月の魔女と薔薇の王子
街の探索中に呼び戻されてしまった私は転送魔法陣を組み立てる。塔の最上部まで転移した。魔法陣を潜り抜けると猫の姿からしなやかさを残して美しい娘の姿に変わる。
「10年ぶりかしら?お久しぶりねお姫様」
《誰がお姫様だ…》
「何処からどう見てもお姫様だけど」
《今回は10年か…?》
「そうね。アイダに娘が生まれたのよ。とても可愛い子だったわ」
顎の下に人差し指を立てて小首を傾げるとプラチナブロンドの髪がさらりと揺れた。薔薇の塔に眠るお姫様。クリスチャン・ラルス・モスティーニュは本当は王子様だ。昏睡状態と意識だけが目覚める状態を500年繰り返していた。
クリスチャンが目覚める条件は、500年前から時が止まってしまったモスティーニュ王国の領地に何者かが侵入した時。目覚めると言っても意識だけで身体は相変わらずピクリとも動かない。
「またあの変態王子が来たのね…」
《あぁ…あいつが領内に入った瞬間に悪寒が走ったぞ》
深紅の薔薇に囲まれてベッドで眠っているハニーブロンドの美しいお姫様を見下ろして、私はゆっくりと久しぶりに意思の疎通ができるクリスチャンの変化を確認した。
「良かったわね。10年経っても老けてないわ」
《おい…ちょっと待て。君はこの10年間、一歩も塔に戻っていなかったのか?》
「ふふっ…私も忙しいのよ」
《いや…まぁ…僕が眠ってしまったらヴィオは一人になるわけだから…街に出るなとは言えない…寂しい思いをさせたくはないからな…》
私はそっとクリスチャンの美しい髪に手を伸ばし、ゆったりと櫛を通す。瞼すらピクリとも動かない美しいお姫様。これでも少しは独りぼっちの魔女の心配をしているようだ。
《しかし…あの変態王子…今回は随分と市街地まで侵入してきてないか?》
「そうね。クリスの顔を一目でも見れば諦めるかなぁと思って」
《はぁ?おいおい、ちょっと待て!あの変態をここまで登らせるつもりか?》
「たまにはいいんじゃない?あの王子は死体愛好家みたいだから、生きて眠っているだけのクリスには興味持たないと思うけど」
事もなげに言いながら私はクリスチャンの前髪を撫で耳の上にに深紅の薔薇を添える。よし綺麗と胸の前で拳を握って満足そうに微笑んだ。
「呪いの解き方もまだ分かってないから、あまり人には会わせたくないけど…」
《そう思うなら、さっさとあの変態を追い出してくれ!》
「でもね…もう城の門くぐっちゃったよ?」
《うわっ!》
クリスチャンの顔を覗き込みながら私はベッドに両肘をついて頬杖をつく。幼い少女のようにも見えるが陽の光が陰ると妖艶な娘にも見える不思議な容姿。
一人で寂しくないかと聞かれれば、それは寂しいと答えるだろう。しかし、完全に呪いを解いて眠りから目覚め王子の姿に戻ったクリスチャンを見てみたいと言う欲。
意識が目覚めた時に私が傍に居なかったら悲しむだろうと言う責任感。
この眠っているだけの哀れな王子様を守ってあげられるのは私だけと言う優越感。
どれも寂しさに比べればワクワクする。
しかし、魔力も持たず死体への執着だけで何度もモスティーニュへ侵入する無謀な変態王子。執念だけは過去最高に褒めたい男だ。