第六話 遠征
昼間なのに薄暗い鬱蒼とした森林の中、その中心の開けた空間に深い蒼を湛えた湖畔が有った。
そこだけは、太陽の光りが降り注ぎ、蒼い水をキラキラと煌めかせている。
澄んだ水は、飲み水としても使えるのだろう。その森に住む動物達が、時折、水を飲みにやってくる。
そんな湖畔の一部が太陽の様に輝いたかと思うと、8人の10代後半ぐらいの青年と見目麗しい女性が、その場に全裸で現れた。
男性2人女性6人の全裸集団は、其々が見られる事も慣れていると言うかの様に、隠す事もなくその場で日の光りを浴び、空気を胸一杯に吸い込んでいた。
「毎回、毎回、全裸で飛ばされるのは、何とかして頂きたいですわ」
「仕方ないよ。再構成する際に混ざっちゃう可能性が高いんだから」
「わ、解っておりますわ。単なる乙女心ですわ」
「何言ってんだよ。ナカッツを引き入れる為に、俺達が入っている風呂に、全員裸で入って来たくせに」
「あ、あの時は必死だったのですわ」
「カティだけがね」
口調とは裏腹に全裸なのに堂々とした態度のカティがぼやいている処に、何時も通りチェリーが突っ込みを入れていると、これもまた何時も通り、最低限の装備が何もない処に到着する。
僕達は、各々の最低限の衣服を身に付け、武装を行い、其々がやるべき事を行う。
因みに、相も変わらず下着が見えそうなミニスカートは、チェリーだけだ。後は、フレイがビキニに毛が生えた様な露出度なだけで、サピスもアリエンテもニーソだがホットパンツだし、ロングコートを羽織っている。カティとキャルに至ってははロングスカートだ。
まずは、この世界のマナと精霊達の状態を僕が確認し、必要であれば精霊達を集める。世界によっては精霊達が少ない場合が有り、この無防備な時に野盗等に襲われた時の対処の為だ。
その為、世界的に精霊やマナが少ない場合も、比較的それらが多い自然豊かな場所に逆召喚される事が多い。
ジュードは大剣を、フレイはハルバートを確認している。サピスは風の精霊達を確認出来ると、周辺の探索を行う。近くに人が居るか? 街や村が有るか? 外敵は居るか? 等である。
これも何時もの事だが、キャルとチェリーはお茶の用意をしている。行き成り戦闘にならない限り、まずは一服して其々が確認した状況とこれからの行動を整理するためである。
このお茶と簡易食料には色々な成分が含まれている。何しろ再構成された僕達は、腸内の悪玉菌は愚か、善玉菌すら無い状態だし、酷く空腹なのだ。
アリエンテは、武器を入念に確認しており、カティは縦ロールを修復中だ。
僕の感覚では、この世界はマナも精霊達も正常に感じられた。街へ行くとまた違うかも知れないが、それはその時にならないと解らない。
「今回は、どんな感じだっけ?」
「はい。今回は、不明点が多い案件となっておりますわ。召喚された勇者と、そのパーティで魔王討伐と言う事ですが、あまり待遇が宜しくないと推測されております」
「魔王?」
「こちらで得た情報ですと、悪意有るドラゴンの可能性高しとなっておりますので、解ってないのと同義ですわね」
「悪意ねぇ。また人間の方が何かしたんだろ?」
「不明ですわ」
「で? 勇者様は、男の子?」
「チェリーさん、そこは重要なのでしょうか?」
「モチベーションに影響するもん」
「当時17歳の男の子だったと言う事です。名前はベン」
「経過年月は?」
「一応、召喚から一月後と言う事ですが、確かめる必要は否めませんわ」
チェリーは、ガッツポーズをしている。周りは何時もの事と諦めた白い目だ。
口とは裏腹にジュードに首っ丈のフレイと、アリエンテとサピス以外は、元居た世界の常識も違うのか、性に奔放だから僕も苦笑いしか浮かべられない。
とは言っても、チェリーも口だけなのだが。
「不明点が多いって言うのは?」
「教育途中で召喚されたため、教育が不十分で有ったとの判断です。戦闘能力については召喚の術式で高まっていると推測されますが、教養が粗全滅とのことですわ」
カティの言葉に全員の顔が引き攣る。最悪、僕達の世界へ召喚されていた事も、何も考えないで話してしまっている可能性も有ると言う事だ。
待遇が悪いと言うところから、召喚者は召喚した者を、勇者と言う名の道具と考えている可能性が高い。
その場合、下手に僕達の世界の話をしていて、僕達と出会った場合に不用意に僕達の事を話されると、僕達まで利用しようと考える可能性が高いのだ。
「パーティって事は、この世界は冒険者ギルドとか有りそうだね?」
「はい。事前情報では、冒険者と言う職業が存在するとなっておりましたわ」
「それは、金を作るのは簡単そうだな」
「其々の世界の通貨を、こちらに来てから手に入れなきゃいけないと言うのだけは、面倒だよね」
「それも有って、あの世界の人達では、対応出来ないのかも知れませんわね」
「こっちの世界の物も、お土産に持って帰りたいよね?宝石とか」
「で、還った途端にブラックとして追われる身になるのですね?」
「キャルって、最近腹黒くない?」
馬鹿話で、皆が笑う。3年以上僕達は、こうやって一緒に異世界を巡っている。まるで異世界管理局だ。
僕達の見た目があまり変わらないのは、あの世界の特徴らしい。
マナを潤沢に体に取り入れるあの世界では、成長と言う名の老化は、酷く穏やかで、僕の認識の数十分の一ぐらいの速度で進行していくそうだ。
そして僕達は、この逆召喚された世界では、まず死ぬ事はない。正確に言えば、死ぬ様な状況になったら強制的に、元の世界に還る様になっている。
但し、一度そうして還った場合、暫くこちらに来る事は出来ない。この世界では、死んだと認識されるためだそうだ。
だからと言って、死んでも構わないと思っている訳ではない。やっぱり痛いのは嫌だからだ。
「じゃぁ、まずは、勇者様の動向と、この世界の情勢の情報収集だね」
「街は、北東に2キロ。南東に1キロの処に村もある。後は不明」
「外敵は?」
「それ程強い感じは見当たらない。精々猪レベル」
相変わらずサピスは口数が少なく、淡々と事実だけを述べる。アリエンテも必要がなければ喋らないが、もう皆慣れたモノだ。
気心も知れているし、信頼もしている。ここまでに成るには色々有ったが、今は家族であり、親友であり、戦友であり、恋人達だ。
「じゃぁ、行こうか」
僕の合図で全員その場から空に浮き上がる。僕達は風に運んで貰うのではなく、精霊達に風そのもにして貰う事が出来るようになっていた。
僕の周りに精霊達が多量に集まって来るから出来る事なんだけど、浮き上がってもスカートが捲れ上がるなんて事は無い。勿論、後ろから見れば丸見えではある。
最悪だ。
目の前には、魔王配下の中でも5本の指に入るくらい強力な魔獣と言われている、黒狼が目の前で紅い瞳を光らせ、半開きの口から鋭い牙と長い舌を覗かせている。
俺のパーティーの中でも屈強を誇る戦士のおっさんが、僧侶の姫さんに回復魔法を掛けて貰っているが、命は助かっても、もう戦力には成らないだろう。
何時も俺の事を、「ひ弱な勇者様」と馬鹿にしていたので、良い気味だと思うが、片手片足を失った姿は流石に哀れだ。
魔法使いの色惚けババアと言っても俺とそう変わらない年の姉ちゃんは、幸か不幸か早々に気絶しているため大きな外傷は負っていない。
しかし、この状況は絶望的だ。黒狼が引き連れていた雑魚狼共は、大技の魔法でなんとか倒し切ったが、こちらは満身創痍。あちらは全くの無傷。
魔法使いの姉ちゃんが放った極大魔法により、辺り一面焼け野原で、狼達の血と俺達の血と焼け焦げる肉で、咽る程の臭いとなっている。
姫さんの回復魔法も、現実逃避に思える。そんな戦えない奴より、俺を回復しろと思うが、仲の悪い俺より、何時も守ってくれていた戦士のおっさんの方が大事なのだろう。
「何をしているのです! 早く倒すのですっ! ベン!」
「おいおい、無茶言うなよ。俺を「ひ弱」って馬鹿にしていたおっさんが、その状況なんだぜ?」
俺は、一月半程前に、とある世界から召喚を受けた。その内容は、この世界の勇者として召喚される可能性が有る為の訓練と言う事だった。
一も二も無く俺は了承した。この世界の勇者。それは、この世界で最大の厄災であると言われる、魔王討伐のために呼び出される、正に英雄の事だからだ。
召喚には、何年も掛けた綿密な星の巡りの計算と、何日にも渡る上位魔術師達の術式が必要で、異世界から勇者を召喚すると聞いていたが、その為に俺が一旦この世界から異世界に行く事により、召喚し直されると言うのだ。
俺は、小躍りしそうになるのを抑えて、自分では神妙な顔をしていたつもりだったが、笑いが抑えられていたかは不明だ。
何せ、召喚され、勇者の剣を与えられた勇者は、魔王を倒せる力を手に入れられ、魔王を倒した暁には英雄として称えられ、貴族にすら成れると言うのがこの世界の常識だったからだ。
だけど俺が召喚された世界は、金と言うモノが存在しない、欲しければ殆どの物が只で手に入る不思議な世界だった。
水は潤沢だし、風呂なんて初めて入ったし、いくらでも腹一杯食べられるし、ベッドと言うのはフカフカで何時までも寝て居たかった。
こんな温い豊かな世界で何を訓練するんだと思ったが、魔法の論理や剣術なんかは、とんでもなくレベルが高く、付いていくことが出来なかった。
本当にこんな事で大丈夫か? と思っている矢先、俺は元の世界に召喚され、還ってきたのだ。
俺を召喚したのは、あの姫さんだ。
召喚された俺は、例によって素っ裸で、周りに20人ぐらい居る魔導師達を代表して、この姫様が「ようこそ召喚に応えてくれました。勇者様」と言ったのだ。
そして、俺は、頭からすっぽりと被るチュニックを渡され、そのまま王の諸葛の間に連れて行かれた。
「そちが、今代の勇者か?」
俺は、この王を知っていた。俺の住んでいた村も含むこの国、ジュエル王国のルビー14世だ。
異世界人のはずの俺なのに、慌てて臣下の礼を取ってしまう。
「そちに、王家に伝わる、この勇者の装備を与えよう」
「はっ」
侍女達が、俺に勇者の装備を装着する。勇者の剣ばかりか、鎧はまだしも額当てや腕輪まで有るとは知らなかった。
装着された鎧は、革の鎧と変わらないくらい軽いが、急所に当たる部分は金属で覆われている事と、なんらかの魔力が付与されている事が解る。
「さぁ、勇者よ誓うのだ。魔王を倒すと」
「誓おう!俺が魔王を倒す事を!」
その瞬間、何かが俺の身体の中を駆け抜けた。これが勇者の力だと思って俺は歓喜していたのだが、次の王の言葉に唖然とする。
「ふふふ、契約は成った。魔王を倒すまで励むのだぞ。我が従僕たる勇者よ」
俺は、知らなかった。この装備の殆どが俺を隷属させるための楔であった事を。
勇者の剣のお陰か、ある程度俺が戦える事が解った王は、戦士のおっさんと魔法使いの女と、俺を召喚した姫さんを伴わせ、魔王討伐の旅に出ろと送り出す。
姫さんも三女と言う事で、俺の監視役を嫌々命ぜられているらしい。なんで自分がと何時も文句を言っていて、逆らうと強烈な頭痛を起こす呪文を唱えてくれる。
魔法使いの女は、濃紺のローブの下は、大きな胸の谷間が見える上着に、下着が見えそうなくらいまでスリットが入ったスカートで肉感的で艶っぽいのだが、何時も俺を見下した目で見ているドSの為あんまり仲は良くない。
戦士のおっさんと魔法使いの女は、報酬が良いから一緒に居るだけで、俺が魔王を倒せるとは思っていないようだ。
姫さんの持ってくる情報に従って、俺達は魔族を討伐しながら旅をしている。
丁度この前、一月分の給金をおっさんと魔法使いは貰ったらしい。その討伐報酬が冒険者ギルドなんか比べ物にならないくらい良かったらしく、調子に乗って姫さんの持ってる情報の中でも時期尚早と避けていたこの黒狼討伐に乗り出しのだ。
確かに、おっさんは強く、魔法使いの女は強力な魔法を打てた。今まで苦労した戦いが無かったのも事実で、戦闘後、姫さんがブツブツ言いながら俺を回復するのが何時もの事で、おっさんと魔法使いの女が姫さんに回復魔法を受ける処は、見たことが無かった。
「貴方は、勇者ですのよ! 今こそ勇者の力を見せる時です!」
「そんな事言っても、勇者の剣でさえ、傷も付けられないんだぜ?」
姫さんの言葉に気を取られた隙に、黒狼が飛び掛って来る。なんとか避けて斬りかかるも、黒狼の毛並みは、鋼より硬いのか全く傷ついた気配もない。
真剣にこれはやばいと感じるが、俺自身、鎧で守られているとは言え、肋は何本か逝かれていて息をするのも苦しいぐらいだし、狼共に食いつかれた腕や脚から血が駄々漏れで意識を保っているのが不思議なくらいだ。
見えてはいるのだが、飛び掛って来る黒狼に対する反応も鈍って来ている。
まずい、避ける事が出来ないと思い、目を瞑って自分の最後を確信した時、一陣の風が吹いた。来るはずの衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けると、そこには、左手を前に出し、その先に波紋の様な物を浮かべて黒狼の突進を止めている男が居た。
「大丈夫?」
黒狼を片手で止めたまま振り返り、その男は、なんとも暢気な顔で俺にそう訊ねたのだった。
その男が着ている服には既視感がある。そうだ、あの世界の服に似ている。
「あ、あんたは………」
「大丈夫そうだね」
そう言ってニッコリと微笑むと、その男は黒狼をそのまま弾き飛ばし、一瞬で細切れにした。勇者の剣でも傷一つ付かなった黒狼を、紅く刀身が光る刀で、まるで豆腐でも切るように。
ポカーンとした顔の姫さんと言うのも初めて見た気がする。多分、俺も同じ様な顔をしていたのだろう。
何せ、その男が黒狼を切り刻んだと思ったら、おっさんの噛み切られた脚と腕を持って、やたら露出の多い戦斧を担いだ姉ちゃんと大剣を担いだ兄ちゃんが現れ、それを姫さんの方へ放り投げたのだ。
姫さんの方には、どうやったらあんな髪型になるんだと言うクルクルとした髪型の姉ちゃんと、緑の髪の姉ちゃんが、それをおっさんにあっさりと繋げてしまったのだ。
「あ、あ、貴方がたは、何者ですの!?」
「通りすがりの冒険者だよ。それが助けて貰った者に対する態度なわけ?」
「わ、私は、ジュエル王家三女のヒスイですっ! 私を助けるのは民の努めですっ!」
「あぁ~ん? 別に、間に合わなかった。って事にしても構わないんだぜ」
姫さんの首に戦斧の先を突きつけニヤリとしたその顔は、露出の激しい赤と黒の格好からも魔族ではないかと思える程だ。
現に姫さんは、ガクガクと震え涙目になっているし、何かお尻の辺りから湯気が出ている。
「どうしたの? フレイ?」
「この姫さんがアタシ達に、助けてくれたお礼として食事をご馳走してくれるんだってさ。なっ? 姫さん」
黒狼を切り刻んだ男が証拠としてか黒狼の牙を持って現れると、露出の激しい姉ちゃんがそう言い、姫さんは涙目でコクコクと頷くだけだった。
全くフレイにも困った物だと思うが、僕達は、目の前のお姫様のご好意により、食事を取らせて貰っている。
何せ、街に付いたら、勇者様達は、朝から黒狼を倒しに出掛けたと言うのだ。よくよく尋ねると、黒狼と言うのは魔王配下の5本の指に入るくらいの強者だと言う。
あの世界での教育も受け切らず、この世界で一月程度では、幾ら勇者として力を授かっていると言ってもヤバいのではないかと、僕達は急いで勇者様御一行を追った。
そのため、こちらの世界に着いてから、食事らしい食事を何も食べていなかったため、かなりお腹が空いていたのは確かだ。
目の前では、勇者様と姫様と魔法使いの女の子が、ジュード達の食べっぷりにポカーンと口を開けた顔でこちらを見ている。
「あ~、えぇ~っと、僕はナカツ。通りすがりの冒険者です。貴方達は?」
「わ、私は、ジュエル王家三女のヒスイです、こちらは従者である魔法使いのミヤと、勇者のベン。そして助けて頂いたのは、戦士のガラハントです」
魔法使いのミヤと言う女の子が、ジュードに流し目を送っている。まぁジュードは見た目イケメンだし筋肉質だし、かなりモテるんだよね。
「わたくしは、カテリーナと申します」
「私はチェリシュラ。チェリーでいいよ」
「サピス」
「キャルロットです」
「アリエンテ」
「フレイアよ」
「俺は、ジュード」
どうやら皆の印象は、あんまり宜しくないらしい。僕は既に還りたい気分で一杯になっていたが、ここで放り出す訳にも行かない。
何より、あんな狼に毛の生えた程度に苦戦しているようじゃ、魔王と呼ばれる者には勝てないんじゃないかと言う不安があった。
あれで5本の指に入るなら、魔王と言うのも大した事が無い気もするが、今の彼等では厳しいだろう。
「で、4人で魔王討伐の旅をしていると?」
「その通りです。貴方がたがお強い事は、先ほど拝見致しました。不思議な魔法も使われる様ですし、私達と共に魔王討伐に同行しなさい。褒美は思いのまま与えます」
なんと言うか、丁寧な言葉遣いの様で高圧的な物言いの、なんともアンバランスなお姫様だ。
しかし、僕達が来る世界の召喚者と言うのは、問題が多い。いや、問題が有るから僕達が来ている訳だけど、それにしてもいい加減その自己中心的な傲慢さにうんざりする。
「俺乗り気しない」
「アタシもぉ~」
いやいや、ジュードとフレイは素直と言うか言いたい事は解るけど、そこは、僕達の遣るべき事を考えようよ。
とは思うが、僕も、ゲンナリしていたのは確かだ。
「な、何を仰るのですかっ! ゆ、勇者と共に魔王討伐を行うのは、とても誉れ高い事なのですよっ!」
「じゃぁ、なんで4人ぽっちなの?」
相変わらずアンバランスな物言いのお姫様に、チェリーが突っ込む。うん、ここは突っ込み処では有るとは思うけど、お姫様プルプルしてきちゃったよ。
今回は、何と言うか、かなり面倒な事になりそうな気が犇々(ひしひし)とする。
「そ、それは、まだ旅を始めて一月だからですっ!これから増えていくのですっ!」
「まぁまぁ、落ち着いて。僕達、田舎者だから社会情勢に疎くてね。良ければどう言う状況なのか、詳しく聞かせてくれませんか?」
「良いでしょう」と、姫様は説明を始めた。
曰く、世界には4つの大陸が有り、この大陸には更に4つの国が有る。そして、この大陸の北側には大きな山脈が有り、その向こうは魔族の支配する土地で魔王が治めていると。
こちら側に出てくる魔物は、その魔王によるこちら側への侵攻であり、それらを討伐しつつ力を付け、最終的に魔王を討伐すると言うのが勇者の務めと言うことらしい。
4つの国は、順番に勇者を召喚し魔王討伐を援助することとなっており、今回はジュエル王国の番だったと言う事だが明らかに話がおかしい。
この国の人達は、これで納得しているのだろうか?
「ふ~ん、魔王って討伐したらどうなるの?」
「魔王を倒した勇者と、そのパーティには、望むままの褒美が与えられます」
「いや、魔王って定期的に復活するのか? って事。順番に召喚しているってそう言う事じゃないの?」
「い、いえ、それは、その………」
「そもそも、何で勇者様と、その御一行様なの? 軍隊でも差し向ければいいじゃん」
「ゆ、勇者でないと魔王は倒せないのですっ!」
「それにしたって、4人ってのは無いんじゃない? 魔王の処まででも、大軍で露払いして行けば良いじゃない?」
「北の山脈を大軍が超えると、その間こちらの守りが疎かになってしまうのですっ!」
普段、軽いのにチェリーは、こう言う突っ込みが厳しい。と言うか、何時も突っ込んでいるのはチェリーだ。
そして、そろそろサピスの止めが来る頃だと僕は予想していた。
「魔王って本当に居るの?」
「あ、当たり前じゃないですかっ!」
「じゃぁ、魔王を倒したって言う勇者は?」
「それは………」
とうとう姫様は黙ってしまった。
結局、魔王が存在するかどうかは不明。今現在、勇者と言うのは、ある種のプロカバンダに感じる。
各国が勇者を順次召喚し、魔王討伐のための旅と言う事で各国を巡る。各国はそれを最大限援助する事で、協力関係に有る事を強調する。
しかし、自軍を魔王討伐に向かわせる事はない。協力内容は、勇者が来た時に付近の魔物情報の提供と、旅に必要な物資や宿の提供と言うところだ。
何年か掛け、4国を回ったところで、力が付いたので魔王討伐に向かう。若しくは向かって討ち死にしたことにする。そして、次の国が勇者を召喚すると言ったところか。
姫様が同行しているからには後者の可能性が高いが、どちらにしても魔王を討ち取ったと言う報は、少なくとも姫様は聞いた事が無い様子だ。
魔王と言う外敵が存在する以上、人間同士での戦争を行うと言うのは、国民も賛同しないだろうから、ある意味平和を持続出来る良い方法なのかも知れない。
となれば魔王を討伐してしまうと都合が悪く、頻繁に異世界から召喚された者が迷惑なだけと言うことになるが、事はそれ程簡単かと言うと僕には疑問だった。
まず、溢れの問題がある。あまり異世界から召喚されると、この世界から溢れる者が増える事になる。また、この世界から召喚と言う狙い撃ちは難しいため、あの世界で定期的に召喚すると言うのにも難がある。
そもそもの理念である、元の状態に戻すと言う意味からは、この世界はそれ程マナが不足していたり、精霊が居なくなったりしている訳ではない。
となると無秩序な召喚が問題と言う事になる。やはり、これは厄介だ。
ベンは、顔が青ざめている事から、自分が死ぬ事が前提で呼び出されたとでも思っているのだろうが、素知らぬ顔をしている魔法使いのミヤが気になった。
「ミヤさんでしたっけ?」
「何かしら?」
「貴女、あの黒狼に勝てたんじゃないですか?」
「あら? そんな質問が来るとは、思わなかったわ。えぇ、気絶していなければ大丈夫だったと思うわよ。ガラがあそこまでやられたのは誤算だったわ。助けてくれて有難うね」
ウィンクまで付けて答えられたが、ある意味予想通りの答えだ。ニヤニヤしている事から、ある程度の事情を知っていると言う事だろう。
つまり、ベン君がこの世界の人間なのに知らないと言う事は、冒険者間では当たり前の話だが、一般には知られていない話なのかも知れない。
「貴女は、まだ旅を続けられるのでしょうか?」
「えぇ、ガラがどうするかは解らないけど、戦力は、なんとかしてくれるのでしょ? 姫様?」
「え? は、はい。今回の件で戦力不足と判断しましたので戦力増加は行いますが、出来ればこの方達にお願いしたいのですが………」
「だって。一緒に行かない? ギルドじゃないから、報酬折半って訳じゃないし、大人数なら安心だし、お得だと思うわよ?」
かなり違和感がある。カードが有るなら、持たせて話を聞きたいところだが、あの世界以外では正常に反応しないと言うことで持ってきてはいない。
無いもの強請りをしても仕方ないので判断しなければいけないのだが、色々な思惑が交差しているようで判断に困るところだ。
出来れば魔王が実在するのかどうかも確かめたいところだが、分かれて行動するのは危険が伴うのでやりたくないし、性急に事を起こす必要もない。
僕は、この魔女の甘言に乗る事にした。決して胸に惹かれた訳では無い。
「解りました。暫く様子を見ると言うことで構いませんか?」
「ほ、本当に? わ、解ったわ。すぐに契約書を取り寄せます」
僕の答えを聞いて姫様はパッと花が開いた様に明るい顔をしたが、すぐに元に戻る。やはり何か有るようだが、これでお金を工面する必要が失くなったと思えば丁度良かったのかも知れない。
さて、急展開だったのだが、下手をすると街に入った途端、牢屋行きなんて事も有った事を思えば、こちらに来てすぐ召喚された者と合流できたのは僥倖だったと言わざるを得ない。
ヒスイの手配により、僕達は四人部屋を二つ充てがわれていた。そして、その一つに8人集まっており、少し手狭だ。
四人分のベッドに二人ずつ腰掛ければ余裕のはずなのだが、ジュードが寝転がってベッドの一つを専有している。
もう一つには、フレイがどかっと胡座をかいて陣取っている。
僕の両隣には、アリエンテとサピスが居て、前には、キャルとチェリーとカティと言う理不尽な窮屈さを感じていた。
「勇者様の装備は、大した事が無かったですわね。精々王族に敵対出来ない程度の契約と、呪文による痛覚の刺激作用ぐらいでしたわ」
「力は?」
「あの勇者の剣でしたか、あれには土の魔法で自己修復が掛かっている様でしたが、取り立てて強力な力の様なモノは無かったですね」
「加護の類は全くなかった。寧ろナカツンのナイフの方が遥かに強力」
サピスが僕の刀ではなく、ナイフを引き合いに出したのは、僕は、普段これしか身に付けていないからだ。
以前、月詠に加護を貰った刀は、ドラゴンと戦った時に壊してしまった。
その代わりにと、月詠が使っていた神刀紅月を譲り受けたのだが、これは普段持ち歩いている必要が無いのだ。
普段は、神界とも言うべき月詠の世界に座していて、僕が必要な時に何時でも呼び出せると言う文字通りの神刀で、神気で出来ていて切れない物が無いと言うかなり反則的な武器だ。
因みに黒狼と対峙する時に使ってしまったのだが、壊れた事にしてある。そのため、明日は代わりの武器を買いに連れて行ってくれると言う事だ。
ヒスイは、案外、面倒見が良いお姫様なのかも知れない。
「この世界での問題と言う意味では、やはり、無秩序な召喚でしょうか?」
「それも有るけど、僕はもう一つ気になる事が有るんだ」
「魔王だな?」
「魔王と言うより、北側かな?」
「何が住んでいるのか? と言う事ですわね?」
「うん、あの狼に毛の生えたのだって、魔獣とは言い難かった」
「と仰りますと?」
「北側は、若しかしたら、ジュードのハーレムかも知れない」
「「「あぁ~っ成程ぉ~っ」」」
「ん?」
ジュードはキョトンとし、ジュード以外はニヤニヤしている。一人、フレイがムスっとしているが、然したる問題ではない。
取り敢えず長丁場になることは必至なため、僕達は当面この世界に馴染む事に専念することにした。
長く行動を共にしていればヒスイも打ち解けて何か話をしてくれるかも知れないし、冒険者と呼ばれる人達からも話を聞く事が出来るかもしれないと言う楽観的な考えからだ。
翌朝、僕はヒスイに呼び出され、付き合わされている。
ヒスイは、お姫様らしくなく神官の様な服装のため、周りから浮いている様に感じるのは、きっと僕の格好のせいなのだとは思う。
因みに僕はジーパンにTシャツに黒いパーカーと言う、この世界では有り得ない格好だ。どちらかと言えば魔導師っぽく見えるらしい。
と言うか僕の武器を買いに行くと言う事だが、ヒスイ一人って大丈夫なのだろうか?
「大丈夫ですっ! ナカツ殿が強い事は解っていますからっ!」
「僕を、そんなに信用して大丈夫なの?」
「そ、それくらいは人を見る目は有るつもりですっ!」
「はいはい。光栄で御座います」
「そ、その、昨日は申し訳有りませんでした。わ、私も動揺していたとお察し頂けると助かるのですっ!」
「何が?」
「い、色々と失礼な事を言ってしまったと、反省しているのですっ!」
「別に気にしてないですよ」
並んで歩いていて、こちらを見ずに謝罪を行うヒスイは、ヒスイなりに色々有るのだろうと思われる。
「さ、昨日は、勇者が横に居た為本当の事を言えなかったのですっ!」
「本当の事と言うと?」
「勇者は、異世界から召喚するので、この世界の事を知らないのが当然なのですが、あの勇者は、その、簡単に魔王討伐と言う言葉に乗ったと言いますか」
「つまり?」
「あ、貴方がたも、あまり知らない様ですが、冒険者を続けられるなら、自ずと解る事になると思いますのでっ!」
「それで、僕達も引き込もうとしたけど、流石に8人は多いので、すぐにばれてしまうだろうと気がついた?」
「ち、違いますっ! 貴方がたの力は強力ですし、あの強力な治癒魔法や、空を飛べる様な魔法も魅力的ですっ! ですから、ご一緒して頂きたいのは事実ですっ!」
「ふ~ん」
そんな話をしながら武器屋に着いた様だ。流石に金属製の武器が多量に並んでいるのは、何時見ても壮観だ。
武器を見れば、その世界の文化レベルが多少解る。この世界での武器には、加護の掛かっている物は売っていない。銃に相当するものも売っていない。
宿で解った事だが、当然、電気は無いし灯りもランタンだった。つまり魔道具の類も流通していない。
「ど、どれでも好きな物を選んで下さいっ! 防具も必要でしたら言ってくださいっ!」
「じゃぁ、遠慮なく」
どこの世界に行っても思うけど、金属の武器や防具と言うのは、やっぱり重い。
ジュードや、フレイの様に重たさも力に成る様な武器なら良いのだが、僕みたいに貧弱な人間に重たいのは、長期戦などになると不利以外の何者でもない。
なので僕は、後で造り直す事を前提に、形だけ紅月に近い物を選ぶ事にした。実は錬金術もかなり僕はマスターしていて、簡単な武器ぐらいは造れるのだ。
「そ、そんな安物で良いのですかっ! だから壊れるのですよっ!」
「いや、あんまり重いのは振り回せないから」
「そうですか、そう言う事でしたら仕方有りませんね。まぁ、壊れたらまた買えば済む事ですし」
「ご苦労お掛けします」
結局、ヒスイの話によるとガラハントは王室の近衛騎士で、ミヤは王室魔導師の新鋭エリートだそうだ。
ヒスイ自体は神官教育を受けていて、この世界の治癒魔術師らしい。
「つまり、昨日お話した内容は、市井之徒に流布している情報であり、全てでは無いと言うことなのですっ!」
「そんな事を、大きな声で言って大丈夫なの?」
「大丈夫なのですっ! 私の事なんて、そこいらの僧侶程度にしか、皆見ていないのですっ!」
「そうかも知れないけどさ」
ヒスイは、昨日と全然態度と雰囲気が違う。きっとこっちが素なんだろうと僕は気にしない事にした。
「大体、今代の勇者には、がっかりなのですっ! あれでは、そこらの村に居る若者達と変わらないのですっ!」
確かにそれが事実なんだけど、このお姫様は勇者にいったい何を望んでいたんだろ?
「異世界からの勇者様と言えば、この世界に無い発想力や力を持って現れるはずなのですっ! そう、貴方がたの様にですっ!」
「え?」
「珍妙な服装に、見た事もない魔法。貴方がたこそ、異世界から来られたのでは無いのですかっ!」
「は? や、やだなぁ~、そんな訳ないじゃないですかぁ~」
僕の方を向いて、往来の路上の真ん中で腰に手を当てて仁王立ちし僕を指差しているお姫様を、僕は過小評価していた様だ。
その場は誤魔化して宿まで帰って来たが、ヒスイは信用していないのだろう。ジト目で、ずっと僕を見てくれていた。
宿に戻って、その話をしたら、やれ「脇が甘い」だとか「姫さん可愛いから、鼻の下を伸ばしてたんだろ」とか、散々な言われようだった。
アリエンテは、「やっぱり、一緒に行くべきでした」とか怖い目で見てるし、キャルは、「本当に多趣味ですよね?」って意味解りません。
そうこうしているうちに、戦士のガラハントさんが気が付いたと言うので皆で様子を見に行こうと、僕はなんとかその場を逃げ出した。
ガラハントさんの部屋には既にヒスイとミヤが居て、ガラハントさんもベッドから起き上がっている。
「こちらの方達が、ガラの身体を治して下さったのですよ」
「ガッハッハ、いや、あの怪我を治してくれるとか、全くどんな奇跡だ? 有難うよっ! 俺はガラハント、ガラって呼んでくれ」
ヒスイが僕達を紹介してくれるが、中々に豪快なおっさんで、正しく戦士と言う感じだ。
噛み切られていた、腕をぐるぐる回して確認している。
「勇者様は?」
「まだ寝てると思うわ。あの子、起こさないとお腹が空くまで起きないから」
溜息を吐きながら、ミヤがボヤく様に言う。どうやらベンの方にも問題が有る様だ。
「ガッハッハ、俺がこの様じゃ、訓練も無いって安心してるんだろ。偶には、休養も必要だ。寝かしといてやれ」
「解っているわ」
「身体に異常は無いですか?」
「あぁ、前より調子が良いくらいだ。あんたが治してくれたのか? 本当に有難うよ」
キャルが事後確認をすると、キャルの方にガラが頭を下げる。無骨だが、悪い人間では無いような感じだ。
「それで、あの黒狼を倒したってのは、どいつだ? 俺と一勝負しようぜ」
「そう言うのは、こいつが得意です」
僕は、ジュードを前に押しやる。が、それより一瞬早く、フレイのハルバートの斧部分の刃が、ガラの首筋に当てられていた。
「身の程を弁えな。あんたらは四人がかりでやられそうだったのを、一瞬で切り刻んだのは、そっちの優男だよ。それより、あんた、今一回死んでたぜ」
「わ、悪かった。冗談だ」
両手を挙げるガラ。フレイは、こう言う戦闘狂みたいな輩に対する態度が、極度にキツい。本気の殺気を撒き散らすため、ガラは疎かヒスイやミヤまで青い顔をしている。
ヒスイなどは、脅された時の事を思い出したのか、ガクガク震えてさえ居るほどだ。
「フレイ、そんな処で許してあげて。これから一緒に旅をする予定なんだし」
「ふんっ!」
フレイが矛を収めた事により漸く緊張が解けるが、雰囲気は悪くなったと言わざるを得ないだろう。
「お前等、いや、あんた等、一緒に旅をしてくれるのか?」
「お前等で構いませんよ」
「あんた等ってのも、大して丁寧になってませんね。申し訳有りません。口が悪くて」
「そうですよ、ガラ。何時ももう少し丁寧な言葉遣いをと、言っておりますでしょっ!」
ヒスイとミヤが復活したようだが、どちらかと言えば取り繕ってる?
「わ、悪いな、口が悪くて。でも、こんな別嬪さん達と一緒って事は、これからの旅は楽しそうだな。ハハ」
「ガラ?」
女の子達の目がヒスイとミヤを含め、ジト目となっている。
どうやら、このガラと言う人は口で失敗するタイプらしい。僕も人の事は言えないけど、見た目通り考えるより動くタイプなんだろう。
「それでは、本題に入りましょうか?」
「契約の事でしたら、こちらに。それと、これは支度金になりますっ!」
僕は、この世界の話を聞こうとしたのだが、ヒスイは慌てて羊皮紙と袋を8人分渡して来た。
袋の中には、金貨が数十枚。先ほどの僕の刀は金貨1枚だったから、結構な金額なのかも知れない。
毎度驚くのだが、この世界の文字も難なく読める。内容は、一月当たり金貨30枚とその他討伐手当となっていて、こちらで持っておく証明書のような物らしい。
つまり、契約に対する手続きの様な物は無く、これを証明書として持っているだけの信用取引の様な物だ。契約違反についても何も書かれていない。
「契約を違反した場合は?」
「そ、そんな事はしませんっ! これは王家の紋章が入った契約書ですっ!」
「こっちが契約違反した場合は?」
「報奨が支払われなくなるだけですっ!」
成程、単なる雇用契約の様な物だから、そこまで厳密にはしていないって事か。
「俺はOKだぜ」
何時もながら、ジュードには感謝する。これで、契約した際の制約みたいな物が有るのかが解る。何か呪術的な物が有るなら、同意した時点で変化が有るはずだからだ。
特に変化が無い事から、僕達もその内容で同意する事にする。
「それでは、幾つか質問が御座いますの」
やはり、こう言う交渉みたいな事はカティに任しておいた方が良いと、僕は自分の情けなさを横に追いやっていた。