?」とぼくが訊いた。
「いえ、それがよくわかっていないのです。言い伝えでは、仙台まで逃れたという説もあります」
「迫害を逃れて、黒鷹を脱出したのですか?」
「その説もありますが、ジュリアーノは拷問されたことによって転んだ、という言い伝えもあるのですよ」
「ジュリアーノ様が転んだ? 彼を信じて死んでいった黒鷹の信者のためにも、宣教師が転んではいけないでしょう」とスズちゃんが語気を強めた。
「でも、スコセッシ監督の映画『沈黙』で有名になったように、当時はイエズス会のお偉方のフェレイラ神父や彼を救出に来たジョゼッペ・キアラ神父も転びましたからね」と佐和山さんが言った。
「スコセッシ監督を出すなら、『沈黙』の映画の原作者である小説家・遠藤周作の名前を出して欲しかったですね」と穂刈さんが不満そうに言った。
「あっ、それは失礼しました。転ばざるを得ないくらい、穴吊りの刑などの拷問は苛烈を極めたんでしょう。「生き埋めの地」で彼らが泣き叫ぶ声が、遠く離れた町中でも聞こえたと伝わっていますからね」
「私だったら、すぐに転んでしまいますね」とスズちゃんが寂しそうに言った。
「現代の我々だったら、いちころでしょう。転んだ信者を責めるわけにはいきませんよ」
「たしかに、責めるわけにはいきませんが、転んでしまった人は、一生後ろめたさを抱えて生きたんじゃあないですかね」とぼくが言った。
「そこが辛いところですね。私のような無神論者からみると、いるかいないかわからない神様を信じなくなっても、別に後ろめたいと思わなくてもいいと思うのですけどね。でも、どうしてだろう。後ろめたさを感じるのもわかる気がしますね。不思議ですね」
「ジュリアーノは、一般の信者ではありませんよ。彼の姿にイエスを見ていた人だってたくさんいたんではないですか。信者からしたら、一番信頼して人に裏切られたようなものですよ。ジュリアーノがいくら美男子だからって、私としては転んで欲しくなかったですね。すべての拷問に耐えて、ここで潔く殉教して欲しかったですね」とスズちゃんが真顔になっていた。
「誰も転びたい人間なんて、一人もいないんだよ。肉体的苦痛に耐えられなかったり、転ばないと子供たちを殺すというような心理的圧迫に耐えられなかった者もたくさんいたはずだ。人それぞれに感受性が違うからね。ただ弱い人間だと言って、簡単に片付けられる問題じゃあないと思うけどな。それに弱いということはそんなに罪なことなんだろうか?」とぼくは自己弁護するような言葉を口にしてしまった。
「信じている人たちを裏切るのはどうかと思いますよ。私はジュリアーノだけは許せません」と珍しくスズちゃんは毅然としていた。場が重い雰囲気になった。
「ジュリアーノについては、ひとまずおきましょう。私としては、午前中に稲村さんから提案のありました、クリスマスイブの「黒鷹キャンドルナイト」のキャンドル行進をこの処刑場まで行おうと考えているのですが、どうでしょうか?」と佐和山さんが話題を急転回した。
「ちょっと、歩く距離があり過ぎるんじゃあないですか?」とぼくもその話に乗った。
「確かに、小さな子供や老人にはきついかもしれませんね。それではやっぱり「生き埋めの地」までということで案を練ってみますか。初回から無理はいけませんよね」
「そうですよ。初回は成功しないと」
「でも、行列を先導するジュリアーノは、仙台に逃れてしまって、ここ黒鷹にはいないのですよ。いたことにしても、転び伴天連のジュリアーノが人々を導くことはできないでしょう」とスズちゃんはまだジュリアーノに拘っていた。
「先頭は町長ということでいいんじゃないですか。別に江戸時代初期を再現するわけではありませんから」と佐和山さんはなんとか話を丸くおさめたがっていた。
「ジュリアーノはみんなを見捨てて仙台に行ってしまったんでしょ。あまりに黒鷹の人たちがかわいそうです」とスズちゃんは泣き伏してしまった。
「ジュリアーノが棄教して仙台に行ったかどうかははっきりしていないんだから、そんなことを決めてかかっても仕方ないだろう」とぼくは彼女を説得しようとしたが、彼女はうつ伏したままだった。
「ここも心霊スポットですか?」と私は訊いた。
「そうですね。下の「生き埋めの地」よりももっとたくさんの幽霊が出没し、色々な色の火の玉が飛んでいるそうです」
「それは心霊スポットとして、『ユニコーン』に特集できますよ。幽霊や火の玉を見た人のインタビューが欲しいですね。誰か適当な人はいませんか?」
「見繕っておきます。後からでいいですよね」
「急がなくて結構です。東京からオンラインでインタビューできますので。スズちゃん、ここらの写真もたくさん撮っておいてね」とぼくが言うと、スズちゃんは立ち上がって、カメラを取り出し、写真を撮りまくっていった。
「ここの処刑は十字の処刑台に乗せて、槍で突き刺したのですか?」
「それもあったようですが、斬首、つまり刀で首を切り落としたり、木の枝に綱をかけて絞首刑にしたり、火炙りの刑もあったようです。それを見るのが庶民の娯楽だったという話もあるくらいです。斬首した首を最上川に架かる橋の欄干に並べて放置した、という話も伝わっています。脳味噌に蛆が湧いて、鴉に目玉が啄まれたそうです」
「当時は今では信じられないくらい残酷ですね」
「戦争、病気、飢餓と、今よりもずっと死が身近だったので、死骸はそこら中に転がっていたことでしょう。庶民も死骸を見るのは、日常茶飯事だったと思いますよ。最上川には、犬や猫の死骸と一緒に人間の死体もたくさん流れていたそうですし。土葬せずに、川に捨てる輩も多かったのでしょう」
「そうです。「メメント・モリ」ですよ」と突然穂刈さんが割って入って来た。
「なんです、その「メメント・モリ」というのは」とぼくが訊いた。
「ラテン語で「死を思え」という言葉です。「自分にいつか死が訪れることを忘れるな」という警句です。キリスト教世界で広まった言葉です」
「死を思えか・・・。そうですね。現代は死が身近でなくなりましたから、今の時代にこそ「メメント・モリ」の考え方は、大切なのかもしれませんね。今度の『ユニコーン』の特集には「メメント・モリ」の考えを底流に据えることにしよう。忘れないでね、スズちゃん」とぼくが言うと、スズちゃんはすぐにノートを取り出してメモした。
「宗教は、死という概念と表裏一体ですね。死がなければ宗教は成立しません。当時は、戦争や貧困、病気と死が身近にあり、それらからの救済を願って、キリスト教に頼ったとしても何ら不思議ではありません。せっかく信じて心の平静を保ったのに、訳も分からず突然改宗を迫られ、改宗しないと、拷問や処刑で死がより身近になった。とことん「死を思え」ですよ」
「ううん。話が重くなってきましたね。『ユニコーン』は「メメント・モリ」の切り口でもいいかもしれませんが、町おこしのテーマとしては重すぎるんじゃあないですかね。稲村さんからは、「切支丹リンゴ」とクリスマスイブの「キャンドルナイト」の二つのアイデアをいただいたので、これはこれで実現するために精一杯頑張りますが、町おこしとしては、一本通年物の企画が欲しいところですね。心霊スポットは通年物かもしれませんが、町としてはポスターを貼って大々的にキャンペーンを張るわけにはいきませんからね」
「確かにそうですね。心霊スポットについては『ユニコーン』に任せていただくとして、通年の町おこし事業ですか・・・。冷えてきましたので、ひとまず博物館に戻って話をしませんか?」
「そうですね。お二人は今晩のご夕食はどのようになさるご予定ですか?」と佐和山さんが尋ねると、スズちゃんが間髪を入れずに「我が家で食べることになっています。父が早く帰ってこい、と言っていますので」と言った。
「わかりました。それじゃあ、明日の埋蔵金ツアーもありますから、博物館で話し合うことにしましょう」
我々は黒鷹のゴルゴダの丘を下りて行った。
つづく




