晩餐
二人は連れ立って店を出た。
外は、陽が落ちると身震いする位に気温が下がる。
しかし、ジャスパーは相変わらず袖の無い服を着ていた。
「寒くないの、ジャスパー」
「ああ、別に。鍛えてるからな」
「そ、そう」
お前も鍛えろなどと言われない様に、ヒスイは話題を変える。
「その像、持ち歩かなくても良いんじゃないかと思うんだけど」
「これか?」
大事そうに四六時中背負っているし、細長い形をしているしで、英雄の剣ではないかと疑ったヒスイだ。
更には、ジャスパーが英雄の神木から選ばれた勇者なのでは、とまで考えていた。
その推測は見事に外れたが、森で彫像を拾ったと言う彼が、何故それを持ち歩いているのかは謎のままだ。
「重そうだし、お店にでも飾っておけば良いのに」
ジャスパーは口角を上げる。
「確かに重いな。だから身体を鍛えるには丁度良い」
どうやら、話題を変えようとした筈が、変える事が出来なかったらしい。
ヒスイが困っているのを気にも留めず、ジャスパーは続けた。
「それに、こいつの持ち主が、いつ現れるか分からないしな」
「持ち主?」
「そうだ。落ちてたって事は、落とした奴がいる筈だろ。それを探してるんだよ。それらしい奴がいた時、持ってれば直ぐに見せられるだろ」
それらしい人を見付けたら、店まで連れて来れば良いだけの話ではないのか。
ヒスイはそう思ったが、ジャスパーは違うらしい。
「持ち主が、人間とは限らないしな」
思いもよらないその言葉に、ヒスイは顔を上げた。
「そっか。森で拾ったなら、魔物が落とした可能性もあるのよね」
魔物とは、人間以外で魔力を持つ生物の総称である。
魔力の作用で、大きさが桁違いだったり、成長の早さが異常に早かったりする生物もいる。
ヒスイが森へ返した黒猫が、正にそれだ。
マンティコアやコカトリスの様に、普通の生物では考えられない容姿の生物もいる。
中には魔法を駆使し、高い知性を備えた輩も存在する、などと言う伝説もある。
英雄の神木が本当の話なら、ヒスイ達が知らないだけで、悪魔や邪神もいるのだろう。
そう言った輩が彫像を持っていたとしても、何ら不思議は無い。
「それで、いつも森に行ってるのね」
「まあな。それもあるが」
ジャスパーは空を仰ぐ。
「森は、居心地が良いんだ。他の奴等は恐ろしい魔物がいるからって近寄ろうとしないが、魔物にだって色々いる。人間を食べる奴等ばっかりじゃないんだぜ」
釣られて、ヒスイも空を見上げた。
そこに輝く星達の美しさに、目を細める。
ジャスパーの言う事は、本当なのだろう。
恩返しをしてくれた黒猫に、それを届けてくれたケット・シー。
そんな生き物が、森の中にはきっと、他にもいるに違いない。
「そんな事を思う俺も、実は人間の姿をした魔物かも知れねえけどな」
「やだ、それ笑えないわ」
そう言いつつも笑ったヒスイは、石畳の段差に足を取られる。
バランスを崩して前に倒れるヒスイの身体を、ジャスパーが抱き留めた。
「おいおい。気を付けてくれよ、お嬢さん」
彼の太い腕に救われたヒスイは、しかし妙な表情をしている。
「どうした?」
ジャスパーが聞くと、ヒスイは慌ててジャスパーから離れた。
「あ、ありがとう」
「いや、大丈夫か?」
「うん。あ、うち、そこだから。送ってくれてありがとう、じゃあお休みなさい!」
早口でそう言ったヒスイは、くるりと踵を返して駆け出す。
そして二軒先の家の戸を開けると、振り返って手を振り、中へ入って行った。
手を振り返したジャスパーは、その手を下ろさぬまま首を捻る。
「俺、何かやらかしたか?」
***
翌日。
バル・キングフィッシャーには、不機嫌なジェイドと、それを宥めるジャスパーの姿があった。
「だから悪かったって。次からは、メモの一つなりドアに貼っとくから」
「ええ、是非そうしていただきたいものです。お陰様で、大騒ぎでしたから」
ジャスパーがヒスイと店を出てからジェイドが店に戻るまでの間に、一人の客が店に現れた。
週に一度は顔を見せるその客は、いつも出迎えてくれる二人がいない事を不審に思い、たまたま見回りで外を通りかかった衛兵を呼び止める。
その衛兵もたまたま店の馴染みだった為、近隣の住民に声を掛けて情報提供を呼び掛けたのだ。
人当たりが良く、良い印象しかないジェイドと、いつの間にか店に居つき、客と仲良く酒を酌み交わすジャスパーが消えたとあって、ご近所さん達は色めき立った。
そこにたまたま自警団の団長も居合わせたので、団員が集められ、捜索が開始されようとしていた。
騒ぎに気付かぬまま店に戻ったジェイドは、その光景に唖然とする。
呆気なく解決した事件に、初めの客も衛兵も自警団もその他ご近所さん達も、胸を撫で下ろすと同時に、店を空けるなら何故一言言わないのかと不満を露わにした。
その場を収める為、ジェイドはその場にいた全員に、酒と料理を振る舞う羽目になる。
程無く戻ったジャスパーは、勿論彼らと共に呑み騒いだ。
店内はこれまでに無い程の盛り上がりを見せたが、ジェイドの表情がこれまでに無く冷たかったのも事実である。
「お陰様で店は今月、大赤字間違い無しです。ただでさえ、一人分の酒代回収の目処が立たないのに」
「いや、ホント悪かったと思ってるから」
ジャスパーが謝り倒している所にヒスイがやって来て、目を丸くした。
「こんにちは。どうしたの、店の中が大変な事になってるけど」
店の中はまだ酒瓶が転がったまま、料理も食べ散らかされたままだ。
普段ならジェイドがこの惨状を許さないが、今日はジャスパーに片付けさせようと放っておいた。
しかし、明け方まで騒いでいたジャスパーが今し方目を覚まし、今に至る。
ジェイドは氷の様な目でジャスパーを見遣った。
「大丈夫ですよ。これから彼が綺麗にしてくれるので」
「あ、ああ。今から片付けるよ」
ジャスパーは立ち上がると、その辺に散らばった酒瓶を拾い始める。
それを少し気の毒そうに眺めてから、ヒスイはジェイドに目を遣った。
「何があったの?」
「彼が君を家まで送っている間に、ちょっとしたトラブルがありましてね」
「そうなの? やっぱり送ってもらわなきゃ良かったかしら」
「君が気にする事ではありません。彼がメモの一つも残して出ていれば、防げた事ですから」
「でも、あなたも向こうに行ったきり戻って来なかったじゃない。一体何をしてたの?」
「君のお父様に、先日のお礼をと思って酒を探していたんです。珍しい種類のものなので喜んで貰えるかと。貯蔵庫に置いておいた筈が、見付け出すのに手間取ってしまって」
「父さんに?」
首を傾げたヒスイに、ジェイドは頷く。
「見付けて戻ったら騒ぎになっていて、結局その酒も空けられてしまいましたが」
残念そうに酒瓶の一つを目で捉えたジェイドは、肩を竦めた。
「また改めて、お礼に伺うと伝えてください」
「うん、分かったわ」
言ってから、ヒスイは何かを思い付いた様に声を上げる。
「そうだ、昨日のコカトリスの肉」
「ええ、捌いてありますよ。持って来ます」
「じゃなくて、あれを料理して、父さんに食べさせてあげたら良いじゃない」
その思い付きが余程気に入ったのか、手を胸の前で合わせたヒスイは満面の笑みを溢した。
「父さん、ジェイドの手料理また食べたいって言ってたし。ナイトも、あの肉を私が料理して変な味になるより、ジェイドに美味しくしてもらった方が嬉しいだろうし。ね、良いでしょう? 私も手伝うから」
呆気に取られていたジェイドは、余りに楽しそうなヒスイに思わず微笑む。
「分かりました。お父様のご予定は?」
「明日は仕事、休みだって言ってたわ」
「明日ですね、折角なので貸し切りにしましょうか。手伝うなら、朝早く来てくださいよ」
「ありがとう!」
ヒスイは、ジェイドに抱き付かんばかりに飛び上がるが、すんでの所で思い止まった。
頬を赤らめて、片付けに勤しむジャスパーに目を向けると、腕捲りをする。
「それじゃあ、私はジャスパーを手伝おうかしら」
「そうですか。では、私は奥で仕込みをして来ます」
踵を返すジェイドの頬もまた、赤くなっていた。
***
次の日、初めてバル・キングフィッシャーに足を踏み入れたリチャードは、感嘆の声を漏らした。
「こりゃあ、雰囲気の良い所だな。酒の品揃えも良い。旨い飯も食える。最高の店だ」
「いらっしゃいませ! ね、来てみて良かったでしょう」
出迎えたヒスイは、何故か自慢げだ。
「お前の店じゃないだろうが」
「良いじゃないの。私も料理、手伝ったのよ。ほらほら、こっち」
テーブル一杯に料理が並べられている。
全てコカトリスの肉が使われたものだ。
茹でた身をほぐして野菜と和えたサラダに、塩を振って焼いたステーキ、薄く衣を付けて揚げ焼きにしたカツ、屑肉を一口大に纏めて素揚げし餡をかけたもの、皮をパリパリに炙ったもの、骨から出汁を取ったスープ。
辺りを漂う良い匂いに、お腹の虫が鳴く。
「今日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます」
ジェイドが丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、こんな旨そうな料理を作って貰って、ありがとう」
そう言ってからリチャードは、ジェイドの横に立つ見知らぬ男に目を向ける。
「ええと、君は」
「俺はジャスパー。ここで厄介になってるんだ」
「ただの穀潰しですよ」
「ちょ、酷えな」
二人の会話に笑いながら、リチャードは納得した様子で頷いた。
「君がジャスパーか。ヒスイから話を聞いてるよ。力が強いんだってな」
横倒しの大きな馬車を一人で復元した事が衝撃的だったヒスイは、父親にその事を話していた。
ジャスパーは、それ程でも、と頭を掻く。
促されて椅子に座ったリチャードに、ジェイドがグラスに酒を注いで渡した。
「先日は猫を預かる事に了承をいただき、ありがとうございました。お陰様で、森に返した後もしっかり餌を自分で獲れている様です」
「いや。猫の世話をしたのは娘だし、家の事はお前さんがやってくれたし、俺は何もしちゃいないよ」
「あの家はお父様の家ですし、見守ってくださっただけで有り難いです」
リチャードは、はにかむ様に笑うと酒を受け取る。
「皆んなも食べるだろ。座ってくれ」
その言葉を受けて、三人も席に着いた。
その日は二日前とは違い、和やかな晩餐であった。