1 城塞都市オグレス=ガルズへの来訪(5)
取りあえず中の待合い兼応接室に移って、ライラ姉がニコラ様――さすがに嬢とは呼べませんっ――を上座にあたるソファへご案内。
フレデリカ様とロナルド様――というか皆様ファーストネームで良いんですか? マズいですよね良いんですかホントに? ホントにコレでいきますからね?――がその背後に控える。
その対面の長ソファにはグレンさんが腰を下ろす。
その背後にリネット姉が控えて、ライラ姉はお茶を淹れに台所へ。
ちなみに僕は重ねてある丸椅子を一つ引っ張り出して着席。
でもって、白の自由人がグレンさんの隣へ、ドカッと座った。
という具合いに配置は落ち着いたんだけれど、その落ち着いたそばから、ニコラ様の肩がプルプルと震え出す。
「それで、貴女はどちら様ですの?」
「んん? 何だい何だい、ずいぶんと喧嘩腰だね?」
グレンさんの隣人を思いっきり指差しながら、声を荒げるニコラ様。
「当然ですわ! 将来の旦那様の隣に馴れ馴れしく座らないでくださいな!」
「「「は?」」」
差した指のまま、ブンブンと手を振るニコラ様の一言に僕とリネット姉、そして台所からライラ姉がわざわざ顔をのぞかせながら、そろって目を丸くした。
え? 何? グレンさん公爵家ご令嬢と結婚する予定なの? 見た感じ年の差が激しいけれど、貴族って生まれた時点で結婚が決まることだってあるらしいし、まあ有り得る……
……いや、転生者が4公爵家と婚姻関係ってのは無いなー。
無いわー。
うーん?
当のグレンさんに目を向けると苦笑中。
フレデリカ様は片手でこめかみを押さえている。
ロナルド様は明後日の方向を見ている。
あ、慣れるとロナルド様が一番分かりやすいかも。
うん、コレ本人の主張のみで根拠無いヤツだ。
グレンさんの隣でニヤニヤ笑いが広がる。
「ほー、そうなのかい? なら私は悪い虫かな?」
「友人の妹だよ。兄のアイザック・フラムスティード公爵殿下とは縁があってね」
さらぁーーーっとグレンさん言ってるけれど、アイザック・フラムスティード公爵といえば、若くして公爵家を継いだ俊英、近衛である第1騎士団よりも強い実質最強の第2騎士団の団長、円卓36席筆頭のアノ公爵殿下ですよね!?
グレンさんの交友関係ってどうなってるの!?
苦笑するグレンさんと『友人の妹』と言われて不服そうなニコラ様を見比べてから、愉快そうに笑いながら自由人が自己紹介する。
「では、初めましてニコラ嬢に、フレデリカ嬢、そしてロナルド君。私は英梨・新島だ。君たちの間では“怠惰のエリー”と呼ばれていたけれど、ご存じかな?」
白の自由人もといエリーさんが名乗ると、ニコラ様・フレデリカ様・ロナルド様がぽかんと口を開ける。
「「「……は?」」」
おお、ロナルド様の声は初かも? 余程驚かれたんでしょうか。
ですよねぇ、はい僕もそう思います。にこにこと笑いながらもの凄くフランクに自己紹介されましたけれど、発言に含まれる単語にはそんな気安さを許さないものが混じってますもんねぇ。
「……レッドグレイヴ卿?」
ぎこちない動きで首を回し尋ねてきたフレデリカ様に、グレンさんは軽く頷いた。
「事実だ。俺が討ち倒したとされている悪魔“怠惰のエリー”だよ」
その瞬間、ニコラ様が《《消えた》》。
そう見えてしまう程に速かった。ロナルド様が自分の背後へニコラ様を移した。まるで手品でも見てるみたいに、一瞬で。
同時に、フレデリカ様も電光石火の動きで、盾と剣を構えながら、エリーさんとロナルド様との間へ割り込む。
要するに、フレデリカ様はニコラ様が居た位置に取って代わったわけで、つまりエリーさんの目前に陣取ることになった。
エリーさん正面にフレデリカ様、その後ろに盾を構えるロナルド様、そしてその後ろ最後尾にニコラ様。
フレデリカ様が叫ぶ。
「お逃げください殿下っ!!」
「そ、そうはいきませ――えっ!?」
従魔のネメアが一瞬顕現しかけた、と思ったらロウソクの煙を吹き消すように消えてしまった。
動揺するニコラ様へ、微塵も変わらない調子でエリーさんが注意する。
「こらこら、こんな室内で顕現させるんじゃないよ。家主に迷惑じゃあないか」
軽く指をかざしただけで他人の従魔顕現を打ち消してしまった、その上で今度は目前のフレデリカ様へ言葉を続ける。
「主を即座に後ろへと庇うロナルド君の迅速さは見事、即座に割り込んで自身を盾にする君の行動力も及第点。だが、君たちの主が素直に逃げる性格ではないのを失念していたことと、君の間合いではない近距離を作ってしまったのは減点だね」
盾へと手を、指を伸ばすエリーさん。
後少しで届きそうだ。
「推測だが、君の戦闘スタイルは軽量の身で小型の盾を使って攻撃を捌き、レイピアで反撃する型だろう? この位置取りじゃあ難しくないかい?」
返事の代わりに歯ぎしりが聞こえた。
フレデリカ様とロナルド様からの空気が重い。
というか、カタい。
見えない雷が飛び散っているみたい。
息苦しい、この手の感じ、知ってる。
「だが、この気迫は上出来だね」
モロに圧を受け、ているはずのエリー、さんは平気そう、だ。
盾の向こう側、険しい目つきにな、ったフレデリカ様の頬。
汗が一筋二筋、と伝っていく。
相対したエリーさん、
は真剣な顔で、
無言で、
見つめ、
返し、
て――
ふっと笑った。
「精神体だけ、さ。肉体は私のものじゃない、借りているだけだよ」
フレデリカ様もロナルド様も微動だにしない。
グレンさんが続ける。
「本当だよセシル殿、マクファーレン殿。現状、エリーはその少女に取り憑いているだけだ。その娘の生命維持のために、な」
「……生命維持、とは?」
「意識不明の重体だ。これでも劇的に回復した方なんだが、まだ、放っておいたら呼吸も止まってしまう程度には酷い」
「そういうことさ。この身体の心臓やら肺やらを動かして、食べて栄養も採って、とにかく死なせないように、回復するように勤労中なんだよ私は」
グレンさんに続けて、エリーさんが軽く肩をすくめる。
フレデリカ様がロナルド様へ、ちらっと視線を向ける。
ロナルド様が頷く。
聖騎士お二方からの空気が、圧が、消えた。
とたんに息苦しさが消えて、一気に息が荒くなる。
けれど、この手の殺気とか闘気とか言われる圧力って、いや確かにここまで強いのは稀だけれど、出せるだけならオグレス=ガルズのロウアータウンではちょいちょい居て経験があったりする。
実際、目の前のリネット姉がそうだし、グレンさんに至ってはさらにキッツイ圧力になるし。こういうときは実際に空気が足りないわけじゃないんだから、まずは落ち着くために、呼吸をゆっくりと。
同じように息が荒くなったニコラ様も同じように息継ぎをしている。けれど、ゼーハー言ってるのは僕とニコラ様だけで、残りのメンツは、お茶を淹れてきたライラ姉も含めて全くの平常運転。
ライラ姉、台所に居たとはいえ、さっきの気圧は響いたと思うんだけれど……まあ、戦場で医療やってれば肝の据わり方が違うよなぁ。
「で、ですが、そもそも何故そのようなことに、なったんですの?」
やや整ってきた呼吸で、ニコラ様が声を絞り出す。
それからティーカップに手を付けて紅茶を一口含んでホッと一息吐いた。
バラとオレンジが華やかに薫る。
このブレンドは他にカモミールが混ぜてあるはず、患者とかをリラックスさせようとするときに淹れるヤツだ。
ライラ姉、予測してたんだなこの状況。
ニコラ様の問に「ふむ」と応じながら、エリーさんはちらりと隣へ目を走らせる。
それから、背もたれに身体を投げ出しながら、ひらひらと片手を振った。
「何故も何も、グレン君にぶった斬られたときに逃げ込んだ先が死にかけ、というかほぼ死んでいる人間だったんだよ。この少女を死なせない代わりに見逃してもらった、というわけさ」
「肉体の損傷も酷く、体力の衰弱も激しく、死ぬ直前だったからな。生命維持にはエリーの魔力と魔術が必要だった」
グレンさんが頷きつつ簡単に補足した。
その傍ら、剣を鞘に納めながら、なお、フレデリカ様の目は鋭く開いたままだ。
「悪魔の居城に人間が居た、というのですか?」
「そのあたりはこっちが聞きたいよ。この子の意識が戻ったら、ね」
片手でお手上げって素ぶりをして、エリーさんはブツブツと「まあ、城の中じゃなくて近くだったんだけれどさ。全くどうやってあんな所まで来たんだか。抜け道とか無いはずなんだけれどなぁ」と独り言を続けた。
その様子をじっと見ていたフレデリカ様の、その目がようやく糸目に戻る。
それ以上追及しても成果は無いと判断したみたいだ。
実際、エリーさんは話す気がなかったら何が何でも空っ惚けるので、正しい判断だと思う。ぼろっぼろ状態のエリーさんを手術したライラ姉は、もしかしたら何かに気付いているかもしれないけれど、少なくとも僕は聞いていない。
(続く)