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旧世界人と新世界人

       

                       ↓



 彼がジャンヌにクッキーの感想を伝える事はなかった。


 彼女が失踪した。


 委員会はこれ以上の空白を避ける事を決定し、アルヴァの肩書が”被召喚士代理”に変わった。


 ごく一部の関係者のみで執り行われた任命式を終え、王宮内の一室にアルヴァは戻って来た。副代理だった前回とはわけが違う。不承不承ながらも承服した。


 仰向けにベッドに倒れ込む。他にこの部屋にある家具は書棚のみ。最低限、あるいはこの世界ではほぼ最大限のものしかない。日当たりは良く、一人部屋にしては十分すぎる部屋の床に、大きな窓に切り取られた陽の光が横たわっている。


 彼女が旧世界に召喚されてから数日も経たない内に、彼の心には言い知れない虚無感が穿(うが)たれた。


 先ほどの任命式も、渦中に居るはずの自分自身をどこかから無感動に俯瞰(ふかん)しているような、そんな有様だった。


 内情を知る者以外には、ジャンヌが帰って来ていない理由は”彼女はかねてより旧世界について強い興味を示していたため、本来の任務に兼ねて本格的な調査を委任した”という事になっている。アルヴァが王室に居る理由は”彼自身から「身寄りが居なくて寂しいし不安だ」と痛切な訴えがあった”という事になっている。


 任命式の直後にその話を聞かされた。いつもの彼なら委員会相手に怒鳴り合いになっていただろうが、彼が特に何かの感情を抱く事は無かった。事実とは真逆の散々な話なのも今は別にどうでもよかった。


 アルヴァの態度に、委員達がわずかながらも彼を心配すらする始末だった。



 経緯はどうであれ本来居るべき場所に戻ってきた事。同じく、長い間諦めていた被召喚士代理になるという願いが叶った事。しかし、それは自分の実力ではないという事。そのため王宮内でも待遇はよくないという事。そして、旧世界人、あるいはジャンヌについての事。


 思う事こそ少なくはないが、気が至らない。


 彼女の喪失に起因して起こる、後悔の感情。


 彼女が作ったクッキー。


 なぜそんなに意固地になったのか、今となっては思い出せない。それほどまでに些細で(いたずら)な意地だった。あの日のクッキーは、確かにアルヴァの嗜好(しこう)を満足させるものだった。しかし、感想を伝えるというのがどうしても(はばか)られた。


 殆ど毎日、顔を合わすたびに感想を尋ねられたが、その都度都度様々な手段ではぐらかした。


 いつかは伝えなければと思っていた。しかし、日を重ねると今度はここまで続けてしまったのに今更という気持ちが台頭してきた。引き際を見失ったのだと思う。


 そんな風にして感情をはぐらかす日々は、そう長くは続かなかった。


 彼女が召喚されたという話を聞いた時はまだ、「どうせ帰って来るのだから、感想を伝える機会なんて幾らでもある」と、何の疑いもなくそう思えた。


 それから一か月が経つが、彼女はこの世界に帰って来ない。


 「おいしかった」と。たった一言言えれば良かったのだ。気恥ずかしさや、余計な意地。「あの時こうしていれば」という後悔はアルヴァの心を苛む。いつものように機嫌を損ねる振りをしてくれればよかったのだなどと、責任転嫁も(はなは)だしい思いを抱く事すらあった。


 「彼女が帰って来た時に言えばいい」。究極的にはその通りなのだ。では、その日は一体いつ訪れるというのか。なぜ、どういった経緯で、自分が、競争半ばにして挫折した自分が、今、こうして被召喚士代理の任に就いたというのか。



 眠るというわけでもなく、身じろぎもせずずっと天井を見ている。どれぐらいそうしていただろうか、ふと気付くと床を占める光の領域がいつの間にか少し狭くなっていた。


 朝になれば昇り、昼を境に沈み、また昇る。いかほどの感情に依る所もない太陽の振る舞い。


 そんなものを羨んだ。どうしようもない現実逃避。


 太陽もまだ昇り切らないが、このまままどろまれればいい。任命されたとはいえ、出番は夜なのだ。


 勉強する相手も居ない。


 廃人的とも言える思考。まどろみの訪れの気配は一向に無い。



 無為に過ぎる時間の終わりを告げるべく、彼の部屋のドアを叩く音が鳴った。



                ↓



 こんなタイミングでもなければ即座にドアを閉めただろう。


「何の用だ?」


 その姿を確認し、不躾(ぶしつけ)に問うアルヴァ。


「なに、何という事はない」


 問われた本人である所の国王アドニス・ロバート・ウッドマンは、それを気に留める風ではない。


「なら帰ってくれよ。公務は?」


「次の案件まで少々時間があってな。長居するつもりはない。代理の職務の詳細についてだ。お前が余りにも上の空だったからな」


 無言で国王を室内へ通した。


 憎むべき相手に対して、この心の虚無の払拭を期待するという不甲斐ない矛盾を悟られまいとするような、いつもとは異なるささくれた面持ち。


 王を招き入れた後、アルヴァはベッドの上に座る。


「客に椅子も出さんのか?」


「出すよ。お前以外ならな」


 対するアルヴァはにべもない。


 言葉は殊更攻撃的になる。自分の心奥が彼に見抜かれていないだろうかという、心許(こころもと)なさの裏返し。


「酷い嫌われようだな」


 元々表情に乏しいという事もあって、見ただけでは、この男が本当に嫌われて残念がっているかどうかはわからない。


 ともかく国王はそう言って、椅子を発現させた。何の装飾も施されていないが、ただ座るには十分だ。


「随分と地味だな。国王様が座るのにはふさわしくない」


 座るのを待ってから言った。言葉は明確に皮肉が込められたニュアンスで放たれるが、その割には放つタイミングが律儀だった。


「わしはお前の叔父だからな」


 私事でアルヴァと接する時は、あくまで叔父と甥の関係で接する事にしている。だからそのつもりで国王は言った。


「フンッ! で、要件は何だ?」


 しかし、彼が思ったようには他人には伝わらなかった。


「まずは、被召喚士代理就任おめでとう」


 アルヴァの叔父は言葉の齟齬(そご)を一瞬訝しんだが、すぐに話を進めた。


 アルヴァは返事もせず視線を横に逸らした。


「かねてからの夢だったのだろう? もっと喜べばよかろうに」


「こんな形でなれてもちっとも嬉しくねえ。いちいちうっせえんだよ」


 王の物言いが非常に鬱陶(うっとう)しく感じられ、わざとらしくため息を吐く。こんな人物に何かを期待した自分を早くも後悔し始めた。



「? そうだったのか?」


「何が『そうだったのか?』だ、アホ面しやがって」


 彼を嫌うアルヴァの誇張は決して少なくないが、表情の変化に乏しい国王にしては珍しく、微かながらも確かに威厳とはほど遠いような顔をしていた。


「ふーむ、そうか?」


 いつもなら国王はアルヴァの罵声などいちいち気に留めはしない。それが今は自分の表情を確認するように掌で顔を撫でながら、そんな間の抜けたような返事をする。


「クソッ! ふざけやがって…… で? 何しにきたんだよ?」


 国王の反応に苛立ち、アルヴァは吐き捨てる。馬鹿にしたつもりが、馬鹿にされた、手痛い反撃を食らったと思い込んでいる。


「おお、そうだな。わかっているとは思うが、旧世界に呼び出され、帰ってきた者にはそちらの世界についての報告をしてもらう事になっている」


「知ってる」


 ぶっきらぼうに一言だけ。


 科学の発展、その他に関して大きく後れを取っている現世界が、旧世界の文明に触れるという事は、極めて大きな可能性を得る事を意味する。


 現世界に無い物が旧世界にはありふれている。それらを持ち帰り、分析、理解、把握できれば自分自身の手で発現させる事が可能になる。


 そういった機会を独占する事で、それらがそのまま他者に対する絶大なアドバンテージになりうる。


 もちろん、娯楽や嗜好なども含め、現世界の発展の為にと、民間レベルにまで浸透した物品や文化もある。しかし、それらは被召喚士代理がこの世界に持ち帰って来たもののうちの僅かに過ぎない。


 有形無形に関わらず、持ち込まれたものは非公式の審議にかけられ、”有害性”がないと認められたもののみ国民にまでその情報が行き届く。


 学校の授業などで被召喚士代理によって話される旧世界の話ですら、事前審議の上でその内容が制限される。


 旧世界との接触は秘密裏に、厳重に管理されているのである。


 国王は続ける。


「仮にお前が嘘の報告をしているとして、それを見抜く手段は残念ながら我々にはない。しかし、もしその嘘が暴かれたなら、どうなるかは分かっておろう」


 そんな言葉はただの脅し文句にすぎない。しかし、被召喚士代理を志す者のうち、その殆どが、王室との関係の強化こそをその最大の目的としている。見抜かれないとも言い切れない嘘を吐いて、(いたずら)に王室との関係をこじらせるようなリスクを負う様な事をした者は、これまでには居ない。


「まあそんな脅しがお前に通用するとは到底思えんがな」


 国王は鼻だけで笑った。アルヴァは王室との関係など求めていない。


「しかし、だからと言ってお前が反王室勢力と手を結ぶ事は無い、と。同時にそう、思うのだよ」


「……うるせえよ」


 決して口には出さないが、アルヴァの反応で王は確信を得た。彼が王室の存続を脅かす可能性は、ない。


「それと、敷地の外へは出る事の無き様」


 何でもない風を装って、話を続ける。


 これまで、外部への情報漏洩を防ぐために、代理に対しては、王宮の外には出てはならないという暗黙のルールがあった。このようなルールが暗黙たりえたのは、やはり王室との関係。加えて、制限された所で、不自由もないので出る必要がないという(もっと)もな理由もあった。 


 それが、ジャンヌが彼を迎えに行ったという話がアドニスに伝わって以来、明らかなルールに変わった。


「なんだ? びびってんのか?」


 心の内を見透かされた事にも気づかず、これが期とばかりに煽り立てる。


「何とでも言うがいい。王室を守る為なら手段を選ぶつもりはないんでな」


「っ」


 対する国王は、そんなもの歯牙にもかけず、ただ自身の信念を表明するのみだ。


「それはそうと、だ」


 国王は軽く腰を起こして椅子に座り直した。


「どんな経緯であれせっかく旧世界人と接する可能性を得たわけだ。彼らの願いの一つや二つ、叶えてやればいい」


「……は? 何言ってんだお前?」


 今の彼を形容するのにこそアホ面という言葉程相応しい表現もないだろう。さっきまで煽っていた相手が唐突にそんな事を言う。自身の、国王に対する怨嗟の根源を覆すような言葉を並べる。国王の事がアルヴァにはいよいよ理解できない。


「? そのままの通りの意味だが? 自分の世界の言葉もろくに理解できぬ奴が別の世界の言葉を理解できるはずがなかろう。この世界を代表しているという事を忘れられては困る」


「だからいちいちうるせえんだよ。お前一体何を言いに来たんだよ」


「なに、言いたい事は既に言った」


 国王はそう言って立ち上がると、ゆっくりと歩いて行った。ドアノブに手を伸ばした所で背中越しにアルヴァに声をかける。


「ガールフレンドがいなくなったとて、その名に恥じぬようゆめゆめ精進を怠らぬようにな。それでは」


「なっ! てめえ!」


 そう言って、咄嗟に発現させた極めて再現度の低い上履きを国王に向かって投げつける。それは彼の背中の十数センチ手前に突如現れた分厚い木製の壁に弾かれ、傍らに落ちた。


 右手が壁の端から現れて緩慢に上下に揺れる。去り際の挨拶。


「クソが! 二度と来んな!」


 その様に怒りを覚えたアルヴァは、苛烈な言葉を吐きかける。しかし国王は既に退出しており、後には木製の壁だけが残された。


 しばらくそれを見ていると、木目にすら馬鹿にされているような気がしてきた。アルヴァは忌々しげに唸って、それを消滅させた。



                    ↓



 国王である叔父が残して行った壁を消滅させた後、気を落ち着かせようと部屋中をうろうろと歩き回っていたのもつい先ほどまでの事で、今はベッドに腰を下ろして落ち着いている。


 何だかよくわからない奴だ。言いたい事とは先程の会話の一体どの部分だったというのか。


 最初のうちはそんな風に国王の言動を振り返っていたが、思い出せば思い出す程怒りも再燃してくるので、すぐにやめた。


 そして、彼に対する怒りが収まった今、アルヴァの心中は存外に穏やかだった。


 この世界の人間の殆ど全ての人間は、旧世界人の事を毛嫌いしている。歴代の被召喚士代理に何度か聞かされた旧世界人像は、どれも否定的なものばかりだった。


 それらは偏見だ。旧世界の人間は、この世界で語られているような者ばかりではない。願いを叶えさせられるだけの一方的な関係だけではない。


 分かり合える。分かり合えるのだと。自分はそう信じている。


 自分の能力でこの職に就く事は諦めていた。その時に失われたはずこの気持ちは今一度、この心に湧き上がる。


 旧世界人と親しくなりたい。


 国王との会話の一端。どういった意図を含んでそんな事を言ったのかは、やはりわからない。しかし、彼が何を言おうと、被召喚士代理になろうと決めた時からそのつもりだった。


 叶えられる願いは叶える様にしよう。


 彼の中に幾つかの喪失は確かにある。しかし、同時に、今の彼には希望がある。ともするとそれは、喪失したものを取り戻す為の力にもなりうる。


 このまま気落ちしていても決して後悔が晴れる事はない。ならば、彼女がいつか帰って来た時、彼女にしっかりと向き合えるような自分で居よう。


 今できる事はきっと少なくない。旧世界人について学ばなければならない事だってまだまだたくさんある。


 アルヴァは、こうしてはいられないとばかりに立ち上がり、ドアを開け、自室から出た。


 たまたますれ違った委員の一人に廊下を走るなと怒鳴られたが、彼には聞こえなかった。



                   ↓



 それから幾らかの夜が過ぎた。


 アルヴァは今、ある建物の前に立っている。


 ひんやりとした空気が停滞している。()の光は一日中届く事は無い。


 そこは、王宮の最奥部の広間。その中央には、王宮とは構造的に独立した建物。まるで王宮という大きな蓋に覆われているような位置関係。


 何の装飾も施されず一様に白い。その姿が、かえって無機質な機能性を漂わせる外観。全体を見れば、三、四メートルほどの高さで、広間と呼ぶには狭すぎ、しかし部屋と呼ぶには広すぎるという程度の面積を有している直方体であるという事がわかる。


 現在彼が対面している、幅が狭い方の面。その中央に戸がある。ちょうど人が一人出入りできるぐらいの幅の片引き戸なのだが、非常に重く、しっかりとした引手こそあるものの、開閉には時間を要する。


 律儀(りちぎ)にもアルヴァはそれを消滅させる事なく、半身で入れるぐらい開けた。隙間から光が漏れる。アルヴァも職務開始の時刻よりも早く来たが、王宮職員の方が先に来ているのだろう。


 中に入っても戸は閉めずに開けっ放しにしてある。そうするのが決まり事になっているし、戸の内側には引手がないので、閉めようにも閉められない。


 中は、外同様に白い。どちらも同じ建材である事は間違いないだろうが、それでは果たしてそれがどういった物なのか、誰にも想像がつかない。


 壁面に設けられた、唯一の光源であるオイルランプが微かに揺らめいている。


 建物の両短辺側に奥行き二メートル程度、それらを繋ぐようにして、幅一メートル程度の足場がそれぞれある。


 この建物の中には、それらの他に足場がない。


 建物内の実に半分以上の面積を、何もない空間が占めている。もちろん何もないという事はないのだが、底が余りにも深く、肉眼では確認できないのだ。足場以外には仄暗く不気味な虚が一様に横たわっているように見えるのみだ。


 "白い部屋"


 そう呼ばれているこの部屋は、旧世界と現世界を繋ぐ空間の穿孔(せんこう)が現れる場所だ。


 ここを通って彼らの祖先はこの世界に至った。


 しかし今現在、それらしきものはここには見られない。不気味なまでに均質で一様な材質の壁や床と、明らかに後から設けられたであろう――対比効果によって執拗に現実感を与えられた――転落防止の手すりがあるだけである。


 それは、旧世界側の人間がある条件を満たした時のみ、この部屋に出現する。


 その条件こそが、向こうの世界で言う所の"召喚の儀式"、これを成功させる事である。


 この儀式は、成功したからと言って、それが即ち世界をまたがなければならないという強制力を持つものではない。開いてもくぐる必要はない。


 しかしアドニス以前の国王及び被召喚士代理は、誰一人例外なく旧世界の召喚に応じた。


 アルヴァも己の職務をこなすため、就任以来儀式の条件が整う期間は一日も欠かす事なくここを訪れていた。



「どうも、こんばんは」


 入り口付近で椅子に掛けて手持無沙汰にしていた守衛に一応挨拶をするが、彼は一瞥をくれるだけで何も喋らない。


 いつも思うのだが、どうにも気まずい。この建物の中には彼と自分の二人だけしか居ない。彼は王室より守衛というれっきとした役を受け、部屋を、そして、代理を監視している。


 この役目は数人が持ち回りで担当しているが、ごくごく実務的なやりとりを除いては、彼らとはほとんど会話らしい会話をした事がない。


 それは、彼らに限った話ではない。王室関係者で事情を知る者は、そのほとんどがアルヴァとコミュニケーションを図ろうとしない。理由は簡単で、彼の国王に対する態度や、それにもかかわらず特例的に代理の地位に就いたというのをよく思っていないのだ。アルヴァにしてみても、そんな相手に上手く馴染める気もしない。


 アルヴァは職員から離れた場所に座り込んで、図書館で借りた旧世界との交流に関する本を読んでいる。しかし、油断すると守衛に意識が傾き、酷く気が散る。彼には退席してもらう方がお互いにとっては良い事なのは間違いないだろう。向こうは向こうで注意が散漫になっている風な様子を見せる時がある。守衛とは言っても、完全に閑職扱いで誉れ高い役職でもなく、任命された者でやりがいを持つ者は(まれ)である。


「……」


 今日もまた何事もなく業務終了の時間が来て、部屋に引き返す事になるのだろう。


 現世界人は基本的に旧世界人が嫌いで、できれば呼び出されたくないと考える者がほとんどだ。だから、召喚された代理達は召喚者に憑素を流し込み、意識を奪う。


 ジャンヌは年に数回あるとは言っていたものの、自分が任期内に呼び出されるというのはどうもあり得ないように思われる。


「おい、代理」


 そんな風に考えている最中。それは、唐突に始まった。


 守衛が不遜(ふそん)な呼び声と共に首を振って指図する。


 彼に従い奥の方の広い足場を見遣(みや)る。その中央部、十数センチの高さの位置に、身をかがめれば大人でもくぐれそうな大きさの楕円形の領域を確認した。どうにか域外との境界面がわかる程度に像を屈折させているという微細なもの。


 アルヴァは立ち上がり、細い足場に差し掛かった。足場は狭いが、両脇に妙に現実味のある手すりが設けられている。転落することはないだろう。


 無事渡り終えたアルヴァは、楕円形の前に立つ。


 この世界を旧世界と繋ぐ(あな)


 遠くで見た時よりも鮮明に境界面を認識できるが、それだけだった。ここをくぐれば旧世界に辿り着けるなどと、眼前にそれがある事でますますその実感が薄れてしまう。


 何となく時刻を確認した。そこでアルヴァは唐突かつ直感的に微かな疑念を抱く。


 時刻は職務開始から数分も経っていない。呼び出すのが早すぎるのではないか。


 まるで、召喚が可能になる時間をずっと待っていたような。


 そこから連想される召喚者の像を、アルヴァはどうしても想像できなかった。それは、結論に至るなという誰かの意志の(あらわ)れのように感じられた。


 言い知れない不安を覚えつつも、異世界、そこに住む人間に募らせた想いを強く抱いて、その門をくぐった。



                      ↓



 ろうそくの明かり以外に光源がない部屋。ろうそくとろうそくを結ぶ白線。それらが描く幾何学模様。即ち、魔法円。部屋の傍らには座卓とその上に置かれたティーセット。


 そこには、授業で習った通りの光景があった。


 そして、円の中央。祭壇。すぐ傍に立ち、自分と対峙する者。


 彼を捉えた瞬間、緩慢(かんまん)()うような陰りがアルヴァの感情を襲う。


 眼前の男は、痩身(そうしん)の中背。具体的な年齢は定かではないが、若くは見えない。ぼろを身に(まと)ったような身なりに、なるがままの頭髪や髭。


 そして、各々の眼窩(がんか)に鎮座する両の目は、ギラリとした光を反射しながらも深く(よど)んでいる。


 今、目の前に居る男の様子さえも、かつて聞き及んだ事のある特徴に合致する。


 (いわ)く、「何かに取り憑かれているようだ」と。


「? !! お前が魔法使い何だなッ!? やった! やったぞ!! なあ、俺の事を馬鹿にしたやつらを見返してやれる力をくれ!」


 被召喚士代理が突然現れ、男は一瞬驚いた様な素振りを見せたが、儀式が成功したと理解するや否やまくし立てた。



 それが合図だった。


 瞬間。緩慢だった陰りは、アルヴァの感情をその内に取り込むかのように一気に覆い尽くした。


「な? 叶えてくれるんだろ?」


 ずっと、信じていた。現世界人が言うような人間ばかりではないと。


 もちろん、全てが全てそういった者ばかりではないというのは正しいのだろう。


 ならば、眼前に居る男はどうだ。


――旧世界人と親しくなりたい。


 そう伝える間すら与えられなかった。


「――俺には」


 答えは決まっている。しかし、(うつむ)いたまま(こぼ)れ出る言葉は(とどこお)る。


「何だ? 早く叶えてくれ、早く」


 対して男は(はや)る気持ちを隠そうともせず、魔法使いを呼び出す事に成功し、それにより自分の願いが叶うという高揚感にただただ嬉々として回答を促す。


「……俺にはその願いを叶える力がないんだ。……すまない」


 失意の最中(さなか)にありながらも、アルヴァは取り立てて柔らかな言い回しに努める。それが精一杯だった。


 旧世界人に対して、それぐらいの事しかできなかった。


「なっ!? ど、どういう事だ! おい!?」


 自分が呼び出した魔法使いの口からそんな言葉が出るなどと、男が想定していようはずがなかった。(おの)が願いが拒否されても尚、その現状に理解が及んでいない。


「――――」


 アルヴァは歯痒(はがゆ)げに固く目を閉じて、俯く。


 旧世界人が魔法と呼ぶ、現世界人の発現という能力には限界がある。


 いつの頃からというのは定かではない。ただ、いつの間にか発現の限界を知る旧世界人は居なくなった。


 しかし、(おのれ)の能力を説明した所で現状が改善されるとは到底考えられない。アルヴァは何も言葉を返す事が出来ない。唇は動かしても、呼気とも無声音とも付かない空気の排出を行うのみである。


 しかし、そんな事情を男が知る由もなく、知った所でそれに納得するはずがない。


 ごく一部の間で噂されているという願いの叶う呪い(まじない)の儀式。信憑性や悪影響の可能性といったものを一切顧みず、露程(つゆほど)も無いような希望にすら醜くすがり付き、その実現の為に男がどれだけのものを差し出したか。


 更に、男には、アルヴァの態度がある人物と重なって写り、それが苛立ちを一気に加速させた。そして、まるで限界を超えた風船が破裂する様に怒りを瞬発させた。


「まさか……お前も俺を馬鹿にするのか!!」


「俺だって、俺だって一生懸命やったつもりだ!! それなのに……それなのに! どうにもならねえものはどうにもならねえんだよ!!!!」


 対してアルヴァは、相好(そうごう)を醜く崩しながら――男の感情や思考に引き()られる様にして――誰に対してともつかない言葉を吐き散らした。


「なあ……! 何とかしてくれよ! 頼む! 頼むよ!」


 アルヴァの言葉はどこにも――眼前の男にすら――届かなかった。


 その男は祭壇を跳ねのけてアルヴァに肉薄、掴みかかる。それは同時に、すがり付くようでもあった。


「クソッ! 離せ!」


 単に振り解くだけのつもりが、勢い余って突き飛ばす形になった。男は自らはねのけた祭壇のすぐ手前に倒れ込む。


「うわあ! ひ、火がぁ!」


 祭壇の直撃で横倒しになったろうそくの炎が祭壇を覆う布に着火する寸での所、慌ててろうそくを取り上げて火を消した。


 アルヴァはその様を呆然と見つめている。自分よりも背のある男がこれほどまでに容易(たやす)く弾かれた。その両の手にはまだはっきりと感触が残る。それが腕から体へと伝播(でんぱ)する錯覚。動揺は更に大きくなる。


「て、てめぇ! 何すんだよぉ!!」


 男は上半身だけ起こして罵声(ばせい)こそ浴びせるが、それ以上何もできない。


 わが娘に暴力は振るっても、自分より強いと判断した相手には、何もできない。


「……俺の役目は、終わったから」


 アルヴァは目の前にいる男――小中小陽の父、恭夫(やすお)――を直視できない。体裁(ていさい)だけはどうにか(つくろ)って、それだけの言葉をどうにか絞り出すと、この世界から姿を消した。


 まるで下手くそな編集動画のように、その場から突然姿を消した。


 そして、祭壇と一本のろうそくを除き、数分前と同じ光景がそこにはあった。


「? おい……」


 元通り一人になった恭夫は、そのままの状態で首から上だけを動かして、辺りを(せわ)しなく見回す。


「おい!! どこ行ったんだよ!! 隠れてないで出てこいよ!!!!」


 体勢を変えて自分の後ろ側も、部屋中を幾度となく見回した後に、絶叫した。


 大音声は、彼が力尽き、その場に倒れ込む直前まで続いた。




 その間。


 去っていった者に気を奪われていたため、微かに開けられたドア、その隙間から部屋の中の様子を覗く存在に、彼が気づく事は無かった。



                 ↓



 翌日。日は既に沈み、空には上弦を僅かに引っ張った様な形の月が浮かぶ。


 恭夫は光が入ってこないように手を加えた窓を開け、外の様子を確認した。いつの間にか目が覚めてから、ずっとこの時間が訪れるのを待っていた。


 召喚を行うための時間。


 今の恭夫は幾分機嫌がいい。願いこそ叶えさせられなかったが、魔法使いをこの世界に呼びだすことには成功したのだ。


 祭壇を組み直し、燃焼の終わったろうそくを取り換える。その他、下準備は既に全て完了していた。


――これで儀式の環境は整った。召喚のための文言は覚えている。


――昨日はどうして願いを叶えてくれなかったのか。召喚の儀式のどこかに不備があったのか。


 そこで思考を停止させる。


――叶えさせる事ができるまで何度でも呼び出すまでだ。


 自分を馬鹿にした人間達を見返す。自分の願いの成就はもうそこまで来ている。魔法使いをこの世に呼び寄せる方法はわかった。だから、あと少し。あと、少しなのだ。


 そこにはやはり現世界人の意志などない。


「友よ、最果ての地の盟友よ。隔たりを超え、今この場所にて旧交を温めようではないか」


 高まる気持ちを抑える事もせず声に乗せる。


 言い終えた父は魔法使いの再来を待つ。その目には異常なまでにぎらついた光を(たた)えている。


 静寂をそれ一つで塗りつぶしそうな狂気。やや冗長な周期で、恭夫の口から低いうなり声として漏れ出る。祭壇に立てられたろうそくの火が、それに当てられたように不穏に揺らめく。


 その状態がどのくらい続いただろうか。


 何も起きない。


――文言を間違えたのだろうか。いや、そうだ。そうに違いない。


「友よ、最果ての地の盟友よ。隔たりを超え、今この場所にて旧交を温めようではないか」


 やはり何も起こらない。


 四度、五度と繰り返したが、室内に変異が起こる気配はない。


「……馬鹿な。出てこないだと? そんなはずは……そんなはずはない」


「クソッ! 今度こそ言う事を聞かせてやるッ! 俺を馬鹿にした奴らを見返してやれるような力を手に入れるんだッ!」


 昨日、彼を呼び出すことに成功した時と同じ魔法陣、供物。一言一句違う事のない文言。


 必要な条件はすべて(そろ)っている。


 にもかかわらず、何度繰り返しても小陽の父の前に魔法使いが現れることはなかった。


「友よ、最果ての地の盟友よ――」


 無音。


「友よ、最果ての地の盟友よ――」


 無音。


「友よ――」


 壊れたレコードのように繰り返し繰り返し、何度も、何度も。


 何度やっても結果は変わらない。


「友よ……。友よ、友よ友よ友よ友よッ――――!!」


 次第に音程も抑揚も乱れ始め、遂には、それが言葉なのかどうかさえ分からなくなった。


「――――――――!!!!」


 背を丸め、不自然な声を精一杯腹から絞り出す。 


 それが最後だった。


 父はその場に(くずお)れる。


「――っ、ああぁ……」


 父の口から上ずった声が零れる。まるで重力に従って落下するように。


 成績が、能力が、才能が、力が、愛が――。


「うわああああああぁああああぁあぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 かろうじて保たれていた彼の人格は、崩れ落ちた。

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