表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女が聖女になった理由(ワケ)  作者: 山川空海
マンティコアと魔物の森
6/15

酒場にて

 その数日後、ヒスイはバル・キングフィッシャーの前にいた。

 今日は、店の前に『料理教室→コチラ』の立て看板は無い。

 ヒスイがドアを開けると、ドアベルがカラカラと音を鳴らした。

 カウンターの向こうで、ジェイドがグラスを片付けている。


「すみません、まだ開いてないんですよ」


 言いながら首を巡らせたジェイドは、そこにヒスイの姿を認めて目を見張った。


「君でしたか」


 ヒスイは愛想笑いを見せる。


「こんにちは」


 おずおずと店に足を踏み入れるヒスイを、ジェイドはカウンターから出て迎えた。

 店内をキョロキョロ見回しながら、ヒスイは言う。


「今日、ジャスパーはいないの?」

「ええ、森に出掛けています」

「ふうん」


 店内に二人きりである事に、ヒスイは妙に緊張した。

 その様子に、ジェイドが怪訝な顔をする。


「どうしたんですか。何かありました?」

「えっと」


 ヒスイは、ギュッと目を瞑ると深く息を吸う。

 そして勢い良く頭を下げた。


「ごめんなさい!」


 少しだけ顔を上げて、ヒスイはジェイドの左手を指差す。


「それを外す方法、どうしても分からなかったの。引っ越しの時に紙で出来たものは全部処分しちゃったし、何も手掛かりが残ってなくて。男の人の左手薬指に指輪嵌めちゃったなんて、父に言う訳にも行かないし」


 もう一度、ヒスイはごめんなさいと深く頭を下げた。

 ジェイドは自分の左手薬指を見遣る。

 鈍い輝きを放つ翡翠の指輪が、存在を主張していた。

 街に帰ってから、色々な方法で指輪を外そうと試みたヒスイである。

 しかし、温めても冷やしても石鹸を使ってみても、勿論ヒスイの知る範囲の魔法を使っても、指輪は外れなかった。

 トンカチを持って来て割ろうとした時は、ジェイドも流石に「私の手ごと砕くつもりですか」と止めたのだが、魔法で作られたものだ。トンカチ如きで割れる訳がない。

 そこでヒスイは、この魔法を解く手掛かりが家に無いかと探していたのであった。

 それが空振りに終わり、今に至る。

 悲痛な面持ちのヒスイにいっそ憐憫の情が湧いて、ジェイドは軽く息を吐いた。


「まあ、これを取る方法は追々探しますよ」

「でも、困ってない?」

「困ってない訳じゃありませんが」


 店の常連にはいつの間に結婚したのかと驚かれ、仕入れ先のおかみさんには相手は誰だと問い詰められ、アンには早く結婚なさってくださいねと言われ、ジャスパーにすら、もう諦めて結婚しろよと言われ、他にもいくつか問題は起きていたが、それはヒスイに心配されても仕方が無い。


「まあ、大丈夫ですよ。それよりも」


 ジェイドは笑みを作った。


「魔物料理を食べた事はありますか?」

「無いけど。どうして?」


 魔物は狩る事の出来る人間が限られている為、希少である。

 その肉を口に出来るのは貴族よりも上の身分の者か、たまたまその辺に転がっていた死体を発見した者位だ。

 ヒスイが魔物料理を食べた事が無くても、全くおかしな話ではなかった。

 ジェイドは言う。


「わざわざ魔物料理の教室に参加したのに、魔物料理を食べていないのはとても勿体無いと思うんですよ。良かったら、食べてみませんか?」

「え、良いの?」


 目を丸くするヒスイに、ジェイドは頷いた。


「勿論です。そこに座って待っていてください」


 椅子の一つを指してから、ジェイドは奥の扉の向こうに消える。

 ヒスイは椅子に座り、どんな料理が出て来るのか考えてみた。

 グロテスクな魔物の首がドーンと皿に盛られた一品か、謎の臓物が煮込まれたこの世のものとは思えない色のスープか、はたまた巨大な骨付き肉のローストか。

 最後の一つ以外は出て来ても遠慮しよう、とヒスイが心に決めている内に、ジェイドが戻って来た。

 彼は、掌程の大きさの深い器を盆に載せている。

 その器が、ナプキンと什器に続いてヒスイの前に置かれた。


「どうぞ、マンティコアのテールスープです」


 ヒスイはジェイドを仰ぎ見る。


「マンティコアって」

「実は、城に肉を供出した時に、尻尾だけここに残しておいたんですよ。尻尾は下拵えにも調理にも時間がかかります。城では捨てられるだけだと思ったので」

「良かったの、そんな事して」

「どうせ捨てられるなら、ここで誰かに食べてもらう方が良いに決まっています。ほら、冷めない内にどうぞ」


 ヒスイは器の中を覗き込んだ。

 澄んだ琥珀色のスープと、そこにたゆたう円柱状の白い塊がいくつか見える。

 スプーンでスープを掬って口に運んでみた。


「あっつ!」


 ジェイドが呆れた顔をする。


「温かいものを口にする時の事を、少しは学習してください」

「……はい」


 今度は、慎重に息を吹き掛けてからスープを口に入れた。

 澄んだ見た目に似合わぬ濃厚な旨味が、程良い塩気と共に舌を刺激する。

 それでいて、飲み口はすっきり、喉越しは柔らかだ。

 温かさが喉から胃に伝わって、ヒスイは思わず感嘆の声を漏らした。

 続いて、スープの中を泳ぐ白い塊を口に運ぶ。

 歯応えはありながら、噛むとほろほろ口の中で解け、溶けて無くなる様に喉に入った。

 今までにヒスイが体験した事の無い感覚だ。

 手を止めて、ヒスイはジェイドを見つめる。


「魔物って、こんなに美味しいの?」


 その反応に、ジェイドは満足気だ。


「このマンティコアの尻尾は、手間を掛ければ掛ける程美味しいと言われます。外皮を剥いで一日水に晒し、三日間灰汁を取りながら煮込んだものが、それですよ」


 この味も食感も、それだけの手間をかけてこそなのだろう。


「そんな手間をかけたものを、どうして私に食べさせてくれたの?」

「言ったでしょう、魔物料理を食べないのは勿体無いと。魔物の味を知って欲しかったんですよ」


 それが本心かどうかヒスイには分からなかったが、このスープが美味しいのは紛れもない事実だ。

 ヒスイはここにやって来た時とは違う、会心の笑みを浮かべた。


「ありがとう、とっても美味しい」


 ジェイドは一瞬戸惑う様に目を見開いたが、直ぐに口角を上げる。


「こちらこそ、気に入ってくれてありがとうございます」


 ヒスイは残りのスープを平らげると、満足そうにお腹をさすった。

 そこである事を思い出す。


「そう言えば、アンから家に手紙が来たのよ」


 ヒスイがポケットを探って取り出したのは、高級そうな紙の束だった。


「教えてないと思ったけど、何で私の家の場所を知ってたのかしら」


 料理教室の日に、アンが暗くなったからと、ジェイドにヒスイを家まで送らせたのだ。

 ヒスイの家の場所が筒抜けなのは、当然である。


「手紙の内容はどうでした?」

「今日こんな事があったよ、とかそんな感じ」


 他愛も無い内容らしい。


「でも、最後に指輪の相手と進展はあったかって書いてあるの。あれからまだ三日しか経ってないのに、勘弁して欲しかったわ」


 ジェイドは苦笑する。


「彼女も、新たな友人が出来て嬉しいのでしょう。手紙には付き合ってあげてください。指輪の話は、外れるまでの辛抱ですから」

「そうね。私もこの街に来て初めての友達だし、アンは面白いから好きよ。指輪を外す方法、早く探さなきゃだわ」


 頑張ろう、と決意を新たにしたヒスイは、勢い良く立ち上がって言った。


「スープご馳走様。お代は?」

「要りませんよ。作った量が少ないので、店では出せませんし」

「それじゃあ、料理教室代として受け取ってよ」

「料理教室は中止になりましたから、お代は必要ありません」

「えー、でも」

「そんなに気にするなら、今度店を手伝ってくれませんか。女手があると喜ぶお客様もいますので」

「分かったわ、任せといて!」


 元気にそう言って、ヒスイは店を後にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 指輪になる魔法。すてきです。どういう意図の魔法だったんでしょう。それに気づいていくのでしょうね。 そしてなんと手の込んだスープなんでしょ。おいしそう。やはり、ジェイドに料理を全て任せたい。毎…
[一言] マンティコアのしっぽって、さそりでしたっけか? 毒針がなければ甲殻類のようなうま味があるんだろうか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ