正義とは
「珍しいな、君が用もなく私の前に現れるとは」
僕の眼前に佇む我らがアルメリア王国の主。
豪華絢爛な王冠と大袈裟とも言える量の髭を携え、目の前にいる者が勇者であろうと、悪人であろうと、妻であろうと、決して揺らぐことのないその佇まい。
僕は膝をつき、顔を床に向けたまま静止していた。
王への謁見を試みたはいいものの僕も自分の考えが分かっていない。
間違っているかも、といった理由でなく、ただ分かっていないのだ。
一体自分が何を考えて、何をしようとしてここへ来たのか。
「……とりあえず、だ。表を上げて楽にせよ、フィーナ・アレクサンド」
「……はっ」
王の言葉にただ従うように膝はついたまま、僕は顔を上げた。
ようやく見た王の顔は、それは優しいものだった。
「ふむ、悩みか?構わぬ、申してみよ」
僕はその言葉にただ唖然とした。
顔を少し見ただけで分かるほどに出ていたのか?
それほど不安を漂わせていたのか?
「……それは」
しかし言葉が出ない。
勇者として生きてきた自分の正義に対する懐疑。
それは指示をしてきた王や、アルメリアに対しての否定にもなりかねないのだから。
その理由が、敵となる悪が親友だったから、などと言うのだから尚更だ。
さらには王の息子であるネザー様や選ばれた勇者のパーティのメアリー、元王国騎士団長ディーンさんも関わってくる話だ。
とても全てを正直に言っていいものだとは思えない。
「……その沈黙は君の友人、ナナシ・バンディットが関係していると判断してよいのだな?」
王の言葉に再び身体が強張る。
なんでもお見通しにされていると考えてしまう。
「……その、通りでございます」
やはり王に嘘はつけない、考えあって故の隠し事ならば出来るかもしれないが、王の気付きに対しての偽りは許されないだろう。
「それだけではなさそうだな、私の息子や聖女がそちら側についたという噂も真実か?」
「……はい」
王の問いに答えつつも、僕は再び顔を下げた。
王の表情を見ることができない、どんな気持ちなのだろう。
自分の子供が悪に染まってしまった、自分の選んだ人間が悪に染まってしまった気持ちは。
「フィーナ・アレクサンドよ。正義とはなんだろうな?」
僕は王の言葉に思わず顔を上げた。
「例えば人を食す魔物を殺すことと、人を襲う人を殺すことはどちらが正しいのだろう?」
「……それは」
王の言葉にまたも言葉を詰まらせる。
まさに自分が考えていたことだったから。
「魔物が人を殺すのが快楽のためであったなら、それを殺すことは正義だろう。
魔物が人を殺すのが彼らが生きるためであったならそれを殺すのは正義だろうか?
では人が人を殺すのは?
怨みつらみもあるだろう、快楽もあるだろう。
しかし、人が人を殺すことが生きるために必要になることはないのではないか?
正義とはなんなのだろうな?フィーナ・アレクサンド。
私たちの自称している正義から外れた人間たちは皆悪人なのだろうか?」
……僕の悩みと同じだ。
王も長く同じようなことを考えていたのだろう。
「……恐れながら申し上げます。
以前会った魔族に、人間しか救わない勇者の何が正義だと言われたことがあります。
人間が人間のために殺した魔物を、人間のことだけを考えて捨てることに対して強く怨みを持った者でした。
僕の友人であるナナシ・バンディットには。
自分たち悪は正義の残骸だと、正義に救われた人間になれずに零れ落ちた暗くて深い不幸の水溜まりだと言われました」
魔族や悪人を理解しろということがどれだけ難しいことか、僕にも分からないわけじゃない。
魔物を殺して食べることだってあるし、魔物の部位を鎧や服として使うこともある。
それを突然やめようと言って皆が皆やめられるわけじゃない。
「アルメリア王!!それはあくまでも机上の考えであります!!」
ヘリオ騎士団長が言葉をはさむ。
それも否定はできない、机上の考えで人の心は学べないのだから。
「その通りだ、ヘリオ騎士団長。しかし、だからといって机上での思考を放棄してもよいというわけでもあるまい。彼らの行動が間違っているとしても、彼らの行動理由の否定など、私たちにはできないのだ」
僕は王の言葉にただただ頭を下げた。
決して感謝などではない、どちらかと言えば落胆と言うべきなのだろう。
僕には分かってしまった。
王の考えが。
「ではどうするのですか!?我々が今まで築き上げてきた正義という名の生き方を悪のために曲げるおつもりで!?」
「そう焦るな、ヘリオ騎士団長。そういった互いの価値観、理由、思考が譲れないのならば手段は限られてくる」
-----あぁ、やはりそうか。
王の言葉に頭を下げたヘリオ騎士団長の口元が緩んでいるのが分かってしまった。
どうやらナナシが言っていたことは真実だったらしい。
そして僕は侮っていた。
王の覚悟を侮っていた。
「戦うこと、それこそが正義の証明方法だ」
王にとって、大事なものを侮っていた。
息子に対する情や、敵が勇者である僕の友人だという事実。
そういったことには然程興味を示さない。
王足るべきは国、王足るべきは民。
王にとってただ重要とされるのはその二つだけなのだ。
「フィーナ・アレクサンド。君には特に受け入れ難いだろう、
過去の仲間を、王である私の息子を、唯一無二の親友を討てという命を下されるなど……」
「いえ」
本来ならば有り得てはいけない。
王の言葉を遮った上、王の言葉を否定するなどということは許されることではない。
だけど譲れない。
この役目は他の誰にも譲らない。
「……フィーナ・アレクサンド。今ほど君を勇者に選んだことを後悔したことはない、まだ成人の儀も終えぬ君にこのような命を下さねばならない無能な王に仕えさせたことを」
「……王、僕はナナシ・バンディットが悪人であると知っていました。それを王や国に報告すべき程の悪人であると。それを僕の判断……いえ、淡い願いのような可能性に縋って彼が悪でなくなり、ただ親友でいてくれることを僕は望んでしまったのです」
初めて、王に本音で話をしている気がする。
懺悔であり、しかしまるで愚痴でも溢すかのような本音だ。
「だから僕はナナシの敵になってしまった。ナナシは僕の敵になろうとしてしまったのです」
「フィーナ・アレクサンド……」
王が小さく僕の名を呼んだ。
まるで可哀想な子供でも呼ぶかのような王らしくないか細い声で。
「ナナシの魔力を前に多勢は無意味です。国はいつも通り、大袈裟に構えずに普段通りにお願いします」
「フィーナ君、悪いが我々騎士団は同行させてもらう。もちろん勇者である君の言う通り、ある程度の選別はした上でだが」
……やはり戦いに乗ってきた。
ヘリオ騎士団長がナナシを恨んでいるというのも事実だということだろう。
彼は自分がナナシを殺さねば満足できないのだろう。
「……分かりました。出来る限り早く出発したいのですぐにでもナナシ、もしくはネザー王子、メアリー・ロッドの魔力感知をお願いします。準備が出来次第、すぐに出ますので」
「うむ!」
準備は整った。
待っててよ、ナナシ。
君が望んだ正義と悪の戦争まで。
僕はこっち側で準備を進めるから。




