8話・貧乏令嬢、まずい予感がする
父と男は逮捕された。庭園開放デーに参加して私が既婚であるように主張しろと依頼されたらしいけど、依頼人のことは『身分が高い方』としか知らないという。
多分本当なのだろう。彼らが皇后や宰相、その他の特定人物に助けを求めたり、目で合図をすることはなかった。
夫婦の寝室。広いベッドの上。いつものようにヘッドボードにもたれてひとり、フィネルを待っている。膝の上には読もうと思って広げていた本。
だけど字を目で追っても、全然頭に入って来ない。ため息をつき本を閉じて、傍らに置く。
どうして集中できないのか、わかっている。
父にはショックを受けた。ろくでなしと知っていたけど、あそこまでとはさすがに思わなかったから。
だけど気が散漫なのは父のせいではない。
『もしフィネルに信じてもらえなかったら』という可能性が怖かったからだ。
隣室に通じる扉が開き、フィネルが入ってきた。事件後にふたりきりで会うのは初めてだ。
彼は無言でベッドの上にのぼり、私の斜め向かいに胡座をかいた。
「陛下。父が問題を起こして申し訳ありませんでした」
彼は答えずに私の手を取った。両手で包み込むようにされる。心地良いぬくもりに、ざわついていた心が落ち着いていく。
「大丈夫か、アリア。いくら見限っていても実父だ。ショックを受けていないか」
「それはありません」
「そうか」
陛下が安堵の表情になる。その顔に、ますます気持ちが落ち着く。
フィネルは優しい。契約者でしかない私の心配をしてくれている。
けれど、ふと閃いた。
少し前に父について、フィネルに尋ねられたことがあった。
「もしかして父たちの企みをご存知でしたか」
そう質問すると彼はしばらく無言で私を見つめていたけれど、やがて、
「怒るか?」
と訊いた。不安そうな声だった。そんな声音は初めて聞く。
「いいえ」
とはっきり答えると、フィネルはほっとしたようだった。いつも自信満々な彼でも不安になることがあるらしい。意外だ。
「母の動きを見張っていたからな」
とフィネル。彼が言うには今回の件の黒幕は、やはり皇后なのだそうだ。なにか仕掛けてくることは予想できたから、わざと私の就職がどこからきた話かわからないよう手を打っていたとか。
「母は国の不利益になる婚姻を勧めてくる」とフィネル。「野放しにしておく訳にはいかなかったから、アリアを利用した。すまない」
「謝る必要はありません。契約者ですから。陛下のお役に立てて良かったです」
「……」
フィネルが手を離した。と、思ったら、自分の手を私の手で包み込ませようとする。
「陛下?」
「俺はやってもらったことがない」
「はい?」
「民が夫の俺より先にしてもらうのは、おかしくないか」
えっと……。
どういうこと?
言葉の意図がよくわからないものの、フィネルの両手を包みこむ。すると彼は満足そうな顔をし、上体を倒すと私の肩に額をつけた。
もしかして新しい甘えのスタイルなの?
母親や宰相のことなんかでストレスが多いから――。
だけど彼とこんなに距離が近いのは、挙式で誓いのキスをして以来だ。
意味もなく胸がドキドキしてしまう。
『アリアの夫も、愛しているのも俺だけ。そうだろう?』
庭園で投げかけられた言葉を思い出す。
私の夫は永遠にフィネルひとりかもしれない。けれど彼は確実にちがう。
そう考えると胸が痛んだ。
――これはまずいような気がする。
「陛下。近すぎます」
「……そうか。フィネルだぞ、アリア」
「はい、フィネル陛下」
フィネルがゆっくりと離れる。
これでいい。
国王と私の間にあるのは契約だもの。
ふと、彼がまだステファノだったころを思い出した。もう遠い昔のような気がする。
なにを気にするでもなく、楽しく話し、想いきり笑った。
私は彼を唯一の友達だと思っていた。
不可能だとわかっているけど。
すごく、あのころに戻りたい。
◇◇
庭園開放デーから一週間で、父たちの企みの全貌が明らかになった。もっともフィネルは知っていたから、公的に、とつけ加えるべきかもしれない。
黒幕が皇后で、宰相も多少関わっていたらしい。ふたりとも、『何も知らない、冤罪だ』と主張しているけど証拠も証人も揃っている。
以前フィネルは私たちを離婚させようとするのは『謀反に値する』と宣言したけれど、あれは私的な発言だったからさすがに『謀反』にはせず、『不祥事』扱いとなった。フィネルは『犯罪』にしたかったようだけど、皇后の母国との関係を考えるとそれが相応らしい。
とはいえそれぞれには、きっちりと処罰がくだされた。
皇后は離宮での蟄居と来客の禁止。宰相は辞職と領地外に出ることの禁止。共に五年。ハロルドという男は国外追放。父は爵位を取り上げられた。きっと借金取りに捕まって、強制労働させられることだろう。
幼い女の子は母親から無理やり引き離されたようで、官吏が送り届けることになった。
これで一件落着。
フィネルに望まない結婚をさせようとしていたふたりがいなくなった。
それなら私は、もう用無しじゃない?