ジェノサイド
「あぁぁぁぁ……! いてぇ! いてぇよぉ……!」
「どうした? 噛まれたのか?」
建物外にいるゾンビ達を振り払い、身体を休める事ができる場所を探すために構内を駆け巡っていると、とある教室で首元を手で押さえながら蹲っている若い男がいた。駆け寄ってみるとその男は首だけではなく、足や腕にもいくつか傷跡が見られる。
「おぉ、久しぶりに人に会えた! お願いだ! 助けてくれ! おれぁ……まだ死にたくねぇよ……!」
男はずるずるとこちらへ這い寄ると涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を向け懇願してきた。
「もう大丈夫だ。いま楽にしてやるから」
「ほ、本当か!?」
「あぁ、本当だ。安心しろ」
その言葉を聞くと、男は大きく息を吐き、暗く沈んだ表情が一気に明るみを取り戻した。
「はぁ、あんたに会えて助かったぜ」
「じゃあ、取りあえずうつ伏せになってもらえるか?」
「おう! ……これでいいか?」
男は言われるままにそのままうつ伏せになる。男の首からは禍々しい緋色に染まった液体が流れ出ていた。
「あぁ、そのままじっとしていろ」
俺は右手にしっかりと握っていた鉈により一層力を込める。そのまま右腕をゆっくりと上昇させ……
「おい、まだか? 早くしてくれよ」
「あぁ、もう終わるから」
赤褐色に染まった刃を勢いよく男の首へと振り落とした。
三時間前、午前の授業が終わり、友人である博人と構内にある新しく建てられた建物内のビュッフェでランチをしていると、外の方から甲高い女性の悲鳴が響いた。
「おん? なんだ?」
「あー分かったから、とりあえず口に含んだものを片づけてから喋れ」
「もふ」
そう言うと博人は口を忙しなく動かし、手元にあった冷水で一気に流し込んだ。
「ぷはぁ! おい尚人、ちょっと見に行こうぜ!」
「あ? やだよ。どうせ『キャーやだぁ、味噌汁こぼしちゃったぁ』的なのだろ? どうでもいいよ。行くなら一人で行けよ」
「いやいや、あの感じはそんなんじゃなかった。あーもう、いいから行くぞ!」
はぁー、ダルイな。博人に無理やり右腕を引っ張られ、仕方なく席を立つと、ノロノロと出口の方へと移動することにした。
建物の出口に近付くと案の定、俺達の他にも様子を見に来た連中が大勢いた。そして、そのほとんどの人が極度のパニック状態に陥っていた。
「お、おい! 尚人! あれ! あれ見ろよ!」
パニック状態のままどこかへと走り去っていく群衆の中、棒立ちしている俺の腕を乱暴に揺さぶりながら博人は細かく震える指である場所を示していた。示された場所に視線を向けると、あまりに凄惨な光景に驚愕した。
そこには首から夥しい量の血を流している女性が倒れており、その隣には倒れている女性の腹綿を貪っている男がいた。だが、その男の様子がどうもおかしい。その肌からは血の気をまるで感じられず、まるで死んだ人間の様に青白い肌だ。眼の端から端まで充血させた猛々しい瞳からは赤い雫が垂れており、口元からはダラダラと濁った液体を垂らしている。
とても同じ人間だと思えない。あれではまるで……
「……ぉと、おい! 尚人!」
「あ、あぁ。悪い」
「大丈夫か? とりあえずここから離れるぞ! このままここにいちゃヤバそうだしな」
「そ、そうだな」
のろのろと向かってくる男に背を向けると、今いる場所とは反対側に位置する出口の方へ走り出した。
「俺、昔ゾンビを倒すゲームをした事があったが、それとそっくりだな。あ、あいつゾンビじゃねぇの?」
ハハハッと笑いながら冗談めいた口調で喋る博人だが、その顔は少し青ざめている。
「……いや、信じられないが、そうかも知れない。人を貪り食う人間なんていないと思うし。それに、あの男の様子どうも普通じゃなかった」
「おいおい、マジかよ……どうするんだよ」
「そうだな、とりあえずは助けが来るまであいつらに噛まれない様に逃げる事だな。移動速度はあまり速くないから囲まれなければ大丈夫だろう。そういえばお前、そのゲームではゾンビの弱点は頭だったよな? それで……って」
「…………」
博人は足を止めると息を整えながらこちらを青冷めた顔で見ている。
「おい、なに止まってるんだ! はやくしろ! 死にてぇのか!」
「……いや、お前すげぇ冷静だな、って。普通の人間はこんな状況でそこまで頭回らねぇよ。それに」
「あ?」
「なんで、なんで笑っていられるんだ?」
笑っている? 俺が? そんな馬鹿な。
ふと近くの窓へ顔を向けると、たしかに笑っていた。
窓に薄らと浮かんだ顔は口元の端が僅かに吊り上がり、ゾッとする程の狂気的な表情を浮かべている。
「……悪い! ちっと別れて行動しようぜ! 他の奴らの事も気になるしよ。そうだゾンビの弱点だっけか? あのゲームの中では頭だったぜ! じゃ、またな!」
それだけを言い残すと、博人は足早にどこかへと走り去ってしまった。
それを最後に博人の姿は見ていない。
窓の外の風景が茜色から紫色に、次第に黒へと染まっていき、部屋の中が薄らと暗闇に包まれた頃、少しだが体を休める事ができた俺はここから移動することにした。
この状況下で同じ場所に何時間もいる事はよくない。そう感じたからだ。おそらくこのキャンパス内には絶対に安全な場所など存在しないだろう。もしかしたら、構内だけじゃなくここ高坂も。
博人は無事だろうか? あそこで別れて以来、まったく姿をみない。まさか、あいつも……
そんな事を考えていると、近くの方でガラスが割れる音が聞こえた。
素早く、死体の近くに落ちていた刺身包丁を手にする。おそらくあの男が今まで使っていたのだろう。だが、思いのほか傷ついていない。刃こぼれも少なく血もほんの僅かしかついていない。
……だからお前は死ぬんだよ。
この状況で生き延びるにはひたすらゾンビを殺しつくすしかない。それが誰であろうとも感情に左右されて自分が死ぬなんてごめんだ。
教室の外に出ると、薄暗い闇の中をゆらゆらと歩いてくる奴がいる。数は一、二、――三体か?
足音を立てないように忍び足で首が切断された死体の場所へと移動する。変に音を出して外の奴らに気付かれたら厄介だ。
死体の脚をしっかりと持ち死体を廊下へと投げ捨てると、すかさず後方にある出口へと移動し、そこから顔半分を出し覗き見る。
すると、予想通りにゾンビ達が死体へと群がりその内臓を貪っている。
……やはり三体だったか。三体くらいなら何とかなりそうだ。
息を潜めてゆっくりと近づく。窓の外ではポツポツと水滴が地面を打ち付ける音がする。人肉を食べる事に夢中なゾンビ達はまだこちらに気付かない。
しかし、あるゾンビの背後に近付くとそのゾンビがギョロリと視線を向けた。すかさず、ゾンビの髪を鷲掴みにし、その首元に鈍く不気味に光る刃を首元に押し当てる。
「なぉ……と……」
なにか言っていた気がするが、そんな事はどうでもよかった。どうせ殺すのだから。
暗闇に包まれた静寂な廊下にゴトリと鈍い音が鳴り響くと、ゾンビの首から生温かい鮮血が噴水の様に噴き出した。




