カタチ
どうしても私はお上りさんだからか、上野を起点に考えてしまい、
故に、カウントするにも上野から池袋方面を4周目、東京方面を4周目と言った具合になり、両方面合計山手線を8周目に入り、池袋方面4周目の巣鴨を過ぎたあたりから、もうかなり疲れ切ってしまっていた
何のために私はこんなことをしているんだろう
時々、ぐっすりと眠りこんでしまって、1周分ぐらい、ということは約1時間を睡眠に当ててしまったり
それ以前に、自分はなんと暇を持て余していることか
と、思ってみたりして
たまたま、今日は休日だからこんなことをしているのであって、普段は仕事をしているから、ここまで暇ではないけれど…
何故こんなことを休日にしているか
と言えば、結局のところ居場所がないからだ
落ち着いて居られる場所があれば、こんなことはしないし、この8周している間の思考だって生まれない
7周目あたりで、大切なことを思いだしたのだ
そうだ
私に居場所がなかったわけじゃない
私には、そもそも大切な居場所があったのだ
その居場所があるだけで、私は生きていけるはずだった
それを知ったときには、これまで生きてきたどんな瞬間よりも、どんな嬉しかったシチュエーションもちっぽけに思えるぐらい
本当に嬉しかった
「嬉しい」という感情をも超えてしまうぐらい、「幸せ」という言葉も超えてしまうぐらい
ってことは、どんな言葉にも表現できないぐらいの
それぐらいの…
だから
実際にはその居場所が、物質として用意されなくても
本当は、物質としての居場所として欲しかったけれど、今すぐにそれが目の前になくても
内側にあるそれで、生きて来られたのだった
なのに
いつからだったのか
それは
もしかしたら
形が変わってしまったのかもしれない
かもしれないから
ああ、そうだったんだ
という確信に変わったとき
もう
生きていけないことを知った
そもそも
その居場所があるからなんとか生きていたのに
その居場所が違う形になって
その居場所がその違う形になることが幸せならば
その幸せを願うことが私の全てだったから
結論は居場所はなくなることになる
どうして生きていこう
途方に暮れだしたのは、それからだった
来る日も来る日も
帰りたくない
帰る場所なんて
もうどこにもない
そんな日々を送るようになったのだった
そうだ
それからだった
それすら
もう忘れてしまいたかったのだ、きっと
なのに
私は生きている
何故なのだろう
その居場所が形が変わろうと
存在する以上
生きていなければいけないような気がしたからだ
矛盾だらけのこの日々と感覚を
どうにかしたくても
何をも
どうすることもできなかった
ただ
帰りたくなくて
休日にはこうして山手線を何周も何周も繰り返す
変わるのは、空間の色ぐらいなものだ
日中の青から夕方から夜にかけてのオレンジから暗闇
いや、正確には暗闇ではなく、ネオンの光る空間に移り変わる
それらを文字に変換してスマホに記入する
けれど
今日はやめた
心の中だけにする
女は今日
スマホを眺めただけで、何も書くことはなかったらしい
思ったことは上記のとおりだ
それを知る私は一体なんだ