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火星に託すおっさんの夢

作者: 進村 博
掲載日:2025/04/10

火星開発と今どきのおっさんの悩み

「では、火星における一日は恒星日である24時間と39分35秒と定義し、また時間や分、秒については地球と同様とする方向で進めます。」

 今週の定例の結論が出た。電子ホワイトボードに書かれた、地球時間との同期(電子照明)だとか、引き伸ばし案(1時間を約99秒引き伸ばして見かけ上24時間にする)だとかの案には不採用のバツがつけられている。ひとまず意図していた方向にまとまったので胸を撫で下ろす。私的な理想にまた一歩近づいたと言える。

「あ、課長、お疲れ様っす。一段落つきましたね、今晩辺りどうっすか?」

 デスクに戻ると、手首をくいっと動かすジェスチャーが目に留まる。私の仕事は、あんな細かい話でもこの菅原や他の部下たちを使って社会受容性の検証やら法規との兼ね合いやら問題ないかを確認して新たな法の妥当性を定義するものだ。今日は、たしかに一山越えた。

「ああ、私はやめておくよ。いつも通り、みんなで行ってきて。」

「わかりました、しょうがないっすね。俺も結婚したいけど大変そうだなー。」

 私はいつも家庭を理由に断っている。言葉にしなくても、毎度のことなので菅原にも察しが付いたようだ。半分は本当だが、打ち上げの裏の静かなオフィスで、次の課題の検討を少しでも進めておきたいのだ。この仕事は所詮各国が国連に提出する案の中の日本案を作っているに過ぎない。だから同僚たちにはあまり理解されないが、私はそれなりの熱量を持って取り組んでいるつもりだ。

 残っている大きな問題は、24時間からはみ出る39分35秒ーー約40分をどこに付与するのかだ。これは、結果として一日の標準労働時間にも関わってくるだろう。例えば深夜23時59分59秒になってから次の日の0時0分0秒になるまでにこの約40分を挟むようにすれば、地球から来た一般大衆の感覚なら、8時始業17時定時終業というのが自然で、1日の時間自体は延びたのに労働時間は変わらないことになるだろう。これが正午であれば、昼休みの取り方にもよるが、おそらく定時の労働時間は約8時間40分としてもあまり反発はでないと思われる。もちろん、昼と夜に分割することもできるだろう。ぴったり半分ずつであれば、午前と午後の長さが揃うというのは他の案に比べて大きな利点と言える。

 何度考え直してみても、午前と午後が約12時間20分で揃う等分配案が落とし所な感じはする。医学的な見地からはどうかは別途確認が必要なものの、これに対して強い反対意見は出ないだろう。いつでも中庸が良いのだ。だが、これは私の望む方向ではない。

 次の日、この1日の時間の増分を時計上どこに割り振るか、各案のメリット・デメリットをまとめるため、部下たちに調査を振り分けた。各国の法令の文言からどう解釈できるかをまとめる、医学的見地を得るため専門家に当たる、或いは必要に応じて実験も行うかもしれない。ミーティングのあと、菅原がデスクに来た。

「わかりました、NASAのデータから見ればいいっすね。」

 菅原には、火星開発初期における時間の取り扱いを、この目線で再度まとめるようにお願いした。

「でも、初期の火星探査って、火星側はロボットだし、地球の管制側は3交代の24時間体制でやってたんすよね。その頃の運用を火星人の労働時間の設定に結びつけるのは無理筋じゃないっすか。」

 く、これくらいの事には気付くか。だが、そこは会議での話し方次第で何とでも誤魔化せる範疇で、決定権があるのはその会議だ。私の野望を日本案に乗せるためにも、そろそろこいつも取り込むか……。

「おい、まず火星人って言葉はあんまり言うなよ。この前もそれで差別的だってどこぞの大統領が炎上してただろ。移住者、だ。」

 まずは関係ないところでマウントを取る。だがこいつはそういう所で恐縮する柄ではない。

「で、菅原の言う事はもっともなんだが、お前は火星にまで行って仕事の時間を増やしたいのか?」

 素直に正面から、人としての嬉しさを説いてやる。言い間違えると怠惰な考え、と取られかねないが、こいつがそういったある種の硬さを持った人間ではないだろう。

「どういうことっすか?」

「今お前は8時から17時まで、昼休憩を挟んで8時間働いているだろ?」

「はい、公務員は残業が少なくていいっすよね。」

 そう、その姿勢が良い。

「ああ、まあそういう話だ。じゃあ、帰った後は何時間くらい遊ぶことができる?」

「そりゃ、寝るまでっすけど……合コンない日なら、通勤除いたら、毎日3時間くらいはゲームしてるか、資格の勉強してますよ。それがどうしたんすか?」

「俺はな、多くても一時間くらいだ。定時で働いててもそんなもんなんだぞ。」

「え、なんでですか?」

 こういう所は、まだ想像が及ばないか。

「そりゃお前、保育園の行き帰りと、子どもの夕飯とか風呂とかやってたらそうなるさ。別に子どもに使う時間が嫌ってわけじゃないけど、自分の遊びの時間ではないだろ。」

「ああ、そういうことっすね。でもそれが火星開発と関係あるんです?」

「だから、39分35秒だけでも夜の時間が延びれば、俺にとっては自由時間が6割以上増えることになる。」

「あー、なるほど。つまり課長は火星の労働時間を8時間に据え置きして、時間が増える分は日付が変わるタイミングに取っておきたいと。でも、僕らが移住できるころにはお子さんたちも流石に大きくなって手が離れてんじゃないっすか?」

「まあそうなんだけど、これは俺の夢みたいなもんさ。地球では、8時間労働が変わらないなら、どうしたって夜の余暇は少ない時間になる。それがここ数年不満だったし、疑問だったんだ。たった40分でも、火星で働く立場からしたらそのほうがいいだろ。もちろん、この40分を余計に遊んで生産性が地球より3%ほど下がる、みたいな意見は当然出るだろうけど、火星と地球の往来に何年もかかるんだから、今の月よりももっと独立した社会になって、正直そんな細かい数字で地球と比べてることに意味はないだろ。」

「確かに。なんか俺も火星で暮らしたくなってきました。なんというか、伝え方一つで実は火星移住希望者数にも関わってきそうじゃないですか。」

 単身の菅原にも気持ちが伝わったようだ。そればかりか、プロジェクト的なメリットにまで昇華してくれている。正直そこまで大げさには考えてなかったし、怠惰だと思われると進みにくいと思ってこの本心は極力他人に言わないようにしてきた。だが、今の菅原のアイディアのとおりに希望者数に影響を出せるとなれば、これは無視できない要素になるだろう。

「よし、そっちの方向で攻めよう。昔の探査ではどうだった、なんて意味のない論点で誤魔化すのはやめだ。」

「え?」

「菅原、至急国内外の子育て世代の1日のタイムスケジュールをまとめろ。」

「NASAのはどうします?」

「そっちはやめよう、消極的過ぎた。だけど俺達の常識が世界に通用するかを確認しないと、日本案止まりになっちまう。」

「わかりました、久々にやる気わいてきましたよ!」


 ここから先は、ある意味我々のチームのルーチンワークだ。ネットで当たりをつけ(私の子供の頃と違い、もうネット検索とネット上の生成AIの使用にはほとんど区別がない)、さらに実際に調査や試験をして裏を取る。今回の場合は、アンケート調査が妥当だろう。とはいえ生活リズムなんてものは各個人の端末が把握できる内容なので、アンケートと言っても匿名性を担保したうえでそれらの情報にアクセス許可をしてもらうだけで済むはずだ。この手の情報収集は昔と比べて本当にやりやすくなった。世間では生成AIが第四次産業革命だなんて言われているが、その直後の、超汎用構造体と呼ばれる情報工学的な枠組みの出現に伴うあらゆる情報の標準化と規格化こそが本丸だったと個人的には感じる。これのおかげで、あらゆる国、文化、集団、或いは個人に紐づく情報の配列が正規化、共通化され、情報へのアクセスの問題は権限の問題のみとなった。もはや、情報整理を人力やAIに頼る必要はないのだ。日が傾き始めた頃には、菅原からまとまった報告を受けとることができた。

「あんまり意外性はないっすが。」

 ざっと資料に目を通す。

「北欧なんかは比較的ゆとりがあるが、どの国もこの世代が時間的に厳しく、ゆとりが無い、ということは変わらない、か。まあ、そうだろうな。だがこれでいい。時間配分案の比較のところに、移住希望者に対する訴求力につながるというのと、生産時間は3%減るが、その影響は限定的、という内容を付け加えよう。訴求力の部分の資料作り、明日頼む。」

「了解っす!」

 生産性の部分も、地球と火星の物理的な距離による社会の独立性や、労働時間の短縮が必ずしも生産性に直結しない事実ーーこれは特に近年本格的なAIロボットの普及に伴って単純労働が減ったことで顕著になってきたーーを並べ立てれば、旧態然とした厚労省の連中もあえて反対はしないだろう。これができたら、JAXAや関連省庁の担当者に意見を募る「勉強会」を開き、実務者レベルでの合意を形成しておく。先の産業革命による技術面の効率化のおかげで、いよいよ我々の仕事はこういった人とのやり取りがほとんどを占めるようになってしまった。


「……と言うことで、生産時間低下の影響は、環境要因から地球以上に自動化が進むであろう火星においてはごくごく軽微か、あるいはプラスに転じる可能性もあります。これについては、添付にある複数の学術論文で裏付けられていると考えます。」

 一週間が経ち、また次の定例会となった。こうやって、毎週未確定項目を潰していくことで、各担当者の熱量の多寡を問わず期日通りに法整備ができるというわけだ。特に、利権の絡みが少ないこの手の内容ではなおさら、期日と言う圧力がないと事が進まない。

「珍しく、攻めの提案だね。」

 直属の部長だった。根回し済みの部署からは何も質問はでなかったが、こういう時は意外と身内から意見が出るものだ。

「はい、ありがとうございます。時間の増分を午前と午後で等分配するのが安牌かと思われますが、それ以上に我々自身も移住したいと思える要素が必要だと考えました。」

「ありがとう、しっかり反対意見に対する説得もできているし、私としては言うことはないよ。他の皆さんの意向に従います。」

 事実上の審議通過だった。こうして、火星社会における夜が40分ほど地球より長くなり、標準労働時間は8時間という日本案が出来上がった。また、部長のはからいで、国連での提案、売り込みについてもそのまま私のチームが担当することとなったのだった。


 十年後……

 菅原は結婚し、仕事と育児に追われている。両家の親からは遠く離れたところにいるので、平日は結構忙しい。時には、まだ独身の部下達が平日にも関わらず夕方から遊び歩いている話に羨ましさを感じることもある。だが、彼と彼の妻の生活にも、それなりのゆとりがあった。例えば今日は、夜寝るまでに1時間と39分35秒ほど余裕がある。平日にも関わらず、映画でも観ようか、と彼は妻を誘った。


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