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桜ノ奇  作者: 五十鈴 りく


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〈三十六〉番狂わせ

 肆町の方はなるべく襲わないと言っていたものの、カセイが動かしていた桜が消えてしまうと、里中に這っていた根もなくなり地面に空洞が空く。その空洞が潰れる、すなわち里全体が崩落する。だから、肆町も安全ではなかった。


 桜が消えた町で家屋が大きく揺れ、ぐずぐずと崩れていく。二人がいるところがどうなっているのか、正直なところまったくわからない。


「時永、二人にはなんて言って置いてきたんだっ?」


 走りながら訊ねたら、時永は振り向かずに言った。


「黙って出てきた」


 説明のしようがなかったのも急いでいたのもわかるが、置いていかれた側からするとあんまりだろう。華汰は心細さのあまり泣いているかもしれない。

 しかし、思えば黙って出てきたのは琴平たちも同じだ。時永だけを責められない。吉次は小さな子供を相手に戸惑っていることだろう。

 時永はやはり振り返ることはないが、それでも口を開いた。


「この里が五つの区間に別れているのは知っているな?」

「ああ、采璃から聞いた。五枚の花弁の、桜の花みたいな形をしてるって」

「桜の花か」


 走りながら、時永は一度だけ琴平を見た。これだけ走っても汗もかかずに涼しい顔をしている。


「五つの町は五行思想に則って作られている。それで行くと、肆町は〈金〉であって、佳成様が操った〈木〉とは相性が悪い。一番攻めにくいところだった」

「もし肆町に妓楼があって衣通太夫がいたら手こずったのか?」

「いや、そうなっていたら違う方策を選んだというだけの話で、どうにかしただろう」


 その場合、里で暴れまわっていたのは桜ではない何かだったということか。カセイはどうあってもこの里を滅ぼすつもりだったのだから。


「衣通太夫はこの里で生まれ育った。陰中の陽という存在だ。花崎は依頼してくる外との繋ぎ役でしかなく、呪詛は主に三人の太夫が行っていた。呪詛返しを受けることもあったから、三人まで数が減ったんだ」

「あんたもカセイの仲間なら、呪詛とか呪詛返しとか、そういう術が使えるのか?」

「私は自分の身を守るのが精々だ。大したことはできない。それにしても、どうして佳成様があんたに声をかけたのかが不思議だ」

「どうしてって、部外者だから極力巻き込まないように……」

「これだけの仕込みをした計画が失敗に終わるくらいなら、佳成様は誰も救わなかったと思う。それくらい、佳成様にとってこの里の撲滅は重大なことだったから。あんたを助けるために余計なことを言ったのは意外だった」


 最初に時永に会った時は、突き放したような冷たい印象しかなかった。しかし、こうして話していると本当は違うのだという気がしてくる。

 大事な役目を担っている身だから、里の者と慣れ合いすぎるのは危険だったのだろう。


「カセイの気まぐれだったのかもしれないけど、助かったな。里の人間だったら助けるつもりはなかったんだろうけど」

「降伏するつもりがあれば、命までは取らなかったかもしれない。時雨太夫は気の弱いところもあったから、もし投降するなら助けるように私からも頼むって説得したんだ。そうしたら、最初は怒ってたけど、後になって少し考えさせてほしいって言い出して。でも、結局死んでしまった」


 それを聞いた時、何故時雨太夫という人が死んだのかがわかった気がした。

 虎之助はその時に花車を見たという。花車は投降しようとした時雨太夫を殺すために放たれたのだ。なんとも悲しい結末だが。




 ようやく、あの仮屋が見えた。しかし、すでに崩壊している。やはり地盤が崩れていてはいくら〈木〉に強い〈金〉の地であっても引きずられる。

 ぺしゃんこになった家を見た時、時永は意外なほど傷ついて見えた。何事にも動じないふうだった彼女が見せた意外な顔と言えるだろう。


「あっ、あそこにいる!」


 琴平が指さした先に、華汰を負ぶった吉次がいる。地面に膝を突いていた。桜がもとの木に戻った時にひと際大きく地揺れが起こったせいだろう。


「吉次さん! 華汰!」


 琴平が大声で呼びかけると、二人はようやくこちらに気づいた。


「お前ら、どこへ――っ」


 安堵か腹立たしさからか、吉次は苦々しい表情を浮べ、こちらに駆け寄ろうとした。

 けれどこの時、ひと際大きな地揺れが起こった。ピシッと大きな音と共に道に亀裂が入る。ぱっくりと、彼岸と此岸を分けるように隔たりができた。華汰が驚いて大声で泣いている。


「あー、うっせえ! 泣くな!」


 慰めの下手な吉次はそんなことを言うが、連れて逃げているのだから根は優しいのだ。かと思えば、急に華汰を背から降ろし、自分の前に抱え直す。


「おい、この餓鬼をそっちに投げるから、受け止めてくれ」

「えっ!」


 琴平も時永も愕然としたが、吉次に迷いはなかった。


「ほら、行くぞ!」

「ひ……っ!」


 華汰の体は悲鳴と共に宙を舞った。しかし、受け止めるにはあと少し足りない。とっさに手を伸ばし、つかんだのは華汰の帯だ。華汰の体は吊るされたような形になる。恐怖のあまり気を失っていた。


「く……っ」


 琴平だけの力では引き上げられない。時永は薙刀を放り、琴平に加勢した。息を乱しながら二人がかりで華汰を引き上げると、吉次のいた場所が一段低くなっていた。

 吉次は足元が危ういことに気づき、華汰を逃がそうとしてくれたらしい。


 しかし、これでは吉次をこちら側へ渡らせるのが難しい。

 それでも時永は薙刀を拾うと刃すれすれのところを持ち、吉次に向けた。


「つかまって!」


 そうしたら、吉次は妙に晴れやかに笑った。


「うぅん、無理だな」


 徐々に吉次の足元が沈んでいく。


「き、吉次さん!」


 琴平も呼びかけたが、吉次も時永も互いのことしか目に入っていなかった。


「なんとなくわかっちゃいたんだよ」


 ぽつり、と吉次はそんなことをつぶやいた。


「何を――」

「俺はどうあってもいい目には遭わねぇんだよな。昔っから、どんなに気張って生きていても最後にはろくなことにならねぇ。死に様もきっとそうなんだろうって思ってた。でもまあ、時永に会えて、その餓鬼も助けられたなら、俺の人生は最悪ってこともなかったんだろう。な?」


 晴れやかにそんなことを言う。時永は――怒っていた。


「諦めのいい振りをするな!」


 これが吉次の本心でないことくらい、時永には見通せたのだろう。吉次は琴平に生きたいと言ったのだから。

 それでも、吉次はこの絶望的な状況で最善を選ぼうとした。琴平が吉次なら、あんなふうに潔くはいられないかもしれない。


「最期くらい格好つけてもいいだろ? お前には別に好いた男がいて、そいつのために体張れるくらい惚れてるんだって気づいてたけど、でもそういうところも含めて惚れたんだ」


 粋に笑って逝こうとする。けれど、もっと足掻いても見苦しくなんてない。

 時永は一度歯を食いしばり、それから絞り出すような声を上げた


「私にはお役目があって、それは命に代えても成し遂げなくてはならないことだった。私は、どうしてもあの方のお役に立ちたくて自ら役目を買って出たんだ。命も操も何もかも捨てて、それでも。あの方の心が私に向くことがないのはわかっていても、全部成し遂げられたら清々しい心持ちでいられるつもりだったのに、お前のせいで台無しだ!」


 そこでうつむいた時永は、泣いていたのかもしれない。

 時永が役に立ちたいと願った相手はカセイだろうか。カセイのためにこんなにも危ない役目を引き受けるほどには思い入れがあったのだとする。

 そんな時永が、今、懸命に吉次を救おうとしている。


「お前は里の者ではなくて部外者だから、できることなら生かそうと思って近づいた。いざという時に私の言うことを信じて正しい方へ逃げられるよう、少しだけ親しくしておけばいいと思っただけなのに、今は……っ」


 吉次は、がらがらと音を立てている足場と迫りくる死を恐れていないはずもないのに笑っていた。時永が吉次を思い出す時は笑顔であってほしいのかもしれない。


「なんだろうな。時永は寂しそうで、俺も寂しくて、一緒にいられるだけで嬉しかった。そんな女に会えてよかった。ありがとな」


 吉次がそれを言った時、時永は涙を拭いて薙刀を地面の亀裂に落とした。琴平が、あっ、と声を上げた時にはもう、時永は亀裂を飛び越えて沈みつつある吉次のそばに下りていた。

 吉次の首に飛びつくと、それから琴平を振り返った。


「佳成様に伝えて。育てて頂いてありがとうございましたって」

「そんな! 二人とも、どうにか――っ」


 琴平が焦っても、二人を助ける力はなかった。それなのに、二人は妙に幸せそうだった。寄り添い、抱き合って互いだけを見つめている。


「ほら、その餓鬼を助けるんだったら早く行けよ」


 吉次の声は柔らかかった。

 琴平はぐったりとした華汰を背負って立ち上がる。


「は、華汰を置いたら戻るから!」

「ふざけんな。やっと時永と二人になれたんだから、邪魔すんじゃねぇよ野暮天」


 こんな時なのに、吉次はそんな軽口を叩く。

 生きてほしい。生きたいと願っていたのに、助けられない。それが悲しい。


 華汰を背負い、琴平は無力感に(さいな)まれながら歯を食いしばって走った。


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