第五話
薄暗い部屋の中……猫背の女性はその胸をさらけ出そうとバスタオルにそっと触れる。
……その時だった。ふたりだけの世界にけたたましい音が鳴り響いたのは。気分を著しく害した猫背の女性は、両手を感情に任せるままに背高の男性の胸元に振り下ろす。
「……っっ糞があああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ぐっっっはあああぁぁぁ!!!」
あまりの激痛にのたうち回る背高の男性。だが、猫背の女性はそんな事を気にも止めず、電気スタンドの側に置いてあるスマートフォンに手を伸ばす。
音の発生源はこのスマートフォンだった。
「……それ、僕のなんだけど……」
猫背の女性は聞く耳を持たず、いまだ鳴り続けるスマートフォンの画面を確認し、激しく舌打ちするとスマートフォンを耳にあて、勝手に電話に出る。
「死んだ」
猫背の女性はそう言い電話を切ると、高々と手を上げ、後ろにあるゴミ箱目掛けてスマートフォンを放り投げる。
「ねぇ……今の電話、上司からでしょ?」
「死なせとけ。あんな糞上司」
ふたりだけの世界を破壊され、立腹する猫背の女性。……だが、背高の男性のスマートフォンは、ゴミ箱の中から猫背の女性の神経を逆撫でするように鳴り続ける。
「があああぁぁぁ!!! さっきから馬鹿五月蝿ぇぞ!! この糞スマホがあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
猫背の女性は感情の赴くままにゴミ箱に手を入れ、スマートフォンを鷲掴むと、腕を振り上げ床に叩き突けようとする。
「あー!! 待って! 待って!! 少し落ち着いて、ね……?」
だが、背高の男性は何とか猫背の女性の腕を抑える。
「てめ……! 何しやがる!! 離しやがれ! あ! こら……」
そして、済んでのところでスマートフォンを回収する。
「……あー……良かった。もうちょっとで僕のスマホ、壊される所だった」
「全っっ然良く無ぇ! そのスマホ、こっちによこしやがれ!!」
背高の男性は、背中にのし掛かかり手を伸ばしてくる猫背の女性からスマートフォンを守りつつ、電話に出てしまう。
「……はい。もしもし? ああ、お疲れ様です」
「あ! てめぇ!! 何やってんだ!! さっさと電話切りやがれ!!」
尚も背高の男性にのし掛かる猫背の女性。背高の男性は少しずつ身体が丸まって行くが、それでもきちんと電話に応対してしまう。
「え……? 隣の部署の東西左右君が納品したプログラムにバグが出たから、一緒に対処して欲しい……?」
「自分で何とかしやがれ」
背高の男性の背後から、電話に向かって猫背の女性は辛辣な言葉を投げ掛けるが、背高の男性はそれを断腸の想いで聞き流し二つ返事で引き受ける。
「解りました、直ぐ行きます。」
「おいいいいぃぃぃぃ!!!!!」
自分の気持ちを汲み取らない背高の男性の首を、猫背の女性は思わず手をかけてしまう。
「ぐえええぇぇぇ!!!」
スマートフォンを持っている反対の手で、猫背の女性の手を必死にタップする背高の男性。落ちる寸前で猫背の女性の両手から解放される。
「……死……死ぬかと思った……」
猫背の女性は背高の男性に背中を見せると、行き場の失った怒りをぶつけるように、両腕を幾度もベッドに叩き突ける。
「ふざけんな! ふざけんなああぁぁ!! お前ぇ!! 何仕事引き受けてんだああぁぁ!!」
「ちょっ……! お、落ち着いて……」
背高の男性は、暴れる猫背の女性を何とか落ち着かせようと、後ろから抱きしめる。そして頭を優しく撫で、申し訳なさそうにこう言った。
「……仕事は僕一人で行ってくるから、君は家で休んでてよ」
気持ちが少しずつ収まってきた猫背の女性。背高の男性に撫でられながら、言葉を返す。
「そんな事……出来るわけねえだろ……」
猫背の女性は両手を使い、名残惜しく背高の男性の腕を振り払うと、ベッドを下りて部屋の角にあるクローゼットに足を向ける。
「何やってんだ。とっとと会社に戻るぞ。ボケ」
「……今準備するよ」
背高の男性はそう言うと、ベッドから下りて猫背の女性の元に向かう。
「……あの糞上司、会社行ったら頭皮中の毛ぇむしって、深紅のお髪生やさせてやる」
「……穏便に済ませてね……?」
ふたりは仕事着に身を包むと、玄関に向かい上着を纏う。そして靴を履き外に出ると、恋人繋ぎで職場に向かった。