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聖女を召喚した?それで聖女はどこに?え、心が綺麗な人にしか見えない??

作者: たぬちゃん
掲載日:2026/07/24






「"俺様は聖女召喚に成功した!バーカバーカ!聖女と結婚するから、アルマディーア・ハングマン!貴様との婚約は破棄する!今夜の聖女お披露目の夜会で、正式に言うからな!必ず来い!逃げるなよバーカ!!"


 ――ですって。あの第三王子、バカ以外に罵倒のレパートリーが一個もないのかしら」


「バカって言う方がバカ、を見事に体現してるッスねえ」



 呆れ顔で夜会の招待状――のつもりらしい短い手紙を読み上げたアルマディーアは、それを手早く紙鉄砲の形に折ると、勢いよく振り下ろした。


 パァン!と大きく鳴った音に、隣に立つ執事の格好をした男が、わざとらしい仕草で自分の両耳を塞ぐ。



「フン!やっすい紙使ってるわ。あれでも王族のくせに」


「ちょっと、お嬢!いきなりは勘弁してほしいッス!俺の繊細な鼓膜が破れたらどうするんスか!?」


「その時は縫い合わせてあげるわよ!一番ぶっとい針と糸を持って来なさいな、セイラス?」



 堂々と胸を張って言い放つアルマディーアに、「お嬢の刺繍は壊滅的なアレじゃないッスか」と何度も首を横に振って、嘆いてみせるセイラス。


 しかし彼女は気にも留めず――いや、すれ違いざまに無礼な男(セイラス)の足を思いっきり踏んでから、衣装部屋へと向かった。



「この真紅のドレスにするわ!記念すべき婚約破棄祝いの夜会に、ピッタリですもの!」


「いやいや、召喚した聖女のお披露目の夜会ッスよ?なーに主役に躍り出ようとしてんスか――というか、本当に行くんスか?くっそダルいしサボりません?」



 長い黒髪を一つに結って、執事服を一分の隙もなく着こなして、実に理想的な使用人の見た目をしておきながら。

 それをあっさり裏切るような言動をするセイラスに、アルマディーアはビシリと指を突きつけた。



「黙らっしゃい!売られた喧嘩は借金してでも買うのが、ハングマン公爵家の家訓よ!」


「さっすがぁ。元海賊から公爵になった家は、やっぱ気合いが違うッスねえ」


「言っておくけど、分家出身のお前にだって、初代こと海賊ハングマンの血が流れてるんですからね?」



 見せしめのために、敵の死体をいくつも船に吊るした――という逸話を持つ、伝説の海賊。その血を引く子孫たちは、同時に小さなため息をつく。


 寸分違わぬタイミングに思わず笑ってしまってから、真紅のドレスに似合うアクセサリーや靴を揃えるために、二人は再び忙しなく動き出した。






 突然の夜会で準備の時間はあまりないが、それでも美しく着飾るためには、入浴を欠かすことなど考えられない。


 浴室に置かれた、優美な曲線を描く猫足のバスタブ。

 アルマディーアはいつものように、水着姿で泡風呂に浸かっていた。


 扉の外には、洗髪の後に身体を洗うため、侍女たちが控えている。


 そこへ、執事服のジャケットを脱いで、シャツを腕まくりしたセイラスが入ってきた。

 その手には、美しい装飾が施されたガラス瓶が数本。



「お嬢。今日のシャンプーは、この薔薇の香りのやつッスよね?」


「そうよ!とっておきのソレを使うわよ。三年間、待ちに待った婚約破棄のチャンスですもの。何が何でも実行させるために、全力全開で臨むわ!」


「うーわ。お嬢の全力全開ってエグそー」



 肩を揺らして笑いながら、セイラスはシャンプーを泡立てて、アルマディーアの長い髪を優しく洗い始める。


 幼い子どもの頃からずっとそうしてきたように、目を閉じ全身の力を抜いて、絶妙な力加減の指の感覚を追っていると、「どっか痒いとこないッスかー?」と洗髪のたびにされる質問が、今日も飛んできた。



「必ずそうやって聞くわよね。毎回毎回、一体何なのよ?」


「んー?様式美ってやつッスかねえ。あ、お嬢。ちょっと頭上げて。ハイ下げて。やっぱ上げて。頭下げないで、頭上げて」


「ねえセイラス、私で旗揚げゲームしてない?」



 そんなくだらないやり取りをしている間も、じわじわと喜びの感情が湧いてくる。


 まだ、大勢の前で婚約破棄を宣言されたわけじゃない。はしゃぐのは、夜会が終わってからにしないと。


 そう自分を律してみても、アルマディーアは頬が緩むのを止められそうになかった。



「お嬢、めっちゃニヤニヤしてるッスねー。もっとこう、ショック受けたふりとか、したらどうなんスか?婚約破棄ッスよ?さすがに演技、下手すぎッス」


「お黙り!この婚約は王族以外、誰も望んでなかったんだから。これでいいのよっ!」


「まあ、王族でも肝心の第三王子だけは、ハングマン公爵家への婿入り、だーいぶ嫌がってたッスけどねえ」



 ――なるほど、上手い演技とはこういうものか。


 アルマディーアは、こっそり開けた片目でうかがったセイラスの、あくまで飄々とした様子に、小さく鼻を鳴らした。


 第三王子の婿入りが決まり、次期当主(アルマディーア)の婚約者の座を奪われた時。

 そしてそれ以上に、王命による婚約にも関わらず、第三王子がアルマディーアをまったく大切にしなかった時。


 セイラスが垣間見せた怒りは、実にハングマンの男らしい、それはそれは凄まじいものだった――のだが。



「こーら。ちゃんと目を閉じてないと、泡が入って痛いッスよ?」



 お湯で泡まみれの手を洗い流してから、その大きくて温かな手のひらで、アルマディーアの両目を覆う。

 そんな今の彼からは、あの時の激情など、まるで想像もつかなかった。



「セイラス。お前、この婚約破棄について、何か言いたいことはないの?」


「俺が?言いたいこと?んー。念願叶って良かった!おめでとう!ッスかねえ」


「それだけじゃないでしょ?正直に言いなさいな」



 またセイラスを婚約者に戻せるかもしれない。幼い頃に夢見た未来の通り、結婚できるかもしれない。


 第三王子がろくに学ぼうとしないから――と理由をつけて、父がセイラスをアルマディーアの補佐から外さなかったのは、そういうことなのではないか。


 期待して、歓喜に打ち震えてしまいそうなのは、けして自分だけではないだろう。彼だって、同じ気持ちに決まっている。


 そう確信していたアルマディーアにとって、セイラスの正直な言葉は、予想外のものだった。



「――お嬢。俺と逃げちゃわないッスか?」


「え?」



 反射的に聞き返してから、急いで目を覆うセイラスの手を退けて、バスタブの中で身体を起こす。


 しかし彼は何でもないような顔で、またアルマディーアの髪を丹念に洗い始めた――いやいや。



「ちょっとセイラス!お前、どういうつもり?せっかく第三王子との婚約がなくなりそうなのに、どうして逃げなくちゃいけないのよ!」


「だって、恥かくじゃないッスか?何かされるかもしんないし。お嬢がこれ以上傷つく必要は、ないんじゃないかなーって」


「傷つく?私が?」


「この三年間、お嬢はよく辛そうな顔してたッスから。第三王子と会わなくちゃいけない時なんかは、特に」



 セイラスは洗髪の手を止めないままそう言うが、アルマディーアは別に、あのバカ王子の言動で傷ついたことなど一度もない。


 他人のペットの躾が悪く、キャンキャンうるさく吠えかかってきたところで、腹立たしいとは思っても、傷つくはずがないではないか。


 アルマディーアが暗い顔をしていたというなら、それは――今こうしている間も、セイラスはずっと辛い思いをしているだろう、と考えていたからなのに。



「逃げるって言っても、強制的に連れ出されたりしないように、何日か身を隠すだけッスよ。夜会には俺が適当に潜入して、バカ王子の婚約破棄宣言を、魔石に録音でもしてくるッス」



 ヘラヘラと笑いながら言うセイラスだが、それは彼の役目ではない。セイラスは次期公爵の補佐役であって、従者などではないからだ。


 九年もの長い間、婚約していたというのに、突然すべてなかったことにされて――隠れて荒れたらしいセイラスは、それでも翌日には「ケジメってやつッスよ」とだけ言って、執事の格好でアルマディーアの前に現れた。


 王子も自分も同じ三男なのに何故、と思うこともあっただろう。それでも一線を引きながら、ずっとアルマディーアを補佐して支えてくれた。

 

 そして今も、ほんの少しでもアルマディーアが傷つかないようにと、心を配ってくれている。


 どれだけ私のこと想ってくれてるのよ――ギュッと強く目をつぶったアルマディーアは、その目を開くと、セイラスに向かって盛大に、泡まみれのお湯をかけてやった。



「うわっ!ちょ、何すんスかお嬢!」


「お黙りなさいな、このスットコドッコイ!ハングマンの女が、敵に背を向けて逃げるわけないでしょ!それに毎日お風呂に入れないなんて、御免被るわっ」


「ええ〜…そこで風呂ッスかぁ?」



 びしょ濡れになったセイラスが、仕方なさそうにため息をつく。だが、まったくもって構わない。


 これでこの献身的すぎる男も執事服を脱いで、伯爵令息らしく、夜会に相応しい格好でアルマディーアをエスコートするはずだ。


 だってそれは元々、婚約者である彼の役目だったのだから。

 


「とにかく!私は行くわよ。夜会で婚約破棄、上等!こんな面白いこと、そうはないものね。特等席で堪能しなくちゃ。直進せよ(ヨーソロー)!」


「あーはいはい。なら子分は親分に、どこまでもついて行くッスよ。問題なし(ヨーソロー)






 足を踏み入れた聖女お披露目の夜会は、どうにもこうにも――ちぐはぐだった。

 

 そもそも急すぎる招待状に貴族たちは大慌てだったし、会場も王宮ではあるものの、いつものホールではない。

 集められた招待客は所属も派閥もばらばらで、まるで無作為に抽出したかのよう。


 そして今夜は舞踏会。つまりダンスがあるはずなのに、フロアの明らかに邪魔になる位置に、軽食を並べたテーブルが配置してあった。


 何だこれは。どうしろというのだ、ここで。


 戸惑う招待客たちで騒めく中を、真紅のドレスを身に纏ったアルマディーアが、久しぶりのセイラスのエスコートで機嫌よく進む。


 やがてその目は軽食のテーブルへと向けられて――きらりと光った。



「見なさいな、セイラス。フォンダンショコラがあるわ!第三王子主催だけあって、センスの欠片もない夜会だと思ってたけど、あのテーブルだけは別格ね」


「お嬢の大好物だと知ってたら、絶対に用意させなかったッスよねー。というか、何スかあの場所。ど真ん中って。まさか俺ら、あれ囲んでマイムマイムでも踊らされるんスか?」


「なにそれすっごく楽しそう」



 表情だけは優雅に取り繕いながら、声を潜めていつもの調子でやり取りしていると、急に会場内の照明が落とされた。


 何の予告もなかったせいで、あちらこちらから悲鳴が上がり、楽団の方でも何かを落としたような、大きな音が響く。

 

 あまりにもぐだぐだな進行に、婚約破棄内定済みとはいえ、一応まだ第三王子の関係者であるアルマディーアは、さすがに少々恥ずかしくなった。

 

 しかしそこへ、羞恥心など母親の腹の中に忘れてきた!と言わんばかりの堂々たる振る舞いで、当の第三王子本人が登場した――後光のように、やたらと明るい光を背負って。天井からワイヤーで吊り下げられた、ど派手なゴンドラに乗りながら。



「うわ、ダッサ。私、あんなのと三年間も婚約してたの?最悪なんですけど」


「ドン引きじゃないッスか、お嬢。ところで、聖女の姿が見えないッスね?一緒に乗るの、断固拒否されたんスかねー」


「ちゃんと仲良くしてほしいわ!私の婚約破棄は、二人の真実の愛にかかってるのよ――頑張って!」



 アルマディーアは、本気で祈りを捧げた。


 やがて第三王子が得意気な顔でゴンドラから降りると同時に、照明が再び点灯する。

 明るくなったことに安心した招待客たちは、当然次々と口を開き、会場内は再び騒めきに包まれた。


 しかし、予想など容易いはずのその状況が、主催者たる第三王子の気に障ってしまったようで。



「静粛に!静粛に!――ええい、俺様が静かにしろと言っているのが、聞こえないのか!?」



 そう大声で叫ばれても、「いや、お前が謎の演出で登場したせいなんだが?」と言うに言えない貴族たちは、大人しく口を閉じ、黙って互いに顔を見合わせた。

 

 第三王子は、ようやく静かになった――というより、すっかり静まり返ってしまった周囲を見回す。


 そして少し離れた所にいたアルマディーアを見つけると、ニヤリと笑って大きく両手を広げ、まるで舞台の主役が台詞を言うかのように、その名前を呼んだ。



「よく来たな、アルマディーア・ハングマン!今夜、俺様に婚約破棄されるとも知らないで!」


「いえ、招待状に書いてありましたが。ご機嫌よう、第三王子殿下。まずは開会のご挨拶でもされたらいかが?」


「フフン!どうだった、俺様の斬新かつ華麗なる登場は!」


「だから開会の挨拶――もういいですわ。それで、感想でしたかしら?大変眩しかったのと、逆光が凄かったので、光源は再考した方がよろしいかと」



 バカ王子と会話などしたくないあまりに、途中から視線が完全に、軽食テーブルのフォンダンショコラへと向いているアルマディーア。


 隣に立つセイラスもセイラスで、「お嬢。前見ないとやばいッスよ」などと言いながら、録音魔石を仕込んだ銀細工のラペルピンを弄っている。


 しかし幸か不幸か、これまで自分の見たいものしか見てこなかった第三王子は、二人のギリギリの態度にも、まるで気がつくことはなかった。



「光源?フッフッフ!これはただの光魔法などではない。この輝く光の玉こそが、俺様の新しい婚約者にして、俺様が召喚に成功した――聖女なのだ!!」



 ビシィ!と格好つけながら勢いよく前髪を跳ね上げ、バシィ!と音を立てて元に戻す第三王子に、会場内の誰かが思わず「生え際が」と呟いた。


 聖女を召喚する必要など感じられない平和な王国とは違って、彼の髪には今まさに、存亡の危機が迫っている。


 だが、それは正直どうでも良いので、招待客たちは宙に浮かぶ巨大な光の玉の方に注目した。



「これが聖女?確かに、白く清浄な光ではあるが」


「聖女というのは、人間ではありませんの?」


「どういうことだ?第三王子殿下は、光の玉と結婚なさるおつもりか?」



 ひそひそと囁きあう貴族たちの中で、アルマディーアとセイラスは難しい顔をする。


 嬉しくないことに、第三王子とは婚約中の三年間、何度も顔を合わせてきた。その頭の出来についても、ある程度は把握している。


 恐らく彼は今、「何か凄そうだから聖女を召喚してみたぞ!→バカでかい光の玉だ!→聖女だ!→俺様は聖女と結婚する!→これまでの婚約は破棄だ!→バーカバーカ!」としか考えていない。


 つまり後先考えずにノリで行動しているわけだが、それでは後で冷静になった時、「やっぱり婚約破棄は破棄する!仕方がないから俺様は予定通り、ハングマン公爵家に婿入りしてやろう!バーカ!」などと言い出して、揉めかねない。


 アルマディーアは、ちらりとセイラスに視線をやった。


 セイラスもまたアルマディーアを見ていて、何かを伝えようと口を動かす――しかしそれが音になる前に、



「聖女の真の姿が見えるのは、心が綺麗な人間だけだ!俺様には見えるぞ?この光の玉の中に、それはもう魅力的な女の姿がな!」



 第三王子がそう言い放った瞬間、その場にいたすべての人間の心が一つになった。


 

「心が綺麗な人にしか見えない??――なら貴方にこそ見えているはずありませんわよねぇ?婚約破棄バカ王子殿下?」


「お嬢。あんま煽ると長引いて、フォンダンショコラ食い損ねるッスよ」



 ストレートな本音を口にするアルマディーアを、茶化すようしてセイラスがたしなめる。


 その言い方に、こちらを落ち着かせようという意図を感じ取って、アルマディーアは「吸って、吐く」を意識することで呼吸を整えた。


 ――どうにか上手いこと、第三王子が婚約破棄を覆せなくなるくらいの失言か、失態を引き出せないものか。


 考えを巡らせながら、アルマディーアは、相変わらず真っ白な輝きを放ち続ける、聖女だという大きな光の玉をじっと見つめた。



「ンンー?俺様の心が美しいのは、地面の利!今更だったか。ハーッハッハッハ!」



 それを言うなら自明の理だろ?――人々の心は、再び一つになった。

 この、自己陶酔して人の話もろくに聞かない男が王族でさえなければ、面と向かって間違いを指摘できるのに。



「あのドヤ顔、本ッ当ーに腹立つわね!絶対に適当なこと言ってるだけで見えてないし、聖女?がもし喋れたとしても、聞こえてないでしょ!」


「言ったもん勝ちってやつッスよねー。下手に自分には見えないなんて言ったら、心が汚い扱いされるし。本人が見えるって言い切ってるものを、否定もできないし」


「自分だけ聖人ぶろうとする、その魂胆が気に食わないわ!――ん?否定できない?」



 顔を寄せ合って、ひそひそ声でセイラスと会話していたアルマディーアは、ふと思いつく。


 静かに光っているだけの聖女(玉)の中に、女性が見えるのだという主張。

 それが誰にも否定できないというのなら――自分も「見える」と言い張ってしまえばいいのでは?



「そうよ。どうせこの場の誰にも見えてないだろうし、私にはこう見えた!で押し切っちゃえばいいのよね」


「お嬢?」


「老婆?犬猫?いいえ。あのバカ王子に、一番ダメージを与えられそうなのは――」



 キッと顔を上げたアルマディーアは、よく通る声で第三王子を糾弾した。完全に、当てずっぽうで。



「私にも見えましたわ、聖女の真の姿が!ですがどう見ても、聖女は十にも満たない少女ではないですか!」


「な、なにぃ!?この俺様に意見するなど、貴様っ」


「親元から引き離して、無理矢理召喚するだなんて!恥を知りなさい、この鬼畜ロリコン婚約破棄バカ王子!!」



 ちょ、お嬢さすがに言いすぎッス!などと隣でセイラスがうるさかったが無視をして、顔を真っ赤にしている第三王子にガンをくれてやる。


 そんなアルマディーアに、超音波のごとき奇声を発しながら、思わず飛びかかろうとするバカ王子。


 セイラスがアルマディーアを抱き寄せて、庇おうとした瞬間――聖女が一際眩しい輝きを放って、会場内は真っ白な光に包まれた。



『当ててくれてありがとう、きれいなお姫さま。神さまが、これで帰してあげられるよって』



 光が収まったその場には、ふわふわと宙に浮かびながら泣き笑う、幼い少女の姿があった。


 アルマディーアも、セイラスも、第三王子も、招待客たちも。その場にいる全員が、(えっマジで?)の顔のまま固まっている。


 すると、どこか天の高いところから、ギイィ……と古い扉が、軋みながら開くような音がした。




『む、娘が!娘が帰って来ないんです!お友だちが、小学校はいつも通り出たって!なのにっ』


『お母さん、落ち着いてください。もっと応援を呼んで、通学路以外も全部、しらみ潰しに探しますから』


『警察犬、到着しました!』


『おう、わかった!――お母さん、何か、娘さんの匂いのするものをお借りできませんか?靴下とか、枕カバーとか。それと、今日の服装をもう一度詳しく――』




 空から降ってくる複数の声の中には、アルマディーアたちこの世界の住人が、聞いたこともない単語がいくつかあった。

 しかし悲痛な声で泣き叫ぶ若い女性の様子と、伝わってくる物々しい雰囲気に、事態の深刻さは十分にうかがい知れる。


 やっべえ、拉致誘拐犯じゃないスか。シャレにもなんないやつッスよ。という、うめくようなセイラスの声が耳元で聞こえて、アルマディーアも背筋が寒くなった。


 第三王子はというと、呆然とした顔で天井を見上げながら、その場にへたり込んでいる。



『ママ!ママーッ!はやく帰して、神さま!はやく!おねが、おねがい、しますっ!』



 天から聞こえてきた声に泣きじゃくる、幼い聖女の身体が、再び白い光に包まれて――パッと音もなく消えた。


 やがて先程の少女の声が、空から響く声の中に、無事に加わる。




『ママー!うわあああん、ママぁー!!』


『ああ、いた、いたっ!いました、良かった!――もう、どこ行ってたの!心配したんだよ!?』




 ギイィ……と扉が軋む音が再びして、バタン!と閉まったと思ったら、天からの声は、もう一切聞こえてこなくなった。






 十秒。二十秒。三十秒。誰も口を開かない。


 華やかに飾りつけられた夜会の場を、重い沈黙だけが支配している。地獄のような時間だった。


 尻もちをついたような姿のまま座り込んでいた第三王子は、やがて無言のまま、のろのろと立ち上がる。

 そして周囲の様子をうかがうと、誰もが皆、冷たい軽蔑の視線を彼に向けていた。


 ――その眼差しに、ほんのわずかでも反省の色を見せれば良かったものを。



「お、俺様のせいじゃないぞ!聖女を召喚したのは、魔術師たちだ!奴らがすべて悪いんだからなっ!」



 まさかの言い訳に、その場の空気がますます冷えた。


 ある者は、もはや不敬を恐れずため息をつき。またある者は、ミシリと音が出るほど強く扇を握りしめる。


 アルマディーアはというと、第三王子に一泡吹かせてやるはずが、まさかの正解を引き当ててしまった衝撃が大きくて、なかなか言葉が出てこない。


 その隣に立つセイラスは――見苦しく責任逃れをしようとするバカ王子を見て、不愉快さを隠そうともせず、盛大に舌打ちをした。



「なんだァ?あの野郎。あれでもタマついてんのかよ」


「セイラス、お下品。気持ちは痛いほどわかるけどね」



 王族らしさの欠片もない、何より先にまず逃げを打つ姿勢。それは、三年間の不遇から逃げなかったセイラスにとって、侮蔑の対象に他ならない。


 嫌悪の表情を浮かべたまま、セイラスはジャケットからラペルピンを外すと、アルマディーアに手渡した。



「お嬢。ちょっとこれ預かっててほしいッス。すぐ終わるんで」


「え?セイラス。お前、何するつもりなの?まさか危ないことじゃないでしょうね?」


「いやー大したことじゃないッスよ。さすがに、お嬢が無事に帰れなくなるようなことはしないッス」


「私だけじゃないわよ!お前も、無事に帰るの!家に帰るまでが夜会、何事もなく送り届けるまでがエスコート、なんですからね!お分かり!?」


了解(ヨーソロー)



 ひらひらと片手を振ってアルマディーアから離れたセイラスは、そのまま真っ直ぐに第三王子の元へと歩み寄った。


 急に目の前に現れた男に、第三王子は怪訝な表情を浮かべる。どこかで見たことがある気もするが、思い出せない。その顔には、はっきりとそう書いてあった。


 自分が今まで散々踏みにじってきたものすら、知ろうとしない。あるいは覚えていない。


 地位と権力を振りかざすばかりで、そんな考えなしな生き方をしてきたから、こんなことになったんだ――と、いい加減に理解してもらう頃合いだった。


 顎を引くだけの御座なりな礼をして、名乗りも挨拶もなく。完全に馬鹿にしている口調で、セイラスは言った。



「光の玉の中に、それはもう魅力的な女の姿が見える!でしたっけ?自信満々だったッスねえ」


「貴様、不敬だぞ!何が言いたい!?」


「いーえ?ただ、聞いてみたいだけッスよ。あの小さな聖女の姿が、本当に見えていたなら――心が綺麗なんてとんでもない、ド変態の誘拐犯。本当は見えていなかったとしたら――心が汚い、大嘘つきの愉快犯。アンタ、結局どっちなんスか?」


「なっ!」



 これまでされたことのない不躾な物言いに、第三王子は絶句して、魚のように口をパクパクさせる。


 咄嗟に反応できないでいるその姿に、周囲の貴族たちは「そういえば」「確かに」「そういうことになりますわね」と、ここぞとばかりに追い打ちをかけた。


 選択を迫る視線が、会場中の人間から注がれる。


 しかし、これはどちらを選んだとしても、けして言い逃れできない犯罪者――第三王子は、もう詰んでいる。


 セイラスの行動を、じっと見つめていたアルマディーアは、それを悟って、小さく安堵の息を吐いた。するとそこへ、



「皆の者、道を開けよ!第三王子を捕らえるのだ!」


「あ、姉上!?」



 近衛騎士たちを引き連れて、王太女殿下が現れた。そのまま矢継ぎ早に指示を出し、あっという間に、弟である第三王子を確保させる。


 さすが、平和ボケもしくは事なかれ主義ばかりの王族の中で、唯一まとも寄りなだけはある。


 程度の差こそあれ、悪い噂しか聞かない第一、第二、第三王子及び、第一王女を差し置いて、次期女王の座を手にした女傑は、腐った果実を見るような目で、不出来な弟を睨みつけた。



「よくもまあ、これだけのことをしでかしてくれたものだな。次に何かやったら、即座に幽閉だと伝えてあったはずだが?」


「し、しかし!聖女召喚に成功したものですから――」


「ほう。聖女を召喚した?それで聖女はどこに?」


「あ、いや、その」



 言葉に詰まる第三王子から、王太女殿下は興味なさげに視線を外す。恐らく、この弟がやらかしたことのすべては、既に正確な報告を受けているのだろう。


 誰かを目で探している様子だった王太女殿下は、アルマディーアを見つけると、申し訳なさそうに顔を曇らせた。



「ハングマン公爵令嬢。貴女と弟の婚約は、最初から無かったことになる。白紙撤回だ。この男は、遡って王族から籍を抹消されるからな。詳しくは、国王陛下より追って沙汰がある――本当にすまなかった」


「馬鹿な!?何故です、姉上!」


「うるさい!私は今、他の者と話しているんだ。誰か、この者を黙らせてくれ」



 王太女殿下の指示に、てっきり猿轡でも噛ませるのかと思ったら、騎士たちは容赦なく第三王子を殴って気絶させた。


 そのままズルズルと、夜会の主催者だったはずの男は無様に引きずられていく。


 意気揚々とゴンドラで降りてきた時とは一転。お帰りは、地を這ってのご退場と相成ったのだった。


 それを見届けると、王太女殿下は会場内をぐるりと見渡して、隅々まで行き渡るように声を張り上げる。



「皆にも悪かったと思っている!後日、王家より詫び状を送らせてもらう!今夜はこれにて、解散とさせてほしい!」



 閉会、という言葉を使わなかったのは、そもそも開会の挨拶すらなかったことも把握しているからだろう。


 王太女殿下の言葉に、招待客たちが一斉に礼を執る。

 アルマディーアも、丁寧にカーテシーをした。その手に密かに握られているのは、セイラスのラペルピン。


 それに仕込まれた録音の魔石は、淡く発光しながら――先程からずっと、音を拾い続けていた。






「ただいまッス。ほーら、すぐ終わったじゃないッスか」


「第三王子の人生が、ね」



 ヘラヘラと緊張感なく笑いながら戻ってきたセイラスを、アルマディーアは呆れ顔で出迎えた。


 涼やかな見た目とは裏腹に、その身に流れる海賊の血のせいか、セイラスは意外と気が荒いし、やり方も荒っぽい。こんな子分を持つなんて、親分やるのも楽じゃないわ、とため息をつく。


 そして、招待客たちが三々五々会場を後にするのを眺めているセイラスの、ジャケット左襟のフラワーホールに、無言でラペルピンを突っ込んでやった。



「バカ王子に吠え面かかせてやろうと思ったのに、美味しいとこは王太女殿下に持ってかれちゃったッスねえ」


「よく言うわね。あの方が入って来たのが見えたから、最後に一発かましに行ったくせに!」


「バレてたッスかー。まあ、海賊ハングマンは勝てない戦はしないってやつッスよ。ゆえに、生涯無敗だったと」



 満足気に笑ってから、肩を竦めて首まで振るセイラスの姿は、なかなかに小憎たらしい。なんだかどっと疲労感が増して、アルマディーアも帰りたくなってきてしまった。



「第三王子との婚約が消滅したのは、目的を果たした!と言えるけど。でもあれ、ほとんどバカ王子の自滅よね?私、一体何しにここに来たわけ??」


「そりゃあもう!これを味わいに来たッスよ」



 そう言ってセイラスが、背後に回していた手をアルマディーアの前に持ってくる。小さな白い皿の上には、ちゃっかりフォークと――



「フォンダンショコラー!!偉いわ、セイラス!でかしたじゃないっ!」


「お褒めに預かり光栄ッス。さあ、お嬢。会場撤収される前に、食っちゃってくださいよ」


「はーい!いっただっきまーす♡」



 温かい生地を割ると、濃厚なチョコレートソースがとろけ出した。喜ぶアルマディーアを、セイラスが優しい眼差しで見守っている。


 一口食べれば、甘さが口いっぱいに広がった。今夜のフォンダンショコラは、普段口にするものよりもずっと美味しい。


 アルマディーアの隣には、いつでも、今も、セイラスが立っていた。彼の襟に煌めくラペルピンの魔石には、このチョコレートソースのようにたっぷりと、二人が幸せになるための証拠が詰まっている。

 

 また一口、フォンダンショコラを口に運ぶ。やっぱり格別な味わいで、アルマディーアは思わず笑ってしまう。


 この甘さはきっと、二人の勝利の味だった――。






 帰りの馬車の中で、アルマディーアとセイラスは向かい合い、メンチを切り合っていた。


 それというのもセイラスが、煮え切らない態度をとるのがいけない――アルマディーアは組んだ足の先で、彼の足を蹴る真似をする。



「日和ってないで、さっさとなさいな」


「だから、無理ッスよ!急な夜会でバタバタして、何の用意もしてないんスから。あと揺れる馬車の中で、膝つかせようとしないでほしいッス!」


「だって待ちきれないんですもの!求婚されたから、もう承諾しちゃいました♪って言えば、お父様だって、首を縦に振るわよ」


「その前に、俺がコキャッと首を横にされちゃうッスよ!死体を公爵家のエントランスホールに吊るされたら、どうするんスか!?」



 もうこれ以上は待ちたくないアルマディーアと、せめてあと数日は待ってほしいセイラスの攻防戦は続く。


 セイラスは基本的に慎重な男ではあるので、公爵に証拠の音声を提出したり、きちんと許可を取って準備をしてから、改めて求婚したいのだ――それはまあ、わかるけれど。



「じゃあせめて、プロポーズの言葉だけ先に教えなさいな!それで、しばらくは我慢してあげるわ」


「いやー求婚のネタバレとか、ちょっと意味わかんないッス」


「お前のことだから、どうせすっごく格好つけたこと言う気でしょ!?楽しみで楽しみで、夜寝られなくなりそうなのよねー!」


「だから事前にバラせって?そりゃないッスよ、お嬢!俺の親分が横暴すぎる……!」



 頭を抱えるセイラスを、何故か今さら全力全開モードになってしまったアルマディーアが、グイグイと引き寄せようとする。


 その手から逃れようとしたセイラスだったが、ふいに大きくバランスを崩し――ドン、と馬車の壁に片手をついた。アルマディーアを、自分と壁の間に閉じ込める形で。



「あっ!すんませ、」


「ちょっと。大きな音を立てたら、馬が驚くじゃないの。気をつけなさいな」


「いや、お嬢が驚いてくださいよ!?なに逆にスンッてなってんスか、壁ドンってやつッスよコレ!」



 息がかかる程の距離への、急接近。なのに何故か、一周回って落ち着いてしまったらしいアルマディーアに、セイラスはガックリと項垂れた。

 

 そしてゆっくり身体を起こすと、諦めたようにため息をつく。



「――没にした方のプロポーズ案で、今は勘弁してくださいッス」


「教えてくれるなら、その言葉でも良くってよ?」


「――"これからも一生、貴女の風呂の世話をさせてください"」



 不承不承ながら、そう口にするセイラス。満足したアルマディーアは、とても良い笑顔で、元気いっぱいに返事をした。



「セイラスからの求婚なら、その言葉でも良くってよ!」






 やがて馬車は、公爵邸へと辿り着いて停まった。


 エスコートのために先に降りるセイラスの背中を見つめながら、アルマディーアは怒涛の連続だった夜会を思い返す。


 第三王子に婚約を破棄されるべく、王宮に向かう公爵家の馬車に乗り込んだ時と比べて、セイラスの立場は明確に変わったはずだ。


 婚約について、王太女殿下の決定的な発言まで録音できたことから、ほぼ確実に、セイラスが婚約者に復帰できると思うが――それでもまだ、正式に決まったわけではなかった。


 だから本当は何か、二人の関係が元に戻ったのだと実感できるものが、今すぐにほしい。

 でもそれは、アルマディーアの我が儘でしかないと、わかってもいるから。


 セイラスが求婚の許可を得て、素敵なプロポーズをしてくれる日が来るのを、大人しく待つ必要がある。それまではきっと、この三年間と何も変わらない日々だ。


 待つとは言っても、早ければ、ほんの数日の我慢ですものね――そう思ってセイラスの手を取ろうとしたアルマディーアは、不思議なことに気がついた。


 セイラスが、馬車から降りる手助けのために片手を差し伸べるのではなく、両手を広げている。


 その行動の意図がよくわからなくて、思わず彼の顔を見る。するとセイラスは優しく、そして甘く微笑んで言った。



「おいで。アルマディーア」



 ――満面の笑みを浮かべて、アルマディーアはセイラスの腕の中へと飛び込んだ。











 公爵家に仕える面々は、王宮からお帰りになるお嬢様をお出迎えするために、ずらりと整列していたわけだが。


 ご満悦の表情のお嬢様と、ただのエスコート役だったはずのセイラス様が、指と指を絡めながら手を繋いで、こちらに歩いて来るのを見て。



 ――全員揃って、盛大な拍手でお迎えしたのだった。











「ほら、セイラス。ぼやぼやしてないで、とっとと来なさいな!行きたい店は、まだまだあるんですからね!」


「もう十分ッスよー!俺の身体は一つしかないのに、どんだけ服買うつもりッスか!仕立ててる分だって、あんなにあるのに」


「お黙り!もう執事の格好はやめたんだから、これからたくさん必要でしょ。ハングマン公爵令嬢の婚約者たる者、衣装部屋の一つや二つや三つ、いっぱいにしてみせなさいっ!」


「いやいや。王家からえーっと、なんたら料だか、ほにゃらら金だか、なんとか代だか忘れたッスけど、とにかく大金せしめたからって、こんなパーッと使わなくても」


「あぶく銭を使い切らないで残すだなんて、海賊公爵ハングマンの名が廃るでしょ!」



 ここ最近、浮かれて服を贈りまくっているアルマディーアは、無下に断ることもできないセイラスを、連日振り回している自覚があった。


 しかし、そんなセイラスが「いやーもう、気持ちだけもらっとくッスよ」と苦笑しながら、その視線を向ける先はいつだって、店に飾られている美しいドレスの数々で。



――だから、どれだけ私のこと想ってくれてるのよ!



 そんな風だから、より一層浮かれてしまうのだ、と。アルマディーアの愛しの婚約者は、わかっているのか、いないのか。






「むしろ俺が、ドレスを贈りたいんスけどねえ」


「セイラス、なにか言った?」


「なんでもないッスよー」


「そう?セイラスの瞳の色のドレスがいいわ」


「聞こえてるじゃないッスか!!」









 

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― 新着の感想 ―
ヒューヒュー!!お熱いことで!!やるぅ〜〜!! それにしても王太女さまがいいとこかっさらっていったのがやるぅ〜〜!!口を塞ぐのに問答無用にぶん殴るの、騎士の皆さんの意識が察せられますね…。第三王子アホ…
いやぁ~凄く面白かったです♪ それにしても風呂の世話ですか…(読んでいて、どうなってる?とか思ってましたw)
よく「聖女様」の正体を暴いてくれた、ぐっじょぶ! 良い仕事しましたね! そして王子様は悪い仕事をしすぎだ……。王子様には一体、どう見えていたのか気になる、、、とか思っていた所に。 決め台詞が炸裂しまし…
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