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主席と落伍者2


                        ↓



「あんた午後の授業はどうすんの?」


「天文と法律ね、パス」


 友の問いにジャンヌは即答した。


 食堂。といっても別に調理場があるわけではなく、衛生的で他に対して比較的広い空間。


 彼女とその友達数人は昼食を終えたが、昼休みはまだ幾らかある。先程よりは随分と疎らではあるものの、外で食べられないぐらいには雨が降っている。


 午後の授業を受けない時に都合が悪いので、教室では食べない。食うだけ食ってさようならでは流石に印象が悪い。彼女自身としてはやりたい時にやりたい事をする方が効率が格段に良いのだが、それが自身の能力に物を言わせて好き勝手していると捉えられている節がある。


「もう。出席が足りなくて留年しちゃえばいいんだわ」


 はっきりと冗談とわかる口ぶり。ジャンヌの性格や学習スタイル等々受け入れた上で友達は接してくれる。


 適当な軽口を二、三言い合い友が教室へ帰って行くのを見送って、その場でこれからの予定を思案する。


――クッキーのレシピはメモした。だけどそれを調理するための道具についてもう少し調べておきたいわ。それが終わったら試験勉強にしよう。



 ここで立ち止まっていなければ、あるいは予定について考え込むのに集中し過ぎていたら、恐らく気付かなかっただろう。



 方針が決まりいざ図書室へ向かう道すがら、ジャンヌはこの学校の職員ではない人物が九人、整然とした列を保ったまま移動しているのを見た。


 その列は四人が前後にそれぞれ二列で並んでいる。そして。彼らに守られるようにして一行(いっこう)の中央に立つ人物。ジャンヌはその姿を見逃さなかった。


 ジャンヌは再び考える。午後の予定を思案した時よりもその時間は短く、殆ど一瞬の事だった。しかしその須臾(しゅゆ)に紡がれた答えは、今後自分達の人生を大きく揺るがす事になるかもしれない。


 ジャンヌは今し方組んだ今後の予定を全てキャンセルし、即座に図書館とは反対方向に走り出す。


 国王を追った。



                     ↓



 アルヴァにとってはようやく訪れた放課後。


 午後は教室にこそ居たものの、授業の内容など覚えていないどころか最初から聞いていない。


 昼の一件があって、その事について午後からずっと考えている。感情の起伏が激しい自分の性格が、彼女を幾度となく困らせているだろうという事。さりとて一たび感情が(たか)ぶると、自分の感情をコントロールできない。


 などなど、そういった諸々(もろもろ)を悶々(もんもん)と考えていると、時間が経つのがいつにも増して遅く感じられた。


 ともあれ放課後は訪れた。とにかく今は早々に学校を離れたい。


 そう考えていたら教室を出るか出ないかの所で、あろう事かジャンヌと鉢合わせた。


「うおっ!?」


「わっ! びっくり」


 アルヴァは咄嗟に身を引き、寸でのところで接触は回避された。


「……何だよ」


 非常にばつが悪い。彼女がこのクラスに用があるならばそれは自分に対してだと確信めいたものがあった。


「ああ、ちょうどよかったわ」


 対する彼女は図書室での別れ際の事などなかったように、いつも通りだった。


「付き合ってほしいの」


 どういった経緯で回復したかはさておき、ともかく元に戻ったのならよかったと安堵したアルヴァは、しかしながら彼女のその言葉に形容しがたい嫌な予感を覚えた。


「何にだよ」


「とりあえず付いて来て」


 返事も聞かぬまま移動するジャンヌ。


 断るべきだったが、図書館での事が相当後ろめたかったらしく結局は彼女に続いた。


 彼女に付いて廊下を行く。どうせ大した事でもないのだろうという根拠のない願望は、次第に現実味がなくなっていく。


「おい。どこ行くんだよ」


「いいからいいから。そんなに急かさなくても来たらわかるわよ」


 歩を進める毎に、目的の場所に近づいていく毎に、嫌な予感がじわりと滲み出た。


 向かった先は、会議室。


 この時点では、何が待ち受けているのか彼には見当もつかなかった。

ただ、嫌な予感は失せず、むしろアルヴァの中で現実になると確定された。余程の事でもなければ会議室に世話になる生徒はいない。


 逃げ出そうと決断した時には既に左腕をがっしりとホールドされていた。


 (あらが)ったが、彼女の腕力は見た目からでは想像がつかなほど強く、アルヴァが手を解く前に空いた手でドアを叩く。


「失礼します」


 ジャンヌは後ろ手に彼を捕縛(ほばく)したまま入室する。


 室内中央部両脇に置かれた机、その前にそれぞれ四人ずつ着席している。


 両の机の間、会議室の真ん中に太い線を引くようにして横たわる赤い毛氈(もうせん)。それが途切れた先、この部屋の最奥部には、細部に至るまで複雑にして華麗な装飾を施し所々に宝石があしらわれた玉座。


 そこに深々と腰を掛け、肘掛に頬杖をついている人物。


 待ち受けていたものは、嫌な予感などと言うような生半可なものではなかった。考えられうるうちで最悪のケース。


「早かったね。おや?」


 アルヴァにとっての最悪の化身、彼の叔父にして現世界の国王アドニス・ロバート・ウッドマンは、彼に気付いても、まるでこうなることを最初から想像していたかのように別段の反応はない。


「お前か」


 アルヴァは、それまで掴まれていた腕を乱雑に振り解く。拳は固く握られている。


「あなたは……」


 対してアルヴァの言葉には、感情を無理に押し殺そうとするような響きが混じる。喋る速さやトーン、全てが鈍重(どんじゅう)になる。


「旧世界の人間の事を人外だと言った」


 ジャンヌはそんな彼の声に、誰にも気づかれないように一瞬だけ堅く瞳を閉じた。


 国王は表情を変えない。彼がそう言う事など分かり切った事なのだ。挨拶の様なものだと思っている風ですらある。


「私だけの意見ではないんだよ。民意だからね。しかし、共和派の連中が反対に回らなかったのは意外だったね。反対していたら通ってなかっただろうに。もちろん、賛成もしなかったがね。全員棄権欠席だよ」


「『独立派のせいです』だと!? ふざけるな!!」


 殆ど反射的に激昂した。


「おい! 態度を慎め! 幾ら甥とはいえ国王に向かって何たる無礼を……」


 机の前に座っていた人物の一人が立ち上がり、つられるように激昂した。


「何、構わん。いつもの事だ」


 国王を心から敬い、誠意で以て付き従う――時には畏怖の念すら抱く――取り巻き達は、彼の淡々と言葉を紡ぐ様に声にならない声を感じ取るだろう。


「あの!」


 何か言いたげな取り巻きに先んじて声を上げる。


「少し早いですけど本題に入りましょう!」


 この部屋に居る全員の視線を受けたジャンヌは、国王を前にして物怖じする事はない。


 このままでは本題に悪い影響が出てしまう可能性がある。そして何よりも、これ以上彼を傷つけるような事に加担したくない。


「そうだな。それでは始めるとするか」


 国王が静かに言う。アルヴァは自分をこんな場所に連れてきたジャンヌを恨めしく思ったが、途中で退出するのは王から逃げるみたいで益々気分が悪いと感じた。ありとあらゆるものへの怒りは収まらないが、この場を動くつもりもない。ただ、誰に促されても喋るつもりもない。


 より良い選択肢は幾らでもあっただろうに、今の彼にとってはこれこそが最も取るに相応しい選択だと思えた。


「今回、貴重な時間を頂戴してまでお集まり頂いたのは他でもない事です。委員会の皆様に一つ、お願いがございます」


 彼女の発言に対して王は何も喋らず、変わりに一瞬ほんのわずかに表情を変えた。


「は? お前、何言ってんだ? お願い? いや待てこいつら委員会かよ!?」


 誰に促されてもいないのに早速喋らされた。


 突然の言葉に、アルヴァの怒りは向かう先を見失った。


「貴様! こいつらとは――」


「こいつらではない。お前の言う通り、我々は被召喚士代理選抜委員だ」


 委員の一人が激昂するのも意に介さず、王は淡々と語る。


 我々とは言うものの、決定は実質国王自身の意向であると言っていい。


 この国の政治体制下では、慣習上国王は独断で行使できる権力を殆ど持たない。だが、被召喚士代理という職が置かれるまで旧世界に召喚されていたのは歴代の国王という背景から、この役職の選抜に関しては、委員会の長という立場で、国王が事実上の権限を有する。


 王の取り巻きはその全てが事務方を務める。


「さて、提案を聞こう」


 アルヴァを軽くあしらう国王。彼をぞんざいに扱うのは彼にしてみればいつもの事である。


 言われるままにジャンヌも提案を述べる。


「もし私が今年度の被召喚士代理に選ばれましたら、今ここに居ます彼を、被召喚士副代理に任命して下さい」


「……は?」


 わけも分からず連れてこられれば彼女はわけのわからない事を言う。今の彼には色々な事を考える時間が必要だった。


「君は一体何を言っているんだ? そんな役職はない」


 取り巻きがやや声を荒げて言う。


 この場に居る全てが彼女を理解していない。この時点では恐らく国王も。


「私が考えましたから」


 なぜか得意げにそんな事を言う。国王がほんの一瞬、口元だけで笑った。


 取り巻きたちは「そんな事を言うためにこの場を設けたのか?」「不可能だ」「まだ学生といっても彼女の提案だぞ? 考える余地はあるだろう」「いやしかしだなあ」だのと口々に言葉を交わすばかりで、明確な答えを出せずにいる。


 その国王は、彼らとは対照的に何も喋らない。ただただ彼女の目的と、他ならぬジャンヌ・ホロスそのものを見極めようとしている。


「副代理と言っても、別に私の補佐をしてもらうという事ではありません」


「それはそうだろう」


 わかり切った事のように委員の一人が言う。彼らにしてみれば、彼女が補佐されなければならないような理由など探しても見つからない。しかも当の補佐役が道半ばで挫折した劣等生だ。彼が一体何を補佐するというのか。


 言うと言わずの違いで、他の委員達の間ではそれらが無言の内に共通認識として出来上がっていた。アルヴァ本人でさえ――本人だからこそ――そう思っているだろう。


「もし任期中に召喚された先で私の身に何かが起こって、こちらの世界に帰って来られなくなった場合などに、代わりに彼に被召喚士代理としての職務を果たしてもらいます。代理の代理です」


 現職の被召喚士代理が旧世界に居留まっている間に誰かが召喚の儀式を行えば、新しく召喚される人物を構える必要がある。論理的にはそういう事になるのだが。


「この役職を設けて以来そんなケースはない。あっちの世界とはいえ、君に限って何かが起こる事なんてないだろう。」


「何事も、わかるまではわかりません」


 ジャンヌは敬語でいつも通りの事を言う。


 その様を観た国王は、視覚では決して捉えられない何かが僅かに変化した。


 ここで委員達が一か所に集まってひそひそと議論を始めた。


「おい! お前一体何考えてんだよ! 被召喚士副代理だと? 何だそれ!?」


 アルヴァが問う。ジャンヌと彼らのやり取りを静観していたのではなく、頭が混乱していたのが、やり取りの音が止まったのがきっかけで回復したに過ぎない。回復したというにはその質問は既に回答済みという粗末なものだったのだが。


「……仮にそうだとして君の言う役職を新たに設けるとしよう。なぜ彼なんだ? 彼よりも成績の良い適任者は他に居るはずだが」


 ジャンヌが何か言おうとするタイミングで委員の一人が問う。


 彼女の言う事は取り入れるが、それはアルヴァにではなくもっと優秀な者に任せる。取り巻き達は交渉の落とし所をそう見定めた。この世界で彼女の能力それ自体がどれほど有効な交渉材料になるかが伺える。


「彼こそが相応しいという根拠はあります」


 ここで少し間を置いた。取り巻き連中が、話を促す事も忘れてただ固唾を呑んで黙する。


「それは試験内容には反映されていませんが、皆さんもご存じかと――」


「おい!! ちょっと()――」


「いいだろう」


 渦中に居ながらにして蚊帳の外だったアルヴァは、ジャンヌの言葉を遮る言葉を遮られた。


 その場に居たジャンヌ以外の全ての人間――アルヴァでさえも――が声の主に瞬時に顔を向けた。彼らに遅れてジャンヌもゆっくりと王へ視線を返した。


 それまで沈黙を続けていた国王が答えた。


 王の回答を委員達は想像していなかった。思慮深いという認識が濃く、実際、強い権限があるにもかかわらず――採用するか否かに関係なく――これまでのすべての会議で委員達の意見を聞いていた。


「確かに彼は能力に関して他の候補者に比べて格段に劣るだろう。だが同時に旧世界の人間とふれあうに適した人格を持っていると私は考えている。君が言う所の根拠というやつか」


「はい」


「わかった。それでは君の言う通り、君が被代に選ばれたなら、君の言う被召喚士副代理とやらに彼を任命しよう」


 決して大きくはなかったが、よく聞こえる声。


 いつものプロセスとは随分と異なるが、国王が決定した以上委員達は異を唱えるつもりもない。


「勝手に話進めんなよ! いいわけねえだろ!」


 円満に決定するかのように思われたが、この会議における最重要人物が立ちはだかった。


「? いいに決まっている。私は任命しようと言ったわけだが」


 国王の相変わらずの人を食ったような物言いにアルヴァの怒りは再燃した。


「いいや、絶対に嫌だね!」


「そんなに気を荒立てる事でもないだろう。彼女が無事全うできれば事実上君はただの人間だ」


 彼の言う“ただの人”という箇所がアルヴァの(かん)に障り、必要以上に当たり散らす。


「おいジャンヌ! お前が任期満了までできるって保証はあるのかよ?」


「わかるまではわからないわ」


 まるできらきらと輝くような満面の笑顔で言う。正に火に油。


「ダメだ! 絶対やらねえからな!」


「任期は彼女と同じ一年だ。彼女が任期を全うしたら同時にお前の副代理の役目も終わりだ。次期被召喚士代理はこれまで通りこの学校の成績優秀者から選出される。何か問題はあるかね?」


「いいえ。ございません」


 アルヴァが喋っているのを放置して国王が尋ねるし、ジャンヌも答える。


 国王は委員達の方へ顔を向ける。


「我々は元よりございません」


 取り巻き達も追随。段々と追いつめられていくアルヴァ。


「お前らに異議がなくても俺には有る」


「そうなのか? 確かにいくら任命すると言ったとはいえ、任命される者の意見は聞くべきであったな。さて、何が不満なのかな?」


「それは……」


 国王が芝居じみた調子で言う。


 食ってかかられているはずなのに彼は口ごもる。


「アンタが決めた事だからだ」


 それも理由の一つで間違いはないのだが、ほとんど口から出任せだった。


「何だ? たったそれだけの事か?」


 委員が怒鳴る間を挟ませないように国王が言葉を放つ。


「私が決めたと言っても発案者は彼女だぞ? 私を恨むなとは言わん。だがガールフレンドの希望は叶えてやってもよいのではないか?」


「ガッ! ガールフレンドなんかじゃねえよ!」


「え!? そうだったの!? ヒドイ……」


「は? 違うに決まってんだろ! バカてめえヘタクソな演技すんなよ!」


「痴話喧嘩は余所でやれ!」


 委員に突っ込まれた。


「やるのか? やらぬのか?」


 王が回答を迫る。


「クソッ!! やるよやりゃいいんだろ!?」


 せめてもの抗議のつもりでジャンヌを睨む。彼女は胸元で両の手を合わせ、ふてぶてしいまでにギラギラとした笑みを浮かべている。それを見て、彼女にうまくコントロールされたのだと確信し、まるで魂が抜け落ちたように激しく項垂れた。


「よろしい。他に何か議題はあるかね?」


 その俯く様を小さく笑って、国王が会議を促す。


「いいえ。ありません。以上です。それでは会議を終了します。本日はお忙しい中お集まり下さり誠にありがとうございました」


 国王を含む委員会の面々は、互いに挨拶を交わし会議室を後にし始める。その退室間際、国王がジャンヌ達の方に振り向いた。


「手を抜く事の無き様、試験に励みたまえ」


「はい。ありがとうございます」


 ジャンヌの返事を聞くと国王は視線だけアルヴァに向けた。当の本人は自分の名前を聞くまで視線には気づかず、この会議を振り返って考え事をしていた。


「アルヴァよ。真に懸念されるべきはお前だ。お前が卒業できなければ全てぶち壊しだからな。たとえ副代理といえど、卒業は絶対条件だ。自分自身のためのみならず、そこに居る彼女のためにも一層邁進するんだな」


「……ぅ」


 王の言う“彼女”の意図がわからず、肯定なのか否定なのかわからない呻き声に似た言葉をぼそりと漏らすのが精一杯だった。


 それを見届けた国王は老獪(ろうかい)()に笑み、今度こそ退室した。残りの委員達が後に続く。


「それじゃっ。会議も終わったし」


 国王に(うやうや)しく一礼をした後、アルヴァに体を向けてジャンヌが言う。


「一緒に帰ろっか?」


 まるで傾国の美女と見紛うもさもありなんというジャンヌの笑顔に一瞬だけ心拍が強くなったアルヴァは、先程彼女にしてやられたばかりだという事を意識的に思い出し、今度こそ無言を決めた。



                  ↓



「なりたかったんでしょ? 被召喚士代理」


 会議終了後から今までに四回ほど同じ質問を繰り返したが、アルヴァは全て無視した。


 会議室を後に帰路に向かう二人。


「……なりたかったんでしょ?」


 先程までと比べて声のトーンが随分低い。俯きがちで目も据わっている。明らかに機嫌が悪い。


「こんな形で実現できたとしても意味ねぇし」


 割と短時間で再び無言の誓いは破られた。沈黙を決め込んでいた彼だが、正午頃から引きずっている罪悪感と彼女の圧力に負けた。


 彼の発言を引き出せたジャンヌは、ついさっきの事などなかったかのようにパッと表情を輝かせた。


 それを見たアルヴァはまたしても彼女の術中に落ちたと気付くが、既にこれ以上気分が沈む事もないぐらいに沈んでいるので特に何も発露しない。


 それはそれとして、彼女の笑顔は確かに眩しいと思う部分の彼も確かに居るらしく、彼の意識せぬか所で気分は複雑に浮沈している。


 昼休みすぐの彼女は一体どこに行ってしまったのかなどとも一瞬思ったが、その原因が他ならぬ自分なのだ。そう考えると、因果応報だとこの気分にも納得はできそうだった。


「でもあっちの世界の人と出会えるっていうのは魅力的なんじゃない?」


「約束もらったそばから位譲るみたいなこと言ってんじゃねぇよ」


 彼は彼女の問いに咄嗟には答える事が出来なかった。せめてものカウンターパンチのつもりで言った。


 しかしながら、やはり何かあると言っているようなものなのではないか。


「向こうで何があるかわからないじゃない。そのための保険よ」


「嘘くせえ。何かあるって言ってるようなもんじゃねえかよ」


 だから直接聞いておきたかった。


「そんなことないわよ。何が起こるかなんて、わかるまではわからないじゃない」


「出た。これだ。『そう言うのはわかってた』なんて言ってもお前にとっちゃそんなのに何の価値もないんだろうがな」


 呆れがちに言った。彼女と未来の話をしても(らち)が明かない。彼にしてみればわかっていた事だったのに、なぜか聞いておきたいと思った。


「ま、そんな所ね」


 そんなアルヴァの気も知らず、彼女は「フフ~ン」などと言って得意気である、大層機嫌が良さそうだ。


「とにかく、この世界を代表する事になるかもしれないんだから、両方の世界の事もっと勉強しておいてよね?」


 何がそんなに嬉しいのか、ともすれば俗に言うぶりっ子扱いされかねないようなかわいげのある態度でアルヴァを叱咤する。


「……嫌だよ、面倒くさい」


 そうは言うが、実際彼女にそんな風に接せられると、アルヴァは弱い。


 彼女と知り合ってしばらくしてからというもの、ずっとこんな調子でアルヴァはジャンヌに振り回されてばかりである。


 それでも彼女を避けないのは、振り回される事を彼は肯定的に捉えられるのか、あるいは振り回されてでも彼女を避けない何かしらの理由があるのだろう。


「卒業してもする事なんてないんでしょ? 一緒に勉強しよ?」


「確かにそうだけどそんな言い方があるかよ」


 幾らかわいげがあると言って、そんな身も蓋もない事を言われるとうろたえる。


「やんねえよ勉強なんて」


 「卒業してもする事がない」とは旧世界では随分と辛辣な物言いだが、この世界では職を持たないという者は決して少なくない。衣食住に困る事がないのだから別に働く必要がないのだ。聖職者・学者・芸術家・役人その他何かしらの職を持つ人間の中に、その目的が生活のためという者は居ない。


 被召喚士代理を諦めた彼には最早働くという気概は無かった。つい先ほど任命された――自分の能力とは無関係に与えられた――職も今では煩わしささえある。


「えー。しようよお勉強ぅ」


「しつこい。同じ手にはかからねえ」


 実の所、もう一回同じことをされてもかからない自信はなかった。


 どうやら彼女は諦めたようだ。不満そうに「ケチ」と言うのみで、先程のように圧力に訴えかける事はない。追及を逃れたアルヴァは、心の中で安堵した。


 二人はそのまま無言のまま昇降口まで来た。


 アルヴァは立ち止まり、念じた。


 次いで、ジャンヌも念じた。


 それまで履いていた彼女の室内履きは、いつの間にか外履きに変わっていた。


 遅れて、アルヴァのものも外履きに変わる。


 この学校、この世界には、下駄箱のように何かを収納する類の物がない。書物や書類を除き、必要な時は出し、そうでない時は消滅させる。それがこの世界の何でもない日常である。


「やっぱお前の方が早い」


「うん、まあそうみたいね」


 アルヴァの言うありのままの事を、ありのままに肯定した。彼女はこの事実を否定するというのはどういう事なのかを知っている。


 旧世界では魔法と呼ばれ、現世界人が普遍的に持つ能力。その優劣は、念じてから物体が現れるまでの時間やその再現性・精密性、発現できる物体の体積や密度、体内に蓄えられる憑素(ひょうそ)の量を主として評価される。


 アルヴァの能力はジャンヌと比べて――あまつさえ同年代の一般的な人間と比べてさえ――劣る。


 二人は校舎の外に出た。(かす)かに濁った灰色の雲はいまだ所々に天を覆うが、午前中に降り出した雨は放課後頃には既に止んでおり、大気中の埃を洗い流された空は澄み渡る。


 そんな天候にすらアルヴァは憂鬱を覚える。


「だいたいよぉ、なりたいって思ってたのは随分と前の話なんだが」


「あら、じゃぁなんでこんな役職引き受けたのかしら?」


「……知らん。お前らにはめられたからだ」


「? はめた?」


「オジキと委員会の連中とで示し合わせて俺がお前の希望を呑むように仕向けたんだろ」


 余りにも速やかに話が進むので、彼は会議が始まる前にこうなるよう事前に打ち合わせをしていたと勘ぐっていた。


「なるほどぉ……。それは思いつかなったわ。どうして先に言ってくれないのよ」


 所が彼女は委員に、放課後に行われる会議の後に少し時間を下さいと頼んだだけというのが実際だ。


「……」


 絶句。


 ジャンヌなどは割と真剣に「最初からそうすればよかったんだわ」などと感心している。


 何とも締まらない別れ際を経て帰宅したアルヴァは、適当に夕食を摂って、特に何をするでもなく過ごした後、適当な時間に寝た。



 それでも、ジャンヌに対しての罪悪感や自己嫌悪と共に時間を過ごすに至らなかったのは決して不幸な事ではなかっただろう。

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