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桜ノ奇  作者: 五十鈴 りく


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〈三十一〉約束

 カセイは枝の上で柳眉を(ひそ)めていた。采璃のことまで傷つけるつもりはなかったのかもしれない。

 それでも、采璃の肩を枝が貫いた。薄い肩の背中側に枝の先が突き抜けている。

 痛みからか衝撃からか、采璃の顔から表情が消え、そして気を失った。


「采璃っ!」


 琴平は倒れる采璃の体を受け止めた。

 そのすぐ後にカセイは霧のように薄れて消えてしまう。そのカセイを追うようにして、虎之助もまたいなくなった。

 とはいえ、虎之助は人間だ。軽やかな足音が遠ざかっていくのが聞こえた。今の虎之助は松枝の仇であるカセイを仕留めることだけを考えて戦っている。


「さ、采璃……」


 震える指で采璃の傷口を確かめようとする。襟を広げるが、赤いのは着物ばかりで、采璃の肌は黒子ひとつなく白かった。

 傷口が、ない。


「そんなことって――」


 今し方見たものが信じられなくなった。確かに采璃の肩を枝が貫いたはずだ。あれが見間違いだったというのか。


 混乱した頭で、琴平は思川太夫の打掛を捲ろうとした。一緒に貫かれた思川太夫の体はどうなったのかと。

 しかし、琴平が打掛に手をかけた途端、打掛の下から炎が覗いた。


「うわっ!」


 思わず手を放したが、炎は燃え盛り、思川太夫の遺体を燃やし続けている。ただしそれは普通の炎であるはずがない。

 煙もなく、ただ静かに思川太夫だけをこの世から消していた。打掛は燃えない。


 これもカセイの仕業なのだろうか。

 わからないながらにも、采璃を避難させなければと距離を保った。


 あの打掛が燃えていないように、カセイは思川太夫にしか通用しない方法を選んだのだとしたら。それにしては、采璃が飛び出した際にカセイが驚いたようにも見えたのは気のせいなのか。

 それに、桜の精は炎をも操るものなのだろうか。木を燃やしてしまう火は、木の天敵のように思うけれど。


 采璃の着物の崩れを直すと、肩のところだけ穴が開いていた。それでも、怪我はない。

 驚いて気を失っただけだったらしく、采璃はすぐに目を覚ました。


「ね、姐さん……」


 ハッとして身を起こした采璃だが、そこに落ちている打掛の下に人がいるようには見えなかった。なんの膨らみもない。焦げ跡すらもなかった。普通の炎ではなかったせいだろうか。


 琴平はどう説明すればいいのか戸惑い、無言でかぶりを振った。それだけで最低限の意味は伝わったらしく、采璃はただ子供のように泣きじゃくる。悲しいのと、怖いのと、わけがわからない不安だろう。


 琴平は泣いている采璃を抱き締めた。それが正しいのかどうか判断できなかったけれど、他にできることが何もなかった。この里で、いや、この世で琴平はあまりに無力だ。

 それでも、こうしていないと采璃までどこかへ連れ去られてしまいそうに感じて――。


 力いっぱい、采璃が息を詰まらせるほど強く掻き抱く。采璃も琴平の背に腕を回してしがみついた。独りでなくてよかったと思ってくれるなら、それだけでよかった。


 二人で抱き合い、こんな時なのに互いの鼓動の速さを確かめ、琴平は生きていることを実感している。

 采璃はぐすぐすと泣きながら言った。


「こうして琴平がいてくれるのは嬉しいけど、だから余計に離れた時に苦しくなる。……姐さんみたいに、松枝様のような人を見たら耐えられない。あたしはやっぱり、根っからこの里の人間なのね」

「じゃあ、離れて行かない。俺はこれからも采璃といるから」


 采璃と琴平は似た者同士だ。頼れる人の後を追いたがる。

 大事な人だから、恩を感じているから。それはもちろんあるけれど、その相手から離れる自分を想像できない雛鳥だ。


 けれど、そんな日常は続かない。いずれは巣立っていかなくてはならない。

 それならば、未熟な二人が肩を寄せ合って生きてもいいだろう。今になってそう思えた。


「……本当に?」


 采璃の心は傷だらけで、あと少しで砕ける。そんな彼女に嘘は言わない。


「うん。約束する」


 心のひび割れを塞ぎ、壊れないように大事に抱えていく。そのつもりで返事をした。


 采璃の顔を両手で包み、自然と唇を押し当てていた。琴平にこれを教えたのは采璃のくせに、采璃の方が戸惑っている。けれど、それも最初だけだ。柔らかい唇が誘い込むように開いた。


 口を通して想いを相手に流し込むような、魂に触れるような気分だった。

 きっと、虎之助もこんな気持ちだったのだと今になって知った。


 もしかすると思川太夫は、采璃の抱える闇を琴平に知ってほしかったのだろうか。采璃の苦しみを知り、知った上でそれでも包み込んでほしいと。それができないのなら、采璃は託せないと。


 考えすぎかもしれない。けれど、何故かそんなふうに思いたくなった。


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