悪VS正義 騎士 後
あぁ………懐かしい。
つい最近学園に戻った時、結局兄上と手合わせは出来なかったからな。
兄上の細い剣。
切るということよりも、刺すということに優れた剣。
当然、薙げば斬ることは可能だがな。
僕と同じように、戦いを組み立てるような戦法。
だからこそ兄上は剣技に速さを求めた。
兄上が剣を振るう度にヒュンヒュンと風を煽るような音が舞う。
「どうしたネザー!大きな口を叩いた割に防戦一方じゃないか!」
故に挑発、僕の隙を作るために。
当然、乗ってはやらんが。
「……あぁ、兄上はこれほどだったかと見入ってしまってな」
僕は兄上の剣を捌きながら答えた。
「……今なら、まだ」
「所詮正義か?理解し難い優しさのような毒へ依存する弱い心、やはり悪を選んで正解だったようだ」
兄上の言葉を遮り、剣撃を躱しながら今度は僕が挑発する。
兄上は言葉を返すことはなかったが、剣撃の速度は確かに上がった。
くはは、僕に大して挑発など片腹痛い。
僕が悪に染まり、誰と共にしたと思っている?
心の歪みでは他の追随を許さない。
悪意と憎悪では右に立つ者など存在しない。
間違い続けた男、ナナシ・バンディット。
しかしまあ、最近のディオネを見ているとそうだな。
バンディットは悪にしては些か友情に厚すぎる部分は否定できんがな。
だが奴はそれをも拒絶した。
それをも否定しようとしている。
だからこそ、僕もまだここにいる。
「挑発は終わりか?それもそうか!民にすら言葉も返せぬのだからな!!くはは!!まるで赤子だな!!……む?赤子ですら嫌なことがあれば泣けるではないか!?」
心を折れ、折った心は砕いて捨てろ。
バンディットならばそうするはずだ。
折るならば、殺すまで。
「くはは!赤子ですら気持ちを伝えるできるというのに!!それほど簡単なことも出来ぬ男が正義だと!?」
「………ッ!!!黙れ!!!!!!」
ヒュン!ヒュン!
くはは、一撃一撃が重くなっておるわ。
兄上の剣撃には必要のない力が入っている。
だが、まだだ。
満足するな、ネザー・アルメリア。
まだ心を乱しただけ。
-------心が壊れたわけではない。
「黙れ?僕には言えるのか?民には言えぬというのに?貴様があのような戦いをして、父上と母上が傷ついたことを知らぬのか?」
ヒュン!ヒュン!
ふむ、こうではないか。
挑発というものも改めて自分でやろうとしてみるとなかなか難しいものだ。
「くはは!平民に生まれたかったか?そうすれば民と仲良くできたとでも思っているか?思い上がりも甚だしいな!!」
ヒュン!ヒュン!ヒュン!
また確かに、重く速くなる。
揺れている人の心の、なんと読みやすいことか。
しかし、やはりこうか。
ならばそうだな。
「貴様では民と仲良くなどなれぬ!!平民でも同じ正義を貫くと言ったのは貴様なのだからな!!」
ヒュンッ!!ヒュンッ!!
もう少し、あと少し。
兄上の重く、そして遅くなっていく剣撃で歯を食いしばることで、身体に力が入っていることがわかる。
「そろそろ気付くべきだ!!貴様の正義は民に受け入れられてなどいないことに!!!」
「黙れえええええええ!!!!!!!!」
ヒュンッッ!!!!!
ヒュッ
兄上の放った一段と遅く、一段と重い一撃を躱す。
そして、躱す動きに混ざるように、行動に違和感のないように短剣を放る。
短剣は音も聞こえぬほど静かに、兄上の右肩に突き刺さった。
「ぐっ!!!」
早く鋭い剣技、反撃の機会を与えてこなかったが故の痛みへの不慣れ。
鎧や盾による、ダメージに対する覚悟の少なさ。
そして何より、民に受け入れられなかったことを自分に押し付け、正義に逃げた心の弱さ。
兄上は屈むように地に片膝をついた。
顔を下げ、地を見る。
バンディットと何度か見た、心が折れた人間の形。
「兄上、僕の言ったことは決して挑発のための嘘偽りなどではないぞ。これはただの事実だ、民が必要としているのは正義などではない」
「……ならば……ならば彼らは何を私たちに求めていたんだ!!!私は……それが分からなくて……守るために、強くなろうと」
「そう、それだ兄上」
兄上は顔を上げた。
それだ、兄上。
民が兄上に、正義に求めていたのは。
「強さ、自分たちの平和を守ってくれる強さ。彼らが求めていたのはきっとそれだけだ、正義が強かったから正義の強さが求められた。極論だが自分たちの平穏を守ってくれるなら、彼らはきっと悪にでも魔にでも迷わず縋ることだろう」
これも、僕の本心だ。
きっと大多数の人間は、正義の心など大して持ち合わせていないのだから。
同じように、悪の心もそう持ってはいないだろう。
だからこそ彼らは、曖昧で優しい平和を求めたのだ。
どちらにでも揺れる、人間はどっちにでもなれるという甘えた考えで不安定な真ん中に立つことに慣れてしまっているのだ。
ただそれはきっと、自分たちが生まれるずっと前から。
人間の世界が正義に傾いていたというだけの話。
誰もが悪に立ち向かう正義など求めていない。
誰もが正義に歯向かう悪など求めていない。
そこにはただ、自分たちの幸せに害のある全てが敵だという独善的な考えがあるだけ。
だから人間は魔を拒絶し、悪を裁くのだ。
きっと全ては正義のためなどではなく。
ただ自分たちの平和と幸せのために。
きっと正義も悪も必要なものではないのだろう。
悪の側にいる僕がいうのもなんだがな。
ただきっと、それらがなければ少なくとも。
兄上は騎士になることなく、正義を騙ることもなく。
民と笑顔でいられたことだろう。
バンディットも家族である山賊を殺されることもなかっただろう。
いや、そもそも奴の家族である人間たちが山賊になることもなかっただろう。
世界に勇者などというものは存在せず、人間が住む世界と魔物たちが住む世界は別れてなどいなかっただろう。
僕が望んでいる世界は少なくともそれだ。
バンディットがそこまで先を考えているかは分からんがな。
奴はきっと親友であるアレクサンドや友人であるアルカのことで精一杯だろうしな。
「兄上、僕たちの望む世界は民を不幸にするかもしれない。兄上がその世界が気に入らないと言うのなら、僕は何度でも兄上と戦う。僕には、兄上を殺すことは出来ないようだしな」
それの理由も喰らい尽くすにはもったいない、という気持ちがないとは言わないが。
兄上からの返事はない。
短剣に付与した麻痺毒が効いてきたか?
……言わずとも、聞かずとも、返事は分かっているがな。
「次は貴様たちの番だ。貴様たち正義の反逆を僕は楽しみに待っている」
さあて、僕も向かうとするか。
正義の終わりを見届ける機会など、きっとそうはないだろう。




