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独りに気づく

 今日は雲一つ無い快晴だ。もうすぐ冬になるというこの時期の風は乾いていて、少し肌寒さを感じさせる。街路樹の葉は朱に染まり、地面に落ちたそれを踏みつけると、サクリと小気味の良い音を響かせてくれる。街中を歩く人々と言葉を交わせないのは少々残念か。   

 彼らは二本の脚を交互に踏み出し、服を着用し、少しだけ背を丸めて寒空の下をとぼとぼ歩いている。明るい街並みからは程遠いが、遠目に見れば何も変わらない普通の街並み。ゾンビの徘徊する街というと、廃墟化しているイメージがあったのだが、考えても見れば、生き物としての様式が変わっただけであって、物が壊れる要素は一切ない。人間の力では窓ガラス一つ割るのにも一苦労なのだから、ゾンビは街を荒廃させるだけの力を持ち合わせない。人は能力が及ばない時に『モノを扱う』という知恵を持ち合わせているが、ゾンビにそれだけの知能はない。よって、外観に関してのみ言及するならば、街は思いのほか平和だ。

 しかし、それは同時に管理者の不在を表す。紅い葉は誰にも掃き取られずどんどん散らかっていく。ゾンビに捕食された者や、血にある程度以上触れた者は、それ自身がゾンビ化してしまうらしく、死体は転がっていない。ところどころ食い散らかした肉片があるが、腐食しており、元が何だったのか判りづらく、グロテスクな感じはあまりない。血はコンクリートが吸ってしまっており、その赤色を目にすることは殆どない。

 街を抜け出そうと思ったこともあるが、このゾンビ化の被害がどこまで広がっているか私には知る術がなかった為、諦めてしまった。   

 私は今アパートの三階に住んでいるのだが、今のところ身が危険に晒されたことはない。どうも彼らの知性では階段を昇るという行為は困難な部類に入るらしい。仮に来れたとしても、道具の使えない彼らに家の扉は突破不可能である。鍵は開けられない。普通の人間以上に力を発揮出来るようだが、それでも扉の破壊が可能かは微妙なところだ。そうでなくとも、食料が底を尽きつつあるため、どの道、私はここで果てることになる。

「よし、準備完了っと」

 下はジーンズに上は白いセーター。まったく飾りっ気のない格好だけれど、見る人もいないので気にならない。準備と言いつつ、実際は寝巻きから着替えただけだ。

 軽く扉を開き、周囲を確認する。ゾンビはいないようだった。来れないとは思うが、過信はいけない。身の安全を確認すると、靴を履き、外に出る。鍵はかけない。どうせ盗人の入るような環境ではない。

 ぐぐっと背伸びをし、固まった筋肉をほぐす。少し寒いが、やはり外の空気は気持ち良い。

 今日は散歩に行く予定だった。


     *


 外を歩くとちらほらと人が歩いているのが見える。近くで見ると、所々食いちぎられていたり、服が敗れていたり、鮮血で赤く染まっていたりするのがわかる。こうやって見るとやっぱりゾンビなんだなぁ、と実感させられる。歩道を埋め尽くす程、大量にいるわけではなく、動きも緩慢な為、避けるのは容易い。十分な距離をとって歩けばまず触れることはない。何人か走ろうとした者もいたが、皆、脚を絡ませて転んでいた。良い年をしたおじさんが転びながらうーうーと呻き声をあげるのだから滑稽である。これで顔の右半分の肉が剥き出しでなければ笑えたのだが、残念ながら不気味なだけである。笑えない。でも笑ってみる。あはは、なんて声を出して、最初は控えめに、段々大きく、狂ったように、ゲラゲラと。

「――――――――あー、虚しい」

 誰も一緒に笑ってくれない。狂ったように笑う私を誰もおかしいと指摘しない。ここには誰もいないのだと改めて悟る。私ごときが生き延びているのだから、きっともっと要領よく生き延びている人間がいるのかもしれないけれど、少なくとも私が今現在この瞬間に存在している高坂駅には、私以外の社会的動物は存在しない。周りで呻くこれらは、ただ在るだけだ。火に触れれば危険だし、流れの速い川も危険だ。その辺に転がる石だってこけるかもしれないから危険だ。そういうモノと同じ、ただ在るだけで危険を伴う自然の物体なのだ。

 今の私は他者に影響を及ぼすことが出来ない。スーパーに入って食料をごっそりと持っていったりしたのだが、私は罪に問われていない。バットでゾンビを殴り殺したこともある。頭を思い切り潰してやった。まさか死ぬとは思わなかったが、あれは確かに死んでいた。何度かその現場に戻ってみたが、死体は変わらず――行くたびに腐食が進んでいたが――放置されていた。殺人罪は重い。でもやっぱり罪には問われない。私はいつもそれなりのお洒落をして外出するようにしているのだが、今はそれをしていない。周囲の目線を気にしようにも、気にする為の目線がない。例えば、今、私がここで全裸になっても私は罪に問われないし、誰も目を覆ったり凝視したりしないし、私自身、何も気にならない。その気になれば排泄だって外でやってのける。モラルが消える。情緒が消える。道徳が消える。倫理が消える。何もない。家に帰るとブランド品の鞄が床に放られている。価値観の消えた世界では使い勝手の悪い入れ物でしかない。

 私はとても無気力だ。社会を失った人間は何を糧にすることもなく、只々、生きていく。夢を持ってみよう。優良企業に就職したい。教師になりたい。オリンピック選手になりたい。ミュージシャンになりたい。小説家になりたい。

 企業は人が作り上げるモノだ。教師は人にモノを教えるし、オリンピックは複数の他者がいるから争える。ミュージシャンは聴く人の心を揺さぶり、小説家は読んだ者の世界観を広げる。何もかも、他者が在って初めて意義を持つのだ。お金が欲しければ、今のこの街なら盗り放題だ――が、使い道はない。価値観が消えれば、必然、価値もまた喪失する。私は何にも魅力を感じ得ない。

 学校もバイトもめんどくさかった。就活なんてやってられなかったし、家族ともなんだかギスギスしてしまっていて、色んなことが嫌になったりもした。それでも、友達と駄弁って、彼氏と抱き合ったりして、幸せに思ったことも沢山あった。

 色々あった。その色々を構成する他者がいざ無くなってみて、初めて人間の性質に気づく。私たちが社会を持つのは、ただ純粋に『生きるため』であったのだと。誰かが分かったような口調で「人間関係は利害で成り立っている」などと言う。違う。もっと根源的な部分で人間関係は成り立つのだ。肉を食べ、水を飲むのと同じ次元で人は他者を欲するのだろう。

 これが、非現実のような現実に身を置いた私の辿り着いた結論。『結論を出す』――それは、これ以上の発展を望まないということなのではないか。そう思うと、私は何だかこの世の果てを見たような気分になった。最早、この世に未練を抱く方が難しい。私は近いうちに終わるだろう。

「そうだ」

 そこで一つ思いついた。私の終わらせ方を。ならば武器が必要になる。私は一度、家に帰ることにした。


     *


 私は金属バットを握りしめている。私が向かうのは高坂駅からバスで十分程のところにある大学の校舎だ。大東文化大学という名前がまだ意味を成した頃、そこは私の母校だった。

「まだいるかな」

 私は目的の人物を探し始める。キャンパス内は広い。出来る限り、校舎内は避けたい。緩慢とは言え、逃げ場の狭い室内で追い詰められたら堪ったものではない。視界の開けていない場所では、角を曲がった瞬間に奇しくもバッタリ鉢合わせ、なんてことも有り得る。それは駄目だ。私には会いたい人がいる――人。アレを無意識に人と称した自分に気づく。彼はまだ、私の中で『人』であり続けるのか。そのことに気づくと、急に目頭が熱くなるのを感じた。

 ――探し始めて一時間程経っただろうか。彼は二号館の講義室に居た。かなり多くの人数の講義を想定しているのか、その講義室は非常に広い。雛壇のように並べられた数多の机の間を、私の彼氏は彷徨っていた。顔だけを見るならば自然体のようにも思えるが、彼の右腕はごっそりと消え失せている。服を着用している為なのか、ゾンビに食されるのは首から上のように露出の多い部分が殆どだった。彼はノースリーブの服を着ていたせいで、右腕を肩から丸ごと食されていた。

「ごめんね……」

 背後から彼に近寄ると、彼の頭を力一杯バットで殴った。鈍い感触。固いとも柔らかいとも言えないその感触は、確かに人だったものを殴ったのだということを実感させた。うぅ……っ、という呻き声と共に私の方を振り向く。頭が真上から陥没しており、そこから血が流れている。私がやったのだ。頬を熱いモノが伝う。頭のことなど気にも止めず、彼は目の前の食料を目指して前進し始める。

「あなたはこんなところにいちゃいけないよ……」

 私の最も幸福な部分を形成してくれた他者に語りかける。あなたは死なないといけない。そんな、ただそこに在るだけの物体として在り続けるなんて悲しい運命を辿るべき人ではない。死は人である証拠だから。私があなたを人間にしてあげる。涙でくしゃくしゃになった顔。喘ぎながら必死に紡いだその言葉は彼には届かない。

 私はバットを振り下ろす。二発。三発。四発。五発…………。回数を重ねる毎に彼の頭部の原型は失われる。二十発を超えた辺りで彼の身体は動かなくなった。死んだ。死んでしまった。私がやったのだ。

 最期と言うべきか、私にはわからなかった。生まれ変わる、とも言えるかもしれない。私は流れ出る彼の赤色に口をつけて啜る。喉に絡みつくそれはとても飲めたものではなかった。しかし飲む。一心不乱に飲み続ける。無心で飲み続ける。飲み続けると、あることに思い至る。そういえば今日はまだ昼食を摂っていない。ある程度、喉が潤ったところで、私は傍に置かれた肉に齧り付いた。


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