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猫の国の歩き方

 「大丈夫か、コイツ」

「死んでるのか?」

「今のうちに食うか?」

「おい、やめてくれ。大切なヒトだ」

「『大切』だけど、『ヒト』なんだろう?」


 遠くの方で何やら聞きなれない喋り声が聞こえて、私は目を覚ました。後頭部がズキズキと痛んで、さっきの地震が夢じゃなかったことを痛感する。重たい体を何とか起こして、辺りを見渡してみた。ここは…。


 見慣れた家の景色、ではなかった。かといって、壁や床が崩壊したようなところもない。目の前に広がっていたのは見たこともないような豪華な造りの部屋だった。どうやら私は、あの後助けられて別の場所へと移されたみたいだ。正面に輝くステンドグラスには、二本足で立つ猫の姿が描かれている。その精巧な美しさに私は思わずため息が漏れた。


 床には高級そうな赤い絨毯が敷き詰められ、天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられている。どこからともなく聞こえて来るトランペットの静かな音色と、美味しそうな匂いが私の五感をフルに刺激した。まるでどこかの王国の宮廷だ。私を助けてくれたのは、さぞかし大金持ちの貴族に違いない。


「おい、起きたぞ!」


 起き上がった私に気がついた、白衣の小人が叫んだ。周りに集まっていた小人達も、驚いて一斉に私の方を振り向いた。


「えっ!?」


 彼らに負けないくらい、私も大いに驚いた。

 そう、彼らの顔と言ったら、まるで猫そのものだったのだ。猫が服を着て、二本足で立っている。ニャゴニャゴと騒がしい私の命の恩人達は、皆可愛らしい三角の耳と髭、さらに尻尾を携えていた。何やら肉球の押された書類のようなものを抱えた白衣の猫、中世の騎士のような鎧をまとった猫、冠を被った、立派な髭を携えた王様猫…。大勢の猫たちが、まん丸とした目で私の顔を覗き込んでいた。


「無事で何よりじゃ」

「さすが『ヒト』だ。回復力が高い」

「あっ!?…あのっ!?」

「雪、危ないところだったな」


 訳も分からず目を右往左往させていると、どこからか私の名前を呼ぶ声がした。枕元から一匹のトラ猫がひょっこり顔を出し、私と目を合わせた。他の猫達と同じように、小綺麗なシャツを着込んでいる。その模様には、なんだか見覚えがあった。私はあんぐりと口を開けた。


「あんた…寅次郎ッ!?」

「そうだよ」

「な、ななな…何で喋ってんのよ!?それにその格好…」

「当然だろ、ここは『猫の国』なんだから…」


 寅次郎はそういうと、いつものように私の背中に飛び乗ってきた。私は息を飲んで、もう一度見慣れない部屋の中を見渡した。何もかもが分からないままだが、これだけは間違いない。この爪の食い込み具合、こいつは寅次郎本人だ。







「『猫の国』?」

「そう。お前らの世界で言う『おとぎ話』に出てくるようなところさ」


 あれから数日後、私は寅次郎と王宮近くの小高い丘で昼休みを取っていた。まさか猫に助けられた時は、まだ夢を見ているのかと頬をつねったりしたものだが、案外ヒトは慣れるものだ。今ではすっかり、猫達が立って歩いたり喋ったりするのに何の違和感も抱かなかった。ここ、『猫の国』では「そういうもの」なのだ。すれ違う商人猫達に会釈を返しながら、私は相変わらず私の背中に陣取っている寅次郎に尋ねた。


「それって、どこにあるの?」

「猫が集まる場所さ」

「ふうん…。私、いつになったら帰れるんだろう?」

「王様の許可が下りたらな」


 半ばぶっきらぼうに答える彼は、何だか「元の世界」とは印象が違っていた。寅次郎が、こんな性格だったとは。ただの可愛い毛玉だと思っていたが、直接会話をしてみるとお互い分からない部分が見えてくるものだ。


 地震が起きて以来、『猫の国』なるものに迷い込んだ私は、あれからずっとここで労働者として汗を流していた。労働者と言っても、大したことではない。爪とぎ用の木を森に切りに行ったり、夕食の魚釣りをしたりするだけだ。

 『猫の国』は緑生い茂る山々に囲まれた、自然豊かな渓流のそばにあった。とても空気の美味しいところで、私が見ただけでも医者や裁判官、その他にも学校の先生や王様の姿をした猫達が暮らしていた。王宮もその周りに広がる城下町も、私にはちょっとサイズが小さすぎるが立派な造りをしていた。


 何より私が気に入ったのは、この渓流の近くの丘の上だった。川辺の冷んやりとした空気が何とも心地よく、『猫の国』の住猫達にも人気の日向ぼっこスポットになっている。私達の他にも数匹の先客達が、草むらの上で気持ちよさそうにゴロゴロしていた。私は足元にいた子猫の喉元を撫でてやりながら、ニヤニヤと口元に笑みを浮かべた。


「それにしても寅次郎。まさかあんたが私にそんな口を利くようになるとはね」

「なっ…何言ってんだ!この国は猫の国だぞっ!ここじゃ俺の方が先輩だぞ!」

「あははっ、な〜に焦ってんのよ」


 寅次郎は人間に換算すると14歳くらいで、ちょうど私と同い年だった。もちろん普段は、こんな会話なんかできっこない。彼と話ができるのが嬉しくって、私はしばらくあることないこと彼をからかって遊んだ。


「だいたいヒトなんて、普通この国に入れないんだからな。俺が口出ししてなきゃ…」

「…何か、されちゃうの?」

「……」


 ぶつくさと文句を垂れる寅次郎を、私はちらりと振り返った。


「なあ雪。一緒にこの国で暮らさないか?何かあったら、俺が守ってやるからよ」

「はあ!?」


 突然カッコつけたことを言い始めた飼い猫に、私は思わず吹き出した。


「ちょっとあんた、笑わせないでよ!」

「…俺は本気だよ。だってあっちはまだ危険だろ。まだ地震だって続いてるし。それに雪は…」

「私は?」

「……その…」

「…それは、ダメだよ。あっちにはお父さんもお母さんも待ってるし」

「……だな…」

「……」


 何となく気まずい沈黙が、私達二人の間に流れた。こんなことは、向こうの世界では全くなかった。直接会話してみると、お互い分からない部分が見えてくるものだ。それに私は…続きは何だったのだろう?向こうで私が気にしていることを、いつも背中に乗っていた寅次郎が知らないはずはなかった。


「…さて!休憩終わり!残りの魚を釣りに出かけますかね」


 何となく居た堪れなくなって、私はわざと大きな声を上げて立ち上がった。すると、どこからともなく歓声が聞こえてきた。


「うわぁっ!すごい!ヒトのお姉ちゃん、『立てる』の!?」

「んん?」


 私は目線を落とした。さっきまで喉を撫でていた子猫が、宝石のようなキラキラとした目で私を見上げていた。


「すごいや!かっこいい!」

「そ…そう?」

「すっげええ!お姉ちゃんでかいからきっと、高いとこから景色が見えるんだろうな!」

「私も、はやく立てるようになりたいわ!」

「んんん??」


 気がつくと、私達の周りにはたくさんの子猫が群がってきていた。足元を撫でるたくさんの柔らかな毛が何ともくすぐったい。私は彼らに話を聞いてみた。


「んっとね、私達の国では、おとなになると二本足で歩けるようになるんだよ」

「歩けるようになったらね、今まで以上にいろんな景色が見えるの。すっごい綺麗で高いんだって!」

「それに仕事も選べるようになるし、服も着ていいんだよ」

「へえ…そうなんだ」

「だからね、お姉ちゃんお願い!僕達に歩き方を教えてよ!」

「へ?」


 突然の申し出に、私はぽかんと口に開けた。歩き方を教える…別に構わないが、普段当たり前にやっていることだったから、どう教えていいのか分からなかった。それでも子猫達の手を取りながら、身振り手振りで歩き方を教えていると、いつの間にかたくさんの子猫達が丘の元へと集まってきていた。


「お姉ちゃん!もう一回!もう一回!」

「こ…こう?」

「うわあああああ!!」


 私が歩いてみせるたび、子猫の歓声が辺りに響き渡る。何だかモデルになったみたいだ。まんざらでもなくて、私はそれから夕日が沈むまで丘の上をやたらと歩き回った。




 「すっかり遅くなっちゃったわね」


 帰り道、魚を入れた籠をこぼさないように抱えながら、私達は王宮へと急いだ。もう見上げる空は真っ暗で、粒のような光が数え切れないくらい敷き詰められている。こんな夢みたいな夜空を、私はここに来るまで見たことがなかった。『猫の国』に助けられて、本当に良かった。星空に目を奪われながら、心からそう思った。


「可愛かったわね子猫ちゃん達。あんなに一生懸命歩く練習して」

「フン」

「何よ?」


 背中にしがみついたままの寅次郎が、不機嫌そうに尻尾をぱたぱたと私の体に叩きつけてきた。いつにも増して、なんだか気難しい奴だ。やがてぼんやりと灯りに照らされた王宮が見え始めた頃、私はようやくその理由に気がついた。


「ああ、そういえば寅次郎って、足怪我してたんだっけ。だから…」

「うるさいな!」


 私が言い終わるか言い終わるか終わらないかのうちに、寅次郎は大きな声を荒げて、背中から飛び降りてしまった。そのまま後ろ足を引きづりながら、四本足で茂みの奥へと消えていく。私がハッとなった時には、もう遅かった。空の上から、億千万の星達が一人立ち尽くす私を見下ろしていた。

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