渦巻く王宮
王宮にたどり着き、一日の釣りの成果を猫のコックさんに預けると、私はそのまま寝室へと向かった。不思議そうな顔をする執事猫達に「食欲がないから」と嘘をつき、灯りもつけずにベッドの中に飛び込んだ。
真っ暗な闇に包まれながら、音にならない声が私の胸の中で絶叫した。
…なんてバカなことを言ってしまったんだろう。
後悔した時には、もう何もかも遅かった。私が元の世界で、飛べないことを気にしてるのと一緒じゃないか。寅次郎だってきっと、自分が二本足で歩けないことを、こっちの世界で気にしてないはずがないのに。
気がつくと私は、手元の枕を何度も何度もシーツに叩きつけていた。自分の馬鹿さ加減に、腹が立ってしょうがない。向こうじゃ、自分が空を飛べなくて惨めな思いをしてきたはずなのに。世界が変わるとすっかりそれを忘れて、大切な友人を今度は私が傷つけてしまった。もう、どんな顔をして謝ればいいか分からない。いや、たとえどんなに謝ったとしても、寅次郎は一生許してくれないんじゃないだろうか。
そう思うと、私は急に怖くなってきた。いや。それだけはいやだった。ぽろぽろと零れる涙が、真新しいシーツを濡らしていく。声にならない音が、私の胸の中から溢れ出して止まらなかった。
「…王様。寅次郎はまだ帰ってきてないみたいです」
「そうか…だが…」
ふと、廊下から聞こえてきた声に私はハッと息を押し殺した。たとえ違う世界の国の猫だろうが、誰にも自分が泣いているなんて思われたくなかった。
「ご決断を。このままでは皆の不満が溜まる一方です。この食糧難に…」
「ふうむ…しかし一筋縄では行くまい?巨大なヒトを取って食おうなどと…」
「ご安心を。客人には珍しく、羽が生えておりません。我々が一斉にかかれば…」
声の主達は私のいる部屋の前を通り過ぎ、だんだんと足音が遠ざかっていった。私は息を飲んだ。
食べる?誰を…私を?
途端に跳ね上がる心臓を、思わずぎゅっと押さえた。そんな…馬鹿な。猫が人間を食べるだなんて。ふと、私は昼間の寅次郎の言葉を思い出した。何かあったら、俺が守ってやる…その何かって、私が食料にされるってこと?だとしたら、ここにいちゃマズイ。
いつの間にか涙は引っ込んでいた。こうなったらもう、なり振り構っちゃいられない。一刻も早く寅次郎に会って、元の世界に連れて帰ってもらわなくっちゃ。
私はとっさに月明かりの差し込む窓ガラスを見上げた。不穏な陰謀渦巻く王宮の窓を解き放ち、満月の下に両翼を広げ颯爽と夜空を駆け抜ける…なんてことが私にできるはずもなく、視線はすぐさま扉へと移る。誰にも気づかれないように、慎重に辺りを伺いながら私は恐る恐る一歩目を踏み出した。
(…いつまで起きてんのよ!)
王宮の正門近くの茂みに身を潜め、私は一人毒づいた。正門の前では、重そうな鎧を着込んだ猫達が数匹、剣と灯りを手に持ち見張りを続けている。昼間すれ違った時は、あんなにあくびしてたくせに。流石に猫だけあって夜行性なのか、まん丸と目を輝かせる彼らは一瞬たりとも隙がなさそうだった。なんとか建物の外までは出てこれたものの、この正門を突破しなければ王宮から外には出れない。王宮の方はまだ静かだが、部屋を調べられれば私が逃げ出したことはすぐにバレてしまうだろう。自然と手のひらに汗が滲んだ。
「…しかしよう、なんだって王様はわざわざヒトなんかを客として招いているんだ?」
見張りを続けてた若い猫が、みんなに聞こえるように声を張り上げた。
「さあな。ヒトなんかさっさと、食っちまえばいいのにな」
「だよなあ。噂じゃ寅次郎の友人らしいが…」
「寅次郎?ああ、寅次郎ね…」
身を潜める茂みの中に、猫達の蔑んだような笑い声が飛び込んできた。
「…あの落ちこぼれ」
「ちげえねえ」
今度は歓声のようにどっ、と笑い声が上がる。私は必死に息を殺した。
「ヘマしやがって、獣みたいに四本足で歩きやがってよ」
「血統付きの貴族の生まれだかなんだか知らないけどよ、あいつにでかい顔されたんじゃたまったもんじゃないぜ」
「この国じゃ、なーんにもできやしないくせにな」
「ん?」
気がつくと、私は唇をぎゅっと噛んでいた。お腹の底から、煮え繰り返ったような怒りがこみ上げてくる。違う。寅次郎は足を怪我しているけれど、何にもできないわけじゃない。
「おい、さっきその壁の向こうで、なんか音がしなかったか?」
「音?あの茂みのとこか?」
見張り猫達が、私のいる方に目を光らせた。ま…まずい。私はゴクリと唾を飲み込んだ。一匹の若い猫が、用心深く剣を構えこちらを覗き込むのが見えた。
「おい!」