10話・貧乏令嬢、思いを告げる決心をする
私が考えていたよりも、フィネルは廃温室を楽しみにしているのかもしれない。
ランチボックスは豪華でも、約束の時間に現れたフィネルは、ステファノを名乗っていたころのようなジュストコールをまとい、装飾品を一切身につけていなかった。お供は荷物係りにされた本物のステファノだけ。
そして誰も見ていないのに私の手を握りしめて、ずんずんと目的地に向かった。
入口でフィネルがランチボックスを受け取り、ステファノを残して中に入る。季節はすっかり晩秋だけど、中は暖かいせいか、ところどころ青々とした草が生い茂っていて香りも強い。
それにしても生え方がおかしいなと思いよく見ると、草がないところは刈り取られたばかりのようだった。足もとの小道も。
「陛下」と隣を歩くフィネルを見る。「午前中に草刈りが行われたのですか」
「あ? ああ」
なぜだかフィネルが狼狽えたように見えた。
「アリアへの褒美だからな」
「ありがとうございます」
私は草のことなんて、ちっとも考えていなかった。
刈ってもらっていなければ、中に入れなかっただろう。
――というか。
ちらりとフィネルの横顔を見る。破れ温室は彼の息抜きの場所だったはずなのに、今はもう来ていないのだろうか。彼のスケジュールを考えても、そんな時間はなさそうだし。
「ついたぞ」とフィネルが言う。
以前、使っていた木製のベンチの元に出た。腐食が進んでいるそこに、フィネルがランチボックスの中に入っていた布を広げる。
それからまた手を取られて、エスコートされて座った。
なんというか――思っていたのと違う。
私は以前のようなランチがよかったのだけど。でもフィネルは私に褒美を下賜するために、わざわざ付き合ってくれているのだ。
余計なことは言わずに、彼と並んで豪華すぎるランチを食べながら、とりとめもない話をする。どうして破れ温室が放置されているのかとか、フィネルは子供のころにここでステファノとかくれんぼをして遊んでいたとか。
思いの外、話がはずむ。それこそ以前のように。私が戻りたかった関係だ。
楽しい。
けれどこれは今日限定のご褒美で、私はこれから嫌われ王妃になるのだ。自分で決めたとはいえ、フィネルと距離を置くことが淋しい。
久しぶりの幸せなひとときはあっという間に終わり、帰る時間になってしまった。
逡巡する。
私はこの気持ちをフィネルに伝えていいのだろうか。
それとも契約者は余計なことは口にせず、黙って任務を遂行すべき?
きっと後者が正しい。私は莫大な契約料をもらっているのだから、陛下を私情で煩わせてはいけない。だけど、ここに来てより実感した。
破れ温室で彼と過ごす時間は、私にとって特別だった。ビジネスパートナーになることを要請されて悲しくなったりもしたけれど。
私はフィネルを好きになってしまったのだ。
「帰る前にひとつだけ、お話をいいですか」
思い切ってそう言うと、フィネルは焦りをにじませた表情を見せた。時間を気にしているのだろう。
「すみません、すぐに終わります」
体を心持ち彼に向ける。
「私、陛下がラリベルテの姫君とつつがなく結婚できるよう、全力を尽くします」
これは大切。気持ちを伝えるにしても、契約を破るつもりはないと先に伝えておかないとね。
「でも――」
「アリア!」
私の名前を叫んだフィネルがベンチから滑るように降り、私の前に片膝をついた。
「陛下!?」
驚いて立ち上がったものの右手を取られて、強く握りしめられる。
「どうなさったのですか!」
「アリア」
フィネルは険しい表情をしている。
「俺を愛してほしい。頼む」
手に口付けられる。
「陛下!?」
「初手を間違えた。妃はアリア以外、考えられない」
どういうこと!?
「で、でも姫君は」
「とっくに断っている!」
え。それでは――
「間違えたんだ」とフィネル。
彼の表情は険しいんじゃない。泣きそうなんだ。
「結婚を考えたときにアリアしか思い浮かばなかった。なのに俺はその意味がわかっていなかったんだ」
フィネルのダークブラウンの瞳がまっすぐに私を見つめている。
「愛している、アリア。俺の生涯ただひとりの妃になってほしい」
涙があふれ出た。勝手にぼろぼろとこぼれ落ちる。
「アリア!?」
「……私、今日……」しゃくりあげてしまい、声が途切れ途切れにしか出てこない。「……陛下を、お慕いしていると伝えるつもりだったのです……」
「それはどういう意味でだっ」
フィネルが勢いよく立ち上がる。右手だけだったのが、左手も一緒に握りしめられる。
「俺を愛してくれるのか」
「はい。陛下のお言葉、嬉しいです」
「ならば敬語はやめろ。以前のように笑ってくれ。嫌われ王妃になるなんて言うな。離婚はしない。フィネル――『陛下』なんて付けずにフィネルと呼べ」
「ええ、フィネル」
フィネルの顔がくしゃりと歪む。と思ったら抱きしめられた。ぎゅうぎゅうと力を込められる。
「絶対だぞ。やっぱり無しだはダメだからな」
耳元で鼻がぐずぐずいう音が聞こえる。
「へい……、フィネル。泣いているのですか?」
「泣いてなどいない! ――いや。泣いている。俺は赤ん坊以来泣いたことなどないのだぞ。だからアリアは俺を愛せ。あと敬語はやめろ」
なにそれ。
「子供みたいですね。可愛い」
「こっ……! いや、なんでも構わない。アリアが俺から離れなければ」
「望まれない限り離れません」
きつい抱擁のなか、なんとか動いて腕をフィネルの背中にまわす。
「ステファノだったあなたも、フィネルのあなたも、どちらも大好きです」
◇◇
その後、フィネルは草むらの陰から抱えきれないほどの赤い薔薇の花束を、ランチボックスの中から特大すぎるダイヤモンドがついた指輪を取り出した。どちらも私に再プロポーズするときのために用意したらしい。本物のステファノの提案を全部採用してのことだとか。
マイペースで自分本位な人だと思っていたけど、存外可愛らしい人だったみたいだ。
改めてフィネルを好きになってしまった。