広告のために競走馬のトウカイダイオーなどを購入しようか、名前は大きく変わるだろうけど
「そういえば、俺たちの家って中山競馬場の近くでもあるし、馬主というか、競走馬の名前と一緒に俺たちの名前も売るために、競走馬を購入したりするのはどうかな?」
俺は北条さんへ提案してみた。
「ちょうど今はオグリハットなんかの活躍もあって、競馬ブームが起きてるしね。知名度を得るチャンスだと思うんだ」
人気馬のぬいぐるみまで発売され、それを買い求める女性やファミリー層も競馬場へ足を運ぶようになっている。以前は男性の大人が集まる場所というイメージが強かった競馬場も、今では幅広い層が訪れる場所へと変わりつつあった。
「こういう流れは、ゲームセンターなんかと似ているんだよね」
「競走馬ですか?」
北条さんは少し考えるように首を傾げた。
「それが儲けにつながるのでしたら、もちろん構いませんが……」
「ダービーとか有馬記念で勝てる馬を持てれば、馬主としての知名度が上がるだけじゃなくて、牡馬なら種牡馬、牝馬なら繁殖牝馬としても大きな価値が生まれる可能性があるからね」
俺がそう言うと、北条さんはしばらく考え込んだ。
「しかし……あなたには、そういった馬が分かりますの?」
「まあ、普通なら分からないだろうね」
俺は苦笑する。
「でも、ちょうど今は競走馬の生産時期だし、狙っている馬がいるんだ」
「どのような馬ですの?」
「父馬がシンボリシーザーの牡馬だよ」
もちろん、俺の頭にあるのは、のちにダービーを制することになるトウカイダイオーだ。
幼駒の段階では、将来そこまでの大活躍をするとは思われていない。父親の血統には価値があるけれど、それだけで個々の産駒の将来まで高く評価されるわけじゃない。
だからこそ、将来の実績を知らない人間にとっては、まだ手の届く価格で購入できる可能性がある。
「馬は血統が大きく関係するからね。もちろん血統だけで全部が決まるわけじゃないけど、少なくとも何も知らずに買うよりはずっとマシだよ」
「購入費用などはいくらくらいかかりますの?」
「三千万円くらいかな」
「三千万円……」
「まあ、馬の評価や購入条件にもよるけど、高くても五千万円くらいまでを想定しているよ」
北条さんは一瞬だけ目を丸くした。
しかし、すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻る。
「まあ、その程度でしたら、最悪うまくいかなかったとしても、私たちの資産から見れば致命的な損失にはなりませんわね」
「ちょっと待って」
横で聞いていた斎藤さんが口を挟んだ。
「五千万円は、とても大きな金額よね?」
「まあ、それはそうなんだけど……」
俺は苦笑した。
「個人馬主として登録するための条件もあるし、牧場や厩舎に預けるなら、その後の委託費用も必要になる。馬を買ったら終わりってわけじゃないんだよ」
「それなら、なおさら大きな投資じゃない」
「まあね」
俺もそこは否定しない。
「ただ、馬主になること自体は、どちらかというと趣味とか、ステークホルダー的な意味合いも大きいと思うんだ」
「ステークホルダー?」
「競走馬を持って、その馬が活躍すれば、馬主だけじゃなくて牧場や調教師、騎手、競馬場、それに関連商品を作る会社まで恩恵を受けるからね」
そして、もう一つ。
「うまくいけば、北海道の競走馬牧場なんかにも人を呼べるようになると思う」
牧場見学や競走馬のぬいぐるみ、関連グッズ、競馬場への観光。人気馬が誕生すれば、そうしたものへの需要も広がっていく。
競馬そのものを観光資源として活用できれば、単純な馬券の売買とは違うビジネスにもつながるはずだ。
「あと、もう一頭買うなら……一桁安い金額で買える一歳馬もいる」
「そちらは?」
「テスコスホーク」
これも将来を知っている俺だからこそ名前を出せる馬だ。
のちにアイネスライジンという名前でダービーを制することになる。
「こちらは数百万円程度で手に入る可能性がある。三千万円級の馬だけじゃなくて、数百万円で買える馬も押さえておけば、投資の負担を抑えながら将来の大きな成果を狙えるからね」
「なるほど。高い馬を買えばいいというわけではないのですわね」
「そういうこと。今の評価と将来の実績が必ずしも一致するわけじゃない。だから、価格と将来性の両方を考えて購入するつもりだよ」
俺は、もう一頭の名前を挙げた。
「それから、タニニンゼファーも買いたい」
「タニニンゼファー……。その馬も将来有望なのですか?」
「少なくとも、俺が知っている未来ではね」
タニニンゼファーは、幼いころから誰もが注目するような馬ではない。デビュー時も人気は低く、将来の大活躍を予想する人は多くなかったはずだ。
ところが、成長してからは短距離戦で力を発揮し、やがて安田記念を連覇するほどの名馬になる。さらに天皇賞(秋)まで制することになるのだ。
「この馬も、最初から高い値段が付くとは限らない。まだ競走成績のない幼駒の段階だから、今のうちに生産牧場と交渉しておきたいんだ。購入予算としては、一千万円程度を見込んでいるよ」
「それでしたら、先ほどの二頭と合わせても、資金的には無理がありませんわね」
「うん。もちろん、購入費用だけじゃなくて、その後の育成費用や預託料も考えたうえで決めるつもりだよ」
北条さんは納得したように頷いた。
「まずは馬主登録から、ですわね」
「うん。お願い」
こうして、俺たちは競走馬への投資にも手を伸ばすことになった。
本音を言えば、ナイスネーチャンやダブルジェットなんかも買いたい。
未来を知っている俺からすれば、後々活躍する馬はまだまだいる。
ただ、今の段階で購入するのは、トウカイダイオー、テスコスホーク、タニニンゼファーの三頭までにしておくつもりだった。
資金が足りないわけじゃない。購入費用も、その後の維持費も支払えるだけの余裕はある。
けれど、だからといって最初から所有馬を増やしすぎる必要はないだろう。
まずは三頭を購入し、牧場や厩舎と相談しながら育成を進める。そのうえで、実際にどのような成果が出るのかを見ていけばいい。
そして、その後に余裕があれば、次の馬への投資を考える。
もしかすると、その頃にはミホノフルホンやオコメシャワーといった、さらに次の世代で活躍する馬にも手を伸ばせるかもしれない。
ただし、それは今すぐ購入するという話ではない。未来の候補として、頭の片隅に置いておくだけだ。
「正直に言えば、私には分の良い勝負とは思えませんが……」
北条さんが俺を見る。
「あなたには勝算があるのでしょう?」
「まあ、普通に馬主をやるよりは有利だと思うよ」
俺は少しだけ肩をすくめた。
「そもそも馬主って、普通にやったら儲かるものじゃないからね」
競走馬は生き物だ。
怪我もする。病気にもなる。期待されていた馬が、思うように走らないことだってある。
だから、本来なら完全な投資商品として考えるものではない。
それでも俺が手を出すのは、未来を知っているからだ。
「でも、これまでの事業だって似たようなものだったでしょう?」
北条さんが言った。
「あなたは倒産した企業や経営の傾いた企業、旅館などを買い取り、再生することで収益を上げてきましたから」
「まあね」
「正直に言えば、製造した石油ファンヒーターによる一酸化炭素中毒事故まで発生し、倒産は免れないと言われていた東京四洋電気を買収すると聞いたときには、何の役に立つのかと思っていましたわ」
「でも、東京四洋電気は総合家電メーカーだったからね」
白物家電については、確かに苦しい。
けれど、それ以外にも使える技術や人材は大量に残っていた。
「パソコンやワークステーション、携帯電話、それにプッシュホンみたいな通信機器は、これから需要が伸びていくと思っていたから」
「確かに」
斎藤さんも頷いた。
「俺たちには、そういう製品を作るノウハウなんてないからね。だからこそ、技術者や工場をまとめて手に入れる意味があったんだ」
実際、その判断は間違っていなかった。
「去年から始めた学校向けの教育用パソコンも、ハードディスクやCD-ROMを搭載したことで、一台あたりの納入価格は百万円近くになったけど、それでもきちんと数が出た」
「そして、その開発費用を量産によって償却した」
北条さんが続ける。
「その結果、製造原価を下げることができた」
「そういうこと」
俺は頷いた。
「だからサンシャインも、五万円まで値下げできたわけだ」
高性能な部品を搭載した製品は、最初こそ高い。
だが、生産数が増えれば部品の調達価格は下がる。開発費も一台あたりに薄く分散できる。
そして価格が下がれば、さらに売れる。
売れれば、さらに量産できる。
この循環に乗せることができれば、パソコン市場そのものが一気に拡大する。
「MECなんかは、まだ五インチFDD二基が標準みたいだけど……」
俺は続けた。
「ソフトの容量が増えてくれば、ハードディスクもCD-ROMも標準搭載されるようになるはずだよ」
「その辺りは、ゲームを作っているとよく分かるわね」
斎藤さんが小さく息を吐いた。
「ゲームの容量が増えれば、フロッピーディスクだけじゃどうしても厳しくなるもの」
「確かに、学校へ納入するパソコンとしては高性能すぎる気はしますが……」
北条さんも資料へ視線を落とす。
「おそらく、そう遠くないうちに記憶媒体はフロッピーディスクからCD-ROMやハードディスクへ移っていくのでしょうね」
「まあ、それは間違いないと思う」
俺は頷いた。
実際、来年になれば他のメーカーからも、CD-ROMを標準搭載したパソコンが五十万円以下で発売されるようになる。
そうなれば、今まで高価だったCD-ROMドライブも一気に普及していくだろう。
ただし、それでパソコンが安くなり続けるわけではない。
CPUの性能は上がる。
メモリ容量も増える。
記憶装置も大容量化する。
そして、それに合わせてソフトウェアも重くなる。
つまり――。
「パソコンって、性能が上がれば上がるほど、また新しい性能が欲しくなるんだよ」
「新しい性能が必要になる?」
「うん」
俺は笑った。
「だから、パソコンは一度買えば十年使える家電にはならない。性能の高いものが欲しくなれば、数年ごとに買い替える必要が出てくる」
それはメーカーにとって、とても都合のいい市場構造だった。
新しい性能が生まれる。
新しいソフトが生まれる。
それに対応するため、消費者が新しいパソコンを買う。
そして新しいパソコンが普及すれば、また次の性能が求められる。
この繰り返しが続く。
「つまり、パソコン市場はこれからどんどん大きくなる」
「そして、その波に東京四洋電気を乗せたわけですのね」
「そういうこと」
俺は頷いた。
競走馬も、パソコンも、企業買収も、一見するとまったく別の話だ。
けれど俺にとっては、根っこの部分では同じだった。
未来に需要が生まれる場所を見極め、そこへ先回りして投資する。
東京四洋電気についても、パソコン市場が拡大することを見越して技術者や工場を手に入れた。競走馬についても、将来の活躍を知っているからこそ、今の段階で購入する意味がある。
ただし、競走馬だけは事業としての利益だけで割り切れるものではない。
生き物を預かる以上、最後まで責任を持つ必要があるし、怪我や病気で思いどおりにいかない可能性もある。
それでも、競馬ブームの中で俺たちの名前を広める広告塔として考えれば、挑戦する意味は十分にあるはずだった。
「まずは、この三頭をしっかり育てるところからだね」
「ええ。購入して終わりではありませんもの。預託先や育成の方針についても、きちんと確認していきましょう」
北条さんの言葉に、俺は頷いた。
その後、俺たちは馬主登録に必要な条件や費用を確認し、それぞれの馬を購入できる機会に合わせて手続きを進めていった。
テスコスホークは数百万円程度で購入できた。トウカイダイオーは、生産牧場と条件を相談したうえで、想定していた予算内に収まった。タニニンゼファーについても、まだ将来の活躍が知られていない段階だったからこそ、手の届く価格で購入することができた。
こうして、俺たちは狙っていた三頭をすべて手に入れたのだ。
もちろん、これだけで将来の成功が保証されたわけではない。これから成長し、調教を積み、実際にレースへ出走していくなかで、初めて分かることもある。
それでも、将来の活躍を知っている俺にとっては、十分に勝算のある投資だった。
ナイスネーチャンやダブルジェット、さらに次の世代のミホノフルホンやオコメシャワーについては、今はまだ購入を急ぐ必要はない。
まずは今回の三頭を育て、その成果を見ながら次の投資を考えればいい。
競馬を通じて俺たちの名前が広まり、関連商品や観光にも需要が生まれるようになれば、競走馬への投資は単なる趣味やレースの賞金を狙う行為にとどまらなくなる。
そんな未来を思い描きながら、俺は購入した三頭の名前を改めて確認した。
……まあ、何よりも先に、みんな元気に走ってくれることを願うばかりだけどな。




