15 あゆ番所
15 あゆ番所
車は「切支丹屋敷跡」の看板のある方へ戻って、その看板を越して少し先に進み、左手に『道の駅 あゆ番所』と看板の立っている広い駐車場が見えた。
車から降りて、佐和山さんと穂刈さんは最上川の方に下りて行き、ぼくたちは彼らの後を追った。思っていたよりも最上川の流れは速かった。「これは何ですか」とぼくが訊くと、佐和山さんが「ヤナです。川を下って来る鮎を捕まえるための伝統的な道具です。それでも、常設のヤナとしては日本最大級ですよ」と教えてくれた。川の端の両側をせき止めた流れに大きなすだれのようなものが斜めに立てかけてあり、そのすだれの上に何十匹もの鮎が飛び跳ねていた。
「つかまえたあの鮎を、上の食堂で塩焼きにしてくれるんですよ」
「新鮮で美味しいでしょうね」
「じゃあ、上に行って早速食べますか」
ぼくたち4人は食堂に入って、座敷に座った。メニューを持った店員がテーブルに来ると、佐和山さんはメニューも見ずに注文を始めた。
「キノコ蕎麦大盛2人前と、ハット2人前、それに鮎の塩焼きを4つお願いします」
「キノコ蕎麦にありつけますね」とぼくを見てスズちゃんがニコニコしながら言った。
「キノコ蕎麦、好きなんですか?」と穂刈さんが訊いてきたので、スズちゃんは「稲村さんは佐和山さんからのメールにキノコ蕎麦が美味しいと書いてあったのを見て、黒鷹に行こうと言いだしたんですよ」と暴露した。「そうだったんですか」と穂刈さんがほほ笑んだ。「キノコ蕎麦って書いて、よかったですね」と穂刈さんは佐和山さんを見て言った。佐和山さんもにっこりとほほ笑んでいた。
卓上のガスコンロ、キノコと鶏肉が盛りだくさんに入った鍋、それから大皿から溢れそうな量の蕎麦が、順番に運ばれて来た。佐和山さんが4人前ではなく大盛2人前と注文したわけが分かったような気がした。4人前だと、女性が二人いるので多すぎて食べ切れないと判断したのだろう。それに大盛2人前にした方がずっと安上がりなのかもしれない。鍋に入った具材は、四人で食べるには十分過ぎるほどだ。
店員がコンロに火をつけ、「沸騰したら、蕎麦を入れてください。すでに茹でていますから、温かくなったらすぐに食べられます。溢れそうになったら、火を落としてください」と簡単に説明すると、すぐにその場を離れていった。
今回の鍋奉行は佐和山さんだ。湯が沸騰したら蕎麦を入れ、数分で「さあ、食べてください」とみんなに勧めた。
「蕎麦もキノコも美味しい。最高です」とぼくの声は軽かった。
佐和山さんは自分でも食べながら、鍋の中の蕎麦が完全になくなるのを見計らって、新しい蕎麦を投入した。鍋に残って煮詰まった蕎麦は、ふやけて美味しくなくなるから、最後の一本がなくなるまで待っているのだ。いつも最後の数本は、佐和山さんがすくって食べてくれた。こうしたことを何度か繰り返した。
大皿に蕎麦を三分の一残して、みんなの腹がひと段落した頃、佐和山さんは、弱めにしていた火を再び強火にし、器に入った白っぽい粉を水で溶いたものをスプーンですくって、鍋の中に入れた。
「いま入れたのは何ですか?」と訊くと、「ハットです。そば粉を水で溶いたもので、茹であがったら固まって浮いてくるので、そうなったら食べられます」と答えた。浮いてきた歪なかたちのハットを食べると、これがまた美味だった。
「ハットを食べたのは初めてです。こうして食べる蕎麦も美味しいですね。無心で食べていたのでよく見てませんでしたが、キノコも色々な種類が入っていて、どれも名前はわかりませんが、うまいの一言ですね」
「ハットは蕎麦のすいとんといったところでしょうか」と穂刈さんがいつもの冷めた口調で言った。
店員が鮎の塩焼きを運んできて、一人ひとりの前に置いた。頭から尻に通された竹串を両手で持って、腹のあたりにがぶりと食いついた。鮎の何とも言えない香りが、口の中から鼻腔へ抜けていった。もう、満足。
「さあ、これから後半戦ですよ。まだ、蕎麦もキノコもたくさん残っていますから、みんな、残さずに食べてくださいよ」と佐和山さんが全員に発破をかけた。ぼくの腹はかなり満腹になっていた。最初に飛ばし過ぎたせいだ。ぼくはブレーキをかけ、他の3人はマイペースで食べている。
「いや、黒鷹町は素晴らしいところですね。蕎麦やキノコも美味しいですが、この紅葉もきれいですよ。ぼくは黒鷹町のファンになりましたよ」とぼくが言うと、佐和山さんが「稲村さんにそう言っていただくと、とっても嬉しいです」と喜んだ。
「400年前、ジュリアーノさんも、この素晴らしい紅葉を見たことでしょうね」
「そうでしょうね。彼は何回かここの紅葉を見たことでしょうね」
「キノコや蕎麦も食べたでしょうね」
「秋になったら、嫌でもキノコは食べさせられたでしょうね」
「嫌でも、ということはありませんよ。きっとジュリアーノさんもキノコや蕎麦は大好きでしたよ」
「当時は、蕎麦は現在のように麺にして食べていたのではなく、ハットのように団子にして食べていたんじゃないですかね」と穂刈さんが言った。
「ハットも美味しいですよ。でも、これだけだったら、蕎麦のツルっとしたのど越しは味わえませんね」
突然、隣のテーブルから、小さな子が無邪気に歌っている唄が聞こえてきた。
「♬・・・夜明けの晩に 鶴と亀が転んだ 後ろの正面だあれ?」
「隣のテーブルの子が歌っている唄は、何の唄ですか?」とぼくは慌てたように佐和山さんに訊いた。
「「かごめかごめ」じゃあないですか。有名な唄でしょう。まさか、稲村さん、「かごめかごめ」を知らないってわけないですよね」と佐和山さんが不思議そうな顔をして言った。
「かごめかごめは知っていますが、鶴と亀の続きですよ」。ぼくはどきどきしてきた。
「どうしたんですか。「鶴と亀が転んだ」、でしょう」
「「鶴と亀が転んだ」、ですか。ここらでは、「鶴と亀は転んだ」って歌われているのですか?」
「どこでも転んだじゃあないのですか?」とスズちゃんも不思議そうに口をはさんだ。
「かごめかごめの歌詞は地方ごとに違うんですよ。稲村さんはどのように習われましたか?」と冷静に穂刈さんが訊いてきた。
「私は、「鶴と亀が滑った」と習いました」とぼくは答えた。
「全国的には、「滑った」の方が一般的なようですね。でも、ここらでは、昔から、「転んだ」と歌い継がれているんです」と穂刈さんが教えてくれた。
「そうだったの。知らなかった。子供の頃からずっと、「鶴と亀が転んだ」と何の疑いもなく歌ってきたからね」と佐和山さんが言った。
ぼくは、この瞬間、ひとみ君はここらの出身なのかもしれないと思った。そんなぼくの思いとは別に、話は進んで行った。
「この唄の意味をご存じですか? この地方に伝わっている話ですけれど・・・」と何やらもったいぶって穂刈さんがみんなに訊いた。ぼくはもちろんのこと、佐和山さんもスズちゃんもまったく知らなかった。
「この唄は、キリシタン迫害の唄だと伝わっているんです。唄の中の、籠の中の鳥は、捕まって籠に入れられたキリシタンです。寒い冬に裸同然で籠の中に入れられ、何日も寒風吹きすさぶ荒野に放置されたのです。そしてある日、鶴吉が転び、また次の日に亀蔵が転んだのです。そうです。鶴は鶴吉で、亀は亀蔵という名のキリシタンだったのです。籠の周りを黙って回っていたのは誰でしょう? それは信仰を貫いて死んでいった亡霊だったとも言われています。後ろの正面には誰がいるのでしょう? 鶴吉や亀蔵が後ろを振り向いても、誰もいなくて、前を向き直っても誰もいなかったそうなのです。もはや、かれらは神から見捨てられたのです。嘘か本当か、そんな解釈が伝わっています」
この話を聞いて、ぼくは寒気がして、ぶるっと震えた。
(ぼくが、鶴吉であり、亀蔵なのかもしれない)
「なかなかいい話ですね。「かごめかごめ」も町おこしに使えそうですね。穂刈さん、今度その話を詳しく教えてください」と嬉しそうに佐和山さんが言った。
「確かに興味深いですね。この話も記事にできますね。忘れないうちにメモしておかなくっちゃあ」とスズちゃんは嬉しそうに取材ノートを取り出した。
「きれいに平らげましたね。では、ゴルゴダの丘に向かいますか」と佐和山さんが言って、みんな腰を浮かせた。
隣のテーブルの子は、まだ「鶴と亀は転んだ」と『かごめかごめ』を歌っていた。母親はトイレにでも行ったのだろうか? その子は一人だった。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が転んだ 後ろの正面だあれ?
つづく




