隣人〜第1幕〜
残酷な表現があります。苦手な方はご遠慮下さい。
「ただいま〜。」
洋子は以前、両親と共に住んでいたマンションのドアを勢い良く開けた。実家からは遠い大学に通うために一人暮らしをはじめて数ヶ月。
一人暮らしをはじめて、ろくに連絡も取らずにいた両親に元気な顔を見せて安心させようと夏休みを利用して帰ってきた。洋子が住んでいた時と変わらない懐かしい雰囲気と匂い。
洋子は両親を安心させようと帰ってきたのに、安心したのは洋子自身だと気づき思わす苦笑してしまった。何一つ変わらない居心地の良い場所。
「おかえりなさい。何玄関でニヤニヤしてるの?」
玄関から少し入った所にあるキッチンから母親が顔を出した。
「ニヤニヤなんかしてないよ!!」
母親に自分の事を見透かされたような恥ずかしい気分のなり洋子は顔を背けた。
優しい笑顔で見ている母親を横目で見つつ懐かしい我が家に上がろうとした。
その時、
バキッ、ガシャン
隣の部屋から物凄い勢いで何か壊れる音がした。
「何・・・・・?」
あまりの音に洋子はビクッと体を震わせ、母親に視線を移した。
さっきとは打って変わって神妙な顔つきの母親は音が止むのをじっと待っていた。
「何なの?今の・・・・?」
隣には大学に入る前、洋子を本当の姉のようにしたっていた卓という名前の男の子が住んでいた。
卓は両親との三人家族。人懐っこく洋子も卓を弟のように可愛がっていた。
卓は体が弱く日差しを避けるため夏でも薄手の長袖を着ていて洋子と卓が仲の良かったせいか、家族ぐるみでの付き合いも頻繁に行っていた。
母親の神妙な顔と、隣から聞こえた尋常ではない音。洋子は何かあったのかもしれないと、ドアを開け隣に急ごうとした。
「やめておきなさい。」
走り出そうとした洋子の背中に母親が声をかける。思ってもいなかった母の言葉に洋子は振り返る。母親は洋子と目を合わさないように俯いてしまっている。
「何を言ってるの?卓君達に何かあったのかもしれないのよ?」
仲の良かった家族に何かあったのかもしれないのに、何もしようとしない母親に苛立ちを覚えた。
「待ちなさい。洋子、卓君は・・・・。」
後ろから聞こえる母親の声を無視して洋子は家を出た。
隣の家のチャイムを鳴らす。
反応は・・・無い。
もう一度鳴らしてみる。やはり反応は無い。
洋子自身、何も起こってない事を願っていた。
チャイムを鳴らせば照れた顔のおばさんが「ごめんなさい。棚を倒しちゃって・・・」と言って出てくる。
洋子はそう願っていたのに隣の家からの反応は無い。
洋子の心に不安が広がる。
不安が焦りに変わり、洋子はドアを叩こうとした。
ガチャ
ドアを叩こうと振り上げた手を洋子は急いで止めた。ドアが開いたのだ。
ゆっくり開くドアの中から男の子が出てくる。
俯いていて顔がよく見えないが洋子にはそれが誰か一目で判った。
夏なのに長袖を着ている男の子。
「卓君・・・・。」
洋子はドアから出てきた男の子の名を呼んだ。
卓は洋子の声に反応して俯いていた顔を上げた。
「洋子・・・・・お姉ちゃん?」
顔を上げ洋子の事を呼ぶ声も顔も洋子の知っている卓だった。
しかし、いつも明るい笑顔を振り撒いていた卓が今は顔色が悪く覇気がない。
「卓君・・・・何かあったの?凄い音が聞こえたよ?」
たった数ヶ月会わなかっただけでここまで人が変わるだろうか?何かあったに違いないと洋子は卓が安心出来るように優しく声をかけた。
「何でもないよ。お姉ちゃん。」
卓は声とは裏腹に顔を俯けた。
洋子は卓がこの件に関して追及されたくないのか、言いにくい事情なのかが判断できず、とにかく元気づけようと言葉を捜す。
口を開きかけると卓が洋子の腕を引っ張った。
「ねぇ、洋子お姉ちゃん。公園行こう。」
卓の言う公園とは、二人の住むマンションの向かいにある公園だ。
洋子が大学に入る前はよく二人で散歩に出かけた。
二人にとっては思い出の場所だといえる。
洋子はそれで少しでも卓に元気が戻るのならと、
「そうだね。行こうか。」
卓の手をとり歩き出した。
楽しかった思い出の場所に行けばきっと卓は話してくれる。
理由がわかれば洋子は卓を助けてあげられる。
そう、思った。