やらかした張本人だけは幸せなもの
若女将シザリーナが昼過ぎの定食屋のカウンターを磨いていたら、カランカランと表玄関のドアベルを鳴らして若い男が入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
最大の繁忙期は過ぎたが、きっとこれから昼食を食べようとする客だろう。
シザリーナがお冷とメニュー表を用意して持っていこうとしたら、男はシザリーナを指さして大声を出したのだった。
「あーっ! シザリーナじゃんか!」
ドアベルの音を聞いて、小休憩していた料理人で店主のポールがキッチンの中で動き出した、その気配を感じながらシザリーナは首を傾げた。
この男に全くと言えるくらいに見覚えがなかったのだ。
こうやって飲食店で客商売をしているから、人の顔を覚えるのは得意な方だと自負しているが、記憶を探しても中々見当たらない。
「失礼ですが、その、どちら様ですか?」
「やだなー、ステファンだよ! 近所に住んでいたステファン!」
「……近所の、ステファン? ああ、もしかして、20年前に引っ越していった?」
そうだ!
彼女が幼い頃、近所に住んでいた同い年の少年の名前だ。
何度か一緒に遊んだりした記憶がある。
けれど彼女が6才の時に家族で引っ越していって、それっきりだった。
「そうだよー! シザリーナ、ちょっと僕の話を聞いてくれないかな? 僕は何も悪いことをしていないのにさ、仕事をクビになっちゃったんだよ!」
そう言うなりステファンは空いていた席に腰かけて、すがるような眼でシザリーナを見上げた。
「別にいいけれど……」
昼時の混雑も、その後始末ももう終わった。
常連客が数人ほど駄弁っているにはいるが、今は他愛もない雑談をしているらしい。
もう少ししたら夕飯時の支度を始めなければならないが、まだ今であれば彼の話を聞くことも出来る。
ステファンは落ち込んだ様子で話し出した。
「助かったよシザリーナ。 それでさ……僕は引っ越した町で、石工職人になったんだよ。 親方の元で何年も修行して、どうにか石工職人のギルドにも入れてもらったのに……ギルドも追放されたんだよ!?」
「へえ。 一体どうしてクビになったの?」
「横暴なお貴族様の所為さ!」
そう言うなりステファンは激しく首を左右に振った。
「何だよ、僕はちっちゃな失敗をしただけだったのに。 あそこまで怒ることはないじゃないか!」
シザリーナの背筋を悪寒が走り抜けた。
そう言えば――いや、ようやく思い出した。
どうしてこんなに苦い記憶を忘れていたのだろうか。
ステファンは自分の失敗は許せと人に要求する癖に、誰かの失敗は大げさにあげつらう少年だった。
しかも己の失敗を許せと人に求める時に、徹底的に被害者ぶるのだ。
かつてシザリーナがステファンの玩具をうっかり壊してしまった時だって、まるで彼の住んでいる家が焼けたような大騒ぎをした。
だがステファンが同じ失敗をした時。
謝罪しろ、賠償しろとはシザリーナだって一言も言ってもいないのに、『どうして僕を責めるんだよ!』と泣き喚いたのだ。
「ごめん、ステファン。 ちょっと夕時の準備をしなきゃいけなくて。 悪いけれどまた話は今度にしてくれないかな?」
やんわりと言ってシザリーナが立ち去ろうとした時。
「そうやって君も僕が悪いって言うのか!」
店中が静まり返るような大声でステファンが怒鳴った。
「そうさ、いつだって君は僕のことを悪いって言うんだ! どうして君はいつもそうなんだ! 最低じゃないか!」
いつだって?
ステファンと再会したのは20年ぶりだ。
最低だ?
いきなり激高して怒鳴り散らすステファンに言われたくはない。
これが20年前だったらシザリーナは怒鳴られて委縮していただろう。
しかし、今の彼女はステファンよりも迷惑な客とも対等にやりあえるくらいになっていた。
「ステファン、今すぐに出て行って。 お代は要らない。 他のお客様に迷惑をかけるような客に居座られても迷惑なだけだから」
――途端にステファンはヘラヘラとした顔をして、媚びるようにシザリーナに言った。
「い、嫌だなあ。 ちょっと大きな声を出しただけじゃないか。 もうしないからさ。 ねえ、僕と君の仲じゃないか? 少しくらい――」
そう言いながらシザリーナへと手を伸ばすが、その手を彼女は振り払った。
「出て行って。 出ていかないのならば騎士を呼びますよ」
ようやく出て行ったステファンの気配が消えてから、シザリーナがカウンター磨きを再開しようとした時。
常連客の一人、木工職人のベルテ爺さんがパン!と大きく手を打った。
「やっと思い出したぞ、シザリーナちゃん! 公爵様を怒らせた男だ、あいつは!」
◆
ベルテ爺さんは目を見開いて話し出した。
「ほら、この前! 先代公爵夫人がお亡くなりになっただろう? あれ絡みだ! ワシはあいつを雇っていた親方本人から話を聞いたんじゃぞ!」
言われれば、確かにそんな一報があった。
「ええ、新聞に大きく載っていましたね」
カウンターを磨きながら、シザリーナは相槌を打つ。
「ギルドに加入するほどの石工職人なら、お貴族様の墓石だって用意するじゃろう?」
「嫌だ、ベルテさん。 石工職人がお貴族様の墓石に関して失敗するだなんて、一番にやっちゃいけないでしょうに」
それがな、とベルテ爺さんは身を乗り出した。
「あいつ、墓石に刻む先代公爵夫人のお名前を間違えたんだとよ。 よりにもよって、今の公爵様の末娘のお名前と……」
店中が、再び静かになった。
「え、ええ……? 冗談は止めて下さいよ、普通はそう言うのって何人もが確認した上でやるものじゃないですか」
シザリーナの所為ではないのに、シザリーナまで焦るくらいの大失態だった。
何故なら、末の公爵令嬢は体が弱かったので有名だったからである。
親が激怒しないはずがない。
「あいつ、『大丈夫大丈夫!』の一点張りだったらしい。 親方や同僚に確認もせず、独断で。 何でも、親方が気づいた時にはもう納品を済ませていたらしいんじゃよ!」
それで公爵が激怒した、と。
いや、むしろそれだけでよく許されたものだと思う。
母親の名前をただ間違えられただけならまだしも、墓石にまだ生きている己の娘の名前を刻まれたのだから。
「何です、それ」
と言いかけたシザリーナだが、ステファンならやりかねないと思いなおした。
あの性格なのだ。
いくら腕が良くても、社会性は無いのである。
「親方はあいつをクビにして、ギルドからも追放して、何度も土下座して新しい墓石を用意してかろうじて許してもらった、って嘆いていたんじゃよ……」
「ああ……」
思わず、シザリーナは呟いた。
「いつだって、やらかした張本人だけは幸せなものですよね……」
厨房の奥では、ポールがいつもより早く夕食の仕込みを始めているらしい。
美味しそうなスープの香りが漂い始めた。




