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クローズド・クレイジィ・ガール

 南アカネは好奇心旺盛で活発な少女であった。大東文化へはスポーツ推薦で入り、陸上部で長距離を走って、日々鍛えていた。彼女曰く「長い距離を走っていると毎回違う世界が見えて飽きない」から、走り続けていた。

 走る速度も体力も、人並みよりはあると自負している。だからゾンビにまみれたこの状況でも、彼女はさほど焦ることなく逃げることができた。

 今、彼女は大東文化大学へと至る坂道を上がっている。手には大きめのビニール袋。袋には菓子パン六つに、二リットルペットボトルのお茶が二本。一応はいつゾンビに襲われるか分からない状況だから、無為に体力は使わないようにしているが、この頃はまた走ろうかなぁと考え始めていた。退屈すぎて。

「あ」

 前方でゾンビがうめき声を上げながら、歩いてきている。

「……おっそ」

 彼女はガードレールを飛び越え、車が通うことがなくなった道路に出て、普通にゾンビをスルーした。

 ゾンビはこちらに気づいている様子だが、ガードレールを飛び越えるなどという発想は浮かばないらしく、こちらへ手を伸ばして「うあぁ、あぁ……」と呻いている。

 こうやって普通に注意していれば、不意に出てくることが無い限り簡単に回避することができる。

「あ~ぁ……なんか、つまんないなぁ……」

 彼女の性格は非日常のそれになっても変わらなかった。むしろ変わり映えしない毎日で、飽きを感じていた。

 最初こそは興奮した。いつも通りに登校して、放課後部活に出ている間に何かが起こったのだろう。部員たちは「ゾンビが出た」と非現実的なことを言いだし、そしてそれがすぐに現実であることを知った。パニックに近い中、ただ一人笑っているのが彼女だった。

 ――面白いじゃん。

 誰もが目を剥いていたのを、彼女はよく覚えている。

 今では彼女の側に誰もいないのだが。

 ふと思う。

「あたしが、非人間的だからだよねぇ……」

 食料を集めに行った部員がゾンビになったと聞いた時も「次はあたしたちの誰かがならないように気をつけよう」と、至極真っ当なことを言ったつもりだったが、部員たちとの間に亀裂を生み出すきっかけとなってしまった。

 ――何よ! あんたは仲間がゾンビになっても悲しむことすらしないわけ!?

 仲間のことを想えない奴なんて信用できない。

 そういう理由から、アカネは部員全員からの冷ややかな目で見送られ、陸上部から追い払われた。

「ふ~む……あたしって、情がないのかねぇ」

 でも今は感情に囚われる余裕なんてないだろうに、とも思う。

 例えば、先ほど入ったローソンには食料と飲み物がたんまりと置いてあった。

 アカネはローソンに入ってまずは適当にレジからビニール袋を出した。それから、適当な食料と飲み物を選んだ。

 店内で徘徊している店員ゾンビは無視した。

 邪魔な位置にいたら、わざとこちらを見つけさせて誘導し、回り込んで商品を取った。

 けれど、普通の人はそんなことできないんだろうな、とアカネは思う。ゾンビを見ただけで震え上がってしまい、狭い店の中になんて入れないのだろう。

(私からしてみたら、ちょっと動向を気にすれば簡単にかわせるんだけど……)

 ゲームをやった時と同じである。ゾンビがこっちを向いたら要注意。ある程度まで近づいてきたらすぐ退散。それでも歩む速度は遅いんだから、十分に袋に商品は入れられる。アカネは、そう思う。

(度胸がある、と人は言うのだろうか。少し違う気がする)

 私は、人間か? と疑問に思った。

 もしかして――自分では気がつかないだけでゾンビだったりして。

「いや、それはないない」

 苦笑する。

「なら菓子パン食ってないで人肉食ってろっつう話だ」

 笑いながらそれでも……アカネは自分が人間であることに少し自信がなくなった。



 アカネは生協や部室棟に近い入り口から大学に入った。そこにしなくてはならない理由は特になかったが、強いて言うなら坂の途中にある入り口には少しばかりゾンビが多くて面倒くさかったから、というのが理由に上げられる。

 入り口に入り、生協近くの階段を下って進明堂まで歩く。進明堂から先の通路からは大きな池が見えた。元々は農業用で、大学が土地を買った時にそのまま中庭に利用したらしい。

 さてこれからどうしよう、と思いながら、アカネが何気なく池を見ていた時だ。

 池に水紋が広がっていた。

 池の側に誰かいた。

 遠目から見て、男性のようだった。

 ゾンビのようにふらついてなどいない。すくっと、真っ直ぐに立っている。

 アカネは気になって、少し早足で通路の脇から土手を伝い、男のところまで降りた。

 それから、声をかけてみた。

「おい」

「うぉわ!?」

 驚いた拍子にそのまま池に落ちそうだったので、アカネは手を掴んで引っ張った。そのおかげで男性は池に落ちることはなかった。

「あ、ありがとう……って、南?」

「そういうあんたは北田じゃない」

 北田亮。基礎演習でアカネと一緒だった、同じ学科のクラスメイトである。

「奇遇、だな」

「うん。で、北田はここで何をしていたの?」

 単刀直入に訊く。

「あぁ……ちょっと、な」

 少し目が泳いでいた。

「……なんか怪しいなぁ」

 アカネはジト目で亮を見る。

「う、うるせぇなぁ。お前こそ何やってたんだよ」

「あたし? あたしはこれだよ、これ」

 袋を掲げる。

「お、おま、それをどこで……」

「ん? 坂の下にあるローソン。案外食料残ってたけど?」

「あそこは店員がゾンビになってて結構危ないところじゃ……」

「別に動向さえ把握してればそれほど危なくないよ。それより北田、お腹減ってない?」

「う……」

 亮は一瞬だけ腹を押さえる仕草をして、慌ててすぐに手を引いた。

 にんまりと、アカネが笑う。

「どう? ここで何をしていたか言えば、食料を分けてもいいけど?」

 北田亮は少し考える素振りを見せたが、その提案をすぐに受け入れた。



 土手に座って、亮は菓子パンを頬張りつつ自分がやったことを話した。よほど腹が減っていたのか、あっと言う間に二個のパンを平らげてしまった。

「はい? ゾンビの水葬?」

「だから話したくなかったんだ……おかしい奴って見られるから」

「どうしてゾンビなんかを?」

「どうしてって言われてもなぁ……」

 亮は菓子パンの袋をグシャグシャに丸める。

「飲み物もあるけど」

「どうせ話せって言うんだろ。分かった、話す話す」

 そう言いながら二リットルペットボトルを受け取って、直接口をつけてごくごくと飲む。

「――っぷはぁ。生き返った。まぁ、可哀想だったからかなぁ」

「可哀想? ゾンビが?」

「あぁ」

 亮は口を拭う。

「ゾンビだって、元々は人だったわけじゃんか。それが、まぁ……」

「今更なによ。最後まで話して」

「分かってるよ。まぁ……何て言うんだろ。その人が『ちょっと腐って徘徊してるだけ』で、頭潰されて殺されるのが、哀れに思ったつうか……」

 アカネは目を丸くした。

 そして、足をバタバタさせながら大声で笑った。

「あぁ、もうだから話したくなかったんだよ……」

「いやいや……別に馬鹿にしてるわけじゃないんだよ。ただ、同じだと思ったんだ」

「同じ?」

 今度は亮が目を丸くした。アカネは亮の目をジッと見据えた。

「うん。私もゾンビを『腐ったせいでノロマになった人間』としか見てなかったんだよ。自分の命を狙いにくる脅威的な存在として見てなかった。そこらへん、同じだなと思ってさ」

 ゾンビを前にしても恐れを抱かない私は人間だ。そして、ゾンビもまた――人間だ。アカネは明確な答えを得たと思った。

「――よし! 私もゾンビの水葬を手伝うよ!」

 亮はその発言に驚いていた。

「え、マジで言ってるの? 大変なんだぞ? 血に触らないように工夫して運んだりしなくちゃいけないし、腐ってるからすぐボロボロ崩れるし……」

「マジのマジ。大マジだ。それに二人なら効率よく運べるし。ゾンビが突然現れても、お互いに死角をカバーし合えば問題ないし」

「そ、それはそうだけど……いいのか? こんな、正気を失ってるような所行に手を貸しても……」

 その口振りから、亮は自分が正気であるのか悩んでいたことが分かった。アカネが人間であるのか悩んでいたのと同じように。

(なるほど、正気を失っているか……)

 確かに、他の『真っ当な』人間が見たらそう思うだろう。

 だから、満面の笑顔で言ってやった。

「大丈夫だ。こんな状況なんだ。むしろ、気が狂ったほうが正しい。そのほうが、この環境に適応していると私は思うよ?」

 亮は目をぱちくりとさせた。そんなことを言われるとは、微塵も思ってなかった様子だ。

「そ、そうか……? なんだか、南にそう言われると、そうなんじゃないかって思えてくるよ……」

「そうだそうだ。それもまた人間なんだよ、北田」

「どういうことだ?」

「こっちの話。さぁ、死体を探しに行こう。そして、哀れな彼らを、私たちで葬ってやろうじゃないか!」

 今は感情に囚われている時ではない――だからこそ、感情を優先させた行動をしてやろうとアカネは強く思った。他の奴らが彼女たちの行動を見たらたまげるだろう。それを想像して、すごく愉快な気持ちになった。

 アカネが立ち上がり、亮の手を引っ張って立たせる。

 亮は少し驚いていたが、「変なやつ」と顔を綻ばせた。

「あんたもね」

 二人が向かい合っているうちに、アカネがぷっと笑い、亮もつられ、二人は笑いあった。

 端から見たらまさしく気が狂っているかのような光景であった。ゾンビがそこら辺をうろついている中、こんな開けた場所で笑うなど、自分の場所を知らせているようなものだった。アカネもそれが分かっていて、一層愉快な気持ちになって響き渡るような大声で笑った。


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