隣人〜終劇〜
卓の家の前まで帰って来て洋子は深呼吸する。
中から物音はしていない。少し落ち着いているのかもしれない。
もしそうなら、話をするには都合が良かった。
卓が一緒なのだからいいのかもしれないが一応、洋子はチャイムを鳴らす。
やはり、中からの応答はない。
ゆっくりドアノブに手をかけドアを開けた。
ギィと小さく錆付いた音がする。
部屋の中は薄暗い。
まだ、太陽は微かに出ているが人がいる部屋だと暗すぎる。
出かけたのかな?と洋子の頭によぎったがドアの鍵は開いていた。
精神的に疲れて何もする気になれないんだろうと判断する。
「お邪魔します。」
緊張した声で洋子は部屋の中に歩を進める。
卓は後ろから洋子の歩調に合わせてついてくる。
たぶん、卓の母親はリビングにいる。
いつも家族の時間が取れるようにと卓の母親は一番家族が集まる所にいようと心がけていた。
何度も遊びに来てるし、間取りは洋子の住んでいた家と一緒なので迷わずに進む。
リビングはカーテンで太陽の光が遮断されて家具が黒い影のように浮かび上がっていた。
その奥のソファーの影に重なって何かが動いた。
「おばさん・・・?」
洋子は恐る恐る声をかけた。
影は動き天井に伸びた。
パチンッと軽い音がして部屋の電気がついた。
部屋には疲れた顔の卓の母親が立っていた。
洋子の顔を見てびっくりした表情を浮かべ、すぐに困ったように顔をしかめた。
「ごめんなさいね。洋子ちゃん、心配して来てくれたのね・・・。恥ずかしい所を見せちゃって・・・・。」
そう言って辺りに視線を落とす。壊れた家具やら食器やらが散乱している。
かなりやつれて疲れた顔をしているが優しい口調は洋子の緊張を少なからず解した。
「おばさん・・・話があるんです・・・。」
言いにくい内容ではあるが、洋子は思い切って言葉を発した。
卓の母親の目をしっかり見ながら、
「卓君の事なんですが・・・・あんなに沢山傷を作って・・・・ロープで跡がつく程結ぶなんて・・・・。」
洋子の言葉に卓の母親の顔色がみるみる青くなる。
洋子は目を伏せて急に確信をつきすぎたのかと後悔した。
もっと、うまい言い方があっただろうに思ったより緊張のせいか考えが足りなかったと悔やむ。
「あの・・・・。おばさん・・・・?」
何とか、場の雰囲気を取り戻そうと洋子は必死に考える。
考えがまとまる前に卓の母親が口を開いた。
「・・・・お前だったのね・・・・?」
腹の底から憎しみを搾り出したような声。
「えっ・・。」
豹変した卓の母の声に驚いて洋子は顔を上げた。
顔を上げた洋子は思わず身震いした。
豹変したのは声だけではなかった。
俯きかげんの卓の母は目だけでずっと洋子を見据えている。
怖い、洋子は本能的にそう思い後ずさりした。
何が起きているのかわからなかった。
何とか話をしようと声を出そうとするがうまく言葉にならない。
卓の母は倒れていない棚の上にあった果物ナイフを手に取り洋子を睨み付けながら一歩一歩近づいてくる。
床に散らばった食器の破片を踏み、血の足跡を付けながら洋子から目を離さない。
洋子も目に前にいる卓の母から目が離せず、恐怖と混乱で身動きが取れずにいる。
洋子に十分近づいた所で卓の母は果物ナイフを大きく振りかざした。
避けようと反射的に洋子は後ろに倒れこむ。果物ナイフは洋子の太ももを掠めた。
「おばさん・・・なんでこんなこと・・・・。」
恐怖で上がる息を抑えながら洋子はようやく声を出した。
「・・・・・・お前が・・・・・お前が・・・・・卓を殺した!!」
もう一度ナイフを振り上げ洋子に向かって振り下ろす。
今度は洋子の脇腹に深々と突き刺さった。
洋子の口から血がゴボッという音と共に溢れてきた。
口から流れ出る血で言葉がでない。
洋子は必死で声を紡ぐ。
「卓・・・・・がころ・・・・された・・・・・て・・・・。」
言葉を紡ぎながら洋子は卓の母に背を向け逃れようと床を引っかいた。
そう、洋子には理解出来なかった。
洋子の目の前には卓がいるのだ。
まさに今、洋子が逃れようとしている方向でずっと洋子と母親を見ている。
洋子は助けを求めるように卓に手を延ばす。
「お前が、卓を殺した。私が少し目を離した隙に・・・・・卓を連れ去った・・・。」
卓の母が一言放つと同時に洋子にナイフが振り下ろされる。卓は目の前にいる。
「ち・・・ちが・・・う・・・・わた・・・し・・・。」
口を血が塞いで息が出来なくなっている洋子はそれを必死で伝えようとするが、もう限界が近かった。
切りつけながら卓に母は憎しみを込めた声で話し続けた。
「卓の体が傷だらけだった・・・とか・・・ロープの跡が残ってたのを知ってるのは警察と・・・・犯人だけよ・・・・。許さない・・・絶対!!私からすべてを奪ったお前を・・・・・。」
洋子は考えられなかった。
視界は恐怖と痛みで流れ落ちる涙に歪み、聞こえるのはノイズみたいな卓の母親の声。
そして、自分に突き刺さる肉をえぐる音。
そんな中で、ひとつだけはっきり聞こえた声。
「洋子おねえちゃん。僕のためならどこでも来てくれるんだよね・・・・・。だったら、お姉ちゃんも死んでくれなきゃ・・・。」
■END■