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一枚の隔たり


                 ↓


 その後、風呂、トイレ、応接間など一階のまだ入った事のない場所を簡単に確認し、散策が終了すると、完全にする事がなくなった。


 大人しく自室に戻り、ベッドの上に座ってボケッと小鳥のさえずりを聞いていると、クローゼットが目に入る。


 旧世界ならではの空間利用。中には色々なものが置いてあるのだろう。


 アルヴァの感覚では成人女性の部屋というわけか、妙に気が落ち着かない。しかし、家電の時同様に、初めての現物に好奇心が()くのもまた、(さが)というものである。


 エアコン、本棚、勉強机。部屋にあるそれ以外の何かを探していても、視線がそこに帰結する。


 そんな時間を過ごしていると、いつのまにか腹が減るぐらいの時間が経過していた。


 確か朝食の時、机の上にはラップのかけられた料理が置いてあった。恐らく自分の為に昼食も作ってくれていたのだろう。


 朝食が余りにもうまかった。だから、自分の分かは定かでないが、そういう事にする。


 随分と手前勝手だが、実際の所、小陽がアルヴァの為に作った昼食で間違いはなかった。アルヴァの感謝の言葉に舞い上がりすぎて、小陽が彼に伝えるのを忘れていただけだ。


 昼食を終え、涙を拭うと、自室に戻り、再び小鳥のさえずりで時間を過ごす。


「ただいまー!」


 まるで元気を媒質(ばいしつ)に音を伝えているかのような溌溂とした声が響く。


 小陽が部屋に入って来た。する事がなさ過ぎて忘我(ぼうが)としていたため、アルヴァの対応は遅れた。


「あ」


「今から夕食作るね! 何がいいかなあ?」


「み、みそ汁……」


「うん、わかった。他には?」


「うーむ……」


――カレー、シチュー、親子丼、とんかつ、etc……。


 アルヴァは考え込む。


「うーん、何でも」


 色々考えた結果、何を注文してもおいしく食べられるという期待があるから別に何を食べてもいいという結論に至った。


「うん。……今から作るね」


 最大限の賞賛とも言える注文にも、小陽はほんの少し残念そうにしていたが、すぐに支度にかかった。



                   ↓


 

 小陽はキッチンで夕食を造っている最中だ。


 更に日は(かし)ぎ、部屋へと侵入してくる光の量が増す。それは、じわじわと(むしば)むようでもあり、炎が一気に延焼するようでもあった。気が付けば、赤のような光はかなり奥の所にまで差し込んでいた。


 その様がアルヴァの深層に微かな不安を投げかける。

小陽が部屋に入って来るのを許した。


 やはりなるべくならば接触は避けるべきなのだ。


 ならば、今すぐにでも帰ればいい。願いだって別に履行する必要はない。実現不可能な願いとして扱われるのは恐らく間違いない。


 しかし、帰るにしても叔父と顔を合わせるのは酷く癪だ。気が滅入るという様な域の話ではない。


 そして、そんな感情と同時に、現世界に帰りたくないのではなく、こちらの世界に残りたいという意思もある。


 それは(かす)かで、どうしてそんな事を思うのか、自分でもはっきりとしない。それなのに、それは自分のどこかに確実にある。


 向こうには帰りたくないが、さりとてこちらで人と触れ合うのも(はばか)られる。そんな宙ぶらりな中にあってもそう思う。


 そして、こうして食と住を一方的に提供してもらってばかりというのは、何か気が済まない。


 家族として以前にいち居候として、何かしなければならない事があるのではないだろうか。


 考える。思い出す。現世界に比べて旧世界では色々としなければならない事は多い。


 一体どんな生活だっただろうか。一日の始め、目を覚ましてからのごくごく日常的な行動を順次思い出していく。自分が居候としてすべき事はすぐに見つかった。


 彼女が夕食を知らせにこの部屋に来るまでまだどれくらいか時間があるだろう。ちょうどうってつけのテーマがあった。


 夕食のメニューは何だろうか。とりあえずはそんな事を考えながら、彼女が来るのを待った。



                  ↓



「わかった」


 アルヴァは彼女の言葉はおろか入室も待たずに理解したなどという(むね)を伝える。階段を上がる音が聞こえたという事は準備が出来たという事だろう。


「う、うん」


 小陽も、部屋にすら入っていない内にアルヴァに理解を得られて困惑気味だったが、すぐに気を取り直す。


「一緒に食べよ!」


「いい。遠慮するよ」


 アルヴァの声は淡白(たんぱく)。本人は柔らかな声色を意識したつもりだった。


 陽は既に沈み、空だけがその残滓(ざんし)のような赤をその(ふち)へ微かに湛えている。部屋の戸の僅かな隙間から差す室内灯だけでは廊下は薄暗い。


「そっか……。うん。……わかった」


 家族と一緒に食事をとる事が出来ないのは残念だろうに、それでも小陽は彼に従う。


――自分は、屈託(くったく)のない彼女の笑顔を曇らせてしまったのだろう。


 足音が聞こえる。今朝の彼女の足音を聞いているのだ。それを無為に思い出してしまう。そうなると、彼女の今の感情がどういったものか伝わってくるようで、自分のせいだとはいえますます居心地が悪い。


 彼女は一人食事を摂りに、キッチンに戻るのだろう。


「待った」


 アルヴァが声をかけた。二人の間は一枚のドアによって、依然隔てられている。


「食器はそのままにしておいてくれ。俺が洗っておく」


 それでも、言葉は隔たりを超えて小陽に届く。


 決してそれだけで居候としての対価を払っているとは思っていないが、とりあえずまずはそこから始めようと思った。


「うん」


 はっきりと聞き取る事ができたが、声のトーンは決して強い物ではなかった。部屋の向こうに居る彼女の表情は、わからない。


――知る必要はないんだ。居候としての対価を伝えただけだ。


 誰に言い訳するわけでもなく、アルヴァは心の中で言った。



                  ↓



「お風呂沸いたよ!!」


 豪快にドアを開きながら、大声で風呂が沸いたと告げる。


「ッッ!!」


 一人の夕食を終え、自室のベッドでボケっとしていた所。心臓が止まる心地だった。足音がしなかったので警戒を完全に(おこた)っていた。


 足音で気付かれたらしい事を悟った小陽は、足音を出さぬように努める。それが功を奏し、一回目は完全にアルヴァを出し抜いた。


「勝手に入ってくんじゃねえよッ!!」


「きゃあああ!」


 不意の事に気が動転しながらにして、手元にあった懐中電灯をおもむろにブン投げた。かなりの力投だったが、幸か不幸か小陽には当たらなかった。


「わかった! わかったから俺の部屋には入って来るな!」


 アルヴァは声を荒げる。


 そう言って彼女を見遣(みや)る。その恰好から判断するに、どうやら風呂の順番を先に(ゆず)ってくれたという事がわかる。


 現世界では入浴の習慣は人や家庭によりまちまちである。もっとも、体の汚れを落とすというよりは、入浴そのものを楽しむ、いわば趣味や娯楽といった捉えられ方をしている。あちらの世界の人間は、入浴などせずとも、いついかなる時でも、服を着ている時ですら汚れを消す事は可能だ。


 現在はこちらの世界に居るのだ。もちろん体の汚れを落とすという意味合いも含めて風呂に入る事にする。


「急の事でびっくりしただけだ。その、悪かった」


 アルヴァは、小陽の傍らの転がる懐中電灯の経緯に関して()びた。


「え? 何? どうしたの?」


「てめっ! この」


 殊勝な彼に対する小陽のあからさまにわざとらしい反応に、アルヴァは飛ぶようにしてベッドを降りた。


「きゃあああああああ」


 時既に遅し。ふざけ調子の奇声を発しながら、足早にアルヴァの部屋を離れる小陽。

 

 してやられた。



                   ↓



 翌日。


 ――――ガチャ


「わかった」


 声で牽制(けんせい)する。


「朝食なら後で食べる食器はお前の分も洗っておくありがとな」


 奴は足音を消す。ならばドアを開けた瞬間が勝負だ。


 昨日。風呂から上がってから就寝に至るまで、実に六回の侵入を許している。


 消しゴム、筆入れ、教科書、辞典。


 その(たび)にで飛翔物は次第に凶暴になっていった。


 侵入を警戒しながら適当な投具の調達も怠らなかった。しかし、何か手頃な物を探すのにクローゼットを開けるかどうか、長時間考えている間に侵入を許したと言う事もあった。


 散々な防衛体制だが、伊達に侵入を許したわけではなかった。ドアノブにさえ注意を払えばそこから距離を詰められる事は無い。それを学んだだけでも大きな収穫だった。


「……うん、ありがとう。それじゃ学校、行ってくるね」


 アルヴァには彼女の声が、どことなく残念そうに聞こえた。昨日の成果が出たという満足もあるにはあるのだが、どうにもこうにもやましい気持ちに(さいな)まれる。


「何だか通り魔が出るらしいから。なんだ、その。まあ……気をつけろよ」


 だから、そんな言葉を付け加えた。本人も既に知っているのかもしれないが、この間のニュースの事が気になっていた。


「え?」


 そういった彼の心情もつゆ知らず、小陽は昨日のように少し調子に乗ってドアを開ける。


 そこには右手を大きく振りかぶったアルヴァの姿。その手には、彫刻刀。小陽は急いでドアを閉じた。

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