本来なら限界ニュータウン化してしまう千葉ニュータウンに関してテコ入れを考えようか
さて、今の俺は日本の未来を変えるため色々やっているが、東大生の学生としての生活も始まった。
要するに今まではオリエンテーションだとかサークル紹介だので楽しく盛り上がっていたが、ようやく学生の本業である講義が始まったんだ。
正直勉強については中学は楽勝だったし、高校もそこまで問題ではなかったが、流石に東大の理系科目や外国語科目などはレベルが高くてついていくのが大変だ。
北条さんや斉藤さんとも、基本的に講義が一緒ではないしな。
ちなみに数学や理科といった理系科目は東大では大教室で講義形式で授業が行われ、数理科学基礎という高校と大学の橋渡しの授業があった後、微分積分学と線形代数学を学んで行き、理科は力学と熱力学が必修。
理数系科目の授業は教員ごとにわかりやすさも様々だが、どの教員の講義がわかりやすいかなんかは生徒間で情報は共有されてるはずだが、オリエンテーションなどで仲良くなった相手や先輩がそういう情報をもっているかどうかでもだいぶちがうはずなんだよな。
俺の場合はオリエンテーションなどで仲良くなったのは、多くが大槻くんや横山くん、奥村くんに村井さんとかみたいな、東大に入る人数が多い高校ではない出身高校派閥非主流の高校出身なんで、あんまりそのあたりの情報は入ってこないんだけどな。
「俺達、結構難しい講義を受けちゃってたみたいだよな」
俺が村井さんにそう言うと彼女も頷いていった。
「はい、このあたり高校時代の横のつながりが薄いと厳しいですよね」
また、ちなみに数理科学基礎では6月頭に試験があるため、5月の時点で試験勉強を開始しなければならないのでちょっと辛い。
英語などの外国語は先生が外国人で、一切日本語が話せないため自分の英語力を最大限活用して何とか先生とコミュニケーションを図るしかなかったりもするし、英語での論文の書きかたを学び実際に論文を書いたりするのもかなり大変。
まあ、ここらへんはプログラミング言語を覚えるよりは楽とも言えるが。
高校までと違い英語「を」覚えるというよりも、英語を「つかって」学ぶ、というふうに英語などの外国語の授業の質が大きく変化するのを実感した。
これは第ニ外国語も同じ。
そして北条さんや斉藤さんと講義についてはなしてみると文系は英語や外国語については同じだが、理数系はそこまで大変じゃないらしく、高校までと同じ覚える講義が多いようだ。
「なるほどなぁ。
まあ法学やら文学やらは考えるのが基本じゃなく過去の事例を参考にするのが基本だからそんなものなのかもだけど」
俺がそう言うと北条さんが言う。
「問題なのは経済に付いて、本当の現場の変化のことがわかっていない 文科2類の生徒が多そうなことですわね」
「経済学部志望の人間が実際の経済がわかっていないっていうのは本当問題だよな」
そして斉藤さんもいう。
「教育学部だってそうなのよね。
学校の教師なんていわば最も難しい接客の仕事のようなものなのに。
もちろん予備校の教師みたいに人気が収入に直接関係してくるわけじゃな行ことも問題だと思うわ」
「だよなぁ。
ここらへんやっぱ問題だと思う」
昭和末の日本はいい大学を出れば、その後は社会に出ても一生安泰という雰囲気が強いんだが平成に入ってそれは大きく崩れるんだよな。
昭和も中頃だとそもそも大学に入ってちゃんと出られる人間自体が少なかったから何だけども。
でも、いわゆるバブル組の官僚などにはそれがわからない。
そして思うに太平洋戦争敗戦後の日本はアメリカの眩しい部分ばかりを真似ようとし、工業で成功したまでは良かったが、それが産業の主力が金融やITなどのソフトウエアにシフトするとたちまち駄目になっていった。
いや、そもそもアメリカの暗い部分からは目を背けていた。
米国の東部や中西部にまたがる「錆びついた工業地帯」は 水や石炭などの資源に恵まれ、運輸に便利だったため自動車や鉄鋼といった製造業の工場が集積し、1960年代まで米経済の中心だったが、金融やITなどのソフトウエアニシフトしたうえでハード的な工業生産は日本や中国・東南アジアなどに物を作らせて輸入するということをしたことで、アメリカっ区内の製造業はコスト競争で苦しくなり労働者の失業が増え失業率が高止まりし貧富の差が激しくなっていってしまった。
アメリカは目先の事ばかり追い求め、アメリカンドリームに代表される一部の富裕層ばかりがいい目を見る国になってしまったわけだ。
逆に、島国であり狭い国土や乏しい資源に農業の基盤も弱いシンガポールでは「40年先のシンガポール」を見据えて「今、何をするべきか」20代、30代の若者で構成され、そのことを考える部門が政府内にあり、きちんと組織化され政治に反映されている。
例えば日本人の政治家や官僚の多くが「移民」と「出稼ぎ労働者」の違いを理解していない。
このあたりは最終的に成功したシンガポールと正反対に中国に押しつぶされた香港の末路の対比でもわかると思う。
シンガポールも少子化で海外からの労働力を必要としている。
だが、労働者の対して厳格な基準を設けており、長期定住できるか、また永住権(無制限に更新できる日本の長期滞在ビザもこれに相当)を与えるかについては国が厳しく判断している。
このあたりは華僑やイスラム系移民の危険をよく知っている東南アジア地域だったというのもあるだろう。
しかし香港はそうでなかったし、日本もそうではなかった。
そういった事も含めてシンガポールを参考にしていくほうがいいだろう。
シンガポールは利用できる土地にかなり制限があり水資源も十分ではないという制約がありながらも、東アジアとインドや中近東、ヨーロッパなどの結節点であるという地理的なメリットを活かしている。
まあ、土地が狭く、歴史的なしがらみも少ないから土地の利用を政府の主導で行えるというのは大きく違う点ではあるし、シンガポールの各種施策は、地理的、歴史的、あるいは経済的、政治的なシンガポール固有の条件を前提としているものが多いのでそれを日本にそのまま当てはめることはできなかったりもするが。
しかし、ずっと先を見据えた明確なビジョンに基づく施策展開や、効率性を徹底的に追求する行政運営は、我が国の政府のみならず地方公共団体や地方自治関係者にとっても、参考になるものはずなんだ。
ちなみにシンガポールでは住宅地、工業地帯、空港、港湾などがうまく配置された効率的な国土利用が実現している。
逆に日本では60年代から計画されているニュータウン計画などが70年代のオイルショックなどによる出生率の経過や土地価格の高騰などによって、うまくいかない場所が多く出てきている。
80年代の首都圏ニュータウン計画というと東京都西部の多摩ニュータウン、神奈川県横浜市南部の港北ニュータウンと合わせて北総の千葉ニュータウンが柱だった。
しかし、多摩ニュータウンや港北ニュータウンはそれなりに成功したが千葉ニュータウンは一時期ゴーストタウン呼ばわりされるほどひどい状況になっていた。
計画人口34万人に対し、入居者数は7万6000人に留まればそりゃそうだろう。
多摩ニュータウンや港北ニュータウンと違い千葉ニュータウンが失敗したのは交通網の構築に失敗したからだな。
本来は千葉ニュータウンには成田新幹線が乗り入れて東京駅や成田空港への利便性の良い地域になるはずだったんだが、まずの成田新幹線の計画が潰れた。
更に地下鉄浅草線から京成電鉄の京成高砂駅を経由し、小室駅や都営新宿線の本八幡駅や常磐線の松戸駅から直接東京に乗り入れられる計画だった千葉県営鉄道北千葉線も中断された。
まあ2010年には京成線の京成上野や浅草線の押上から成田空港までをむすぶスカイアクセス線は開業するんだが。
しかし現状で開通しているのは新京成の北初富駅から小室駅間だけだ。
そりゃ、交通の便の悪さは他のニ大ニュータウとは比べ物にならないよな。
さらに、本来は北総鉄道や成田新幹線の脇に高速道路も開通する予定だったのだがそれもストップしてしまっている。
現状の千葉ニュータウンはいわば陸の孤島状態だ。
まあ、千葉ニュータウンの失敗に最大の原因はチュータウン自体と鉄道などの用地における地権者や地元市町村との協議なしに、県が一方的に計画を決定・推進したことが問題なようだ。
ただ、多摩ニュータウンや港北ニュータウンと違って土地が平坦なので歩きや自転車でも移動しやすく、活断層などもないと言われているので津波や大地震の心配も少ないというメリットは有る。
とはいえ利根川構造線が近くにあるから地震に関しては絶対ではないけどな。
まあそれ以前の問題として東京や横浜ならおしゃれなイメージがあるが、千葉だと田舎なイメージもあるんだろうとは思う。
実際に様々な習い事なんかにも不便なのは事実だろう。
そういうのを改善するには住人の就業先をニュータウンそのものに作るか、交通網を早急に整備しつつ、アミューズメント施設や遊ぶ場所、買い物に便利な場所も設置しつつ、居住者を増やさないといけない。
このあたりは俺一人で決められるものではないし、北条さんにまずは相談だな。




