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桜ノ奇  作者: 五十鈴 りく


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〈三十〉これから

 思川太夫の遺体のそばへ行き、ゆっくりと広がっていく血溜まりを隠すように打掛をかけた。采璃はそのまま思川太夫に体を重ねてすすり泣いた。

 采璃は、泣きながら思川太夫に語りかけている。


「放っておいてって言われたのに、自分の気持ちだけ押しつけて、姐さんを追い詰めたのはあたしなの? あたし、姐さんにどう謝ったらいいの……」


 采璃はあの仕打ちの後でも思川太夫を怨む気持ちは湧かないのか、自分を責めた。それが痛々しい。

 けれど、返事はない。思川太夫はすでに自分の思いを伝えることができないのだ。


 琴平は采璃の隣に膝を突く。


「采璃は悪くないから」


 下手な慰めだった。自分でもそれはわかっている。

 そうしたら、采璃は声を荒らげた。


「嘘っ! さっきの聞いたでしょう? あたしは実の親をずっと怨んでる。……子供の中で売られたのはあたしだけなの。妹は売らないのに、あたしだけ売ったのよ? 許せないってずっと怨んでる。あたしが売られなかったら家が傾くって? そんなの、傾けばよかったの。なんであたしだけ売られて、皆はこれまで通りの暮らしを続けられるの? あたしが生きられたのは、いつか怨みを晴らせる日が来るっていう姐さんの言葉のおかげだった……。あたしは、憎しみに支えられて生きていたの。それでもあたしが悪くないって本当に言えるのっ?」


 思いの丈を吐き出したけれど、采璃は相手を間違えたと思ったのかもしれない。急に傷ついたような顔をして目を逸らした。


「ごめん。こんなこと言われても困るよね。……あたし、姐さんが松枝様を嫌った理由がわかる。あたしたちは、あんなふうに綺麗な心ではいられないから」


 顔を向けた采璃の目から堪えきれない涙が落ちる。年若い娘が背負うにはつらい感情だろう。


「そんなこと言ったら俺だって、殺したいくらい人を憎んだ時期があった」


 采璃は目を見開く。

 これまで琴平を、虎之助に守られて恵まれた子だと、そんなふうにしか思っていなかったに違いない。薄暗い過去などないかのようにして。


 采璃はそのまま、これ以上涙が零れてしまわないように耐えていた。


「俺の母さんは何もしていないのに殺された。その時、近所の人たちはそれでも母さんが悪いみたいに嘲笑って悲しんでなかった。……あの時、皆死ねばいい、殺してやりたいって思った」


 でも、と言葉を切る。


「でも、虎之助様が俺のことを助けてくれたから、俺は誰も殺さなかった。怨むだけじゃない、いろんな感情を与えてくれたんだ。采璃だってこれからだろ? 憎んだことがあったって、誰も傷つけてない。だから、そんなにも自分のことを責めなくてもいいんだ」


 それを聞くと、采璃は力いっぱい目を閉じた。涙を止めようとして、余計に涙が止まらなくなる。

 何かを言おうとするのに声を詰まらせる采璃に、琴平は恐る恐る手を伸ばした。


 その時、ふと、〈千里屋〉の近くに咲いた桜の枝の上に水干の少年の姿を見た。

 枝の上に立ち、こちらを見下ろしている。その表情は冷ややかで、人の死を悼むものではなかった。


「カセイっ!」


 声を張り上げても、カセイは琴平など眼中にないようだった。

 ただ独り言つ。


「……まだか」

「なん、だって……?」


 思川太夫の死を悼むどころか、カセイは憤っているようだ。目をスッと細めた。


「まだ居るか」


 采璃にもカセイの姿が見え、言葉も聞こえるようだった。思えば、時永もカセイを知っているようだったから、それも不思議ではないのかもしれない。


「琴平、あれって……」

「カセイ。桜の精なんだろう」


 怒りの表情さえ浮かべていなければ、清らかな少年に見える。ただ、中身は見た目に見合った年齢ではないのだと思わせる表情である。


 〈千里屋〉の窓から虎之助もカセイの姿を見つけたらしい。いきなり窓から枝に飛び移り、常人離れした動きでカセイに斬りかかった。


 しかし、カセイは傷ひとつ負わない。虎之助の刀が斬ったのは桜の枝ばかりだ。

 桜の花が宙に散る。そんな中、虎之助が吐き捨てた。


「化け物が」


 この化け物が松枝を殺したと。憎しみに身を焦がしている。

 思川太夫は松枝の死を願ったのかもしれない。それならば、この桜は思川太夫の望みを叶えたということになるのか。


 単なる偶然なのか。これは一体、どういうことなのだろう。

 女が次々と死んでいく――。


 カセイは顔をしかめ、思川太夫を見下ろす。そして、無情にも桜の枝の切っ先は思川太夫の亡骸を貫かんとした。


「駄目っ!」


 采璃がとっさに思川太夫の前で両手を広げた。危ない、と叫ぶ暇すらなかった。

 枝は采璃の体を突き破り、思川太夫を貫く。横にいた琴平は、間違いなくすべてを見ていた。


「采璃っ!!」


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