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彼女が聖女になった理由(ワケ)  作者: 山川空海
シャ・ノワールと少女の涙
8/15

子育て

 家に猫がやって来たのは良いが、まだ目も開き切っていない子猫である。

 人間の赤ん坊の様に頻繁にミルクを与え、更には自分で排泄も出来ない為、その世話もしなくてはならない。

 あくる朝、初めての育児に目と口が半開きのまま固まっているヒスイを見て、朝の支度を済ませた父親が声を掛けた。


「大丈夫か?」


 恰幅の良い父親の丸いお腹を眺めながら、ヒスイは少しだけ口角を上げる。


「うん、大丈夫よ。問題無いわ」


 どう見ても問題大有りだ。

 恐らく昨晩、彼女は一睡もしていない。


「四六時中見張ってなくても良いんだぞ。猫が寝てる間はお前も寝て、飯を食え」

「でも、私が寝てる間に何かあったらどうするの」

「あのな」


 父親は、パンを片手に猫の入れられた木箱を挟んで、娘と向かい合う。


「そうやって無理をしてお前が倒れたら、誰がこの子の面倒を見るんだ」

「父さんが」

「……うん?」

「冗談よ、この位で倒れないわ。私、結構丈夫だし」


 任せて、とでも言いたげな娘に、彼はこめかみを押さえた。

 猫を飼う事を許可したのは、確かに彼自身だ。

 彼も農場で動物に囲まれて暮らしていただけあって、動物が好きだった。

 農場を手放す際に、飼っていた動物達も纏めて引き渡し、世話を焼く相手がいなくて寂しかったのもある。

 何より彼は、誰かの手助け無しには生きて行けない子猫を前に、捨てて来いときっぱり言える非情な人間ではなかった。

 但し、猫と娘を天秤にかけて、猫に傾く事は決して無い。

 どう叱ってやろうかと口を結んだ彼は、ふと随分前にあった出来事を思い出す。

 目の前にいる娘が、まだ生まれたばかりの頃だ。


「お前が赤ん坊の頃、同じ事を母さんに言われたよ」


 え、と瞬きをするヒスイの口に、彼はパンを捻じ込んだ。

 あの時も言葉で説得し切れずに、彼は同じくパンを妻の口に捻じ込んだのだ。

 彼は言った。


「まあ、猫だから付きっ切りなのは一週間程度の事だろう。これから先、自分の子供が出来た時の予行練習だと思って頑張れよ。父さんは仕事に行って来る」


 ヒスイは口をモゴモゴさせながら頷く。

 その頭を軽く撫でて、彼は箱の中身を覗き込んだ。


「なあ。こいつ、こんなに大きかったか?」

「ん?」


 パンを何とか飲み下したヒスイも、改めて猫を眺める。

 猫は柔らかい布の上で、すやすやと眠っていた。


「こんなもんじゃなかった?」

「そうか? 俺の勘違いかな」


 首を捻りつつ、彼は立ち上がる。


「じゃあ、行って来る。少しでも、休める時に休むんだぞ」

「うん。お昼前にはジェイドが来るって言ってたから、来たら休ませてもらうわね」


 彼は、玄関を出ようとして足を止めた。

 初めに猫を拾って、引き取ったヒスイに世話の仕方まで教えてくれたのがジェイド・グリーンなる男だと、聞いてはいる。

 先日、ヒスイが行った料理教室の講師にして、バル・キングフィッシャーの店主、更には領主の娘、アン・ダゴンの騎士であるらしい。

 料理教室は食材調達が出来ず流れたが、後日食べさせてもらった魔物料理は大層美味だったとの話だ。

 それ以降、娘は彼の店を手伝っているらしい。


「おい。大丈夫なのか、その男」


 眉を寄せた父親に、ヒスイは笑って見せた。


「大丈夫よ。あの人、もふもふしてないものに興味無いから」


 その判断基準は甚だ疑問だったが、生憎問い質している時間は無い。


「まあ、今度きちんと挨拶させてくれ」


 そう言い残して、彼は今度こそ玄関から外へ出た。



 ***



「そんな所で涎を垂らしてないで、ベッドで少し寝て来たらどうですか」


 木箱の前で船を漕いでいたヒスイは、その声に思い切り肩を震わせた。

 顔を上げると、呆れ顔のジェイドが目の前にいる。


「あー、来てたの」

「ノックをしても反応が無いので、勝手に上がらせてもらいました。もしかして、ずっと起きてたんですか?」

「らって、この子見てなきゃらし」


 ヒスイの目は半分閉じたままだし、呂律も回っていない。

 ジェイドは息を吐いた。 


「君が倒れたら、誰が猫の面倒を見るんですか」


 閉じかけていた目を見開くと、ヒスイは小さく笑い声を上げる。


「ンフフ、父さんと同じ事言ってる」


 ジェイドは眉を寄せた。


「そうでしょうね。お父様も君のそんな姿を見れば、さぞ心配でしょう」

「ジェイドも心配?」


 とろりとした目で小首を傾げたヒスイに、ジェイドは言葉を詰まらせる。

 視線を外して答えは出さないまま、ジェイドはヒスイの腕を取って立たせた。


「寝室はどちらですか?」


 あっち、と階段の上を指すヒスイの背中に、ジェイドは手を添えた。


「ほら、行きますよ」

「んー。ナイト、おかあさんはちょっと寝て来るから、良い子にしてるのよ」


 箱の中身に手を振って、ヒスイは歩き出す。

 ジェイドは老人を介助する様にヒスイをベッドまでエスコートし、寝かせて布団を掛けた。


「ナイトをよろしくね」

「ええ、任せてください」


 瞳を閉じたヒスイは、直ぐに寝息を立て始める。

 両手を頭の横に置くその姿は、まるで小さな子供だ。

 ジェイドは息を吐いた。


「こんな子供に、してやられるとは」


 自分の左手を右手で包み込む。

 そこに光る指輪の事は、この一週間で粗方調べ上げていた。

神聖な(セイクリッド)る契約(・エンゲージ)

 光魔法の一つで、対象をその意思と無関係に隷属させ、闇の属性を封じる効力を持つ。

 それを具現化したものが、左手薬指の指輪だ。

 指輪の材質は多岐に渡るが、魔法の具現化である為、物理的にそれを取り除く事は不可能である。

 指輪を嵌める指の無い動物や魔物であれば首輪の形を、実体を持たない精霊には、それを閉じ込める壺や瓶の形を取る。

 但し、相手の魔力が使用者より強ければ、この魔法は効力を発揮しない。

 つまる所この指輪は、ヒスイがジェイドの魔力を上回る事を示していた。

 こんな小娘に魔力で劣るなど、どれだけうず高く積んだプライドであろうと、一息で塵と消える。

 しかも、公言してはいないがジェイドの中に存在していた筈の闇の属性が、今は欠片も感じられなかった。

 闇属性の魔法は日常生活にこそ必要無いが、戦闘時には非常に有効である。

 それを見込まれ、ジェイドはアンに専属の騎士として雇われたのだ。

 闇属性の魔法が使えないまま、もし何かが起きた時、ジェイドにはアンを守り切れる自信が無い。

 渋々受けた騎士と言う仕事ではあるが、引き受けたからにはきっちりこなしたかった。

 その為に、指輪は邪魔でしかないのだ。

 無邪気に眠るヒスイを眺めて、ジェイドはもう一つ息を吐く。

 その頬にかかった髪を、指でそっと払ってやった。

 今、彼女の寝首を掻く事は容易く見える。

 しかし、指輪が隷属の魔法の具現化である以上、手出しは出来まい。

 何より、アンがそれを許す筈が無い。

 ジェイドより強い魔力の持ち主であり、その上母親が、ドラゴンを倒した聖女ルシアだと言う。

 アンはヒスイを仲間に引き入れようと躍起だ。

 婚期が遠退くからと嫌がるヒスイに、ジェイドを当てがおうとしてまで。

 それを回避する為にも、この指輪をなんとか外さなければならない。

 ジェイドは踵を返した。


「それはさて置き、今は子猫の毛を堪能するとしましょうか」

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― 新着の感想 ―
[良い点] >あくる朝、初めての育児に目と口が半開きのまま固まっている お母さん‼︎お疲れ様です……といいたくなるような体験を交えているであろう(子猫の)子育てシーンがリアルな感じで良かったです。 …
[良い点] 隷属……? はっ! 下僕って事ですね?! 良きかな良きかな~(変態) でもジェイドの闇魔法が使えなくなってしまって、困ったことになったらどうするんでしょう。そしてアンは意外としたたか? …
[一言] 隷属。いけない妄想が広がりそうです。しかもヒスイちゃんはジェイドより強い。これは、タイトルとも相まってどう転がっていくのか楽しみです。
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