第一話 代償
初投稿となります。稚拙な文章ですが、宜しくお願い致します。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
こんな文章を見た事も聞いた事もないのに、僕は、自由と平等が当たり前に与えられている事になんの疑問も抱いていなかった。
ただ世間に流され、その日その日を楽しく生きている。それさえも無条件に与えられていた権利だなんて、全く認識していなかった。
だから、両親が死んだと聞かされた時も、「ちょっと早かったけど、いずれ人は死ぬからなぁ」などと呑気に構えていられたのだろう。
世界の理など僕には何の関係もなかったし、思慮に上がることすらなかったのだ。
黒い詰入りの学生服に身を包み、僕は来たこともない徒広い屋敷の広い部屋で、見た事もない儀式を眺めていた。
遷霊祭と呼ばれるこの儀式は、仏式の通夜に相当するものらしい。
目の前では、巫女さんと神主さんの様な人が、祭詞と言うものをを奏上しているのだそうだ。
僕の隣には、父の父だと言う長い髭を携えた人、つまり祖父が座っている。
この人が、本当の意味で今日の段取りから何から何までを取り仕切ってくれていた。
はっきり言って高校2年の僕には、何をどうして良いのか全く解らないため有難い事この上ないが、この人にしても僕は今日初めて会ったと思っている。
「仲よ、十日祭までは、ここに居ると良い。その間にこれからどうするか決めるがよかろう。お前が望むならここに移り住むも良し、今までの住居で生活すると言うなら出来る限りの援助はする」
大和仲と言うのが僕の名前だ。爺さんは、必要な事だけを僕に告げると、後はあまり話しかけて来なかった。
今日は、通夜と言う事で一晩中この調子らしい。十日祭と言うのは仏式の初七日に相当するそうだ。
そもそも通夜と言うのは、死んだ人の元に取るものも取らず駆けつけてくれる人を夜通し待って対応する事らしい。
まだ17歳の僕は、0時を回った頃、「そろそろ寝るように」とその場を解放された。
明日は、葬場祭と言うことで、僕からの挨拶があるらしい。
一応お決まりの文句があるらしく、カンペらしきものを貰ったが、自分の言葉が有るならそちらでも構わないと言われている。
要は、何も思いつかないならこれを使えと言う事だろう。かなり過保護なのか、僕が無能と思われているのか。
何も知らない僕は、「多分、後者だろうなぁ」と思いながら、用意されている寝室へと続く縁側を歩いていた。
綺麗な石庭を月明かりが照らしている中、巫女装束の女の人が黒く長い髪を靡かせ、まるで天女の様に幻想的に舞っている。
淡い月明かりに照らされたその女の人は、この世の物かと疑う程美しかった。
僕に気が付いたその人は、まるで宙に浮いている様にすぅ~っと言う感じで僕の目の前に移動して来る。
間近に迫った切れ長の目と、すっと通った鼻筋と少しばかり艶っぽい唇に、僕の心臓は急激に心拍数を上げた。
綺麗に目の上で切り揃えられた前髪と、お尻まで有るストレートの黒髪は、全く以て巫女さんらしいと言える。
だから僕は気が付かなかった。この綺麗な女の人が、ここに居る事の不自然さに。
「主が仲かぇ?」
「え? えぇ。そうですけど…」
「ふむ、確かに男具那の言う通りの童のようじゃの」
「男具那って、父の知り合いですか?」
父の名前は、確かに大和男具那だったが、目の前でニッコリと微笑む美女が、父の知り合いにしては若過ぎる感じがしていた。
「妾は、月詠じゃ、お姉さんと呼ぶが良い」
「は、はぁ…」
そう言って胸を張る自称お姉さんの胸は、かなりな物で、巫女装束からもその谷間を確認することが出来た。
その谷間が僕の目の前に近付いてくるのは錯覚かと思っていたのだが、僕は、どうやらその豊満な胸に抱きしめられたらしい。
「無理をせずとも良いのじゃ、泣きたい時には泣けば良い」
優しく撫でられる頭の上から聞こえてくるその慈愛深い鈴の鳴る様な声に、僕は、我知らず涙腺が崩壊してしまっていた。
(そうか、僕は悲しかったんだ)
僕は、自分が余りにも悲しすぎて悲しみすら感じられずに居た事を、その時初めて自覚した。
何時もおどけて「早く彼女を連れて来てくれよぉ」などと僕を揶揄う父さんと、その横で優しく微笑んでいる母さんを思い出して、僕は、月詠の胸にしがみついて泣いていた。
翌朝、布団の中で目覚めた僕は、何時寝たのか全く記憶になかった。
昨晩のあれは、夢だったのではないかと思う程幻想的であったが、実感として胸の柔らかさを思い出してしまったのは仕方がない事だろう。
朝の生理現象と相まって真っ赤になっていたであろう僕だが、誰にも見られなかったのは幸いであった。
厳かに行われた葬場祭、火葬祭、埋葬祭と恙無く終え、僕は、紅く染まる石庭を縁側に座り眺めていた。
葬場祭では、僕も顔を見た事がある政治家なんかも参列していて、父さんの知人と言うよりこの家が凄いのかも知れないなどと感じていた。
今日一日僕は、巫女装束を見る度に月詠ではないかと目を凝らしていた。
ここに居るのも、もしかしたらと言う期待からだが、月詠に逢う事はなかった。
旅館の仲居さんのような女の人に案内され、豪勢過ぎる夕食の後、広い檜木のお風呂に僕は浸かっている。
何か映像でも見ているかの様に非現実的に感じていた行事も終わり、漸く色々な事が実感として認識出来てきていた。
檜木の薫りと、湯気に包まれた空間が、僕を落ち着かせて行く。
「はぁ~、これは現実なんだなぁ~」
「湯加減は、どうじゃ?」
鈴の鳴る様な声に振り返ると、そこには豊満な胸を惜しげもなく晒した、全裸の月詠が居た。
長い髪をアップにし、申し訳程度に小さな手拭いを腹部に携え、辛うじて股間だけは隠している状態だ。
僕は、慌てて前を向いて、反射的に顔を抑えた。鼻血が出そうな気がしたのだ。
「ふふふ、主は妾を女として見てくれるのじゃのう」
「い、いや、どう見ても女の人でしょ? そ、それより、何でここに?」
湯浴みをして、月詠は僕の隣に浸かる。直視は免れたと安堵した気持ちと、少し残念な気持ちが僕の中で渦巻く。
「また、独りで寂しくなっているのでは無いかと思うてのぅ」
「あ、そ、その昨日は有難う。今日、お礼を言おうと探していたんだけど、見つけられなくて………」
月詠は、一瞬呆けた様な顔をすると、ニッコリと微笑んで僕の頭を、ポンポンと叩いた。
それに伴い豊満な胸がタプンタプンと揺らぐ。(浮くって本当だったんだ)
「あれしきの事、礼を言われるまでもない。胸ぐらい何時でも貸してやる。何なら吸うてみるかぇ?」
「す、吸うって………そ、それは、ま、またの機会にと言うことで………」
「くっ、あははははは、断りはせんのじゃな。あはははは」
「そ、それは、僕も、一応、男ですから………」
「そうか、そうか、男子か、そうじゃったのぅ。わはははは」
「もぅ、揶揄わないで下さいよぉ。え?」
オロオロしていた僕は、またも月詠の豊満な胸に頭を抱えられ、優しく撫でられていた。
今度は衣服越しではなく、生身で当たる柔らかい感触と良い匂いに、僕は沸騰寸前となってしまう。
「この世界は生き難かろう。どうじゃ? 妾の世界へ来ぬか?」
「ツクヨミさんの世界?」
「月詠で良いぞ? 若しくは「お姉さん」と呼ぶ事を推奨する」
「いや、じゃぁツクヨミの世界って、こことは違うの?」
僕は、それが社会的に閉鎖されているような世界を揶揄しているのだと思っていた。
例えば、一族が統べる神道の世界とか。両親の葬式が神葬だったために、僕はそんな事を考えていた。
「そうじゃ、価値観がこの世界とはかなり違うため最初は多少苦労するじゃろうがの」
「そこに行けば、一緒に居てくれるの?」
僕は、自分が発した言葉に驚いた。何を言っているのだろう僕は。これでは、まるで………。
更に錯乱している僕の頭は、月詠に未だ抱きしめられている事もあり、その時、月詠が少し困った様な顔をした事に気付く事はできなかった。
「そこに行けば、何時でもお主を見守って居ることが出来る。偶には顕現してやることも出来るだろうの」
「そっか、それは魅力的だ」
そう言って僕は、月詠にしがみついてしまった。女性らしい細く括れた腰を感じる。
僕は、月詠から漂う安心感に溺れ、あまりにも月詠の言葉の意味を理解していなかったのだ。
「ふふ、思いの外、甘えん坊だったのじゃのう」
月詠は、そう言うと僕の顔を両手で持ち上げ、僕の唇に自らの唇を重ねた。
唇の間から割り込んでくる舌の感触に僕は固まってしまい、僕のファーストキスは相手に主導権を握られたまま、口内を蹂躙されるディープなものになってしまった。
離された月詠の唇に視線が釘付けとなる。
「これは契約じゃ。十日祭が終わった頃に迎えに来るので、待っておるがよい」
「準備とかしなくて良いの?」
「そうじゃのぅ。憂いのないようにしておけば問題ない。その身一つで来るのじゃ」
ほんのりと紅く染まった月詠は、そう告げるとお湯から上がり、その場を立ち去って行く。
スラリとした後ろ姿で歩を進める度、左右に揺れるお尻に僕が見蕩れていると、アップにしていた髪をばさっと解いたため、お尻が隠れてしまった。
ちょっと残念に思っていると、こちらを振り返り邪悪な微笑を浮かべている月詠と目が合う。
「楽しみにしておるぞ」
僕は、何か大事な物を握られた気がして、お湯に浸かっているはずなのに身震いしてしまった。
実は、これがとんでもない契約だったことを知るのは、随分と経ってからの事に成るのだった。
爺さんの言葉に甘えて、僕は、十日祭が終わるまで屋敷に滞在していた。
学校が夏休み中と言うのもあり、諸々の事は帰ってからやれば良いと思っていた。
十日祭と言っても死んだ前日から数え始めるらしく、実際、死亡してから3日程経って通夜を行ったと言う事で5日後と言うことになる。
ここに来る時は、生まれて初めて乗ったリムジンと言う物で連れて来られた為、実はここが何処なのかも知らない。
ちょっとコンビニにでも行こうかと、玄関らしき門を出て、僕は唖然としてしまった。
どうやらここは小高い丘の上に有る様で、眼下には森が茂っている。
遥か彼方で平地となっている辺りから街並みが見えるのだが、どう考えてもそこに徒歩で行くならそれだけで1時間くらい費やしそうだ。
「何処かにお出かけになられるのですか?」
どうしようかと考えていると、不意に後ろから声を掛けられた。
何度か屋敷の中で見かけた事のある、僕を食事やお風呂に案内してくれる人だ。
「ちょっと、コンビニでも行こうかと思ったんだけど、遠そうだよね?」
「お車をお出し致しましょうか? もしお入り用の物が御座いましたら、後で届けさせますが?」
「いや、そこまでして貰わなくも結構ですよ。ちょっと暇つぶしに雑誌でも見に行って、序でに何かジャンクなお菓子でも買おうかと思ってただけですから」
「畏まりました。後ほど届けさせて頂きます。他にもお入り用の物が御座いましたらご遠慮なくお申し付け下さい」
恭しく頭を下げて、屋敷の中に入って行くが、なんとも取っ付き難い。
言葉遣いがやたら丁寧な上に、全てに於いて事務的なのだ。
僕は、「ふぅ~っ」と溜息を吐き、屋敷の中に戻る事にした。
スマホでも弄っていれば、時間も潰れるだろうと思って手にしたが、メールの一本も着信していない。
「僕って友達少なかったんだなぁ」と独り言が漏れたのも仕方ないだろう。
実際、高校2年の夏休みなのだから、僕達に遊んで居る暇は無いはずであった。
申し込んでいた塾の夏季講習は、家庭の事情を伝えて欠席する旨は連絡済だ。
かと言ってここに勉強道具を持ってくる程の余裕は無かったし、ほんの1週間ぐらいなら大した遅れにはならないだろうと居直っていた。
あまり根を詰めるのは良くないと母さんは何時も言っていたし、父さんは、「男が全力を尽くすのは、好きな女を口説く時だけだ。父さんも母さんを口説く時は、一生分の努力をした」などと真顔で言っていた。
「本当、息子が見ていて恥ずかしくなるくらい仲が良かったからなぁ」
僕は、また涙腺が決壊してしまいそうなのを、独り言で誤魔化して、屋敷の中へ戻って行った。
「あの人は何者?」
部屋に戻った僕が、こう声を上げてしまった事は誰にも責められないと思う。
部屋の中には、最新の週刊誌や月刊誌、少年誌から少女漫画から18禁物まであり、ライトノベルや情報誌まであった。
テーブルの上には、お菓子や飲み物が所狭しと積み上げられている。
限度と言う物を考えて欲しい。いや、それ以前に何時仕入れた?
十日祭は葬場祭と違い人も少なく、身内だけと言う感じがした。
それでも何十人も居たため、僕は爺さんにどう話をしようかと考えていたのだが、その日は二人で話しをする時間は取れなかったようだ。
十日祭が終わった頃と言っていたから、月詠は明日にでも来るのかな? と僕は呑気に考え、その日は眠りに付いた。
だから目覚めた所が余りにも非現実的だったから、「これは夢だ。もう一度寝よう」とした僕を叩かないで欲しい。
「これ、何をしておるのじゃ。十日祭が終わったら迎えに行くと申したじゃろ」
「だからって寝ている間に拉致って事は無いんじゃないですか!?しかも全裸ってどう言うことですか!?」
目の前には、僕を、畳んだ扇子でパンパン叩く月詠が居た。巫女装束ではなく全身黒い。
太腿部分は紅いリボンの黒いニーソにミニスカートと言うちょっと扇情的な格好をしている。一見すれば高校生ぐらいに見えなくもない。
その後ろには二人、メイド姿をした女性が控えていた。
「拉致ではないぞ? これは召喚じゃ」
「そんな言葉遊びをしていないで、何か着る物を下さい!」
月詠がニヤリと口元を三日月にし、人差し指を立ててクィックィッとすると、後ろに控えていたメイドさん達が僕に服を着せ始める。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。自分で出来ますって!」
僕の叫びは虚しく響き渡り、僕はメイドさん達の素早い所業に蹂躙されてしまった。
打ち拉がれていた僕は、そこが幻想的な神殿の様な場所だと言うことにも気付かず、項垂れていた。
「さぁ、行くぞ」
「行くって何処へ? って、な、何だよこれぇ~っ!」
僕は、月詠に首根っこを掴まれたかと感じた途端、大空で自由落下を行っていた。
眼下には雲が見え、その向こうには牧歌的な緑溢れる景色が広がっている。
「よく見ておくのじゃ。これが今日からナカツが暮らす世界じゃからのぅ」
何故、自由落下の途中で声が聞こえるのかも不思議に思えず、僕は眼下に広がる景色の美しさに見入っていた。
僕の横では、月詠が椅子か何かに座っている様に脚を組み、両腕で豊満な胸を支える様に腕を組んで微笑んでいる。
下からの風は、黒く短いスカートをヒラヒラとさせ、その奥の黒いレースの下着をチラチラと覗かせていた。
「この世界は、ナカツの世界が失ってしまったものが存続している世界じゃ」
「失ってしまったもの?」
「そろそろ下に着くぞ」
「え? へ? ぎゃぁ~~っ?」
僕は、眼前に迫り来る地面に驚愕の声を上げたが、予想に反してポフッと言う感じで脚から降り立った。
「精霊達のお陰じゃ。ちゃんとお礼を言っておけ」
「え? あ、有難う」
僕のお礼に応えるかのように、僕の周りでキラキラと煌く空気の渦が舞った。
「世界とは、本来このようにマナと精霊が大気中に溢れているものなのじゃ。だが、ナカツの世界では一部の不届き者達による乱獲や虐殺により、多くのモノが絶滅してしまったのじゃ」
「マナ?」
「ナカツに解り易い言葉だと、魔法の元かのぅ?」
「魔法がこの世界には有ると言うの?」
「勿論じゃ。ナカツの世界では魔女狩りなぞと称して、魔法使いを絶滅させてしまったがな。そもそも、精霊や聖獣を乱獲し絶滅させ、今ではマナなど皆無な世界じゃからの」
「え?」
僕は、目が点になった。確かに魔女狩りと言う言葉は聞いた事があるし、バッファローなんかは乱獲の為に絶滅寸前となった事も知っている。
もしかして僕の居た世界と言うのは、とんでもない事をしでかした世界だったのだろうか?
「少しでも自分達と違う者は排除し、金と言う偶像に魅せられ世界の理を無視し続けた人類の治める世界。それがナカツの居た世界じゃ。簡単に言えば、神々に見捨てられた世界じゃの」
「見捨てられた?」
「自立したと言い換えても良いぞ? どちらにしても、もう失くなったモノは取り戻せないのじゃがな」
「僕は、帰れるの?」
「もう帰りたいのか?」
「いや、爺さんにも何も言ってこなかったし、学校や、付き合いは薄いと言ってもクラスメートにも何も言わないで来たし…」
「それならば、心配要らん。召喚したと言ったじゃろ? あれは、向こうでの存在を失くし、こちらの存在へと作り変える術なのじゃ」
「え? それって、僕は最初から居なかった事になってるってこと?」
「想いの強い者は、違和感を感じるかも知れんがの」
「な、な、な、なんだってぇ~っ!」
僕は、今日何度目になるか解らない驚声を上げる事となった。
道すがら僕は月詠から、この世界の常識について教示されていた。
この世界では異世界からの来訪者が結構居て、その者達にこの世界の常識と生きていく術を教えてくれる学校が有るらしい。
まず僕は、そこで勉強する必要が有ると言うことだった。
月詠の話では、この世界に電気をエネルギーとしている物は存在しないと言うことだ。
「電気とは、効率が悪すぎるエネルギーなのじゃ。ナカツの世界の発電所を想像してみれば解るじゃろ? 自然を破壊して作成されたダム、化石燃料を燃やす火力発電、極めつけが放射能汚染物質を生成する原子力発電じゃ。この世界では、生態系を変える様なモノは極悪とされる。無闇に塵芥を捨てただけでも、反省の色がなければ死罪にすらなるから気を付けるんじゃぞ?」
「塵芥を捨てただけで?」
「価値観の問題じゃ。この世界では、全て土に返すのが理じゃからな。土に返りにくい物、逆に肥料となるような物と分けて捨てる場所が決まっておるのじゃ。それは、生態系を守る為に、この世界に生きる者達が考えた知恵と言える」
「成程。じゃぁ、あんまり文化は発達していないってこと?」
「馬鹿者。ナカツの世界より遥かに発達しておるわ」
「でも、電気が無いとコンピュータ何かも無いって事だよね? 電話なんかも」
「コンピュータなんぞ、人が決めた同じ事を繰り返すしか出来んじゃろうが。電話については、似た様な物はあるぞ?」
「へぇ~、楽しみだなぁ」
話をしながら歩いていると、僕達の横を馬車が通り過ぎて行く。よく見ると車輪は無く、宙に浮いている箱を馬が引いている感じだ。
荷台の後ろには、獣耳の子供が座っていて、こちらに気が付くと手を振ってくれた。
僕は、思わずにやけて小さく手を振り返ししてしまう。ファンタジーだ。
「言葉は、通じるのかなぁ?」
「それも問題ない。召喚術はこちらの存在へと作り変えると言ったであろう? その際に言語に関する知識も埋め込まれておる」
「文字も?」
「勿論じゃ」
「じゃぁ、常識も埋め込んでくれたら良かったのに」
「愚か者。そう言うのは経験と言う物が必要なのじゃ」
「愚か者って、酷くない?」
「必要な努力をせず、成果だけを求める者は、愚か者以外の何者でもない」
「確かに」
僕の反応に気を良くしたのか、月詠は、ニッコリと微笑んでくれた。
だが、その微笑みが一瞬で崩れ、険しい目付きとなった。
「すまんの。この世界にも、あぁ言う愚か者は居るのじゃ」
月詠の言葉に視線を移すと、そこには先ほど僕達を追い抜いて行った馬車が横転し、見たまんま盗賊って感じの者達が襲いかかっていた。
僕は、我知らず走り出したのだが、その横を風が追い抜いて行く。
月詠は、一瞬で御者台に乗っていたおじさんと野盗の間に割り込んでいた。
「なんだぁ? この女ぁ?」
「結構良い女じゃねぇか。高く売れるぜ?」
「それより最近ご無沙汰だしな」
僕が追いつき二人の泣いている子供の所に着いた時に、月詠は、どこから出したのか一振りの紅い刀で、肩を掴もうとした野盗の腕を切り飛ばしていた。
「ぐがっ! な、何しやがるっ!」
血飛沫を上げて飛んでいく野盗の腕が、途中で光の粒となって消えていく。
「こ、こいつ神格だ!」
「に、逃げろ~!」
「逃がしはせんっ!」
今度は、和弓の様な弓を天を目掛けて、矢を打ち出す。
打ち出された矢は何本にも分かれ、確実に逃げて行った野盗を突き刺し、そして矢に貫かれた野盗は光の粒となって消えていった。
月詠は、子供達の傍でしゃがむと、怪我をしている部分に手を翳す。
淡い光に包み込まれた怪我は、みるみると治って行った。
「わぁ~神様すごぉ~い」
「神様可愛いぃ」
なんか不思議な感想も入っているが、二人の子供達は目をキラキラと輝かせている。
月詠もそんな二人に微笑んでいた。
「何処の神様か存じ上げませんが、誠に有難う御座いました。お陰で助かりました」
「ふむ、子供を連れているのだから気をつけるのだぞ」
僕は、何かを話してはいけない様な気がして、その場を立ち去る月詠に黙って付いていった。
月詠は頭を下げて見送っているおじさんと、手を振っている子供達に軽く手を振ると歩き始める。
「何か、言いたそうだな?」
「いや、こう言う事って日常茶飯事なのかな? って」
「妾が手を出す事と言う意味では、滅多に無い事だ。襲われると言う意味では、結構有るだろうな」
「そうか、その、あれって死んだの? こっちでの死ってあんな感じなの?」
「あれは妾だから、存在を消滅させただけじゃ。普通は切られれば血が出るし、光となって消える事もない」
「神様だったんだ」
「この世界のな。神と言ってもナカツが思う様な万能な者ではない。強いて言えば管理者ってところじゃな」
「簡単に人を殺しちゃうんだね」
「妾に狼藉を働いたのだから仕方あるまい。あぁ言う輩に対しても慈悲深い神も居れば邪神と呼ばれる神も居るが、妾は、あぁ言う輩には容赦しない質でな」
「相手が悪かったって事?」
「ふふ、見込み通り中々の胆力じゃのぅ」
「え?」
何故か月詠は機嫌が良くなり、それから街まで月詠の常識講座を拝聴しながら歩き続けたのだった。
街は、石で出来た高い塀で囲まれていた。
「月詠の常識講座」によれば、この世界のマナと言う物は全ての命に作用しており、簡単に言えば僕の世界の幻想の生物や巨大な虫なども存在すると言うことであった。
それらが群れで暴走してきた時や、途中で会った野盗などから守るために、街や村と呼ばれる集落には、少なからず塀による防御がなされていると言うことらしい。
「竜か? 居るぞ?」とあっさり言われた時には、僕は、もう何があっても驚かないぞと固く心に誓ったのだが、僕如きの誓いなどあっさりと崩れさるのだった。
「はい、異世界からの召喚者ですね。畏まりました」
街の中でも立派な建物の中で受付と思われる女性に、月詠が二言三言話しただけで、僕は、あっさりと身分証明書となるカードを渡された。
それに手を翳して名前を唱えるだけで、僕の物となったと言うことである。
以後は、肌身離さず持っている事を義務付けられ、そこにはこれから僕が行う行動の全てが記録されると言うことであった。
首からぶら下げる鎖を付けられ、なんかどこかの企業のIDみたいだなと僕は思っていた。
「学校の場所は、解りますか?」
「あぁ、大丈夫じゃ」
「では、連絡を入れておきますので、あまり遅くならない内にお願い致します」
「解った。世話になったのぅ」
「あ、あの、有難う御座いました」
「いえ、これも仕事ですので。頑張って下さいね」
ニッコリと微笑んで送り出してくれた受付のお姉さんは、兎耳だった。本物のバニーである。網タイツは履いていなかったが。
ほんの15分程で手続きを終え、僕達は学校と言われた場所に向かう事にした。
途中、カードの使い方の実習と言って、昼食を取りに店に入った。
店の雰囲気としては、ファミリーレストランの様な感じであるが、ガラス窓と言う物が存在しない。
照明は存在するのだが、電気ではないため夜しか点けないそうだが、お品書きと言う文字は読めた。
店ではカードを見せるだけで支払いなどは無く、それ以外は僕の居た世界と大差ない感じであった。
支払いが無いと言うのは、この世界に通貨と言うものが存在しないかららしい。
これには本当に驚いてしまったのだが、その仕組みについては難しいため後述することにする。
今は、カードの色によって出来る事と出来ない事、買える物と買えない物があると言う感じで考えてくれれば良い。
つまり、あまりにも理解出来ない僕に月詠が「学校で教えてくれるから、しっかりと勉強するのじゃ」と匙を投げたのだ。
因みに僕のカードは青銅色、月詠のカードはオリハルコンと呼ばれる赤金色だ。
青銅色から銅色、銀色、金色、白金色、赤金色となって行くらしい。犯罪者は灰色、茶色、黒色となるそうだ。
例え他人のカードを盗んでも、自分の色となってしまうらしく、盗んでも意味がないと言うことだった。
確かにこれだけでも、僕の居た世界より文化は発達していると言えるだろう。
「ナカツよ。妾が付いて来れるのはここまでじゃ」
「え?」
「ここから先は独りで歩むのじゃ」
「もう、会えないってこと?」
「そんな情けない顔をするでない。偶には、顕現してやる」
「解った、ここまで有難う」
「それから、ナカツを召喚したのが妾である事は、あまり公言するでないぞ?」
「何か不都合が?」
「良からぬ事を考える輩と言うのは、何処にでも居るのじゃ。残念ながらこの世界にもの」
「解ったよ」
「色々精進して妾を使役出来るぐらいになれば、ナカツの方から呼び出せるぞ? まぁ、いつになるか解らないがな」
「頑張ってみるよ」
「うむ、達者でな。妾は何時でもナカツを見守って居る。その事を夢々忘れるでないぞ」
そう言って月詠は、陽炎のように消えて行った。
「本当に有難う」
僕は、そう言って振り返り、学校と呼ばれる場所へ足を踏み入れた。
そこは、僕の知る小学校の様な外観をしている。
石で作られた建物の前に広いグラウンドの様な物があり、なんとなく学び舎と言う感じの処だ。
その学び舎の入口付近に、これまた小学校の先生と言う感じの女性が立っていた。
白いブラウスに、濃紺の膝下まであるスカート姿のその女の人は、僕を見初めると一礼してくれた。
僕も、合わせて頭を下げる。
「貴方が、大和仲さんで間違い有りませんか?」
「はい、僕が大和仲です。これから宜しくお願いします」
「礼儀正しい人は好きですよ。貴方を召喚された方は、かなり高位な方だった様ですね」
「え? そんな事が解るのですか?」
「ここまで来ない。陽炎の様に姿を消した。つまり私に正体を知られたくない。いやここに居る者達全てにでしょうか。それは高位過ぎるか犯罪者くらいです」
「はぁ………あの、その事はあまり………」
「解っていますよ。ただ、貴方も皆に隠すと言うのは気持ちの上でも辛いでしょ? 私が知っていると言うだけでも気が軽くなりますよ」
「そうですね。有難う御座います」
「素直ですね。でも数ある学校からこちらを選んでくれたと言うことは、何かあるのでしょうか? 何か聞いてますか?」
「いえ、僕は連れて来られただけなので…」
この学校の名前は「月の雫」と言う。名前で選んだのか、何か月詠に由来があるのかそんなところだと僕は思った。
「そうですか、うちは小さいし、殆ど無名なのですけれどね。それでは着いて来て下さい。午後の講義には間に合いますから、皆に紹介しましょう。あっ! 忘れてました。私はここの責任者兼、講師のアリアと申します」
そう言って再度頭を下げたアリアさんは、金髪碧眼の美女であった。
ちょっと抜けてるっぽいところも安心出来る。いや、これが作戦なのかも知れない。
僕ももう一度「宜しくお願いします」と言って、頭を下げた。
「あぁ、そうだ。ヤマトさんってファミリーネームですよね?」
「えぇ、そうですけど?」
「この世界でファミリーネームは、あまり意味を成さないのですよ。ですのでナカツさんで宜しいですか?」
「えぇ、構いません」
スタスタと前を歩きながら話しかけてくれる、アリアさんの提案を僕は特に深く考えずに応じた。
ガヤガヤとした喧騒が近付いてくる。学校と言う感じは何処も同じなんだなぁと感じながら、僕はアリアさんに続き教室らしき所へと入った。
黒板らしきものが有り、その前に教壇らしき物が有る。
その前には10人ぐらいの人達が、弧を描く様に教壇に向かって椅子に座っている。
机の上には、四角い5センチ角程度のキューブが其々有るだけで、ノートや筆記具の類は見当たらない。
銀髪や、赤髪、青に緑やピンクまで居る。全員髪の毛の色と肌の色が違うって、何処のインターナショナルスクール?
いや、異世界混合だった。それにしても美男美女しかいないと言う事に、少し気後れしてしまう。
「はい、皆さん。今日から皆さんと一緒に学ぶ事となったナカツさんです。ナカツさん、何か言っておきたい事はありますか?」
「えぇっと、それじゃぁ、何も解りませんが、これから宜しくお願い致します」
僕は、そう言って頭を下げた。僕の認識では、ここで拍手なり野次なりあるはずだが、そう言う反応は全く無かった。
「はい、挨拶は其々の世界で色々な習慣が有りますからね。では、これを持って、空いている席に座って下さい」
そう言ってアリアさんから渡されたキューブを持って、僕は、窓際の空いている席に座った。
10人ぐらいと言ったが、後ろから見て数えると7人しか居ない。僕を入れて8人だ。
獣耳の人は居ないが、女性率が高い。男は僕以外に1人しか居ない。
上手くやっていければ良いけど、嫌な奴だったら最悪だなぁと僕は考えていた。
そして、僕の為に行ってくれたこのキューブの使い方で、僕は悪戦苦闘することとなる。
「フレイアさん、折角お隣になった事ですし、丁寧にご指導してあげて下さいな」
「えぇ~っアタシですかぁ? 男同士で、ジュードが良いんじゃないですかぁ?」
「俺は苦手だって知ってるだろ?」
「解ったわよ。アタシはフレイア。言っておくけど変な気を起こさないでよね」
紅いウェーブの掛かったロングヘアの目付きの悪い女の子に、フレイアじゃなくてファイヤかなんかじゃないの? と思ったのは内緒だ。
こうして僕の異世界での生活が始まったのだが、この時の僕は目まぐるしく変わった状況を消化するのに精一杯で、両親が亡くなった悲しみを思い出す暇も無くなっていた。
今思えば、それもきっと月詠の優しさだったのだろう。