第三話『願い』(後編)
第三話は、話の都合上、前後編として投稿させていただきます。
出迎えてくれたクレメンス公国軍要塞司令官、カール・ウォルター将軍に案内され、リリアとアリアは要塞内部へと進んでいく。城門をくぐった先の広場――兵士たちを訓練するための修練場や出陣準備をするためのスペース――には、先の戦闘に参加していた兵士たちが三人を遠巻きに見つめていた。
「殿下。馬はここでお預かりしましょう。おい、誰か! お二人の馬の世話を!」
司令官に命じられ、若い下級兵士たちが慌てて駆け寄り、バロンたち二頭の手綱を預かる。その際、リリアは兵士達と視線を合わせた。一瞬目のあった兵士達は肩をびくつかせすぐに視線を地面に落とすと、緊張で震える手で手綱を引き、バロン達を連れて行く。
遠巻きに見つめる視線もそうだが、兵士に彼女達への敵意は感じられなかった。あるのは恐怖と不安だけ。
と、そこでカールが振り返り、リリアにこう言った。
「殿下。あなた様のおかげで、我が国の兵達の多くは命を落とさずに帰還することが出来ました。感謝いたします」
「そのようなことを言って、よいのか? 帝国の耳に入れば、将軍のお立場が――」
「かまいませぬ。既に帝国の騎士達はこの砦より出奔しております。殿下の名を耳にした瞬間に。まさしく脱兎の勢い。久々に腹を抱えて笑ってしまいました」
実に痛快だった光景を思い出し、カールはクククッと笑みを浮かべた。そして部下の一人、おそらく参謀長を伴い、リリアたちを砦の奥にある彼の執務室へと迎え入れる。
室内には司令官の仕事用机と、来客用にテーブルを挟んで向かい合うソファがあった。参謀長に促され、リリアとアリアはソファに腰を下す。
「それで、リリア殿下。話をするために参ったといわれておりましたな?」
執務席にすわり、カールはリリアにあらためて、此度の用件を問うた。リリアは彼の瞳を真っ直ぐ見つめ、頷く。
「ああ」
「……我々に、降伏せよと言われるかな? 先に断っておきましょう。それは不可能です。兵達は公国にいる家族を捨てることは出来ない。無闇に降伏すれば、帝国が何をするか……」
「わかっております。ですから、こちらの要求は唯一つ。この要塞からの即時撤退」
「我らに逃げろと?」
「ええ。先の戦闘は我ら王国の勝利。此度の戦の褒賞は、カルナ湿原の支配権をいただければ、それで充分。その支配を確実なものにするには、この砦が公国のものであってはいけない。ですから、あなた公国軍には即刻出て行ってもらいたい」
清々しいまでの率直な要求に、カール将軍は怒るでもなく大声で笑うのであった。将軍のその反応に、さすがの参謀長も苦言を呈す。
「将軍、笑い事ではありませんぞっ」
「ハハハッ……すまん、すまん。だが、笑うしかなかろう。殿下の言っておられることは全て事実。帝国魔術兵団が敗れた今、この状況をひっくり返すことなどできんし、素直に要求を呑むほかない」
「しかし――」
「この要塞の責任者たる私が言っているのだ。全軍に通達せよ。即刻要塞より撤退する準備を。これは命令だ。兵糧などの物資は――殿下?」
「要塞を明け渡していただけるのであれば、全て持って帰っていただいて結構。こちらは必要ありませんので」
「ありがとうございます。と言う事だ」
「……わかりました。では、そのように」
「そう、渋い顔をするな。責任は私がとる」
「閣下……」
参謀長は、将軍に向け敬礼すると、命令を遂行するために部屋を出て行く。扉が閉まると、カールは立ち上がりリリアに声をかける。
「では殿下。私はこれより、此度の戦の責任をとりたいと思っております。手伝っていただけますかな?」
カールの言葉に、リリアはこれから彼が行うことを察する。
「――カール将軍、勝者たる我々はそれを望んではいないのだが?」
「そうでありましょう。ですが、それは勝者の都合。敗者には敗者の都合があります。このままおめおめと逃げ帰れば、どうなるか。ここで私が責任を果たさなければ、部下にも累が及びます。殿下も勝者としての責任を果たされよ」
「……残された家族はどうなる?」
リリアの気遣いの言葉に、カールは静かに笑みを浮かべ首を横にふった。
「お気遣いなく。愛するものたちは皆、天上で私が来るのを待っております。祖国が誇りを奪われたあの日から……」
「…………」
将軍の言葉に、リリアは目を細め、その美しい顔をしかめる。
(何が英雄だ……)
リリアは自分の無力さを痛感する。彼のような犠牲者に、新たなる犠牲を背負ってもらわなければ、戦をとめることが出来ないとは。
「……殿下」
「アリア。……承知した。勝者として将軍と共に務めを果たそうぞ」
気遣うアリアにリリアは頷くと、カールと共に責任を果たすため準備を進めるのであった。
※※※
そうして、将軍より撤退の命令が出て三時間後。
要塞の広場には、全ての支度を済ませた公国軍が整然と隊列を組んでいた。
その光景をリリアは、壁の上に備え付けられた観覧場より見下ろしていた。共にいるのは、正装に着替えたカール将軍とその部下である参謀長。そしてアリア。
リリアと共に、軍の前に姿を現したカール将軍は、眼下の兵達に語りかける。
「栄光あるクレメンス公国軍の兵士達よ! 諸君らはこれより、都へと帰還する! 此度の戦には敗れたが、こちらにいらっしゃるリリア王女殿下のお慈悲により、なんの障害もなく帰ることが出来る。殿下よ、あらためて感謝を」
「いえ、こちらこそカール将軍閣下に感謝を。武人として呑み難い要求を聞き入れてくださり、本当にありがとうございます」
「英雄たる殿下の言葉。他国の者でも聞けるものであれば、聞くのが当然かと。……ただ悲しきことに我らは敵同士。殿下の言葉を聴くためには代償が必要だ。そしてそれを支払うのは、将軍たる私の務め!
諸君! 悲しきかな、このままのこのこと都へ帰れば、不埒な帝国の者どもに何をされるかわからない! そうである以上、私はここで諸君らとはお別れだ!」
将軍の言葉に、兵士達はざわめきを上げる。彼らは気付いたのだ。これより眼前で執り行われる儀式がなんであるかを。
「……公国の者達よ。私、リリア・リディベルは、これよりカール・ウォルター将軍の処刑を執り行う。将軍の命をもって、我が王国は諸君らを見逃そうぞ!!
将軍……最後に言い残したことはないか……?」
鞘より抜かれ、白銀にきらめる剣を掲げ、リリアはカールに問うた。彼は穏やかな表情で、自分が預かっていた部下達を真っ直ぐ見つめ、そして万感の想いをこめて言葉を紡ぐ。
「公国に幸あらんこと……。皆の力でいつの日にか帝国からの解放を――ッ!!」
※※※
その後、リリアの剣で首を落とされた将軍の亡骸は公国旗に包まれ、兵士達の手によって公国への帰途へついた。
本来であれば、首は勝者の証に王国が貰い受けるのが当然であるが、その首がなければ将軍が敗戦の責任を取ったのか判断できないため、リリアは公国軍に渡したのであった。
(将軍が責任をとったとは言え、帝国がそれで黙るとは思えんのだが)
「帝国はその領土拡大路線のため、大量の駒が必要だ。末端の兵士を処分する余裕はない」
愛馬であるバロンの問いかけに、リリアはそう返す。
と、要塞の無人化を確認していたアリアが戻ってくる。
「殿下。要塞に残っているものは誰もいません。我々だけです」
「そうか。では少々要塞より離れたところへ向うぞ」
そういってリリアはバロンに乗り、王国側の要塞の外へと出て行く。
「殿下、この辺りはいかかでしょうか?」
「うむ。この辺りであれば、大丈夫であろう。ところでアリア、参謀長殿にはきちんと伝えておるのだろうな?」
「はい。大丈夫です。危険ゆえ要塞からすぐさま離れるようにと」
アリアは任務をきちんと果たしたことを主君に伝える。
「そうか、わかった。ではやるとするか」
部下の言葉に頷くと、アリアは剣を抜き、公国要塞へ切っ先を向ける。
『灯るは紅蓮。放つは焔。天空より降り注ぐは神炎。万物の管理者の息吹にて、我が敵を焼き尽くさん……塵は塵に、灰は灰に。全てに等しく終焉を。龍の息吹!!』
リリアの紡いだ呪文に従い魔術式が展開。その術式の大きさは巨大な要塞をすっぽり覆うほどのもの。ただの人間に展開できる大きさ、密度ではなかった。
そして、魔術式の起動名が紡がれた瞬間、要塞の頭上に巨大な火の玉が形成され、そこから紅く眩い光の柱が要塞を飲み込んでいく。
光の柱に飲み込まれた要塞は、その土台たる地面と共に爆発。天高く舞い上がる土煙の下には、町一つは入るであろう巨大なクレーターが大口を開けていた。
「これにて目的は達した。アリア、帰還するぞ!」
「はっ!!」
そう、リリアの目的は敵要塞の占領ではなく、破壊。その際に無駄な犠牲を出さないために彼女は公国軍と交渉を行ったのだ。
こうして、此度の防衛戦はリディベル王国の勝利で終わった。
だが、帝国の野望をどうにかしない限り、王国の――リリアの戦いは終わることはないのであろう。そう考えると、平和への道のりはいまだ遠い。
リリアは呟く。戦いの日々、くじけそうになる心を支える存在の名前を。
「……会いたいな、クリス……」
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