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〈三十五〉後始末

 人を呪い殺すという衣通太夫は、相手が目の前にいれば眼力だけで息の根を止めることができるのか。

 なんの力もない琴平では容易に殺されてしまう。抗う術がなかった。


 ――しかしこの時、死を間近に、母のことを思い出した。


『あんたのことは絶対に殺させない。何があっても守るから』


 母は桜の木の下、舞うように擦り足で、何かを唱えていた。


『臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前』


 そして、人型の紙で体を撫でられ、幼い琴平はきょとんと目を(しばたた)かせる。


『大丈夫。私では返せないとしても、私が代わって受け止めるから』


 あれは、一体どういう意味だったのだろう。


 今になって思い出したのは、あの九字の文言。


 それから、思川太夫の道中。

 あれは遊廓の八文字ではない。

 そうだ、母が行っていた〈反閇(へんばい)〉という(まじな)いと同じ動きだった。


 思川太夫は、松枝を呪詛したという。術の下準備として反閇を行っていた。

 それを道中に見立てるのがこの里の作法だったのかもしれない。あの道中は、太夫を待っている客のために行われたのではなかったということだ。

 道中につき従った采璃や華汰が意味を知らなかったとしても。


 けれど何故、母は(まじな)いを行っていたのだろう。琴平の記憶がここで混ざり合っただけで事実ではないのか。

 胸の奥が仄かに熱いような気がした。


 琴平は衣通太夫の邪視を、首を背けて振りきる。この時、衣通太夫は信じられないものを見たように愕然とした。


「何故、効かない――っ?」


 衣通太夫に隙が生まれ、時永がすかさず踏み込んだ。薙刀の長い柄を風車のように回し、衣通太夫の両目を薙ぐ。そこに迷いはなかった。

 時永なりに正義のために行われ、自らが傷ついても使命を果たさんとしたのだから。


 血飛沫が上がり、衣通太夫は両目を押さえてのたうち回る。


「目がっ!」

「ろくなことをせぬから悪いのだ」


 体は透けているが、カセイは冷たく言い放ち、またしても両手で素早く印を結ぶ。

 花崎は信じられないものを見るような目つきだった。


「〈(しき)〉がこれほどの力を持つとは……っ」


 それに対し、カセイは吐き捨てた。


「格が違うということだ。身をもって知れ」


 カセイがパン、と音を立てて手を合わせた時、桜の枝が凄まじい轟音と共に座敷の窓を突き破り、花崎と衣通太夫とを串刺しにした。

 その刹那、桜のような淡い花ではなく、牡丹のように鮮やかな血の花が咲いたように見えた。


 そして、花車は一枚の人型をした札に変わった。男二人は貫かれて血を流したことから、生身の人間であったと知れる。


佳成(よしなり)様!」


 時永が叫んだ。

 カセイの姿は霞み、朧のように儚い。今にも風に攫われそうだった。

 それでもカセイは告げた。


「やはり、式で抑え込むのは限界のようだ。この里は崩れる。急ぎ脱出せよ。外で待つ」


 それだけを言い遺し、カセイの姿は消えた。そして、カセイが消えた後にも花車と同じく白い人型の札があったのだ。

 カセイが消えたことと関りがあるのか、座敷にまで伸びていた枝の花がぱっと散り、花が散ったかと思えば枝も消えた。


「な、何がどうなってるんだ?」


 この場でそれに答えられるのは時永だけだ。しかし、時永は説明する気などないらしい。


「じっとしていたら死ぬ。大門へ急ぐよ!」

「でも、橋が落ちたんじゃ――」

「いいから、急げ!」


 時永が怒鳴ると、〈御衣黄屋〉がガクン、と揺れた。ゆっくりと斜めに傾いている。

 琴平も采璃も、もう何も言わずにただ走った。外へ出るなり、采璃が転び、琴平は駆け戻って起き上るのを助けた。


「采璃、大丈夫か?」

「う、うん」


 緊張のあまり、体が上手く動かないようだ。琴平はそんな采璃の手を取って走る。

 外には虎之助がいた。あれほど育っていた桜の枝も根も、嘘のように消えている。ただ、桜が傷つけた道はそのまま荒れていたから、すべてが幻だったわけではない。


「虎之助様、急いでこの里から脱出しないと!」


 琴平の剣幕に虎之助は顔を曇らせた。


「いや、私は――」


 松枝を置いていけないと言うのだろうか。そんな虎之助に、時永が言った。


「あんたの連れ合いは外にいる。佳成(よしなり)様が助けてくださったんだ」

「よし、なり様?」


 いきなりそんなことを言われても呑み込めないようだ。

 まさか、松枝は無事に生きているなどということがあるのか。

 そうだとしたらいい。そうであってほしいけれど。


「とにかく、里を出るんだ」


 時永は先になって走った。皆でそれに続く。

 そして、あの桜の木が植わっていたところに出た。桜の木は憐れにも朽ち果てていた。この木はただの木でしかなく、桜の怨みなどというのは偽りで、カセイがこの里を葬るために操っていたのだろう。


 ここへ来ると、時永は一度足を止め、肆町の方へ舵を切った。


「時永!」

「すぐ戻る」


 肆町には吉次と華汰がいる。二人を置いていくことはできなかった。しかし、皆で行くのも危ない。


「虎之助様、采璃をよろしくお願いします。俺もすぐに戻ります」


 一方的に頼んでしまったが、虎之助なら守ってくれる。


「あ、あたしも華汰を迎えに――」


 言いかけたが、足が竦んでいる。采璃の言葉尻が弱々しい。


「うん、俺が迎えに行ってくる。待っててくれ」


 采璃を不安にさせないように笑いかけると、采璃は泣き出しそうな顔をした。そんな様子を見ていた虎之助が苦笑する。


「今の琴平ならできないことはないな。ただし、必ず戻ってこい」


 虎之助が力強くうなずいて琴平を見た。その目は、これまでの導くようなものとは違い、琴平を認めてくれているように感じられた。


「はい!」


 琴平はここで二人と別れ、時永の後を追った。


反閇は道教の禹歩(うほ)の流れをくむ歩行呪術で、ちゃんと意味があるわけですが、千鳥足みたいな感じ(言い方)

ちなみに陰陽師が使う式神も実際はこんな感じではなく、都合により自由度高めでお送りしております。

声を大にして「フィクション!」と言っておきます(/・ω・)/

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