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彼女が聖女になった理由(ワケ)  作者: 山川空海
シャ・ノワールと少女の涙
10/15

食卓にて

 ヒスイが猫と遊び、ジェイドが食事の支度をしているところに、父親が帰って来た。


「お、今日も良い匂いがしてるな」

「父さんお帰り」


 ヒスイと猫に続いてやって来たジェイドに、彼は顔を綻ばせる。


「お前さんがジェイドだな。ようやく顔を見る事が出来たよ」


 この一週間、彼は仕事で昼間はおらず、ジェイドは店を開ける為夕方前には帰り、二人は全く会う機会が無かったのである。


「何度もお邪魔しているのに、ご挨拶が遅くなってしまい、すみません」

「気にしないでくれ。ここの所飯が旨くて、毎日帰るのが楽しみだったんだ」


 丁寧にお辞儀をしたジェイドに、彼は右手を差し出した。


「リチャードだ。宜しくな」


 聞き覚えのあるその名前に、ジェイドは片眉を上げる。

 しかしすぐに微笑みを作ると、リチャードの手を握った。


「ジェイドです。宜しくお願いします」

「どうだ。顔を合わせた記念に、一緒に酒でも」

「お気持ちは嬉しいのですが、今日はこの後、出掛けなくてはいけないので」

「そうか」


 リチャードは猫を見遣る。


「今夜、行くのか」

「はい」


 ジェイドに視線を戻し、リチャードは言った。


「それじゃあ、話し相手になって貰って良いかな」

「それなら、喜んで」


 蚊帳の外に出されたヒスイは、猫と視線を合わせて肩を竦める。


「二階で遊んでようか、ナイト」


 連れ立って階段を上って行く一人と一匹を、目を細めて見送ってから、リチャードは食卓に向かった。

 テーブルの上は、既に酒と食事の用意が整っている。


「酒場をやってるんだったか、流石に手際が良いな」

「ありがとうございます」


 リチャードはジェイドに座る様促し、二人は差し向かいに座った。

 ワインを一杯煽って人心地着いたリチャードは、皿に盛られたソーセージを一つ摘むと、ジェイドに向き直る。


「まずは礼を言うよ。この一週間、猫だけでなく、娘の面倒までしっかり見てくれた。感謝している、ありがとう」

「いえ。どこの馬の骨とも分からぬ男が家に上がり込んで、さぞかしご心配だったでしょう」

「まあ、初めはな。でも、毎日旨い飯が出迎えてくれたし、娘が一人でいるより家の中が綺麗になった。こりゃ、給料を支払わなきゃならんな」

「私が拾った猫を、魔物と知ってからも世話して貰ったのですから、それ位は当然です」

「義理堅いな。流石はアン様の騎士だ」


 リチャードは、もう一つソーセージを摘んだ。


「お前さんの作ってくれる飯は、本当に旨い。明日からも作りに来て貰いたい位だ」

「では、是非一度うちの店にいらしてください。ご馳走しますので」


 リチャードは軽く笑い声を立てる。


「じゃあ、今度顔を出すよ」


 一旦笑顔を引っ込めると、リチャードは机の上に置かれたジェイドの左手をちらりと見た。


「お前さん、結婚してるのかい?」


 その視線の先に指輪がある事に気付き、ジェイドはその手を机の下に隠す。


「いいえ」

「そうか」


 リチャードは、ワインのボトルに手を伸ばした。

 木製の器にワインを注ぎながら、ふとおかしそうに口端を上げる。

 眉間の皺を深くするジェイドに、リチャードは更に表情を緩めた。


「いや、済まない。それはヒスイの仕業だろう」

「え?」

「隷属の魔法だ」


 ジェイドは目を見張る。

 これは側から見れば、何の変哲も無い唯の指輪である筈だ。


「どうして、それを」

「実は俺も昔、同じ魔法を掛けられたんだ」


 驚きの表情のまま固まるジェイドに、リチャードは続ける。


「もう二十年前だ。俺も今じゃこんなナリだが、昔はそこそこだったんだよ。結婚を迫られて、返事を渋ったら真っ正面からその魔法を放ちやがった。眩しかったな、あれは」


 ヒスイの他にも、隷属の魔法を人間に向けて放つ輩がいたとは驚きだ。

 しかもこちらは偶然ではなく、わざとらしい。

 ジェイドは、指輪を外す手掛かりがそこから得られるかも知れないと、身を乗り出した。


「その女性は、今」


 言い掛けて、ジェイドはリチャードがどこか寂しげな目をしている事に気付く。


「亡くなったよ、半年前に」


 リチャードは、自分の左手をひらひらと振って見せた。

 その太い薬指には、煙の様に白く濁り輝きを失った石の指輪が、肉に半分埋もれながら存在を主張している。


「元は綺麗な無色透明だったんだ。女房が亡くなった時に割れなかったのが、せめてもの救いだな」


 辛そうに、でも愛しげに指輪を見つめるリチャードに、ジェイドは返す言葉を見付けられなかった。


「俺がこの魔法を掛けられた時、女房はもう三十だった。子供を産むのが遅かったせいで、体調が戻らなくてな。子育てもろくに出来ず、結局娘が嫁に行く姿も見ずに逝っちまった。俺がもっと早く結婚してやってれば、若い内に子供が産めて、今も元気でいたかも知れないのにな」


 ジェイドは、ヒスイが聖女になるのを全力で拒否した理由に、ようやく合点が行く。

 聖女になると、母親の様に結婚が遅くなる。

 つまり、高齢で子供を産む事になる。

 高齢出産はリスクが高い。

 それが原因でもし命を落とせば、夫と子供に寂しい思いをさせる。

 今の自分の様に。

 ヒスイは、それが嫌だったのだろう。

 視線を落とすジェイドに、リチャードは一つ瞬きをした。


「悪いな、初対面の相手にこんな話をしちまって」

「いえ」


 一度口をつぐんだジェイドは、やがて顔を上げる。

 そして、呟く様に言った。


「でも、あなたの奥様は、幸せだったと思います」

「どうしてそう思う?」

「あなたや娘さんに、とても愛されている様ですから」


 目の前の男の妻は、自分の身体がままならなくて悩んでいたかも知れない。

 夫に心配を掛ける事を、娘に構ってやれない事を、心苦しく思っていたかも知れない。

 けれど、遺された人がこんなに思ってくれているのだ。

 きっと、彼女は幸せだったろう。


「優しいんだな、お前さんは」


 目を細めたリチャードは、ワインをもう一杯煽る。

 そして、ジェイドが思いも寄らない事を口にした。


「指輪のよしみだ。お前さん、娘と結婚してくれないか」

「は?」


 ジェイドの声が裏返った。


「あの、酔っ払ってますか?」

「いや、飲んではいるが酔っ払ってはいないぞ」


 リチャードは居住まいを正す。


「騎士と言えば手堅い仕事だ。自分の店を持てる程の、料理の腕前と経営手腕もある。家事も一通り出来る。その上、人の心に寄り添う事も出来る。完璧じゃないか」

「はあ」


 そう言われると満更でもないが、それとこれとは話が別だ。

 アンと言い、目の前のヒスイの父親と言い、どうして安直に指輪と結婚とを結び付けるのか。

 これは隷属の魔法であって、愛を誓う魔法ではない。


「娘じゃ不満か?」

「それは」


 ジェイドは目を泳がせた。

 娘を愛する父親に向かって、はい不満ですなどと言える筈も無い。

 尚、不満を言える程、ヒスイとジェイドは深い関係でもなかった。


「もしかして、他に恋人がいるか?」

「いませんが」

「娘の事が嫌いか?」

「そんな事は無いです。素直な人だと思います」

「じゃあ、問題無いな」

「いやいや、彼女の気持ちはどうなるんですか」


 リチャードは含み笑いを浮かべる。


「娘が良いと言えば良いんだな」


 否定しようとして、からかわれていた事に気付く。

 額を押さえたジェイドを、リチャードはニヤニヤしながら眺めていた。


「お前さん、意外とウブだな」


 ジェイドの顔が赤くなる。

 そこに、ヒスイが猫と降りて来た。


「お腹空いたー。私もご飯食べて良い?」


 こちらを見て何故か驚いているジェイドと、嫌に楽しそうな父親を見比べて、ヒスイは首を傾げる。


「どうしたの、二人共」

「いえ、何でもありません」


 ジェイドは慌てた様に立ち上がって、ヒスイと猫の食事の支度を始めた。

 リチャードは別に、と言って、付け合わせに盛られた芋を頬張る。


「何なの」


 呟いたヒスイは、しかし料理の匂いに思考を放棄して食卓に着いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ふふ。ニマニマ……とりあえずですね、企画とか忘れてお話を楽しんでいます。 もう何もかもが好きですね、このお話。 いっそ長編にして、年越しても書いていて下さい。私のために。 さあ、猫(魔物)…
[良い点] にやにや。にまにま。外堀が埋まっていきます。ジェイド側もアン様によって埋められてるし、ヒスイ側もお父さんオッケー。ちょっと照れた感じのジェイドもかわいいです。 [気になる点] 昔お父さんも…
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