婚約者は妹のことがお好きなのかしら?と思った猫被り令嬢が、婚約を解消して都会に出た話
「おーっとランド選手、軽快にアリシア選手に話しかけております、ここで爆笑!一体何の話をしている…おおーっと!何かを渡した!王都のお土産でしょうか!」
二階のバルコニーから、婚約者のランドが妹のアリシアと仲睦まじく談笑している姿を実況しているのは、子爵令嬢のミレーユだ。この様子からわかるように、おかしな女である。しかしそれを知る者は多くない。クラスメイトのエリザベートくらいである。
「ミレーユお嬢様、エスタール伯爵子息がお見えです。本日はお庭にお茶の席をご用意しております」
「ええ、今行くわ」
ミレーユは今までおかしな実況をしていたのをパタリとやめて、呼びに来たメイドに完璧な淑女の笑顔を返す。
ミレーユは子爵令嬢としてきちんと教育を受け、学園でも好成績だけど妙な目立ち方もせず、かなり「合格」な令嬢である。だがそれはミレーユがきちんと外で取り繕うことができるから成り立っている。
ミレーユは常に楽しい。自分の婚約者が美人と名高い妹ときゃっきゃしていても、「実録!婚約者の妹への心変わり…か!?ベリル子爵家、泥沼の予感」とかガセネタまみれの新聞みたいな見出しを思いついては笑ったり、その様子を実況しては笑ったり、何が起きても勝手に楽しくしてしまうのだ。なぜそうなのか、と問われると、それが気質としか言いようがない。
まさかそんなことをしていたとはおくびにも出さず、ミレーユは令嬢の猫を被りお茶の席までやってきた。
「ようこそおいでくださいましたわ、ランド様」
「ミレーユ、お茶にお招きいただきありがとう」
このランドはエスタール伯爵家の三男坊で、ベリル子爵家に婿入り予定である。ちなみに顔がいい。学園での人気も上々である。ミレーユとのお茶の席での上品な所作、女子でも喜びそうな話題選び、気遣い、どれを取っても申し分ない。しかし。
(さっきアリシアとバカ笑いしとったやんけ!)
ミレーユは劇場で見た国の西側で流行っているコメディの口調で、心の中で思わず突っ込む。いくら貴公子ぶっても無駄なのだ。ミレーユといる時はこの貴公子の鉄仮面を取ることがないランドに対して、ミレーユは思う所がある。
(もう三年も婚約しているのに、こうも私に打ち解けないなんて、結婚して大丈夫なのかしら)
最初に会った時から現在に至るまで、常によそ行きなのはアリシアとの対応を見ていればわかる。学園で男子生徒ともバカ笑いをしているし、彼の兄たちと接するのを見ていても、別に貴公子という訳ではない。だがミレーユとミレーユの両親には常に貴公子なのだ。まあ大事な婿入り先だし、緊張するのもわかるが、とミレーユは理解も示している。
「今日は君に贈りたいものがあるんだ、この前王都に行った時に買って来たんだ」
「まあ、なんですの?」
「…万年筆なんだけど、最近出たらしくて、書き味が良くて」
ミレーユはにっこり微笑んでランドからそれを受け取る。
(アリシアには一体何をあげたんでしょうね~~~?これは見ものですぞ)
ミレーユは心の中で謎の老人風にそう言うが、笑顔は優雅そのものだ。
「まあ嬉しい。こちらでお手紙を書きますわ」
その言葉にランドは微笑む。二人でにっこり、退屈の極みであるとミレーユは思う。ランドがこんなにも打ち解けないので、ミレーユも一向に素を出すことができずにいた。どこまでなら許容されるかを計りながらも徐々に慣らし、親世代が引退するころには家の中では猫を被らずに済むくらいには振舞えたらと思っていたのだが、それは夢に終わりそうだ。
猫被り&鉄仮面のお茶会は恙なく終わり、ミレーユはランドを見送ると、早速アリシアにもらったお土産を見せてもらいに行く。
「アリシア、ランド様にお土産はいただいた?」
「ええ!王都で流行ってるブランドのイヤリングですって!とっても素敵なの!」
「まあ本当、お礼のお手紙を出さなくてはね」
はい、アリシアには貴金属来ました~~~!もうこれ婚約者代えた方がよくない?ミレーユは優雅な笑顔の下で盛大にご意見する。仮にランドと結婚したとして。実は妹が好きだった、お前を愛することはない的なことが結婚してから起きてしまったら。
(…笑えるかも?)
それはそれで面白い、とミレーユは思う。ガセネタ新聞の見出しが捗る。しかし、その後にアリシアとの間に子供ができたとか、泥沼不倫の離婚劇とかになると、面白さより面倒さが勝つ。それは遠慮したい。
婚約者代えた方がよくない?とは思うがそれを提案することはない。そんな提案は常識外れであるし、ミレーユとしては別に、心が他の女性にある男と結婚することになっても「結婚は貴族の女の仕事ですし」くらいで思っているので、大したことではないのだ。夫が「家の運営に悪影響があるほど著しく性格が破綻している」とか「協力関係が築けない」とかではない限り、許容範囲である。それが守られればミレーユは夫の気持ちがどこにあろうが、楽しく暮らしていける自信がある。
だけど、どう見てもランドがこの家で一番打ち解けているのがアリシアであるのに、誰も何も言い出さないのは不思議である。よもや目が節穴か、と思うがミレーユは口にはしない。
***
「自分で自分の機嫌が取れすぎるというのも問題あるのね」
「どこがよエリザベート」
学園の昼休み、ベンチでランチを取るミレーユは、同じクラスのエリザベートの言葉に憮然とした。
「妹と婚約者である自分とで贈り物が逆であるべき、はわかるのに、面白がってどうするのよ」
「だって面白いでしょ。三年も婚約期間あるのに距離がこれっっっぽちも縮まってないの。そんなことある?」
これっぽっちを示すためにミレーユは親指と人差し指で間隔を示すが、指の間は閉じている。
「見て、これっっっぽちも」
「見たわよ。もういいわよ!」
うんざりしたように突っ込むエリザベートの言葉にミレーユは一人ウケて大笑いをする。ここは他に誰も居ない中庭である。
「でもどうして、ミレーユへのプレゼントは頑なに色気がないのかしらね?」
「まあそれはいいのよ別に。万年筆だっていい物よ?一生ものだわ」
「そんな、父親へのプレゼントみたいな…」
「確かに!?」
エリザベートの言葉にミレーユはまた大笑いをし、エリザベートは無表情でそれを見守る。
おかしな級友との出会いはこの人の来ない中庭であった。エリザベートは本来、大都会である王都の学園に通うべき令嬢だ。何と言っても第二王子の婚約者である侯爵家のご令嬢なのである。しかしどうもその婚約者の座のいざこざで、エリザベートは王都を離れ、この田舎の学園に避難することになった。家族と離れ、お付きの侍女は幼い頃から自分に付いていてくれた者だが、学園までは一緒には来れない。ホームシックに掛かったエリザベートはこの人の来ない中庭で、護衛に少しの間離れてもらい泣いていた。
「怪奇、女のすすり泣きのする中庭の謎に迫る。果たして怨霊伝説は本当なのか…!?」
泣いていたエリザベートはその言葉に顔を上げる。陰になってベンチに人が居るとは思わなかったミレーユが、これは怪奇現象では?と思いつい口走ってしまったのだ。人生で初めての失態であった。
「あ、あら、御機嫌よう。怨霊伝説ではなかったのね。大丈夫かしら?こちら、良ければお使いになって」
ミレーユは優しい笑みで清潔なハンカチを差し出し、エリザベートがそれを手にする。
「あなた…淑女に擬態しても手遅れではなくて…?」
ハンカチ一枚の親切でイメージ回復を図ろうとするミレーユの雑さを、未来の王子妃であるエリザベートはしっかり見抜いた。この時から二人は気の置けない仲である。
「ミレーユ、あなた本当にアレと結婚するの?」
「ちょっと、人の婚約者にアレとは何よ」
「…もし、結婚しないようなことになったら、あなた王都にいらっしゃいな」
「どゆこと?」
「あなたのユニークさは、都会では嵌るところがあるかもしれなくてよ」
ミレーユはエリザベートの言葉にきょとんとした顔を向ける。
「私が…ユニーク?節穴でいらっしゃる…?」
「変人は自分のことを変人だと思って無いのよ、そうよね、失礼したわ」
ブーブー文句を付けるミレーユを他所に、エリザベートはランチを食べ終える。ミレーユは跡取り娘だ。そのために学業を頑張って婿を取る気でいる。貴族の娘として模範的とも言えるだろう。だけどもし王都であれば、ミレーユは猫を被っていなくとも、その面白さを買う人間はいると思うのだ。実際、エリザベートはミレーユを気に入っているし、もし王都に来てくれたら心強いとも思っている。
言われた言葉に納得はしないが、エリザベートが何やら親切心で言ってるというのはわかったので、ミレーユはひとまず礼を言う。
「ご心配ありがとう、エリザベート。でも大丈夫よ、そんな大層なこと起きるわけないじゃない。今だって部屋の中でしか猫は外せないんだから、結婚後も同じなだけだわ。ほんとランド様が私に打ち解けるのいつになるのかしらね~」
なんだかんだ思う所はあれど、三年間何も変わらず予定通り来たのだ。このまま予定通り卒業後には結婚すると、この時のミレーユは思っていた。
***
(ここで監督が出てきました!交代、交代です!選手交代、ミレーユ選手からアリシア選手です!)
ミレーユは父親の話を聞いて、スポーツ観戦の時の実況風に頭でナレーションを付けていた。ランドの婚約者をミレーユからアリシアに代えたい、という話が出たのだ。
「アリシアがランド君を好いていると言ってるのだ…。それにどうも、私の目から見て、ランド君はアリシアとの方が仲が良いようにも見えるんだが…。もちろん、ミレーユが嫌なら今のでいい」
末娘に甘いこの父親は、アリシアに訴えられてひとまずミレーユに話を持って来たらしい。こんな時に限って厳しい母は留守だ。
「別にいいですけど…その場合はアリシアが家を継ぐってことですわね?まさか伯爵家から婿を取って爵位が無いなんてことできませんもの」
「うむ。だがミレーユの嫁入り先もいい所を選ぶつもりだ」
「お父様、私の縁談はお待ちください。婚約者変更については決定に従うのはやぶさかではないのですが、婚約期間の三年間を無駄にするという私の損失について埋め合わせをしていただけますか?つきましては私のお願いを聞いていただきたいんですの」
「それはもちろん。どこか希望の嫁入り先があるのか?」
三年間婚約者がいた身で、そんなものあるわけない。こんなトンチンカンな発想をする人なので、選手交代も簡単に考えるのだろうとミレーユは思う。
「いいえ。私、王都で過ごしてみたいのです。仕事先はエリザベート様がご紹介くださいますわ。私、ここを継ぐ気でいたので学業は頑張っていたので、王都でも大丈夫だと思います」
「そんな、王都なんて遠い…」
「アリシアが王都に嫁ぐよりは寂しくないんじゃないですか?手元に置いておきたいのでしょう?」
結局はそれが交代の理由なんだろうとミレーユは思っている。父はいつでもアリシアに甘く、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。ミレーユは可愛がられていないとは思って無いが、結局長女の跡取り娘は可愛がりより一人で立てるように育てられるものなのだ。
さあ、ミレーユの許可も下りたし一件落着、伯爵家に申し出ようと父とアリシアではしゃいでいたが、帰宅した母親にそれを伝えたところ、大激怒の雷が落ちた。それを見てミレーユは「そうでしょうね」と思っていた。
「一方的に婚約者を変えるなんて、相手に失礼だと思わないの?」
「いや、向こうがミレーユのままがいいと言ったら変更なしで行こうと…」
「それはミレーユに失礼だとは思わないんですか!」
母の怒りに父とアリシアが震える。
「ミレーユ」
「はい、お母様」
「あなたは本当にいいと言ったの?跡取り修行だってずっとしてきたじゃありませんか。こんなくだらないことで振り回される必要ないのですよ」
母の言葉を聞いてミレーユは考える。本当にどっちでもいい、きっとどっちに転んでもミレーユは楽しいのだ。違いはこの家に居るか、王都に居るかの違いだけである。
「どっちでも構いませんわ」
なので素直にそう答えた。色んなことへの影響を考えれば違う答えが出るのだろうが、自分のことだけを考えればこうなる。母はミレーユの言葉を聞いて溜息を吐いた。
「…わかりました。ミレーユ、あなたの婚約はどう転んでも解消します。そして卒業後は王都へ行くといいわ。エリザベート様とお話しされているのね?近々侯爵家に手紙を出して、正式にお世話になるお願いをしましょう」
「わかりました」
「ミレーユはランド様に万年筆をいただいたのよね?」
「え?はい…お土産に」
「そう。こちらも少しは言い訳は立つでしょう」
再び母は深い溜息を吐いた。やはり女性には「なんで婚約者に万年筆でその妹にアクセサリー」には違和感を感じるものなのだ。
(私とランド様の心の距離、おわかりいただけただろうか…)
ミレーユは心の中で、劇場の怪奇ものの上映風にそう思った。こんな家族の修羅場みたいなシーンで、心の中で遊んでいる。きっとこれが駄目なのだ。交代を言い渡される原因なのだ。父もアリシアもその隙を感じ取っていたのだろう。ミレーユは心の中で少し反省しながら自室に戻る。
「ベリル子爵夫人の怒髪天!入り婿の立場は如何に!続報が待たれる!」
そう言いながらミレーユはベッドにダイブした。反省が足りていないのである。
***
婚約は解消になった。というか、ベリル子爵家への婿入りの話が無くなった。エスタール伯爵家は怒り心頭なのかと思いきや、穏便に済んだそうだ。これはベリル子爵夫人の手腕と思われる。
最後に話がしたいと、ランドから手紙が来たのは数日後のことである。互いの家ではなく、喫茶室での待ち合わせだ。ここは田舎なので大抵話し合いなどは個室があるその店が選ばれる。店が少ないのだ。
ミレーユが店に着くと、ランドは先に席に居た。ミレーユに気が付くと立ち上がり、どこか傷ついたような顔を向ける。
(鉄仮面が剥がれているわ)
やはり入り婿のプレッシャーがあったのが、解消されて表情が出て来たのだろうか。ミレーユはそう思いつついつも通りの笑顔を向ける。
「遅くなりましたわ、エスタール伯爵子息」
「…今は、ランドと呼んでくれないか」
なんでやねん、とミレーユは西側のコメディ舞台風に心で突っ込む。いらんやろ。
「この度は我が家の我儘でせっかくのいいお話が無くなってしまい、申し訳…」
「違う。すまない。僕が不甲斐なかったからだ」
なにがやねん、とミレーユが思っているとランドが箱を取り出した。アクセサリー店の箱だ。細長いのでネックレスが入っているのだろう。それをランドが開けると、やはりネックレスが入っていた。ちょうど彼の目と同じくらいの明度の青い石だ。
「これを君に贈ろうと思っていたんだ…だけどできなかった。この色、独占欲丸出しだろ?僕はいつも君には格好つけて…だけどこれを渡して、君に好意を伝えることはできなかった」
それは、好意のない相手に好意を示すことはできない、という宣言だろうか。ミレーユは考える。そして正直者だとも思った。
「仕方ないんじゃございませんか?その行動が全てでございます」
なのでミレーユは責めることなく、ランドにそう言った。
「…そう、だね…。本当に馬鹿だった。君の妹は気兼ねが無くて楽で…でも、彼女を好きだったことはないんだ」
ええー!うっそぉ!めっちゃ打ち解けてたやないかい!と心でツッコミつつ、ミレーユは優雅にお茶に口を付ける。好きじゃないならあの距離感は逆におかしい。アリシアは怒っていい。ああ、だからエスタール伯爵家との話も穏便に済んだのか、とミレーユの頭の中はめまぐるしい。結論、「馬鹿だった」はその通りである。しかしここで「そうですね、馬鹿ですね」と返してもとても角が立つ。それは避けねばならぬとはさすがに思う。
「お互い反省すべき点がございました。これからはその反省を活かしていきましょう」
ミレーユはまるっと収まりのいい言葉を選び、クロージングに入った。多少強引さはある。
「ミレーユ、最後に教えてほしいんだ。僕のことは少しは好きでいてくれた?君はいつも完璧で、僕はいつも自信がなかった。君は僕を…どう思ってた?」
ランドが力なくそう問うた。ミレーユはそこでやっと思い至る。
(この猫か)
外で被り続けてるこの猫が、ランドを委縮させ鉄仮面男にしてしまっていたのだ。ランドが馬鹿なら自分こそ大馬鹿ではないかとミレーユは思った。これは本当にお互いに反省すべき点がある。いやー悪かったエスタール伯爵子息ぅ!とミレーユは心の中で盛大に謝るが、後の祭りである。この猫を取り、正直な気持ちを伝えることが、彼に対する最後の誠意ではないだろうか。ミレーユはそう思い、ランドを真っ直ぐに見やり伝えた。
「ランド様とは、繁殖してもいいと思う程度の気持ちは持っておりました」
「はん…え?」
「では、御機嫌よう。お元気で、ランド様」
「はん…あの、ミレーユ?」
ミレーユは立ち上がり、颯爽と店を後にする。言葉の衝撃に固まるランドはそれをただ見送るしかできなかった。ミレーユの言葉に嘘は無い。そうでなければ婚約などしていない。
***
王都である。ミレーユは王都に戻ったエリザベート付きの侍女の話を断り、城で文官として働いている。住まいは城で働く官僚のための女子寮である。なんだかんだ言って故郷を出て一年以上経ち、ミレーユは「私はずっと王都ですが?」みたいな顔で暮らしている。
「ミレーユ、二課から応援要請来てるって」
「断固拒否!定時で帰ります!」
ミレーユはそう言って扉を開けるが、目前に現れた二課の課長にぶつかった。
「そう言うなよミレーユ~~一緒に飯食おうぜ~~仕事しながら食う飯が美味いぞ~~~?」
そう言って課長はミレーユに締め業務を手伝わせるべく連行した。ここへはもちろんエリザベートのコネで入った。最初からエリザベートが「淑女は擬態、遠慮は必要なし」と申し送りをしていたので、激務とされるこの部署では、じゃあ遠慮なくとこき使っている。
こき使われてはいるがここでは猫を被らずとも「仕事をするならそれでいい」という空気で受け入れられ、そこで過ごすうちに故郷での自分は窮屈だったかもと思うようになった。
「疑惑!二課の課長のパワハラ、揺れる王城!」
「Aさんの証言『あれは決算の時でした…』」
「うっせえな手ぇ動かせ!」
ミレーユのガセネタ新聞の見出しネタに、二課の男性文官も乗っかる。ゲラゲラ笑いつつ、仕事しつつ、くたくたになって帰る生活はとても都会的で愉快である。
その日の仕事が終わり、ミレーユは馬車で女子寮まで帰りベッドに倒れ込む。
(今日はこのまま寝るわ…)
全ては明日の自分が担ってくれるとミレーユは目を瞑る。雑な女である。眠りに落ちる少しの間、ミレーユは故郷でもこんな風にしていればどうだっただろうと考えた。しかし、猫を被らない今のミレーユには恋愛的な声掛けは一つもない。気付いていないとかではなく、本当にない。結婚必須な故郷でこのキャラは無しだと改めて認識し、ミレーユは眠りに落ちた。
***
締め業務で休日を返上し、振り替えられた休みである。ミレーユは父からの「たまには帰って来い」という手紙を「やなこった!」と適当な引き出しにしまい、街に出た。久しぶりの連休にミレーユはエリザベートの元を訪ねる予定だ。最初は「王宮なんて!」とビビっていたミレーユだが、今は「エリザベートんち」である。
今王都で一番の行列のできるスイーツショップで一時間も並び目当ての菓子をゲットすると、ミレーユは城に向かう。馬車は使わずのんびり歩く。ここは城のすぐ近くで治安は国で一番いいのだ。
都会の街並みを眺めると、なんだか知ったような人を見かけた。誰だろう同僚かな?と思い目線をそちらに戻すと同僚ではない。でも知っている。
(ら…ラアァァーーーー!!)
ランドである。ミレーユは回れ右をしてこそこそと辻馬車の停車場に向かった。のんびりお散歩などキャンセルだ。
「びっくりした!居たのよランド様が!!まっさか大都会の人ごみの中君を見かけたをすると思わなかった!」
ミレーユはエリザベートを訪ねるなりそう訴えた。ちなみに「大都会の人ごみの中君を見かけた」は劇場で流行っている恋愛舞台の歌である。
「ふーん、ミレーユを追ってきたのかしらね?」
「いやなんで。めっちゃ綺麗に終わってるわ」
「いやー繁殖エンドでしょ?綺麗って言うのそれ?」
「言うでしょ。本当の自分をさらけ出すラブ・フォー・ユーでしょ」
これも劇場の恋愛舞台の歌の歌詞だが、こちらはそんなに流行っていない。
「これだけ人がいるんだったら、偶然だったらもう会うこともないでしょ」
「まあそうよね」
そう言って二人はミレーユが買って来たお菓子に手を付ける。
「都会のお菓子って複雑な味がするわ」
「向こうであなたとよく行った店お菓子は素朴なのが多かったわね、とても美味しかったわ」
「あれでも街一番のオシャレなお菓子だったんですけどね~?」
ミレーユは城のやたら洗練された紅茶を口にしつつ言う。ここは故郷とは何もかも違うのだ。
「ねえ、ミレーユ。帰っちゃいやよ?」
「ふっはっは、なんだねベビたん、まだまだ甘えん坊だな」
「いや何なのよそのキャラ」
声を低くしオッサン風に言うミレーユに、エリザベートは突っ込まざるを得ない。ちょっとは甘えたことを言わせろと言いたい。エリザベートはもう少しで王子妃になる。結婚相手の王子とは信頼で結ばれているが、こんな風に心許せる友人など今後は得られないだろうという覚悟は持っている。本格的に政治の世界で戦う時、そことは関係のない友人がいつでも会える場所に居て欲しいと思うのは、我儘とは言えないだろう。
「帰らないわよ。帰っても二課の課長が迎えにくるわ。あの人、私のこと自分の所の部下だと勘違いしてるんじゃないかしら」
わざわざそこまで迎えに行くのかと考え、エリザベートは噴き出した。
「そう、ずいぶん気に入られてるのね。よかったじゃない」
「よくも無いのよ、私の定時退社が犠牲になっていてね?」
お互いの近況を面白おかしく話し、「それじゃまたね」とミレーユは王宮を出た。城か寮の食堂で夕食でも摂ろうかと思ったが、せっかくの休日に食堂かと思い直し、帰路に就いた。寮は城から近いので、一度帰ってから食べに出るのもいいかと考える。都会の夜は長いので、いつまでも開いてる店がある。晩御飯はどこに行こうかと考えていたら寮に着く。
「ミレーユさんおかえり、お客さんが来てるよ。食堂で待ってもらってる」
「お客?」
二課の課長だろうか。とうとうあの人は休日の職員も連行するようになったのか。ミレーユは出勤断固拒否の決意を胸に食堂に向かう。そして扉を開け、大きな声で言う。
「頼もう!休日出勤は断固拒否です!」
ミレーユが妙なことを口走りながら食堂に入って来るのはいつものことなので、寮の人々はちらっとそちらを見るだけで食事に戻る。そもそも時間が外れているので人もそう居ないのだが。なので、そんなミレーユをぽかんと見ている人間はよく目立った。
「ミレーユ…?」
「ラ…!?」
ランドである。女子寮の食堂で飯も食わずにいつから居たのか。
「何?ミレーユこれから仕事?」
「いや…二課の課長が来たのかと思ったら違って…」
寮の顔見知りの質問に返事をしながらミレーユはランドの座る席に近づく。客は二課の課長ではなくランドなのはさすがにミレーユにもわかった。
「久しぶり、ミレーユ」
「お久しぶりです…なぜこちらに?」
「君に会いに来たんだ」
「なんでやねん」
ミレーユはハッとしてランドを見る。
(私今…なんでやねんって言った…?)
言った。西側のコメディ風のツッコミを口に出した。ちなみにミレーユは自覚はないが、職場でも結構言っている。
「君との婚約は無くなったが、僕はやっぱり君のことが好きだ」
ランドははっきりとミレーユに言った言葉を、今食堂にいる女たちは素知らぬ顔をしてめちゃくちゃに聞いている。何、どういうこと?何があったの?わざとらしく水を取りに行きつつ、ランドの顔を確認している女もいる。
「ば、場所を移しませんこと?エスタール伯爵子息」
女たち全員が聞き耳を立てているのはミレーユにはわかっている。自分だってそうする。水取りに来たのもわざとなのもわかる。自分だってそうする。
「うん、行こうか」
ランドは立ち上がり、ミレーユと共に食堂を出た。そのとたん食堂に黄色い声が上がる。ミレーユは質問攻めにされる未来を思い、天を仰いだ。
寮から少し歩いた所にある食事処に入り、ミレーユとランドは席に着いた。ここはお一人様ではちょっと来辛い場所だが、美味しいと評判の店だ。ミレーユは来たかった店にちゃっかりランドを連れて来たのである。
「丸鶏いけます?」
「えっ」
「名物なんですってここ。ハーブやらパンチの効いた香辛料が入ってて美味しいんですって」
「うん、じゃあそれでいいよ」
それにエールを合わせると格別だと二課の課長は言うのだが、ミレーユはまだアルコールを摂取していい年齢ではないのでノンアルコールである。そこまで言うなら一度くらい連れてこいと思っていたが、今の所そういう飲み会は開催されていない。
飲み物がひとまず届き、丸鶏を待つ。時間が掛かるらしいので本題に入ってしまおうとミレーユは切り出した。
「エスタール伯爵子息、あなたが王都にいるのと、私を好きだと仰るのと、どちらも私にはよくわからなくて」
「…未練がましいとは思っている。最後に君のことが好きだったって言ってから全然気持ちが変わらなくて…」
「ん?いつ?」
「え?」
「エスタール伯爵子息が私のことを好き?そんな時ありました?」
ミレーユは首を捻る。結局ランドはミレーユのこともアリシアのことも好きってわけじゃなくて、ただお互いに自分を隠しすぎて距離感縮まらなかったね、それはあかんかったね、という話をしたのは覚えている。それに対してミレーユは自分の気持ちを隠すことなく伝え、終わったはずだ。エリザベートの言う繁殖エンドというやつだ。繁殖エンドって何だ、言うこと雑すぎないかとこんな時だがミレーユはエリザベートにそう思う。
ミレーユの言葉を聞き、ランドも「あれ?」という顔をする。
「…伝わってない?」
「何が?」
「伝わってなかった?」
「いや、だから何が?」
二人の周囲に疑問符が舞う。
「僕は婚約した時からずっと君のことが好きだったんだけど…」
「初耳ですね!なんで新ネタを「もちろん知ってるよね」風にぶっ込んで来るかな?」
二人は驚愕の表情を見合わす。なんという擦り合わせの出来て無さだ。
「早く言ってよ~!」
「ごめ…言ったつもりでいたんだけど…いや、でも君もさ?」
「何?」
「なんか…違いすぎない?」
ランドに指摘されミレーユは我に返る。淑女に擬態できていない。いつからだ、と行動を振り返る。一瞬「なんでやねん」を出してしまったがそこからは気を付けていたはずだ。
(いや、丸鶏頼んだわね)
元婚約者の問題発言を受けて、折角だし一人では行けない店で一人では注文できない丸鶏を頼んでいた。多分、淑女のやることではない。最近猫を被ることがあまりなく、あんなに完璧に脱着していたのが疎かになっていた。
「…都会の水で洗われてこんな女になったのよ」
「都会の女って感じでもないような…あの、僕は一応、君よりずっと王都行ってる回数多かったんだけど…」
そうだった。だからちょくちょく王都土産をもらっていたのだ。ミレーユは考える。ランドに対して猫を被る必要はあるか。答えはすぐに出る。NOだ。あの猫かぶりでランドを三年間も委縮させてしまっていた。まあそもそもが猫を被らないと婚約の継続どころか、婚約の成立自体が危ういようなキャラクターであるのはミレーユも自覚する所だったのだが、今はもうそんなことを心配する必要はない。繁殖エンドを迎えたのだから。
「ごめんなさいね、猫被ってたの」
「猫を…」
「スクープ!完璧淑女ミレーユの実態!その正体を掴むため我々はベリル子爵家に向かった!」
「違いすぎるだろ!」
キレている。当然である。こんな相手に緊張して頑張って貴公子ぶっていたのだ。詐欺と言われても言い訳できない。申し訳ない気持ちにもなるが、ミレーユはどうしてもこの状況が、ブチ切れているランドが面白かった。耐え切れず爆笑し、テーブルに突っ伏したミレーユをランドは黙って見下ろしている。
「…………」
「お…おなか痛い…いたたた」
「笑いすぎだし…」
「あんた、おもしれー男だな」
「いや、なんなのそのキャラ」
声を低く気取ってそう言ったミレーユにランドは突っ込まざるを得ない。そんな滅茶苦茶なやり取りをしているうちに丸鶏はやってきた。それがあまりにも大きくて、ミレーユはそれでも爆笑した。
「大きさの暴力すぎる…宴会メニューだったか~」
「ミレーユは」
「はい?」
「何でも面白がって笑うんだね」
再会してあまり時間は経っていないが、もうバレた。
「そうなの。基本なんでも面白いのよ」
「知らなかったな」
ここは丁寧に店の人が皿にサーブしてくれるような店ではないので、ランドが丸鶏をナイフで解体している。特に不慣れな感じもしないので、友達連中とこういう店にも来ているのだろう。
「どうして王都にいるの?」
「実は実家の商会の…」
「美味しい!」
「いや、聞いてよ」
ランドの話が始まったのだが、丸鶏の美味さに思わず声が出てしまった。これは自分が100パー悪いとミレーユは素直に謝る。
「実家がやってる商会が、王都に大きな店を出したんだ。実は半年前くらいからそこで働いてるんだよ。だからその、ミレーユを追って王都に来たってわけじゃない」
「なるほど」
「僕の友人がアリシアと婚約したのを聞いて、その流れでミレーユが一人で王都に居るって聞いたんだ」
「え、アリシア婚約したの!?」
「なんで知らないんだよ…三か月前くらいだよ」
「あ、だから帰って来いって手紙来てたのかも。開いてソッコーで引き出しに仕舞ってたからちゃんと見てなかった」
「…………」
ランドの顔が「こんな女だったのか」という気持ちを如実に表している。雑でおかしなことばかり言って、一人で常に楽しそうにしている女。嫋やかな微笑みなんか再会してから一秒も見ていない。
「ランド様とは、繁殖してもいいと思う程度の気持ちは持っておりました」
これは婚約解消後、ミレーユに気持ちを聞いた時に言われた言葉である。あまりの衝撃で今日まで忘れられずにいた言葉だが、今目の前にいるミレーユはいかにもこんなセリフを言いそうな女だった。
「それで、ダメ元でミレーユに会いに来たんだ。それで、今ここってわけ」
「まあ…お疲れ様でございました」
「何がだよ」
そう言ってランドは丸鶏を口にした。
「美味い」
ハーブと香辛料が効いていて、他では無い味わいだ。
「隣の部署の課長が言うには、エールにとても合うらしいです」
「へえ」
ランドもまだアルコールが飲める歳ではないので、今日はお茶である。
「じゃあ、飲めるようになったらまた一緒に来ようよ」
「え?」
「君を忘れられなくて来たけど、なんか別人なんだもんな。でも、同郷の友人ならいいだろ?」
ランドの言葉にミレーユは笑う。ランドにとって今のミレーユは初対面みたいなものだ。だけど今のミレーユとも友達でいてくれようとしているらしい。
「ええ、そうですね、また来ましょうランド様」
ミレーユは意識せずにランドを名で呼んでいた。再会して猫を外して話していたが、拒絶されていないのはずっと感じていたのだ。そしてミレーユのキャラクターに、恋愛を一旦引っ込めて友人としたのも実にわかる。
丸鶏を食べながらお互い近況を話し、この会はお開きになった。帰り際ランドは「今ここにいるから」と商会の名刺を渡したのが、近すぎず遠すぎず、この再会に合っているなとミレーユは何となく思った。
寮に戻ってから興味津々な女たちの追撃を躱して部屋に戻り、引き出しに仕舞いこんだ手紙を見ると、アリシアの婚約の話はしっかり書いてあった。返事がないことに手紙のトーンがどんどんブチ切れモードになっているのに、ミレーユは笑う。さすがに返事を出さないとと、ミレーユは筆を執る。手にしたのはいつかランドにもらった万年筆だ。実に物がいいので今も重宝している。多忙にしていて返事ができなかったと詫び、アリシアの婚約について祝辞を述べる。百点満点の淑女の手紙である。帰省についてはアリシアの結婚式の時でいいかと、日取りが決まったら教えてくれと書く。アリシアが婿を取ってベリル子爵家も安泰だ、実にめでたい。跡継ぎ修行をやってきたミレーユだったが、それが無駄になったとは思っていない。そのまま使えるスキルでなくとも、どこか応用して今の自分にきっと役に立っているのだろう。だからミレーユは予定していたことがその通りにならなくても構わない。どっちにしても自分は勝手に楽しいのだ。
***
今回の修羅場は税率変更だ。計算が全部変わる。また例によって二課の課長に拘束されたミレーユだったが、最近あの課長は隣の部署どころか無関係な部署からも人を攫ってくるらしい。
「あの課長はこうも秩序を乱して問題にならないの?」
「締め切りに間に合わせるから無罪みたい」
「カーッそれは我々の犠牲の上に成り立っている!」
計算式を直し、全て計算をし直して、チェックはまた明日と、愚痴りながら同僚と城を出た。この同僚は女子寮仲間なので一緒に帰る。
「一緒に帰れるのもあと少しね」
「そうよねアンナ、引越しは来月だっけ?」
「そう。新居の家具も選ばなきゃいけなくて大変よほんと」
アンナは結婚をして寮を出るのだ。相手は騎士の出世株、忙しい中でしっかりと人生のマスを進めている。王都では結婚したから家庭に入るということもなく、そのまま仕事を続ける女性も多い。基本的に王都は人手不足なのだ。
「ミレーユさん、手紙来てるよ」
「はーい、ありがと」
寮の管理人から手紙を受け取ると、それは二通あった。一つは実家、一つはランド。実家からのは結婚式の日取りの件だろう。
「あら、来週誕生日なの?それはおめでとうございます」
ミレーユはランドの手紙に向かって頭を下げる。祝辞を述べているが、誕生日は来週なのでまだである。誕生日でエールを飲める歳になるので、丸鶏を食べに行こうという誘いの手紙だ。ミレーユの方が二か月ほど早くアルコール解禁になっていたのだが、ランドにエールを頼むのを禁じられていた。
「一人で先に楽しもうとするな!こういうのはお互い飲めるようになってから一緒に乾杯するものだろう!他でもダメだ!」
ランドは以前、丸鶏を食べに行った時にこんなことを言ったのだ。面倒な男である。
ミレーユは二通の手紙の返事を書き、ベッドに倒れ込む。身綺麗にするのは明日の自分にお任せだ。
***
税率計算の修羅場も落ち着いてきた日、ミレーユは定時退社を死守した。外出からの直帰をキメたのだ。通達の用紙を各部と王宮の管理棟に配布しに歩き回り、そのまま二課の課長に会うことなく無事に城を出た。新人を脱するとこういう技も覚えていくものなのだ。
いつもの店に到着すると、まだ時間が早く人も少なかった。ランドはまだ来ていないので、ミレーユは席でひとまずお茶を飲んで待つ。待っている間にスケジュールの確認をしようと手帳を開いた。アリシアの結婚式に出席するのに何日間休むのか、エリザベートの結婚も年内に決まり、その前にお忍びで旅行に行きたいらしく、その誘いもあるのでその調整と。基本、遊びの予定ばかりである。
「慶事が重なるわ~」
「お疲れ、ミレーユ。あれ仕事?」
「お疲れ様、ランド。全然仕事じゃないわ」
ランドも仕事終わりにそのまま来たので、営業用のスーツである。商会の仕事は性に合っているらしく、本人もやりがいを持ってやっているおかげか、職場での評価は上々らしい。そういう仕事をする男の「こなれ感」が出て来ている。
二人は毎度頼む丸鶏と、そして念願のエールを頼む。
「どんなに美味しいものなのかしら、エールって」
「僕も全然わからない」
「悪い友達と飲んだりしてなかったの?」
「うちが厳格なの知ってるだろう。そんなことしたら家を追い出されて籍を抜かれる」
エスタール伯爵家は厳しそうだとは思っていたが、子どもの悪ふざけで人生の取り返しがつかなくなる程だとは思わなかった。ベリル子爵家からの舐めた提案によくブチ切れなかったものだと思う。
丸鶏の前にやってきた黄金色のエールを二人掲げ、乾杯する。
「お誕生日おめでとう、ランド」
「ありがとう」
そして二人でグラスに口を付け、ランドは目を開き、ミレーユは眉間に皺が寄った。
「うま」
「苦い…」
「苦いけど美味くない?」
ランドに言われてミレーユは再び口を付けるが、印象は変わらずだった。
「私、お茶でいいかも」
「ふーん?」
ランドが勝ち誇ったような顔でミレーユをニヤニヤ見る。
「酒が得意なくらいで優越を感じている?あまりに幼稚な」
「ははは、そうだよ。何とでも言え」
酒なんてなくとも丸鶏は美味い。大きすぎて他のものを頼めないのが難点だが。だからと言ってここにランド以外と来たことがない。エリザベートであればランドのことも知っているし、誘えば喜びそうではあるが、さすがに王子の婚約者を気軽には誘えない。ランドとも、もっと人数がいれば他のも食べられるのにと話しているけど、他の人も呼ぼうということになったことはないのだ。
「それ、使ってくれてるんだな」
何?と顔で返事をしたミレーユに、ランドは指で指し示す。手帳の上に置かれた万年筆のことだ。
「ああ、これ。そうよ、すっごく使いやすいし、綺麗。気に入っているのよ、一生ものよ」
「そっか」
さすがお高い万年筆なだけあって、書き心地はなめらかだし、これで書くと二割くらい字が上手くなった気になれる。
「ミレーユに、こっちも持っててほしい」
そう言ってランドがテーブルの上に置いたのは、長細い小箱だ。
「私それ、見たことあるわね?」
ランドがミレーユに渡せなかったと言っていたネックレスの箱ではなかろうか。箱を開けてみるとやはりそうで、ランドの目の色とそっくりな色をした石のネックレスが入っていた。
「僕はやっぱり、ミレーユが好きだ。諦めることができない」
ミレーユは驚いた。今ミレーユは職場でも、常連となっているお店でも、そういう話が一切ない。なのにランドはめげずに自分に恋愛感情を抱いていたということだろうか。
「実に稀有、唯一無二」
「他にライバルがいなくて安心だよ」
愛の告白にこんな残念な返しをする女がいいという人は、マジの本気でこの世にランドしかいないのでは、とミレーユは思う。が、しかし。
「ここで私とランドが結婚しまーすってなったら、そちらのご両親ブチ切れない?」
ランドの実家だけではない。結局そこで収まるんかい、とミレーユの実家からも相当とやかく言われると思う。
「うちに関しては、こっちも僕の態度が不味かったので痛み分けってことで収まってるし、そこまでじゃないと思う」
「ランドの態度は不味かったの?」
「後で思い返したら、すごく。アリシアにイヤリングを渡しておいて、君には万年筆って父親じゃないんだからって」
アリシアに渡したイヤリングは安価なもので、装飾品が好きだったと思い、何も考えずに買ったらしい。結果、アリシアに変な期待をさせて、ベリル子爵家からもアリシアとの方が相性が良さそうだと言われたのは、ランドの行動の結果ということにエスタール伯爵家ではなったらしい。厳格である。
「受け取ってもらえないか」
ランドの目は真剣そのもので、不安も混じる。鉄仮面に隠していたのは、こんな顔だったのかもしれない。ミレーユはネックレスを箱から取り出し、その場で首に着けてみる。
「どう?似合うかしら?」
ネックレスを着けて笑うミレーユを見て、ランドは呆けた顔をする。
「ランド?」
顔を手で覆ったランドを、ミレーユは覗き込んで心配そうに声を掛ける。
「ごめ…いやもう、かっこわる…」
ランドは目を拭っているが、目は潤んでいるし、鼻先まで赤い。泣いてしまったのを隠せていない。ミレーユはそんなランドを見て、今まで感じたことのないものが胸に広がるのを感じた。
もしかしてこれが、愛おしいってことなのかしら。
そんなロマンチックな雰囲気だったが、そんなのお構いなしに店員はやって来る。
「丸鶏お待ちしやったー!」
この台無し感。そしていつもの大きさの暴力の丸鶏。ミレーユはやはりツボにはまり、大笑いせずにはいられなかった。気を取り直したランドが手慣れた手つきで丸鶏を捌いていく。
「うん、エールに滅茶苦茶合う。飲めるようになってよかった」
「まあ、お茶にだって十分合うわよ?」
ハーブと香辛料の効いた丸鶏は相変わらず美味しい。
きちんと齟齬がないように、ランドに「私も好きよ」と伝えるのは、ひとまずこれを平らげてからだとミレーユは思った。
END




