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二話、ねこみみ公爵と女神の伝説3





 ◆




「本当、この本棚ってどこまで続いているんでしょう……」

「俺も見に行って見た事はあるが、どうやら果て自体は一応在るには在る――が、ミツルが行ってみたいのであれば、俺が連れて行くが」

「ギルがそうやって親切心を出す時は『大体何かある』って知ってますよ」

「面白味の無い反応を返すようになったな。……俺は物凄く退屈だ」



 チチルとギルフォルドと、三人でお茶を楽しんだ後。

 着いて来て欲しい場所がある、と珍しく言い置いて何処かへと行ってしまったギルフォルドは、それから一日ほど経った後『待たせたな』と少しだけ機嫌の良さそうな様子で、けれどなんら悪びれもなく言って、美鶴を部屋から連れ出した。正直、待たせた、遅刻した、というレベルの話しではないと思う。

 しかし彼の唐突な行動には(言うのが何度目になるか分らないが――)もはや完全に馴染んでしまった美鶴は、読んでいた本を早々に閉じると、彼に導かれるままにクレーネの村を後にした。


 そして、一人で来ると迷うから、と。何日か居るにも関わらず二回目となる、歴史書が積み積まれた本棚が在る場所へと、連れられて来て居たのだった。


 相変わらず、不思議で壮観な光景が広がるその場所。

 それを見上げながら呟いた美鶴の言葉に、からかう様な視線で問いかけたギルフォルドに、素っ気無い応えを返すと、彼は耳を垂れて口を尖らせた。



「――俺が見せたいのは、その先なのだが」

「その先。……ッ! もしかしてギルが連れて行こうとしていたのって、この本棚の上の上‥ですか……?」



 問うように隣に立つ長身の黒猫を見上げると、赤く鋭い瞳を細め‥意地悪く笑った。



「本棚の上には、普通は何があると思う?」

「……私の場合は、貯金箱を置いておきますけど‥」

「覚えておこう。ミツルはへそくりを本棚の上に置くのだな」

「覚えておかないでください。忘れてください」



 余計な事を言ってしまった、と口を閉じる美鶴。

 そんな彼女の様子に、ギルフォルドは満足気に喉を鳴らして笑い、言葉を続けた。



「まあ、俺は金銭で困りはしないから忘れてやろう」

「公爵様ですもんね」

「次期、だ。しかも次期公爵ではなく、次期公爵候補だからな」



 そこの所はくれぐれも間違えるな、と珍しく真面目な表情で付足して、ギルフォルドは本棚を見上げた。

 そんなギルフォルドの綺麗に整った横顔を見つめ、そういえば彼は常に前線に立つ王国魔歌騎士隊に所属していたのだ、と美鶴は思う。



 この大きくて小さな王国では、ギルフォルドの様に耳や尻尾が生えた――所謂『獣人族』とされる人間や、チチルの様に立って歩く獣――所謂『獣族』と呼ばれる種族は余り珍しくは無い。

 何百年と昔から、小さな国同士の諍いはあったとしても国土の大半を血で塗り上げる様な争いは起こって居らず、穏やかで和やかな雰囲気を纏っている。多種の種族がそれぞれに共生し、それぞれの特徴を上手く利用して地位を立てることで、種族間での争いも余り起こって居なかった。

 あまり、というのは……それでもやはり、血気盛んな種族は居るもので、野党紛いの事を行ったり、山賊、海賊と呼ばれる徒党を組み、海原や山々を駆け巡り、時として問題ごとを引き起こしているらしい。

 それらを解決すべく、前線に立って彼らの説得を試みる集団こそが、ギルフォルドの所属する王国魔歌騎士隊、それから騎士団と呼ばれる存在である。

 この二つの組織の違いはそれほど大きくは無く、大雑把に『魔歌を武器とするか、剣を武器とするか』、または『魔歌が使用できるか、できないか』で選択、配属されるらしい。



 ――というのが、ここ数日チチルの持っていた書物で美鶴が学んだ事である。

 つまり、美鶴自身はギルフォルドから聞いた当初、彼の地位を軽く考えて居たのだが……、実力で公爵候補にまでのし上がったギルフォルドの実力は、平和な世の中とはいえ、相当なものだと言える。


(でも確かに。そりゃ、物凄く偉そうだけど……ギルが何かを出来ない事が想像できないんですよね)


 ただやらないだけで。

 最後の部分が特に重要なのだが、退屈と面倒くさいが口癖のギルフォルドからしたら、寧ろ何か面倒事をを率先してやって居るほうが恐ろしいというものだ。


(チチルが最初に『天変地異の前触れ』って言った気持ち、分かりますよ‥すごく)


 今思えば、ギルフォルドがただ面白いから、という理由だけで美鶴をクレーネの村まで連れて行ったことがどれだけ珍しい事だったのかが理解できる。

 今更ながら、ギルフォルドの気紛れが偶然にも働いてくれた事に、ひっそりと心の中で感謝の言葉を告げた。



「ミツル、飛ぶ」

「え? ――ッ!」



 そんな事を思案してボケッとしていた美鶴は、何時の間にやらギルフォルドが魔歌を歌っていたことに気付かず、『飛ぶ』という言葉と同時にふわりと体が浮き上がる感覚を感じていて、彼が美鶴の了承も得ずに独断で決めた『飛ぶ』を、二、三秒ほど経ってから、やっと気が付いたのだ。

 しかし気が付いたとしても、既に遅い。



「と、飛ぶって……!」

「この方法が俺には一番手っ取り早いからな。諦めろ」



 美鶴の腰を両手で掴み、まるで米俵の如く肩に担ぎ上げたギルフォルドは、螺旋階段を延々と上るが如く、高い本棚の上の方へと向けて、空中を走っていたのだ。しかもぐるぐると。



「俺にとっては、飛ぶというよりは階段を上る、という方が想像しやすい」

「そうですか……。でもギル、腕、疲れませんか?」

「それは俺に『ミツルは重い』とあえて言わせたいように聞えるのだが」

「……ギルは意地悪です」



 揚げ足を取る、とは正にこのことである。

 純粋に心配をした美鶴は、彼がそういう人間であったと気付き、声を殺して笑うギルフォルドの後頭部を軽く叩いた。

 その途端、髪と同色の黒い耳がピクリと反応し、くっ付いている腹部の奥に響くような、ギルフォルドの低い声が響いた。



「落とすぞ」

「……すみません。ちょっとした出来心です」

「耳を触らなかっただけ、マシだ」

「耳――?」



 つい、と視線を上げて、柔らかそうな耳へと美鶴は視線を向ける。

 すると、その耳が更にピクピクッと反応して、ギルフォルドは居心地が悪そうに舌打ち、恨めしそうな視線をこちらへと向けて来た。



「ギル、どうしました?」

「……あまり見るな、」

「そう言われましても。私の世界では耳や尻尾がある人が居なかったですから、見たいですし……迷惑でなければ触ってみたいです。ギルの耳、可愛いですもん……駄目ですか?」



 実際、それは嘘偽り無い本当の事だった。しかし不機嫌そうなしかめっ面をしたギルフォルドは、眉間に縦皺を何本も刻み、搾り出すような声で、心から忌々しげに呟く。



「……、俺は‥弱い、んだよ」



 ポツリと呟かれた言葉は、彼らしくなく蚊が鳴く様な細い声で。ギルフォルドの身体の内側から沸き上がるようにして歌われている魔歌に、その声はかき消されてしまう。

 何と言ったのだろう?と首を傾げていると、それが見えたのか‥はたまた、動いた頭を気配で感じたのか、ギルフォルドは半ばヤケクソの様に声を張り上げた。



「俺は『耳が弱点』だって言ったんだッ。一度で聞け」

「え?」

「……三度目は言わないからな」

「いえ、聞えました。耳が弱点だと」

「これ見よがしに言うとは、良い度胸をしている」



 そう憎らしそうな声で言うものの、つんっと顔を逸らしてしまったギルフォルドの表情を見る事は、美鶴には叶わなかった。

 若干残念に思ったが、これ以上からかえばギルフォルドの機嫌が取り返しの付かない程に悪くなってしまいかねない。そう思った美鶴は、そこで口を閉じた。……のだが、何処か拗ねたような口調のまま、ギルフォルド自身が問いかけて来た。



「美鶴は俺の耳に触りたいのか?」

「出来れば」

「……、そうか」



 何処か悩むような間を空けて、ギルフォルドは頷く。

 どうかしたのだろうか、と美鶴が彼の顔を覗き込もうとした所で、突然、落下していくような浮遊感を感じた。



「……ギルッ」

「ああ‥ひとつ言っておくが、これは俺の悪戯ではない」

「だったらどうして、突然急降下なんて……ッ!」

「目的地が、『登って降りた場所』に在るからだ」

「……?」



 両極端の答えを返し、ギルフォルドは今まで逸らしていた赤い瞳を美鶴へと向け、ふと、何処か優しげにゆるりと細める。



「この先には、俺がこの塔へと態々足を運び続ける要素が在るのだが、それは本棚を越えた外ではない外に存在している」

「外ではない外。……それに、足を運び続けて居るって事は、ギルはここに何度も来た、という事です‥か?」

「それは、俺とチチル以外の誰かに聞いたら良い」

「ギルとチチル以外って……」



 他には誰も存在しないじゃないですか、と口にしようとした所で、突然視界がくるりと反転し、気が付いたら地面へと足を付いていた。

 しかし美鶴が此処にやって来たとき同様に、そこが完全に地面であるかどうか、と聞かれるとそれは首を横に振り『違う』と言って見せるだろう。なんせそこには地面と表現するより、黒々しい黒曜石の床、とでも表現した方が良い黒い地面が広がっていたのだ。



「ここは一体‥」

「だから言っただろう。外ではない外だと」

「その説明だと解りません」

「説明が難しい。取り合えずついて来い」

「はい」



 ギルフォルドの言葉にコクリと素直に頷き、美鶴は黒々しい床に一歩足を踏み出してみる。と同時に足裏に少しだけ柔らかい――黒曜石や大理石といった鉱物というよりは、絨毯に近いふんわりとした感触が広がった。


 しかし、なんとも不思議な空間である。

 目先の物は何も見えないというのに‥横に立っているギルフォルドの姿は、まるでライトに照らされたようにきちんと視覚化されているし、恐る恐る視線を落とした先には、美鶴自身の手足も視えた。


 それはつまり、この空間が単に『真っ暗闇』という事ではなく、この空間が不可思議にも『全てが真っ黒』という状態なのだろう。それは否応なく光さえも。


 ふと、とある事を思い至って美鶴は顔を上空へと向ける。……が、ぼんやりと明るかった書庫の光は全く微塵も見えず、突然黒い泉の中に飛び込んでしまったかのように真っ黒な空間が広がるだけだった。



「美鶴、」

「あっ‥はい」

「手を出せ」

「……?」



 そんな事を考えつつも、真っ黒な空間の中でも艶々として目立っている黒髪を追っていた美鶴に、ふと、ギルフォルドが声を掛けて片手を差し出して来た。

 思わず首を傾げると‥眉間に皺を寄せて若干照れくさそうに耳を垂らしたギルフォルドが、美鶴へと向けて手を差し伸べながら、口を開いた。



「はぐれでもしたら、俺は探さないぞ」

「それは……流石に探して欲しいです‥」

「惑いの魔歌のうたわれている場所で?」

「ギルなら出来そうですもん」

「――まあ、否定はしない」



 ふふ、と何処か得意気な表情で笑って、ギルフォルドは美鶴の手を強引に取る。

 そしてそのまま引っ張ると、黒い空間の中を淀みなく歩き始めた。その淀みない歩きに必死についていきながら、美鶴はやはりどうしても気になった事を質問する事にした。



「あの‥ギル。聞いても良いですか?」

「ん? そうだな、俺の気が向いたら答える」

「そうですか。……ええと、二度目の質問になるんですけれど、今、何処に向かっているのです?」

「その事か」



 特に驚いた様子も見せず、ギルフォルドは米神に人差し指を当てると、言葉を模索するように何度か瞬きを繰り返す。――そして、「女神が眠る場所がある」と不意に言葉を発した。



「女神?」

「ああ、そうだ。この世界の法則を支えている一柱であり、魔歌が出来た原因でもある」

「――もしかして、魔歌はその女神様が何かを願って歌った歌、とかですか?」



 そう思った事を口にした美鶴に、ギルフォルドは口角を上げて「それが逆なのだ」と笑う。



「魔歌は……、瀕死の重傷を負った過去の英雄を救うために力を使い果たし、姿を消した女神を恋い慕う歌であり、女神の為に捧げられた願いの歌なんだよ」

「女神様は、今も現れないのですか?」

「さあな。それは神話時代の話だからな。俺が探して居る忘れられた魔歌同様に、御伽噺でこそ語られるものの、結局は忘れられた歴史。真実は流石の俺にも分からない」



 しかしその女神の御伽噺が、これから行く場所に一体どんな関係があるのだろうか。

 美鶴は綺麗な黒髪を見上げながら、次の言葉を待った。そんな美鶴の心情を、今度もまた悟ったのだろう。ギルフォルドは、くっ、と可笑しそうに喉を鳴らして目を細める。



「そう焦れるな。この御伽噺を知っていてこそ、価値がある場所なのだからな」

「それは先に言っていた、『女神の眠る場所がある』というのです?」

「まさしくその通りだ」



 女神の眠る場所――。

 聞き流してしまえるほど些細に呟かれた台詞は、今の話を聞いたところから推測するに、相当な意味を持って居る。神話なのか御伽噺なのか、どちらとも分からない時代に姿を消した女神が眠っている場所。確かにこの不可思議な塔の中であれば、神話時代の遺物が残っていても不思議ではないのかもしれないが。


 それにしても、と美鶴は思う。惑いの魔歌がかけられた塔の中で、それを確実に探し当ててしまうギルフォルドもギルフォルドだと思った。

 下手をしたら彼は、この異世界の中で相当な強さを――それは頂点だとか頂上だとか、そういったとてつもない強力な力を誇って居るのでは無いのだろうか。



「美鶴、意識を戻せ。到着したぞ」

「あ、はい。……って、ギル、近いです」



 低い声に名前を呼ばれ、ハッと意識を取り戻すと……ギルフォルドの整った目鼻が至近距離で美鶴の顔を覗き込んでいた。

 考え事をしていて、意識を逸らしていた美鶴は、思わずビクリと身を固める。しかし、くつくつと声を殺して笑うギルフォルドの姿を憎らしく思うのは罪ではないだろう。

 彼の場合、自分の整いに整った容姿を理解していて、それを利用してくるのだからたちが悪い。



「俺の顔にいつまでも慣れないな、美鶴」

「……ギルはずるいです。性格が意地悪なのに‥そんなに格好良いだなんて。神様が利用しろって言って居るようにしか思えません」

「神も色々と飽いているのだろう。だからこうして――俺に過多な武器を与える。態々な。だがこの能力のお陰があってこそ、俺は望んだ地位を得られたのだから文句は無いが」

「その顔が嫌だって言ったら、世界中の人を敵に回すとおもいます」



 美形という言葉。男前という言葉。端麗という言葉。

 それらを全て集めても集めきれないほどに整った容姿をしている彼が、『容姿が嫌だ』等と文句を言えば、世界中の人間全てに殴り倒されても未だ余りあるだろう。


 思わず眉間に皺を寄せた美鶴に、ギルフォルドは美鶴の髪をくしゃくしゃと撫でて声を立てて笑う。



「そんなに俺が好きか」

「違います。ギルの顔が、です」

「それも俺の一部だ。性格だろうが顔だろうが、どうということはない、全て俺だ。つまりは美鶴は俺が好きなんだろう?」

「……それは‥、確かにギルは嫌いではありませんけど」

「物好きな奴だな」



 そうは言うものの、目尻が垂れて尻尾を振っていれば、ギルフォルドが物凄く嬉しがっている、という事は美鶴にでも分かる。

 普段は相当不遜な彼のそんな仕草を見てしまえば、美鶴もそれ以上反論できない上に、何だか許してしまう気になるのだから、反則だと思う。――が、そんな可愛い一面もあるのだと、余り見せないギルフォルドの内面が見えた気がして、美鶴自身も嬉しかったのは内緒だが。



「それはそうと、此処が美鶴を連れて来たかった場所なのだが」

「――本棚以外、何もありませんね」

「いいや、本棚と本が一冊在る」



 相変わらず真っ黒な水の中に沈んだかの様な空間の中。ギルフォルドの整った指先が指し示した方向には‥本棚と、その本棚にポツンと置かれている一冊の本が在るだけだ。


 此処が『女神の眠る場所』――?


 そう目線だけで隣に立っているギルフォルドへと問いかけると、彼は一度頷いて本棚へと近付いて行く。

 もちろん、手を掴まれた状態の美鶴もそれに倣って歩き出した。

 そして、一冊だけ置かれた本を見下ろす位置まで来ると、ギルフォルドは何かを思い出したように言葉を紡いだ。



「この塔が、」

「………?」

「この塔がどんな場所なのか」

「惑いの魔歌で封じられた、歴史書の……塔、ですか?」

「間違いない」



 こくりと頷いて、彼は美鶴へと目線を向ける。



「全てが全て、歴史となり文字となり埋もれ消えて行く。だが同時に、全てが全て文字となり、新しい書の下に確かに存在し続けて居る。――つまり、存在している歴史は、全て此処で調べる事が出来る」

「と、いうと……」



 ちらりと、本棚に置かれた一冊の本へと視線を送る。

 近くに来て漸くわかったことなのだが、どうやらその本はギルフォルドが言っていた『封じられている』という言葉に相応しく、本の裏と表の両表紙が頑丈な鍵で止められ、少しの隙間さえも開けることは不可能の様に思えた。

 そんな美鶴の視線を同じ様に追い、ギルフォルドは言葉を続ける。



「魔歌の始まり――それから、神話の有無についても調べることが出来る、という訳だ」

「……、ギルの口ぶりからすると、その神話の有無についての歴史書が『これ』、ということです?」

「ああ」



 しかしそうであれば、ギルフォルドがとっくに鍵を開けてしまっていただろうし、此処にこうして不自然に置かれ続けるようなことも無かっただろう。ということは、ギルフォルドの力を以てしてもこの本を開けて居ない、という事ではないのだろうか。



「美鶴はこの本が開けるか?」

「……ギルは、」

「俺は関係ない。俺ではなく、美鶴が開けるのかどうかを聞いて居る」

「……ええと‥」



 ギルフォルドには、いつものように冗談を言っている様子は無く、どちらかというと何かを試すような視線を美鶴へと向けてくる。

 それにやや首を竦めながらも、美鶴は目の前に置かれた本へと手を伸ばしてみた。


 ――のだが。持ち上げようとしても、たった一冊の本はどうしても持ち上がらず、まるで置かれている本棚と繋がっているかのような重量を感じた。いや、持ち上がらない時点で重さも何も解らないのだけれど。


 持ち上がらない、と早々に手を離しギルフォルドへと視線を向ける、と……彼は顎に指を当てて何か考える様な仕草をしてこちらを、じ、と見つめて居た。



「あの‥ギル?」

「鍵の掛かった鉄の扉を開ける時、美鶴だったらどうする」

「ええと、鍵をまず外しますね」

「そうだな。鍵が掛かった扉は、まず相当な怪力の持ち主でもない限り、破ることなど不可能だ」

「……つまり?」



 唐突に聞かれた言葉に、美鶴は逆に質問し返すと‥ギルフォルドは機嫌が良さそうに本を叩きながら答えた。



「この本には鍵が掛かっている。それも、見えている鍵ならなんら問題は無い。……が、問題なのは見えて居ない鍵が存在している、という事だ」



 見えない、鍵。

 思わず本へと目線を向けて、何かを透かして見るように目を細めてみるが、どうにも見えない鍵というのは、美鶴の目に見えて来ない。

 不思議に思ってギルフォルドを仰ぎ見る。すると彼は突然、美鶴の目を片手で覆い言葉を続けた。



「想像しろ、美鶴」

「はい」

「例えば今まで迷い続けていた原因が、選択肢の扉全てが開いていたからだとする。今まではその扉を閉じる事が出来なかった――が、今は違う。今、美鶴の首には‥その全ての鍵を閉じ、開くことの出来る主鍵が有る。まずは、その扉全てを閉じろ」



 ギルフォルドの言葉通り、美鶴は想像の中にその光景を描いた。

 始めはモノクロで、次にその想像の中に色を落としていく。


 沢山の扉が開かれ、美鶴の目の前の空間にポッカリと向こう側を見せている。それを全て、ギルフォルドの指示のままに首に掛けられている鍵で閉じて言った。



「そして閉じ終わったなら、美鶴が望む選択肢を願い、探し出せ」



 キッパリと言い放ったギルフォルドの声は、想像の中で彷徨う美鶴の耳にも届いた。

 身体自体はここに在るのだし、想像の話なのだから当たり前なのだが……、周り中を古ぼけた扉や壮麗な扉と様々な扉に囲まれた、一種異次元に近い空間に居た美鶴にとっては、なぜか不思議な事のように思えたのだ。


(私が望む選択肢は‥)


 目の前に在る本へと続く扉――その、見えない鍵の位置。それを探したいと‥美鶴は心の中で強く願った。


 ……と、その時。

 脳内の想像であるはずの空間に、蔦に一部が覆われた一つの扉が現れた。

 なぜ一部が、かというと……蔦に覆われて居ない部分は、まるで炎に焼き切られたように焼け焦げ、扉の鍵穴を中心にして蔦が無くなっていたからだ。



「これは……」

「見えたか?」

「はい。でも……これは、本当に私の想像の世界何ですか?」



 そろり、と扉へと近付き、質感を確かめるようにして触ってみる。

 ここは想像の世界だ、と思っていた美鶴は当然『自分の手は空を切る』と思っていた。しかし‥その予想に反して美鶴の手は、少しだけ湿り気を帯びた木造りの扉の質感を伝えて来た。



「これは、……どうして?」



 その美鶴の言葉には、ギルフォルドからの答えは帰って来ない。

 代わり、といったように、目の前の扉に絡まって居る蔦が更にジリジリと焦げ臭いにおいを立てて鍵穴から外へ、外へと燃え落ちて行った。


 これは美鶴の推測なのだが、蔦を焼いている炎はギルフォルドの魔歌なのではないか、と思うのだ。魔歌が鍵穴に掛かった呪縛を、長年触れられなかった封印を解くかのように、ジワジワと解いていって居るのではないか、と。

 それが視覚化されているのがどうしてか……は、美鶴にもさっぱり解らない。

 ただ、これもまた『ギルフォルドの魔歌』なのではないか、と自らを納得させて、炎が完全に蔦を焼いて素のままに露になった扉へと近付いた。


 そして、手に持った鍵を挿し込み――回す、回す。


 何度かくるり、くるりと手首を返した所で、手にカチリという何かを開錠したような感触が響き、次の瞬間、耳元で何かが弾けるような音がした。



「――ッ!」



 途端、一気に水面下から水上へと浮き上がったような感覚が襲い、美鶴はいつの間にか閉じていたらしい目を見開く。……と、まず最初に見えたのは真っ赤なルビー。

 違う、訂正。

 真っ赤なルビーのような、ギルフォルドの赤い瞳。その瞳が、何時もより違う角度で美鶴を覗き込んでいる――というより、彼の前髪が不自然にこちらに落ちて居るところからして、美鶴が『何か柔らかくて温かいもの』を枕にして寝転がって居る、と言った方が正しい。



「起きたのか」

「ギ‥ギル?」

「他に誰が居る。体調はどうだ?」

「え、あ……特には、何も」



 つい先日にも聞かれたような言葉を聞かれ、美鶴は惰性的に返答を返す。

 そして返答を返しつつも、どうして今、自分がギルフォルドを見上げて居るのか、どうして自分が寝転がって居るのか、それからなによりも……自分が今、何処で寝て居るのかを考えてみた。

 もっとも‥考えてみた、というよりは『とある可能性』を否定できる要素を模索したかったのだが。



「ギル、足……痺れませんか」

「美鶴は軽いからな。本を数冊置いて居るよりはましだ」



 恐る恐る問いかけた言葉に、ギルフォルドは事も無げに、否定して欲しかった可能性を肯定してみせ、更には美鶴の髪をさらさらと手櫛で柔らかく梳いた。

 それには、大体の事に動揺しなくなっていた美鶴もさすがに顔を紅潮させ、逃げ出すようにギルフォルドの膝の上から起き上がる。



「ええと、あの……あ、あの‥」

「鍵がかけられた歴史書なら、美鶴が解いたぞ」

「え!?」

「もっとも鍵はあと何重にも掛けられていたけどな」



 慌てる美鶴に向けて目を細めて楽しそうに笑い、ギルフォルドは片手に持った本をひょいっと美鶴へと差し出す。



「時間が空いた時にでも、徐々に鍵を解けば良い」

「でも私は‥ギルの魔歌でやっと解けたようなものですよ……?」

「違う。俺は補助をしただけだ。特にこれといって『何もやっていない』」

「え?」



 首を傾げてみせる美鶴に、ギルフォルドは美鶴に渡した本をとんとんと軽く叩いて、小さく笑ってみせた。



「美鶴が見た光景は全て、魔歌に近い。扉も鍵も。……美鶴は魔歌が使えているんだよ」

「私がですか?」

「そうだが」

「でも私……魔歌は使えないと思うのですけれど」



 元の世界に居た時、何度魔法が使えたら――と願っただろうか。

 しかし、その願い虚しく‥何度願おうと何度祈ろうと、魔法が使えることは無かった。

 それが今突然使えるようになった、と言われても美鶴には到底信じ難い話で……けれど、ギルフォルドが嘘を付かない、面倒くさいことはとことん避ける性格だと知っている美鶴は、彼が言っている事が嘘だとも思えない。

 難しい顔をして真っ黒な床へと視線を落す美鶴の姿に、ギルフォルドは『仕方ない』とでも言いたげに短く息を吐く。



「それは全て先入観というものだ。ここは美鶴が居た世界ではない。ここは願いを込めた歌が祈りとなる」

「はい」

「それを証明するように、美鶴は見えない鍵を解いた」

「……はい」



 ギルフォルドの言葉を噛みしめるようにして耳に入れ、美鶴はコクリと頷く。

 そんな彼女を満足気に見つめ、ギルフォルドは美鶴の肩をポンッと軽く叩いた。



「全ては単純明快にして、見えるがままであり目蓋の裏側の事実でも在る」

「……?」

「美鶴は目先のことを考えていれば良い」



 そう言ってギルフォルドは美鶴の腕に抱かれた本へと視線を向けた。その視線を美鶴も同じ様にして追い、自らの腕に抱かれた本をギュッと強く抱きしめる。


(願いに応じて、開く扉を決める‥ですか)


 難しそうではあるものの、一度出来た感覚を取り戻し自分のものにすることに意味がある。

 ――そんな事を漠然と美鶴は思っていた。


 それに何より、ギルフォルドに必要とされる自分自身がとてつもなく嬉しかった。










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