9話・貧乏令嬢、作戦を練る
庭園開放デーに起きた事件のせいで国王は非常に忙しく、王妃の私も彼のサポートに忙殺されて、あっという間にひと月ほどが過ぎてしまった。
あと十日も経てば結婚して半年。契約期間の折返し地点だ。
事件直後にフィネルに、『もう婚姻関係は必要ないから、契約を見直すべきでは』と伝えたけれど、断られてしまった。理由があるらしいけれど、それがなんなのかは教えてくれなかった。ステファノが言うには、そのうちわかるらしい。
そうこうしているうちに、私たちは相思相愛、溺愛しあっているおしどり夫妻とのイメージが、一般市民にまで浸透してしまった。父の事件をたくさんの市民に見られていたせいだ。
しかも私が女の子を抱っこしている姿が神々しかったとかで、街では聖母なんてあだ名で呼ばれているらしいし、更には御子待望論まで噴出しているそう。
御子については王宮でも同様で、貴族からメイドまであらゆるひとに『そろそろ……』だとか『楽しみ!』だとか言われる始末。
絶対にまずい!
これで離婚したら、よほどの理由がないとフィネルの評判が下がってしまう。それに次の妃になる姫も、いくら政略結婚とはいえ、面白くないだろう。
「だから作戦を考えたのです」
そう言うと向いの長椅子にすわるフィネルは険しい表情になった。
夜更けの彼の私室。いるのは私たちとステファノだけ。
「そんなものは必要ないが?」とフィネルが不機嫌に言う。
「なぜそう思えるのか不思議です」
反論したら、ため息が聞こえた。フィネルの傍らに立つステファノだ。
「アリアさん。念のために作戦の内容を教えてもらえますか」
「ええ。私が嫌われ王妃になるのです」
邪魔な皇后と宰相がいなくなった王妃アリアは、ワガママで傍若な振る舞いをするようになる。侍女にキツく当たり(エリーヌにはあらかじめ協力を仰いでおく)、浪費三昧な生活を送り(いただいた契約料から支払う)、子供は嫌いだから産みたくないと吹聴する。
国王は最初は優しく諭していたが、やがて妃に愛想を尽かし、結婚一周年を迎える前に離婚を決めるのだった。
――というのが私が立てた作戦の筋書きだ。それを説明し終えたとき、フィネルの顔はますます険しくなっていた。
すごく良い内容だと自信があったのだけど。
だけどフィネルはなにが気にいらないのか、じっと私を見つめるだけで、なにも言わない。
「それでは――」
とステファノが言いかけたのを、フィネルが手で制する。
「考えはよくわかった。アリアは、俺が君の評判を下げるのを良しとする男だと思っているのだな」
ひどくこわばった声だった。
「そうではありません! 現状から、陛下の次の結婚にスムーズに移行するために最善な方法を考えただけです。陛下の評判と国交の重要さに比べたら、私なんて――」
「いい」フィネルが遮る。口調も表情も、明らかに怒っている。「少し考えさせてくれ」
「――はい」
『怒らせたかった訳じゃない』と釈明したかったけれど、言えなかった。最善の策だと考えているのは事実だけれど、彼から距離を置きたいという私欲も含んでいるのだ。なにを口にしても、自己弁護にしかならないような気がする。
「ステファノに話がある。アリアは部屋を出てくれ」
「わかりました」
フィネルは聞いたことがないほど冷たい声だった。三人で話しているときに退出を促されるのも初めてだ。
立ち上がり、国王の契約者らしく一礼して扉に向かう。
嫌われてしまったのだろうか。それはイヤだ。うまく離婚をしたいだけであって、仲違いをしたいわけじゃない。
それとも私の考えは自分本位なのだろうか。
◇◇
寝室に来たフィネルはいつものように、私の膝を枕にして目を閉じ横たわった。
そのことにほっとして、彼の柔らかな黒髪を手櫛でとかしつつ、頭を撫でる。
「アリアの作戦については、もう少し考慮する時間が必要だ」
「わかりました」
フィネルの声はいつもどおりだった。
本当によかった。嫌われたのではなくて。
破れ温室でステファノと名乗るフットマンと過ごした時間。
彼に契約結婚を持ちかけられたとき。
国王フィネルの公私をそばで見て、愛され妃として扱われた日々。
この一年の間で、フィネルの印象は様々に変わった。
期間限定王妃の契約を私が結んだのは、ちょこっとの同情心と、多大なる金銭欲によるものだったはず。それなのに今は――
フィネルが目を開き、視線が合う。心臓がドキリと跳ね上がった。
「アリア」
「……はい」
「懸念材料だった皇后たちを排除できたのは、アリアのおかげだ。褒美をやる。なにがいい」
褒美。
上から目線の言葉だ。
それはそうだ。フィネルは王で、私の雇い主だもの。
「契や――」
「契約料があるから、いらないというのは無しだぞ」
先回りされてしまった。仕方ないから、考えてみる。
だけどほしいものなんてない。
願うことなら、あるけれど。
彼がフットマンで、私がランドリーメイドだったころに戻りたい。
――そうか。
「廃温室でランチをしたいです。昔のように。陛下と私で。難しいでしょうか」
「いや。そんなことでいいのか」
フィネルにとっては『そんなこと』でも、私にとっては違う。作戦が始まったら、二度とこんな機会はないだろうし。
「ほかに望みはありません」
「わかった」フィネルが目を閉じる。「豪勢なランチボックスを用意させよう。アリアの好物を山ほど入れて」
そうじゃない、と思ったけれどなにも言わなかった。パンとゆで玉子では、国王の体裁が悪いだろう。
「では明日な」とフィネル。
「急すぎやしませんか!? ご予定がつまっているでしょう?」
「俺が早く行きたいのだ。気にするな」
「陛下も?」
フィネルが目を開いた。
「フィネルだ」
「フィネル陛下」
「いつになったら、アリアは――」
言葉は続かなかった。フィネルはふたたび目を閉じ、なにを考えているのか、教えてくれることはなかった。