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彼女が聖女になった理由(ワケ)  作者: 山川空海
マンティコアと魔物の森
4/15

魔物

 初めにその気配を察したのは、馬車に繋がれた馬だった。

 いななき、落ち着きを無くした二頭の馬を、パンを咥えたままのジャスパーが宥めにかかる。

 作り終えたサンドイッチをアンとヒスイに手渡し、ジェイドも立ち上がった。


「二人は馬車の中へ。ジャスパー、馬は大丈夫ですか」

「ああ、落ち着いた」

「では行ってください」

「了解」


 馬車からなるべく離れた位置に移動しながら、ジェイドは森の中に向けて言う。


「そんな所にいないで、出て来てはいかがですか」


 その声を受けてか、獲物の的を絞ったのか、それは陽の光の当たる場所へ姿を表した。

 赤い毛に全身を覆われた、人間よりも二回りは大きな獣だ。

 頭から首筋にかけて、見事なたてがみを生やしている。

 ヒスイが幼い頃、一度サーカスで見た事のあるライオンに似た姿だが、その顔は人間に似て扁平で、その尻尾は節のある殻に覆われ、先端が鉤状に尖っていた。

 その姿を目の当たりにして、ジェイドが何故か恍惚の表情を浮かべる。


「いつ見ても、雄のマンティコアのたてがみは素敵ですねえ。是非とも触らせていただきたい」


 マンティコア、そう呼ばれた獣は喉から低い声を響かせながら、ゆっくりとジェイドに詰め寄った。

 その隙に、馬車に辿り着いた二人を乗せて、ジャスパーは馬に鞭を振るう。


「ち、ちょっと!」


 馬車を森に突入させるジャスパーに、ヒスイが叫んだ。


「あの人ここに置いてくの!」

「そうだ。あいつ一人で充分だからな」

「何が充分なの!」


 マンティコアに食べられるのは、一人で充分だとでも言うのだろうか。

 しかし、ちらりとヒスイを振り返ったジャスパーの顔には、余裕の笑みが見える。


「あいつ一人で倒せる。心配するな、俺達が傍にいると逆に邪魔なんだよ」

「そんな事言われても」


 憮然とするヒスイに、アンが言った。


「大丈夫ですわ、彼はとても強いんですの。ジェイド・グリーンと言う名前、聞いた事がありません?」


 無い。

 彼は、ただの魔物料理研究家ではないのか。

 首を振ったヒスイを、アンはおかしそうに見る。

 この状況で何故笑えるのか分からないヒスイは、眉間に皺を寄せた。


「そうですわね、知らなくて当たり前でしたわ。緘口令を出させたのはわたくしでした」


 サンドイッチは手放さずに居住まいを正したアンは、ヒスイにもこちらに向き直る様促す。

 ヒスイもサンドイッチを手にしたまま座り直すと、アンは口を開いた。


「確か一年半前ね。街にワームの侵入を許した事がありましたの。その時、彼はたった一人でワームを綺麗に輪切りにして見せたのですわ。彼が強いのはお分かりいただけて?」

「ワームって、でっかいミミズみたいな魔物?」


 森の近くの農村に、たまに顔を出しては村人総出で退治され、畑の肥やしにされる魔物ならばヒスイも知っている。

 人間の胴体より太く、大人三人分の長さだが、魔力を持たない人間でも寄って集れば倒せる魔物である。

 それを一人で倒したならば、強いとは言えるが余りパッとしない。

 しかしアンは首を振った。


「あの時現れたのは、ドラゴンの仲間の方でしたわ。硬い鱗に覆われた、大きな蛇でしたの」

「そっちなの?」


 前述のワームの二倍はある魔物だ。

 どこかの街が襲われ、全滅しかけたと言う話もある。

 それを一人で倒したとなれば、王都の騎士にでもなっている程の腕前ではなかろうか。


「そんな人が、どうして酒場なんかやってるの?」


 素朴な疑問に、アンは頷く。


「その時に、わたくしの騎士として仕える約束をしましたのよ。普段は好きにして良いと言ったら、酒場を始めてしまったのですわ」


 ジェイドの酒場経営はアンにとっても予想外だった様だが、それ以前にヒスイは、彼が彼女の騎士となった経緯が気になった。

 ジェイドは、一筋縄で人の言う事を聞く人間に思えない。

 しかし、問いを口にする前に、ジャスパーが情けない声を上げた。


「おかしいな、ここどこだ?」


 ヒスイはギョッと振り返り、アンはあらあら、と頬に手をやる。


「ここ、森のど真ん中よね! 迷ったの? どうすれば良いの!」

「ヒスイ、落ち着くんですのよ。サンドイッチでもお食べになって」


 そんな事してる場合か、と言いかけたヒスイの口に、サンドイッチが捻じ込まれた。

 モゴモゴと咀嚼すると、肉の旨味とチーズの塩気が口の中に広がる。


「美味しい」

「でしょう? ジェイドの料理の腕前は、城のお抱えシェフよりも良いと思いますのよ」


 城のお抱えシェフの腕前をヒスイは知らないが、目の前のサンドイッチが美味しいのは確かだ。

 取り急ぎそれを平らげてから、ヒスイは改めてジャスパーを振り返った。


「方角の見当も付かないの?」

「馬車と歩きって景色が違うもんだな。全然違う森に見える」


 呑気にそんな事を言うジャスパーには、焦りの色も不安も見えない。

 アンも心配している様子は無い。

 二人が落ち着いているなら大丈夫なのだろう。

 ヒスイはようやく心に余裕を持てた。


「そんな時は、真っ直ぐ進むのよ。真っ直ぐ進めば、必ず光は見えて来る!」


 ヒスイは人差し指をビシッと前方に向ける。

 それを見遣って、ジャスパーが笑った。


「だな、真っ直ぐ進むか」


 アンも笑って、自分のサンドイッチを平らげる。

 それから幾ばくもしない内に、馬車が大きく揺れた。

 何かを踏んだ様だ。

 左手でのそりと影が蠢く。

 三人は一様にそちらを向いた。


「ワームだ」

「ワームね」

「ワームですわ」


 鱗に覆われた青黒い肢体をくねらせて、口からチロチロと二股の青い舌を覗かせながら、大蛇が黒い瞳でこちらを見据えている。

 大蛇は馬車ごと三人を呑み込もうとでも言う様に、大きな口を開けた。


「逃げるぞ、掴まれ!」


 馬車が軋みながらスピードを上げる。

 馬車の背後スレスレで、ガチンと蛇が顎を閉じる音がした。

 ヒスイは蒼ざめてアンを見る。

 しかし、今度はアンも顔を引き攣らせていた。

 馬車は蛇行を繰り返し、その度に蛇の顎が鳴る音が響く。

 二人は馬車の中で必死に踏ん張るしかなかった。

 ジャスパーの目が前方に光を捉える。

 更にスピードを上げ、馬車はそこに向かった。

 視界が開けると、マンティコアと対峙するジェイドの姿が眼前に現れる。


「まずい、避けろジェイド!」


 振り向いたジェイドに、文字通り馬車が突っ込んで来た。

 すんでの所で飛び退ったジェイドを掠めて、馬車は横転する。

 それに巻き込まれて、マンティコアが吹っ飛んだ。


「何をやってるんですか、ジャスパー」


 立ち上がって服に着いた汚れを払いながら、ジェイドが言う。

 馬と一緒に転がっていたジャスパーは、起き上がって唇を尖らせた。


「そっちこそ、まだ決着付いてなかったのかよ」

「毛皮と肉を傷付けない様、慎重にやってたんですよ。台無しですが」


 倒れたまま動かないマンティコアを見遣って、ジェイドは溜め息を吐く。

 ジャスパーは肩を竦めてから、ジェイドの背後を指差した。


「ついでだから、あれも片付けてくれ」


 背後の邪悪な気配に、ジェイドは息を吐く。


「仕方ないですね。良いでしょう、私がお相手します」


 ジェイドは鎌首をもたげる大蛇に背を向けたまま、右手を挙げた。

 彼の周囲で、何かが無数に小さく煌めく。

 それらは、見る間に大人の親指程の大きさにまで成長した。

 鋭く尖った氷の刃だ。

 ジェイドが一度下ろした腕を横に振るうと、それらは一斉に大蛇を襲う。

 大蛇はその身で氷塊の群れを薙ぎ払った。

 しかし次の瞬間、大蛇はその動きを止める。

 ジェイドがその腹に手を触れたからだ。


「毛が無い動物に、興味は無いんですよ」


 ピシ、と小さな音と共に額がひび割れても、大蛇はピクリともしない。

 その全身は、程無く霜に覆われてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 森の描写が分かりやすい!景色が目に浮かぶようでした。 アン、いい人ですね(*´ω`*)ヒスイとのやり取りにほっこりしました。 ジェイド、格好いいです!(*≧∀≦*)「毛がない動物に興味…
[一言] 毛がない動物に興味はない。名言いただきました。 そしてジェイド強い。騎士様なんですね。でもまだ謎も多いですねー。
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