5話・貧乏令嬢、ライバルと対峙する
穏やかな日差しの午後、王宮で一番美しいサロンに、社交界でもトップと言われる夫人や令嬢が集まっている。複数の円卓に数人ずつが座る。皇后主催の女性のみのお茶会だ。
彼女はいまだ私を認めていないけど、招待はしてくれている。露骨に邪険にするとフィネルが怒って(もちろん演技で)、皇后が使える予算を減らしてしまうからだ。
フィネルは実母をあまり好きではないそうだ。私から見ても皇后は、さもありなんという方なので適度な距離を置いて、だけど敬うことは忘れずに接している。今ついているテーブルも彼女からもっとも遠い。
そのおかげもあって、お茶会は和やかに進んでいる。皇后派や王妃派、中道派と色々なグループがいて、笑顔の下にはそれぞれの思惑があるだろうけど、表面上は楽しい会のひとときだ。
結婚当初は私に嫌味を言っていたひとたちの多くは、フィネルの溺愛ぶりに恐れをなして態度を改めている。仮初めの敬意だけど、それで十分。
「あら?」と私の前にすわるご夫人が首をかしげた。
それとほぼ同時に周囲がざわりとする。みんなの視線を追って振り向くと、天使のように美しいご令嬢がいた。
太陽のように輝く金髪に夏の青空のような瞳。完璧に整った容貌、折れそうに細い腰。見惚れるほど優雅な振る舞い。きっとアショフ公爵の娘だ。
彼女は皇后の元に一直線に向かうとたおやかでありながらも威厳を感じさせるカーテシーをした。
挨拶を交わす声は春の日差しのように心地良い。
すごい、としか言い様がない。すべてが最高レベル。欠点なんて、どこにもなさそう。
だけど――と意地の悪く考える――彼女は帝国の王族の妃にはなれなかった。なにかしらの理由があるはすだ。
『臆するな』と言ったフィネルの声が脳内で蘇る。
そう、いくら彼女がすごかろうと怯んではだめ。莫大な契約料をもらっているのだから、フィネルのために立派な王妃を演じなければならない。
「アリア。こちらに来なさい」と皇后が顔も向けずに私を呼んだ。「紹介してあげましょう」
私のとなりに座る侍女のエリーヌが、硬い表情で小さく首を横に振った
私は『大丈夫』との気持ちを込めて小さくうなずく。実家の爵位がどうあれ、私は王妃。公爵令嬢の元に参じてはならない。それに現在の権威順では皇后は国王に劣り、王妃と同列だ。
皇后に盾突きたくはなかったけど、あちらが先に仕掛けてきたのだから、仕方ないわよね。
皇后たちを見るのをやめ、
「エリーヌ」とサロン中に聞こえるように、言葉を口に出す。
大きい訳ではなく、よく通る声。立派に王妃を演じられるよう、練習を重ねて身につけた発声方法だ。
「見たことのない方がいるようだけど、どちらかの王族かしら」
「いいえ」エリーヌがきっぱりと答える。
「では席を立ってはならないわね。フィネル陛下の顔に泥は塗れないもの」
「そのとおりです」
これでよし。高慢だけど、宰相や皇后に対抗するためには舐められない態度が必要だもの。
同じテーブルの女性たちも、『そうですよ』と追従している。
さて皇后と公爵家のご令嬢はどうでるか、と思ったけれどすぐに令嬢が侯爵夫人を伴ってそばにやって来た。皇后は戦いを降りたらしい。元々宰相とはライバルだものね。私をコケにできないのなら、協力はしないと考えているのだろう。
侯爵夫人を従えた(かのように見える)カトリーヌ・アショフは極上の微笑みを浮かべて、完璧な挨拶をした。相手が丁寧な態度をとるなら、私もそのように対応する。
――親しくしようとは思わないけどね。
ひととおりのやり取りが済むと『どうぞお茶会を楽しんで』と告げて、私は女性たちとの会話に戻ろうとした。けれどカトリーヌだけは去らなかった。
「あなた、席をゆずってくださらないかしら」とひとりのご夫人に声をかけたのだ。
テーブルは満席で、新しく加わる余裕はない。だからって、図々しすぎる。
言われたほうは伯爵夫人で、公爵令嬢には敵わないと思ったのか、不満げな顔をしながらも立ち上がった。
引き留めようかと考えたけれど、それでは後で彼女がカトリーヌに責められるかもしれない。私は彼女を手招きしてその手を握り、「譲ってくださるなんてお優しいわ。また後ほどお話しましょうね」とだけ伝えた。
その脇でカトリーヌは悠々と席についた。すぐさま給仕が飛んできて、食器を新しいものに変える。けれど彼女は美味しい菓子にも香り高いお茶にも見向きもせずに、私に微笑みかけている。
「王妃陛下とは社交界でお会いしたことがありませんわ。どちらのご出身なのでしょうか」
天使のような笑顔をして、カトリーヌがぬけぬけと言う。絶対に知っているだろうに。
視界の隅ではエリーヌが心配そうに私を見ているし、同席のひとたちは私の返答を楽しそうな目をして待っている。
「父はローリエ伯爵位を賜っていて、領地はアルザラ地方よ」
「まあ。わたくし全貴族のことを記憶しているはずなのですけど、存じ上げませんわ」カトリーヌが優しげに微笑む。
「忘却は誰にでも起こり得るわ。気に病まないで」私はにっこりと微笑み返す。
「……そのお手はどうなさったのでしょう。王の妃とは思えない痛々しさですが」カトリーヌが負けじと次の欠点をついてくる、
「これでもだいぶ良くなって、痛みはないの。綺麗な肌に戻ることができなかっただけで。ランドリーメイドの仕事は過酷だから、仕方ないわね」
「まあ!」カトリーヌが仰々しく驚く。「そのような卑しい仕事をなさっていたのですか」
卑しい?
カトリーヌは洗ってもらった下着を着たことがないのかしら。
「お気の毒に。過酷な環境だったのですね。貴族の籍にありながらそんな生活だなんて。わたくしには想像もできませんわ」
カトリーヌは憂い顔で、ほう、と吐息した。それから、聞き馴染みのない言葉で短く何かを言い、
「――といったところですわね」
と結んだ。
でもすぐに、
「もしかして帝国の古語はおわかりにならなかったでしょうか」
と尋ねた。
「ええ、わからないわ」と正直に答える。
「まあ。それで王妃を務めるのは大変でしょう。外交で困りますものね。お可哀想に、荷が重いのではありませんか」
となりのエリーヌが反論しようとわずかに身を乗り出したので、テーブルの下で手を出して制した。
「あなたは私と違って容姿も所作もお美しいわ。教養も深そうだし、羨ましいこと」
カトリーヌが極上の笑みを浮かべる。
「これほど完璧な方なのに、帝国で良縁がなかったのよね?」
彼女の笑みがわずかに強張った。
「すべてお断りしましたの。他国に嫁ぐつもりはありませんわ。少し遅くなりましたがこのとおり帰って来ましたから、アリア様は安心して荷を下ろしてくださいな」
テーブルにつく女性たちが、ざわりとする。王妃に向かって離婚しろと言っているのだから当然だ。
「カトリーヌ。あなたは私よりほとんどの点で優れているわ。けれど絶対に王妃にはなれない。資質がないもの」
「負け惜しみですか。そんなことがあるはずないではありませんか」
「他者を見下す言動。国王を支える立場の人間がするものではないわ」
「なにを言い出すのかと思いましたら、そんなこと」カトリーヌはおかしそうに笑った。「わたくしは王妃になるためのきちんとした教育を受けましたの。すべてにおいてあなたより完璧です。資質がないのはあなたのほう」
「失礼ですわ!」とエリーヌがついに身を乗り出す。
だけどカトリーヌは気にしない。
「だって見るからにふさわしくないでしょう? アリア様。わたくしが帰国したからには、その座に安穏としていられませんわよ? 身にすぎる地位からは降りていただきます」
天使のような顔をして、いけしゃあしゃあとよく言えるものだ。
「『身にすぎる地位』というのは、私が一番よくわかってるわ。だけど陛下がすべてを了解したうえで、私ならば大丈夫と信じて妃と選んでくれたのよ。あなたの態度は不敬に当たるわ。今すぐ退出をなさい」
と、彼女たちの視線が一斉に動いた。私の背後を見ている。次々に立ち上がる女性たち。振り返ると不機嫌な顔をしたフィネルが大股でやって来るところだった。
「フィネル陛下」とカトリーヌが美しく微笑んで立ち上がる。「即位式典以来ですわね。ご無沙汰していて申し訳ありません」
「ああ」
と、うなずいたフィネルは私の元で止まった。かがんで額にキスを落とす。
「どうなさったのですか。会議のお時間では?」
「早く終わった」
「陛下」とカトリーヌが割り込んできた。
うっかり見とれそうなほどに可憐な笑みを、彼女は浮かべている。
「帝国のお土産をお持ちしましたの。お聞かせしたいあちらの最新情報もたっぷりありますし、ゆっくりお話しませんか」
フィネルが言うには、カトリーヌとは幼馴染だという。といっても仲が良かったわけではなく、宰相が娘の嫁ぎ先候補のひとつとして、顔を合わせる場を作っていただけのことらしい。
フィネルは彼女に興味がなかった(なぜかここはステファノも強調していた)から適当にあしらっていたけど、カトリーヌのほうでは『自分のあまりの美しさに照れている』という認識のようだったとか。
彼女は今も、間違った認識のままなのだろう。素晴らしい美貌を持ったせいかもしれない。
可哀想なひとだ。
立ち上がり、フィネルに並び立つ。
「聞こえなかったかしら。私は不敬な言動をするあなたに、退出を命じたはずよ」
「まあ、怖い」
カトリーヌは青ざめ震えながらフィネルを見た。すごい演技力だ。
「カトリーヌ様は王妃陛下を侮辱なさいました」とエリーヌが毅然とフィネルに告げる。
周りの女性たちも一斉にうなずく。
それがカトリーヌは意外だったみたいだ。わずかに微笑みに綻びが出た。もしかしたら、どこの馬の骨ともわからない王妃より、宰相の娘である自分を支持すると考えていたのかもしれない。
「大方は報告を受けている」とフィネルが冷淡な顔で言う。
室内を見回すと、給仕がひとり足りない。なるほど。フィネルは皇后主催だから用心して、予め手を打っていたのだ。
「カトリーヌ・アショフ。国王が手ずから選んだ妃を侮辱できるほど貴様は偉いのか?」
「ご……かいですわ」
彼女は今度こそ本当に震えているようだ。
「王宮から去り、二度と来るな。もしその醜い顔を見せにきたら、アショフには責任をとらせ宰相を辞してもらう」
フィネルが周囲を睥睨した。
「アリアは私が唯一の愛を捧げた妃だ。彼女への侮辱は私への侮辱ととる。私たちの仲を裂こうとする行為は謀反と同じ。よく覚えておくように」
◇◇
「フィネル陛下。昼間のアレはやり過ぎではありませんか」
夜更けの寝室。いつものようにフィネルは私の膝枕で目を閉じ休んでいる。
「どのことだ?」
「『唯一の愛』とか『謀反』とか!」
「ああ、アレか。別に問題ないと思うが?」
「絶対にやり過ぎです。いずれ離婚するのですよ。陛下の言葉の信用度が落ちてしまいます」
フィネルが目を開いた。でもなにも言わない。
「陛下?」
「フィネル!」
「フィネル陛下」と言い直す。
「あのとき退出を告げたアリアは毅然として見事だった」
「……ありがとうございます」
「美しかったぞ」
「そうですか?」
「ああ」
フィネルはまた目を閉じた。そして、
「撫でてくれ、アリア」
と言う。
やり過ぎたことについては、なにも話さないらしい。
本当にマイペースなんだから。
抗議は諦め彼の黒髪をすくいつつ、そっと撫でた。