初日
水のような鏡の先に広がったのは氷のようにキラキラ透き通る図書館。一瞬海の中のように感じるが、息もでき、どこからか光が差し込んでいる。
「綺麗…」
思わず漏れたその言葉は波紋のように広がり空間を満たす。
「見た目だけ綺麗でも中は闇だぞ」
「中が暗いってこと?こんなに透き通ってるのに」
「そういう意味ちゃう、まぁ、サメは本読むの好きだし、図書館内の本を読むのは止めないけど、あんまり真に受けすぎないようにね」
シアが軽く私の肩を小突く。
「わかってるよーだ!」
「この図書館がどういうところかは説明されたでしょ?君は影響されやすいんだもん」
「何も言い返せない…」
「そんなに落ち込むなって、読むなとは言ってないしさ、ただ真に受けすぎるなって話で…」
シアのオーラが緑に揺らめく。
「分かってる」
目に見えて心配されると強く言い返せない。
「お待ちしていましたよ。シアくん、ササメさん。私はこの図書館で司書を務めております、人魚族のマリナと申します」
ヒラヒラと綺麗な尾をはためかせて現れたのは図書館の司書である人魚。
透き通る尾はまるで御伽噺に出てくる姫のようだ。
「本物だ!!!初めて会えた!」
「そんなに喜んでいただけると、人魚冥利に尽きますよ。これから一週間よろしくお願いしますね」
「はい。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!!」
深く綺麗にお辞儀をして顔を上げるとマリナは驚いた顔をしていた。
「どうかしましたか?」
「ただ、ササメさんのように礼儀正しい方はこちらではあまり見かけないので…」
「そうそう、うちのササメちゃんは礼儀正しいからねー」
「シアくん、お久しぶりですね。ご家族といらっしゃった以来でしょうかね」
シアは一瞬考え込むように黙ったものの、すぐに明るく返事を返す。
「そうだねー、まぁあれから色々あったしね」
随分と含みのある言い方だ。この図書館で働くと決まってからどこかシアの雰囲気がおかしい。まるでここで何かが起こって、それがまた起こることを危惧しているみたいに。
「では、お二人とも図書館をご案内いたしましょう。私についてきてください」
透き通る館内は外から見ると誰もいないように見えるが、中に入るとちらほらと人影があった。
「こんなに透き通っているのに外からは中に誰かいるのか分からないんですね」
「はい、この建物もこの場所も特別な条件が複雑に重なってできたものですので。気に入っていただけましたか?」
「勿論。ところで質問なんですけど、私はここの本を読んでもいいんでしょうか?忘れられた、もしくは忘れたい記憶が流れ着いて本になるんですよね」
「お好きに読んでもらって大丈夫ですよ。大抵の人は図書館のことを知りませんからね。あぁ、もしササメさんがご自分の本が読まれたくないという希望があれば禁書庫の方にお移ししますから遠慮なく言ってくださいね」
「そんなこともできるんですか?」
「できますよ。誰にでも知られたくない、見られたくないこともありますからね。ここはある意味個人情報が丸出しなので、嫌がる人は多いですよ。シアくんもあまりいい思い出はないでしょうね」
マリナと私の後ろを歩いていたシアの方を振り返る。自分に話を振られると思っていなかったのか、すぐに話をそらそうとする。
「僕の話はどうだっていいでしょ?で、この部屋は何のためにあんの?」
マリナに案内されたのは関係者以外立ち入り禁止のバッグヤードだ。本がたくさん並んでいた表と比べ、薄暗く広い部屋はまるで深海に迷い込んだようだ。その中で氷柱のように尖ったものが天井から生えおり、そこから光り輝く雫が一滴ずつ時間をかけて落ちている。それが部屋中にたくさんある。一言で言えば異質な空間だ。
「これは…?」
「製本をしているんですよ。ここの本は記憶が水に乗って流れ着いてできます。流れ着いた記憶は液体ですので、表の方に並んでいたように製本する必要があります。この部屋はその最初の過程、混ざり合った記憶を個々に仕分けする作業を行っている部屋です」
この液体が本になるのか…。元の世界じゃ有り得ない話だし、たくさん話を聞きたい。
「ちなみになんですけど、さっき私の本も頼めば禁書庫に入れてくださるって言ってましたけと、異世界人の私も本があるんですか?」
「勿論ですよ。異世界人がこちらの世界に迷い込んでしまったのはササメさんだけではありませんからね。その方の本もありますので、ササメさんのもあると思います。後で一緒に探してみましょうか」
「ありがとうごさいます」
マリナは迷路のように入り組んでいる館内を難なく案内した。
「全部ご案内しましたが、覚えられそうですか?」
「が、頑張ります!」
「迷ったらシアくんを探しに向かわせますから安心してください」
「えー、面倒くさい」
「ご自分の従業員なのでしょう?しっかり仕事をこなしてくれないとあげるものもあげられなくなりますよ」
「へいへい。働けばいいんでしょ?働けば」
「早速ですが、シアくんには製本作業のお手伝いをお願いします。手順はお分かりですよね」
「まぁ…?」
「ササメさんは私と書物の整理をお願いします」
「よろしくお願いします!」
別で作業を任されたシアと別れマリナと並んで書物の整理を始める。私に本の場所の説明しながらマリナはテキパキと本を戻し続ける。いつの間にか山のように積んであった本が綺麗に元の位置に戻っている。
「私居ないほうが作業早いんじゃないですか…?」
「いいえ、そんなことはありません。図書館でこんなことを言うのも何なんですが、私は静かなところがあまり好きじゃないんです。本当は騒がしくて、賑やかなところが好きなんです」
「じゃあ何故でここで司書を?」
「本が好きなんです。自分の知らない世界のことを本はたくさん教えてくれます。だから図書館や本屋で働きたかった。でも、陸に上がるには変身薬が要ります。変身薬はとても高価ですから私にはとても手が届きませんでした。諦めるべきか迷っていたときにこの図書館の噂を聞いたんです」
「だからここで働いてるんですね」
「はい。私にとって本にずっと関わっていられる司書という仕事は天職ですよ。最初にお会いしたときも感じましたが、ササメさんは本がお好きなんですか?」
確信を持ってマリナが尋ねる。宝石のようなキラキラした目が私を捉える。
「はい。マリナさんほどではないですけど、私も本が大好きです。だからここのアルバイトの依頼を頼まれたときとても嬉しくて」
マリナのオーラが喜びの黄色に輝き出す。相当嬉しかったのか尾ビレが忙しなく動いている。
「そう言っていただけてとても嬉しいです。今日の作業はここまでにして、シアくんと合流しましょうか。そちらに残りの製本担当の司書がいらっしゃいますから、ご紹介しますね」
バッグヤードに入るとソファーに溶けるように寝ているシアを見つけた。
「マジで疲れた。一回見たきりの製本作業をやってみろって言うの鬼畜すぎちゃう?」
「シアくんは器用なので一度見た作業はできるかと思ったんですが、采配を間違ったようですね」
「そんなことないんじゃない?シア坊ちゃんと大事なこと覚えてたし、作業の手際もいいから助かったけど?あ、どうも初めましてササメちゃんだっけ?アーシの名前はベルスって言います。ベルって呼んでねー。一週間よろしくね」
小麦色の肌に金髪。尾ビレはビビットオレンジ。外見からも彼女の明るさが滲み出ている。
「よろしくお願いします」
「改めて紹介すると、製本作業を担当しているベルスです。彼女は少し距離感が近いので嫌だったらはっきり言ってくださいね」
「マリナひどいー。距離感が近いのは否定しないけど、空気はアーシちゃんと読むしー」
「この図書館には全体で八人の人魚が働いています。ですが、体調不良で四人休養を取っていまして仕事が溜まっているんです」
「それぞれに担当が決まっているんですか?」
「うん。アーシは製本担当だけど、マリナは図書館を総括してる館長的なポジション」
「私は館長に図書館を任されていますので、要は館長代理ですね」
「どの担当も欠けては仕事が回らないということですね」
一人ひとりがしっかり自分の仕事を全うする。当たり前のことだが、凄いことのように感じる。
「そうですね。少し早いですが、明日の仕事についても連絡しておきますね。ササメさんはベルと製本作業をお願いします。シアくんは私とカウンター対応及び書物整理を行います」
「頑張ります!」
「今日の仕事と比べてめっちゃ楽そうじゃん!ラッキー」
「そうかも知れないですが、サボったらその分残業していただきますからね」
「うっ…」
「今日は初日ですのでここまでで大丈夫ですよ。お疲れ様でした」
「はい。お疲れ様でした!」
「したー」
仕事を終え外に出ると来たときと全く同じ光景が広がっていた。
「ここって昼とか夜の概念ないの?」
「時間帯はあっちと一緒だよ。ただここが特別なだけで」
「そうなんだ」
月蝕堂に戻るとマスターがお茶を淹れて待っていてくれた。
「二人ともお疲れ様です。思っていたよりも早かったですね」
「今日は初日だから早く帰らせてくれたんです。マスターの珈琲はいつ飲んでも美味しいですね」
「ずっとここで珈琲を淹れてきましたからね」
マスターのオーラが喜びの黄色に薄っすらと光る。
「それで、初日はどうでしたか?」
「期待通りでしたよ!とても素敵な図書館です。気に入りました」
「別にフツーかな。特に異常なことはなんも起こんなかったけど」
「そうですか。ならよかった」
「あ、ササメさん達帰ってきてる!」
勢いよく扉を開けてヨルとコハクが入ってきた。
「ちゃんと五体満足で戻ってこれてよかったじゃん」
「五体満足で戻れないことってあるんですか!?」
「こら、うちのササメちゃん信じやすいんだから嘘教えるのやめなさい」
「ササメさん面白いからついついからかいたくなるんだよねー。ごめんねササメさん」
「嘘なんですね、それだけで安心しました」
「明日は早いからもう御暇しますね」
「うん。お疲れ様!!」
「お疲れ〜」
「お疲れ様でした」
月蝕堂を出てシアと共にNocturneへ帰ったのだった。




