旧世界で朝食を
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目が覚めると、天井から吊り下がっている蛍光灯に目が向いた。現世界では使われていないが、それがどういったものかは知っている。
ベッドの上、上半身を起こす。蛍光灯から垂れ下がっている糸を引っ張って灯りをつけたが、すぐに消した。外はもう蛍光灯を必要としない明るさだった。
枕元には、左を向けば置時計と懐中電灯、右を向けば丸々とデフォルメが施されたニワトリのぬいぐるみ。
それを見て、ここが旧世界であるという事を改めて認識した。
被召喚士代理は、可能なものならば召喚者の願いを叶えるようにと教えられている。恐らく発現の使用の有無は問わないだろう。
それはいい。
問題はそれが可能なのかどうなのかという事である。
自分が召喚者の家族になる。しかし、召喚者が家族というものを理解できていないというきらいがある。
それでは家族とは何だろうか。アルヴァは考える。
そういった事を考えざるをえない程度には、一人の生活は長かった。
血という点では家族にはなれないのではないかと考えたが、夫婦という事ならばそちらの方がむしろ自然である。
――やはり、そういう意味だったのか……?
昨日の一件を思い出して、一人面食らう。
大げさに頭を振って変な方に振れた思考を振るい落す。だいたい仮に自分が答えを出した所で、それが彼女の考える家族と必ずしも一致するとは限らない。
だったら自分一人で考えても埒があかない。
第一に、どんな答えが出ようとも、旧世界人と現世界人が共存するのは不可能だ。
思考がそこに差し掛かり、急激に熱が奪われたように冷静になる。彼が培ってきた思考体系では、最終的には必ずここに帰結する。
それならばなぜ願いを叶えるなどという言葉を吐いてしまったというのか。その問いには答えを出せなかった。
考えこそするが、答えが沸いて出る気配など微塵もない。考えて出せるような答えでもないようにすら思える。
行き詰まりを感じ始めたという事もあったのだろう、ドアノブに手を掛ける音を聞き取る事が出来たのは。
「きゃぁっ!!」
小陽は尻餅をついた。
ドアを開け中に入ってこようとした刹那、飛翔した何かしらの物体が、つま先数センチの所に派手な音と共にランディングした。
アルヴァが手元にあった懐中電灯を投げた。ベッドの上から見渡せる位置にあるドアが開くのを待ち構えていたアルヴァが。
「別に部屋に入って来なくても伝えられるだろ。要件は何だ?」
彼の口ぶりは、居候する事になった上に部屋一つまで与えられた人間のものではない。
「うん……。ごはんできた、から」
それでも小陽は微塵程の反発もなく、打った箇所をさすりながら言う。尻すぼみのトーン。
「わかった」
アルヴァは短く返事をする。
「その……」
口ごもる。本当ならそんな事言うつもりもなかったのだが、本来の住人を差し置いて良質な居住スペースを与えられたという事に加え、尻餅をついたままこちらを見つめる彼女の表情も相まって、精神が揺いだ。
「部屋……あ、ありがとな」
すると、小陽の表情がみるみるほころんでいく。
「うん! それじゃあ僕、学校行ってくるね!」
そう言って、とにかく嬉しそうに踵を返す。リズミカルな足音が遠ざかっていく。
アルヴァは、一体何に対してどんな感情を抱けばいいのかわからず、思案顔で溜息を吐く。
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「じゃあ、一緒に寝よ?」
「…………?」
夜。寝るには早いというような時間でもない。
それは、自分が家族になると宣言してから、彼女が最初に口走った言葉だ。
小陽としては、――彼女の年頃では、既にそういった欲求が失せた者も多いだろうが――子が親と一緒に眠りたいという意味で言った。それ以外の何ものでもない。
対して、アルヴァ。
硬直。
彼の住む世界では、憑素を用いて身の回りの事を出来るようになれば一人前の大人として認められるという風習がある。そうなれば当然結婚も認められる。
彼女のぐらいの身なりでも、そういった経験を既に済ませている者は決して少なくはない。
つまり。そういう事である。
「? あ、自己紹介忘れてた。僕は小陽。小中小陽。よろしくお願いします! えーっと……あなたは?」
自己紹介がまだであるという理由でアルヴァが硬直したわけではなかったのだが、小陽は自分の名前を告げ、彼を促した。彼がどれぐらいの年齢なのか、また、家族になるといっても今日が初対面だ。彼を指すのに何という言葉を用いればいいのか少し考えた。
「アルヴァだ」
硬直すれども、尋ねられた事には答える。
「アルヴァ、さん、かぁ。苗字は?」
アルヴァは逡巡した。
「……家族になるんだったら小中なんじゃねえのか」
そう答えておいた。
「そっか。そうだよね」
確かにと納得した風な小陽。
「……いくつだ?」
今度は自分の番とばかりにアルヴァが尋ねる。
「え? 何が?」
「歳は……いくつだ?」
「僕? 十五歳だよ」
「別の部屋で寝る」
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初めて会ったその日に、名前も知らない相手に対して、一緒に寝ようと誘ってくる――彼の感覚に依る所の――成人女性に酷く狼狽させられたが、ひとたび平静を取り戻せば、事の収集はまあどうにかなった。
その後も一緒に寝ようとしつこく食い下がる彼女は完膚なきまでに説き伏せた。それならば次は、自分はどこで寝るという話になった。
彼としては彼女から離れた場所であればどこだろうと構わなかったのだが、なぜか元々彼女が使っていたこの部屋を勧めて来る。流石にそれはと断ると、今度は彼女がどうしても譲らない。
結局彼女の提案を甘んじて受け入れると、彼女はさっそく儀式の道具一式を片付け始めた。
魔法円から外れた場所に置いたちゃぶ台とその上にあるティーセット。恐らく旧世界人は儀式には欠かす事のできない道具だと思っているだろうが、これらは本来、招き入れた友をもてなすためのものだ。それがいつの頃からか形骸化し、単に”儀式に必要な道具”という風に思われるようになったらしい。
うっかりと喋ってもし本当にもてなされたら少し厄介なので、その事については何も言わなかった。
片付けが終わると、彼女は床に就くらしく寝る前の挨拶をして部屋を後にした。彼女は同じ二階では彼の部屋から最も離れた場所にある、今は誰も使っていない少し広めの部屋で寝る事にすると言っていた。
そして、自分はこの部屋で目覚めた。
そんな回想の末、とりあえずベッドから出た。
着替えをしようと念じた所で踏みとどまる。憑素を使って着替えるのは元居た世界での常識だ。とはいえ。
自分が今身に着けている衣服を眺める。
肌着の上にフード付きのローブ。
これ一着ではどうにも具合が悪い。新しいのを調達しなければ。何かを手に入れるには金と交換するというのがこの世界の常識だ。
しかし、残念ながらそんなもの持っていない。彼女に借りるのも申し訳ない。使わなくなったものを借りるにしてもサイズが合わないだろう。そもそも性別が違う。どうにかしなければならない。
思考が暗礁に乗り上げ、アルヴァはふと窓の外を見る。
小陽はもう家を出ただろうか。そう思い、部屋の窓から外を覗く。
ちょうど自転車をこぎ始めた頃だった。
彼女が今、どんな表情をしているか容易に想像しうる。まるで溌溂さをそこここにまき散らすようにして進む、背筋よく前のめりな後ろ姿。あっという間にカーブに差し掛かり見えなくなった。
それを見送ると、何だかいたたまれない気持ちになり、項垂れた頭を掻き毟った。
「飯だ。飯」
思考を遮断する。胃に何も入ってなければ思考もネガティブになる。
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「あぁ……、うまい……。うまいよぉ……」
小陽が作った朝食の余りのおいしさに、それらを泣きながら貪り食らった。