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 今日は外は日が程よい程に出ていて、すこし肌寒かった先日までが嘘の様に暖かい日だった。そんなグランバニア王国の後宮の一室で、シュナリーゼは後宮を抜け出すようなことはせず、読書をすることにした。それは最近城下で流行だという一冊。何でも、望まれて生まれた訳ではない貴族の娘が、幼い頃から姉や血のつながっていない母親に屋敷内でいじめられて育ち、社交デビューをした時に国の王子から見初められ、幸せな未来を掴むお話だそうだ。何ともどこかで聞いたことのあるような設定だな、とシュナリーゼは苦笑いをする。

 

 物語の中の主人公の令嬢は、それはそれは健気な娘だった。いじめられていてもそれに耐え、いつかは解り合う日が来ると信じて疑わなかった。そして、そんな心優しい令嬢に、王子は手を差し伸べる。最終的に、令嬢の姉や夫人はいじめていたことを世間に晒され、表舞台から退場させられるのだ。主人公と王子にとってはハッピーエンド。

 だけど、とシュナリーゼは思う。幼い頃から姉や夫人にいじめられて社交デビューする年齢まで過ごせば、いくら何でも健気なままでは居られないのでは、と思う。必ずどこかでもう無理だ、と思ってしまう瞬間が必ずくる筈なのだ。シュナリーゼの様に。それに。そう王子が手を差し伸べるような簡単に状況がひっくり返る助けがくるようであれば世の中は苦労しないだろう。

 出来すぎた話だ。読み終わった感想はそれだった。我ながら冷めているとも思うが、自分に置き換えてしまえば、シュナリーゼはとっくの昔に令嬢のような『いつか解り合える』といった希望は捨ててしまっている。そうしてそんな自分には救いの手は差し伸べられず、物語のようなハッピーエンドを辿ることはないだろう、とシュナリーゼは思う。


 それでもシュナリーゼは悲観している訳ではない。自分は物語の令嬢とは違う道筋を辿っていて、’黒狼’としての知識と技術を身につけていた。自分の周りにはもう手を差し伸べてくれるひとは居ないけれど、それだけは信じられる。物語のように行き着く先がハッピーエンドではなかったとしても、自分にとって生きにくい世界なら、もう少し生きやすくなる程度に自分の手で変えることが出来る筈だ、と信じて父の命にしたがってここまで来たのだ。いつか望むものが得られる機会を待つ為に。


 シュナリーゼがただ望んでいるのは、自由だ。それはちょっとの自由。自分の思うことを思う通りにやれるような、そんな世界。ウルガナの下にいた頃には確かにあったもの。好きな景色を見て、好きなものを食べて、好きな時に寝られるような、そんな世界だった。




 読み終わった本をサイドテーブルに置くと、マリアが部屋に入出してきた。どうやらお茶の時間らしい。彼女は慣れた手つきでお茶をカップに注ぐと、シュナリーゼに差し出した。


「ありがとう、マリア」


「いえ、それはこちらの台詞でございます」


「え?」


 カップに口を付けていたシュナリーゼはそのマリアの言葉に驚いた。なぜそんなことを言うのだろうか。


「通常、主人が使える女官に感謝の言葉を口にすることはございません」


 そうなのか、とシュナリーゼは思う。後宮に来てからマリアを始めとした女官達が身の回りのことを全てやってくれるのだが、その度にありがとう、と口にしていた覚えがある。シュナリーゼにとってそれは自分にも出来ることであった為、至れり尽くせりなところに申し訳なさが混じっていたものでもあるのだが。思い返してみるとマリアや他の女官たちは、確かに始めは驚いたような様子だったかもしれない、とシュナリーゼは思った。


「それでも、してくれた行為に対してお礼は必要なことだと私は思うわ」


 それは当たり前のことではないのだ、とシュナリーゼは身にしみて知っている。


「そんなシュナリーゼ様だからこそ、陛下もこのような贈り物をしたのだと思いますわ」


 そう笑顔で言うマリアの言葉に、シュナリーゼは首を傾げた。


「贈り物?」


 シュナリーゼが王と会ったのは後宮に入った初日の晩餐の時だけだ。噂に聞いた通りの見目麗しい容姿だ、と王宮という慣れない場所で緊張していたシュナリーゼが思ったのはそれだけだったのだが、その時に何かしただろうか?彼女が見せた笑みに王やその周りは息を飲んでいたのだが、彼に対しては笑みを貼付けて受け答えをした記憶しかシュナリーゼにはなかった。


「そのお茶をよく見てみてください」


 マリアに促されるようにして、シュナリーゼは先ほど飲み損ねていた手の中にあるカップを覗き込んだ。赤く染まったお茶の中に何かが沈殿していたのだが、じっと見ているとそれが開きだし、ついに姿を見せたのは美しく開いた花だった。


「……綺麗」


「東の方の国のお茶だそうです。甘露茶、といって陛下がシュナリーゼ様の為に取り寄せてくださったそうです」


 飲んでみると、それは少し甘みのある、それでもすっきりとした味だった。


「美味しいわ。陛下にお礼を言わなければ、こんな珍しいものをいただいたのですもの」


 久々にシュナリーゼは心が踊っているような感覚に陥った。自然と笑みが漏れる。

 その笑顔を見て女官マリアは同性ながらうっとりする。シュナリーゼの容姿が本人も解っているのか知らないが、笑顔になったときの破壊力は半端がないのは後宮入りの時に王と側近は気がついていた。この笑顔も後で必ず陛下にお伝えしなければ、と妙な決意をしていた。



 それから、王からの贈り物は毎日送られてくるようになった。初日は異国のお茶。次の日は城下で有名なお菓子、その次は果実酒………などの消耗品が多かったのだが、シュナリーゼはそのどれにも喜んだ。どれも美味しかったのだが、何しろそれらは形には残らないのでいろんな意味で困らないからだった。

 贈り物をされる度にシュナリーゼはお礼の手紙をしたためて送っている。やはり政務が忙しくて直接会うことは叶わないのは少し残念だが、仕方のないことだ。

 そんな中、王の贈り物とともに届いたものがあった。今日の贈り物は珍しいお菓子だったのだが、シュナリーゼはもう一つ届けられた方に意識が行ってしまう。


「お父上からのお手紙ですか?」


 隣でお菓子に合ったお茶を用意していたマリアが尋ねて来たのだが、シュナリーゼはそれに生返事をして中を改めた。後宮に外部から届いて来るものには厳しい審査がなされるらしいので、この手紙もおそらくそこで内容は読まれているの筈だが、それをくぐり抜けてきたのだ。仕事めいれいではないのかもしれない、とシュナリーゼは期待したのだが、すぐにそれは憂いに変わった。

 内容はこうだ。


『私の愛しいシュナリーゼ

 暖かくなってきて邸の庭にある花が今年もすばらしく咲き誇っているよ。君はいつもそれを眺めて穏やかに微笑んでいたね。

 最近はどうだい?陛下は君を良くしてくれているかい?直接様子が見られないのは寂しいが、近況を知らせてくれると、とても安心するよ。君が健やかに過ごせることを祈っているね

君の父 エーギラン』


 内容は短いものだったが、シュナリーゼはすぐに父エーギランの思惑に気がついた。王の動向を調査しろ、と言っているのだと。そしてそれを手紙で知らせろ、と言っているのだ。


「シュナリーゼ様?」


 どうやらシュナリーゼが何も答えないことに、どこか心配になった様で、マリアは休みますか?と聞いてきたので、シュナリーゼはそうするわ、と言ってマリアを部屋から下がらせた。

 ついに来てしまったか。とシュナリーゼは思う。後宮に入って少し穏やかな生活が続いていたから、このまま何事もなくいってくれれば、と淡い期待をしていたのだ。やはり父は自分を放っておいてくれるのではなく王に何かをするらしい、というのを確信すれば、シュナリーゼは気を引き締めるしかなかった。


 それからシュナリーゼが起こした行動は簡単だった。後宮から抜け出し、王宮の王の様子を観察することだ。その為にどれほどの警備なのか、や予定などを確認するのは少し手間をかけた。そこは慎重に行動しないとシュナリーゼの行動が王にばれてしまう可能性があったからだ。


 「この時間帯は、ずっと執務室なのね」


 草葉の陰から見える窓がある部屋で、王が横に積み上げられている資料を裁いているのを観察する。その仕事ぶりが早いのか遅いのかはシュナリーゼには解りかねるが、それよりも気になったのは王の表情だった。


(ずいぶんと厳しい顔をなさっている)


 無表情ではないが、たまに眉間にしわが寄っているのが伺えた。それからもシュナリーゼが後宮入りする日に見せてくれていたような表情になることは終ぞなく、王が噂のように言われているのを理解できた。


 何日も観察を続けていれば、その周囲の関係性も見えてきた。文官達には厳しい表情をし、時には睨みつけるようなこともしているが、それでも宰相や騎士団長だけが部屋に残れば、彼の表情は崩れ、柔らかいものに変わる。彼らは王にとって気を許せる近しい人であるのは明らかだった。

 


 催促の手紙が再びシュナリーゼの下に訪れたので、シュナリーゼはそのままを父に告げたのだが、返ってきたのは、彼らが話している中身・・を探って来い、ということだった。そんなことはシュナリーゼには解っていたのだが、内心溜め息を付く。父がどの程度の情報を望んでいるのかは解らないが、もしかして本当に大きなことを父は起こそうとしているのかもしれない。そう感じたのは一つの根拠があったからだ。


 ふう、と溜め息を吐いてシュナリーゼは自室のテーブルに置いた資料を見る。これはシュナリーゼが王の観察を始めてから書いていたもので、城が寝静まった後にシュナリーゼが執務室に忍び込んで拝見した情報も書き記している。

 忍び込んだ執務室の摘み上がった資料の一定の間に、紛れていた違和感のある報告書。機密のものだったのか、うまく隠しているな、と思ったシュナリーゼはそれらを合わせてみた。すると浮かび上がってきたのは一つの思惑と、一つの可能性。


 一つは、王はがこの国の’病気’を排除しようとしていること。権力争いが絶えず、王の思う通りにまつりごとが行えない。その邪魔となっているものを取り除く準備をしてる、というものだった。

 これに気づいた時、シュナリーゼは動揺を覚えた。その中に父が含まれている可能性にすぐに行き当たったからだ。彼女を使ってうまくやっているエーギランだが、娘を後宮にやるように最近の動きは以前と比べて大きいのにはシュナリーゼも気がついている。それに王が気がついて居ない筈がない。シュナリーゼにもわからない本当の父の思惑には王も気がついて居ないのかもしれないが、疑惑をもたれたのは確かだろう。もしかしたら後宮入りの話でさえも面の皮が厚い貴族に対しての王の思惑だったとしたら、と考えるとシュナリーゼは少し怖くなった。


 そしてもう一つは、隣国のフレイ公国が銅や鉄などの金属類の輸入を増やしている、というものだ。銅や鉄などは確かに日常使用するものにも原料とされるものだが、それにしては量が多すぎだ、と資料には書かれていた。それらを原料にしたものはそれだけではないのは、シュナリーゼは理解している。もしかしてフレイ公国は……。シュナリーゼは王や父程に政治の方の知識はない。これ以上考えてもどうにもならないだろう、と思い、そこで思考を止めた。




 

 日課になりつつある王の観察をしていたある日、王のもとに届けられた手紙が数枚あった。王はいつものように厳しい顔をしていたのだが、その中のある手紙がに目が行ったとたん、表情がぱっとひらいた。なんの手紙だろう、とシュナリーゼが首を傾げていると、それを届けにきた宰相が口を開いた。


「陛下、もしかしなくてもまたシュナリーゼ様からのお手紙が届いたんですね。お顔にでていますよ」


「……うるさい」


「……!」


 思いがけず自分の名前が出てきたので、シュナリーゼは驚いた。確かに今日も王からお菓子が届けられたのだが、そのお返しにとお礼の手紙をしたためたのは記憶に新しい。


「フォルセ、明日の午後の予定は何かあったか?」


 手紙の内容に目を滑らせた後に、王は宰相に尋ねた。


「明日は通常の執務以外は特には入ってませんよ。といっても、その量が多くてここまで忙しいのですが」


 宰相が苦笑しながらそう言うと、王は少し考えるように顎に手を当てた。


「……明日の午後、薔薇の間で茶会を開く程度には時間を取れるだろうか?」


「できなくもありませんが……もしかして、手紙はその催促でしたか?」


「いや、そうではない。時間があるのならば、茶会を開く。彼女にも伝えるように言っておいてくれないか」


「解りました。準備も進めておきます」


 どこか面白そうな目をした宰相はそう言って執務室を退出していったが、その後王はしばらく表情を柔らかくし、微笑んでいるようにも見えた。。


 その様子を見ていたシュナリーゼは唖然としていた。手紙には食後に食べた贈り物が美味しくて、以前にいただいた甘露茶にも合いそうだ、と思ったので今度陛下とお茶が出来たら嬉しいです、というようなことを書いた覚えがあった。何気なく書いていた手紙だったのだが、まさか実際にお茶会が開かれるとは、ということにも驚いたのだが。シュナリーゼは王の様子をじっと見つめる。まさか自分の手紙がここまで王が表情を柔らかくするようなものだとは思っていなかったのだ。

 厳しい態度が為政者として必要だからなのか、それとも環境が王に’氷の王’と周囲に呼ばせているのかはシュナリーゼには解らない。だが、王にはあのような柔らかい表情の方が似合う、と思う。自分の手紙にそうさせる力があるのなら、今度からはもっと丁寧に書こう。そうしたら、もっと王の柔らかい顔や……笑顔が見れるかもしれない。

 そう思ったシュナリーゼはとりあえず明日招待されるであろうお茶会で何を着ようか、どんな話をしようか、などに心を踊らせながら自室へ戻ることにした。








 

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