第六話 『イーヴァルディ』
たいへんお待たせ致しました。
ゼファー男爵家。
リディベル王国に仕える貴族たちの中では、それほど高い地位にいる貴族ではない。爵位だけで考えると、騎士爵・準男爵に続いて下から三番目の爵位であり、領地もそれほどでもない。
屋敷をかまえるスルトを中心に、鉱山開発で著しい発展を遂げているものの、他の高位貴族達に比べればその経済力はまだまだ。
だが、この男爵家が王国内で注目される理由が存在する。
その一つが、男爵家お抱えの鍛冶師・名工イーヴァルディ。
彼が作り出す甲冑や剣などの武具は、魔鉄の特性――軽量・堅牢――を活かし、実用性第一の造りをしており、帝国との争いが絶えない王国にとって充分に需要を満たしたものであった。
また生み出される武具の造詣は、ひと目で惹きつけられる繊細で優美なもので、実用性の中に宿る『美』に惚れ込む貴族は文・武の境なく存在している。
なにより、王国の英雄であり王女であるリリア・リディベルが愛用する甲冑――ドラゴ・メイルと両手剣――レーヴァ・ブレードを造り上げたのが彼の名工である。
ドラゴン・スレイヤー……人知を超えた存在が纏い、振るう武具……。
注目されないほうがおかしい。
そんなわけで、イーヴァルディの作品を求めて国内どころか、他国からも商人が引っ切り無しに工房にやって来て金を積み上げ迫ってくる始末。
職人気質が高い彼は、そんな状況に嫌気がさし、商売に関することは全てパトロンである男爵家に丸投げしたのだ。
経済活動の停滞に繋がると、今まで二次産業以降の職種に干渉していなかった男爵家も、彼の生み出す武具が、鉱山資源や森林資源と同様であると認識していたためそれを承諾。
今やイーヴァルディの作品を手に入れるためには、ゼファー家との商談が必須になった。
さて、今日の商談で最後となった青年……駆け出し商人のキールは、目の前にいる青年のいきなりの挨拶に、
「こ、こちゅらこそっ!? わ、わたくしはソルトレイク男爵領、より参りましたっ! キールと申しますっ。こ、この度はこここ、こちらでせせせ製作されているぶ、ぶ、武具! のか、か、買い付けをいたしたく――!」
緊張で噛みまくるわ、どもるはと、散々な返答しか出来なった。
なんといってもキールは平民出身。
身分・階級の区別がしっかりしたこの世界で、リディベル王国は比較的緩やかとはいえ、貴族であるクリストファから先に挨拶されるという事態に混乱するのは当たり前。言葉を発するだけマシといったところだ。
「どうぞ、お座りください。茶を用意しています。まずは一杯お飲みいただいて、それからお話をお聞きしましょう」
人によっては無礼と思われても仕方がない対応をされても、クリストファはにこやかに微笑み、応接用のソファを勧める。
ガチガチに緊張したキールはなんとかソファに座り、シンプルながら持ち心地のいいカップに口をつける。
「あっ……おいしい……」
出されたお茶は王国内では珍しい緑茶であった。王族、貴族社会を中心に王国周辺の地域では紅茶が飲まれているので、緑茶を口にするのは初めてであった。
その色合いから、苦味や青臭さでもあると思ったが、やさしい香りと果実とは違う甘み、そして目が覚めるような苦味が絶妙に入り混じり、キールの心と身体を解きほぐす。
「お口に合ったようでなによりです。このお茶の葉は、当領地で栽培しているものでして。もの自体は紅茶と同じ葉なんですが、蒸す事によって発酵を止め、紅茶とは違う味を楽しむことが出来ます。
もとはドワーフ族の間で好まれるお茶で、王国内ではまず流通していません。気に入っていただけましたら、お土産にどうぞ」
キールの緊張が解けたと判断したクリスは、お茶の紹介をしつつ、彼の向い側のソファに座る。
「では、キールさん。商談に移ってもよろしいですか?」
「はっ、はいっ!! お願いします!」
「それではまず商談に入る前に、説明を。我が男爵家では商談時間を均一にするためにこちらを利用しております。セレーナさん、あれを」
「ええ」
クリスの側で控えていたセレーナが、テーブルに大き目の砂時計を置く。
「この砂時計を使い、商談時間を計ります。上下をひっくり返すのは二回。つまり、一往復分の時間が商談時間になります。スタートはキールさんが、二回目はセレーナさんがひっくり返します。質問はありますか?」
「……いえ。ありません」
「そうですか。ではお好きなタイミングでどうぞ」
キールの返事にクリスは頷くと、キールを見つめ静かに待つのであった。
クリスの視線に緊張するも、キールは自分がここに来た理由を落ち着いて思い出す。
先ほど口にしたことは間違いない。彼は、彼の故郷を治めるソルトレイク男爵より命を受け、この地に来たのだ。だがそれだけが理由ではない。彼は自ら望んでここへやってきたのだ。
自分の力でもって、かの名工の武具を手に入れる。それが彼女に対してキールが唯一出来ることであると。
一度息を大きく吸ってゆっくり吐き出すと、キールは砂時計に手を伸ばし、ひっくり返す。
「では、クリストファ様。本日は私のような駆け出しの商人との商談にお時間をとっていただきありがとうございます。此度、ソルトレイク男爵よりご依頼を受けまして。
率直に申し上げます。――ゼファー家お抱えの名工・イーヴァルディ様の武具を一式、購入したく」
その言葉は、意外と静かにそして淀みなくキールの口から発せられた。
彼のその態度の変化に、クリスは内心、関心しつつもそれを表に出すことなく、キールに微笑む。
「キールさんの求める商品はわかりました。イーヴァルディの作品は本人からの要請もあり、当家が交渉を受け持っています。当家と致しましても、彼の作品が世に広がることを止めるつもりはありません――」
「ではイーヴァルディの武具を売って――」
「しかし、彼の作品は――武具は、当家の名誉にして今や王家の名誉の象徴……。単純に売ることの出来る商品ではなくなったのです」
クリスのその言葉は、はやるキールの心に冷や水を浴びせた。
だがクリスの言葉は正しい。名工イーヴァルディが名声を得るに至ったのが、リディベル王国の王女にして英雄……リリア・リディベルの活躍がきっかけなのだから。
王家の姫騎士が纏う鎧、そして必殺の剣が彼、イーヴァルディがこしらえたものであるからこそ、彼の名は世に広まり、人々は彼の作品を求めるようになったのだ。
「私は彼の名誉を護らなければならない。それが我がゼファー家の名誉を護り、忠誠を誓う王家の名誉を護ることになるからです。
キールさん。あなたに問います……。あなたは何故ここに来たのですか? 何故イーヴァルディの武具を求めるのですか?」
「それは……」
淡々とした口調で問いかけるクリスに、キールは口ごもる。別にクリスは彼を咎めているわけではないのだろう。しかしその言葉はキールの心に鋭く突き刺さった。まるで嘘がばれ追い詰められているような気分に陥ったように思ってしまったのだ。
――いや、事実、嘘を咎められているのか?
確かにキールは嘘をついているわけではない。
彼の故郷を治める領主、ソルトレイク男爵の依頼を受けたのは間違いない。
彼の一人娘であるエルルーン・ソルトレイクのため、最高の武具を揃えたいとの依頼を受けて、このゼファー男爵領・スルトまで出向いたのだ。
――しかし、本当にそれだけか?
――いや、そんなもの建前でしかない……。
キールの脳裏にエルルーンの姿が浮かび上がる。
『キール……私はあの方の様に――リリア様のように国を、民を護りたい。リリア様の下で正義を為したいのだ』
彼女の語る夢は、国中の多くの若者達が描く夢であった。
長年この国は、帝国の脅威に晒されてきた。帝国への服従をよしとしない王国は、抵抗をし続け多くの犠牲の下に、何とか国を維持してきた。
必要な犠牲だと民達は理解していたが、それでも流れる血の多さに民達の心は磨り減っていった。
そんな時だ。
彼女が表舞台に現れたのは。
アルティナ最強種であるドラゴンの力を宿した少女。
正義の名の下に、国を、民草を護る世界最強の姫騎士。
公正明大にして秩序をもって力を振るう英雄。
《ドラゴン・スレイヤー》――リリア・リディベル――。
彼女の存在が、この王国に一筋の光となって永久の平和への道筋を指し示してくれているようであったのだ。
多くの王国民は、彼女の存在に勇気付けられた。
それはエルルーンも例外ではない。
リリアの名声が世に広がり、彼女が真に王国の英雄として認められた頃から、エルルーンの心に一つの夢が芽生えたのだ。
――リリア様の側下として共に戦いたい――と。
ただの娘であれば、ただの夢物語で終わったであろう。
しかし、彼女には武の才覚が眠っていた。
もとよりソルトレイク男爵家は武門の家柄。ただ、上の二人の兄には武ではなく文の才覚が目覚め、当主であるローグ・ソルトレイクはひそかにため息をついていた。
そんなさなかだ。エルルーンがリリアに憧れ、剣を教えてくれと頼んできたのは。
その願いに、ローグは諦めを持ちつつも、かすかな希望にすがる自分に苦笑しながら娘に剣を教えた。するとどうだろう。エルルーンは綿に水を含ませるが如く、ぐんぐんと剣術を吸収していき、その才能を開花させていった。
15才になった今では、その才覚を知った王国騎士団より、王国主催の剣術大会に出場しないか? と打診を受けるまでに至った。
それだけの実力を持つに至った少女が目指すのはもちろん、近衛騎士団への入団だ。
リリアの登場まで、女性騎士の存在はまれであった。
男尊女卑ではないものの、王国には戦いとは男の使命であるという考えが根強くあり、必要にかられない限り、女性騎士が生まれる土壌がほぼ存在していなかったのだ。
そこへリリアの登場である。
ドラゴン・スレイヤーとは言え彼女は王女――そしてそれ以上に結婚前の少女である。
王国側としても、大切な王女の周りを異性だけで固めることなど許可できるわけもなく、数少ない女性騎士をかき集め、彼女の側下とした。
だが、それで数か足りるわけもなく、また他の女性王族の護衛に女性騎士も必要というわけで、王国は女性騎士候補生を求めているのだ。
そしてエルルーンに今、そのチャンスが巡ってきた。これを見逃す手は彼女には無い。
彼女はすぐさま父であるローグに相談。彼にしても武家・ソルトレイク男爵家の名誉のため、彼女の願いを承諾した。
だが、そこは親であり、送り出すのは年端もいかぬ娘。
英雄に仕えるということは、向う戦場は最前線。どのような実力者でもちょっとした事で、天へと召される鉄火場。
ならばせめて親としてやれることは、少しでもいい装備を揃えてあげること。
『だから、お前に頼みたいのだ。キール。駆け出しのお前には厳しいことかもしれない。だが、お前であれば、エルルが命を預けるに等しい装備を手に入れてくれると、わたしは信じている』
イーヴァルディの作品を購入依頼を受けた時。そう言って、ローグは自分の息子ほどの年のキールに頭を下げた。
ローグは、娘の命をキールに託したといってもいい。その想いの下、彼はここにいるのだ。
――だけど、違う。クリス様が求めてるのは、俺の想いだ――
気付けば、砂時計の砂は半分ほどが落ちていた。
「私は……私は……」
キールにとってエルルーンは、幼き頃よりの友であった。
近い歳の子どもが余りいなかったこと、キールの家が男爵領最大の商会を営んでいたこともあり、彼はエルルーンの世話係兼友人として、幼き頃より一緒だった。
彼女の武の才は、誰よりも彼自身が気付いていた。
いつか必ず、彼と彼女は違う道を歩むことにも気がついていた。
だが……それでも……。
「――大切な人の命を護りたいのです。共に歩むことが出来なくても、自分のやり方で、彼女を護りたい。
私は商人です。商人は商人らしく、その商才であの方の命を護りたいのです!!」
気づいた時にはキールは立ち上がり、クリスにそう宣言していた。
「……あなたの想いは充分わかりました。トールさん、いかがでしょうか? 私は合格とは思いますが?」
「えっ……?」
「ガハハハッ!! オレはせいぜい及第点ってとこだと思うが。まあ、話を聞こうって気にはなったよ!!」
クリスに呼びかけられ、一人の男が執務室の奥にある扉より現れる。
その男は背丈は小柄ながら、筋骨隆々で、強烈な印象をキールに与えた。
太い指で豊かな髭を撫でながら、キールを楽しそうに見つめる。
「あなたは……?」
「オレか? オレは鍛冶師よ。ま、こっぱずかしいが、《名工・イーヴァルディ》なんて大層な名で呼ばれてるよ。よろしくな、あんちゃん」
そう、彼こそが王国にその名を轟かす名鍛冶師――トール・イーヴァルディであった。
感想頂けましたら幸いです。